第二話【新たな法律】
「・・・よってここでのフロイトの見解では・・・」
聞いているとなぜだか眠くなる倫理の講義。
私は別に好きでとっているわけではなかったが、如何せん、単位を取得するためには仕方のない時間の犠牲だ。
しかしこの授業を受けていて身になるという学生は果たしているのか!?といった具合の睡眠学生率である。
欠伸がとまらなくて困るが、あと20分の辛抱だ。
それまでドイツ語の予習でもしていよう・・・と、私が倫理の授業もそっちのけで教材を取り出そうとしたその時。
―ドバンッ
扉を乱暴に開ける音がした。
途端、数人の黒いスーツを着た男性が入ってきてつい今まで倫理のなんたるやを熱心に語っていた教授を押しのけて、その中の一人が教壇に立った。
「この中に、空乃ユアという学生はいるか」
今のは聞き間違いだろうか。
私の名前をよんだ?
「な、何なんだねあんた達は!?」
男ははっきりと私の名前を叫んだのだ。
もちろん、私の記憶の中にはこんな脂っこい友人はいなかったし、親戚のおじさん・・・なんて勘弁だ。
私の思考は混乱して、教授の咎めるような声もただ、雑音にしか聞こえなかった。
私が名乗らないのをわかっていたのか、男たちは手分けして教室を探り始める。
幸いなのか何なのか、この授業は寝ていてもとりあえず出席していれば単位が取れるという学生に優しいものだったので、この教室には軽く50を超えるであろう学生がいた。
この教室には私を知っている人間はいなかったため、見つかるにはそれなりに時間がかかるはずだ。
こんな見ず知らずのやつらなんかに『見つかる』ということが気持ち悪い。
なんだか良くない気がするんだけど。
私の中の本能が、私に逃げた方がいいということを伝えていた。
しかし逃げるということはすなわち、私が『空乃ユア』だと名乗っているようなもので、だからこそ逃げられない。
いや待て、私は何も疚しいことはしていないし、ちょっと気分悪いけど、この男たちに用があるなら堂々と名乗ればいい。
授業を中断してまで入ってきたんだ、何か緊急の用事でもあったのかも。
ふと唯一の家族である母の顔が脳裏に浮かんで、私は心配になった。
とりあえず名乗り出ようと私が片手を挙げようとしたとき。
「なぜその人を探しているんですか?」
一人の勇気ある男子学生が私より先に手を上げてもっともな質問を投げかけた。
途端に周りがざわざわと騒ぎ出す。
生徒の質問に、教壇に立ったまま教室中を見回していた男性は無表情であくまで機械的に答えた。
「・・・今日から新たな法律が加わった」
厳めしい少し間を空けて教室中の生徒たちに聞こえるように言ったが、もしかしたら本当は私にだけ聞こえるようにわざと聞こえよがしに言ったのかもしれない。
黒いスーツの下に隠れているであろう鍛え上げた胸筋を張り上げている様がなんともシャクに障る。
「今日の午前中、軍法会議と陛下の御意志で下された命により、明東大学文学部2年に所属する『空乃ユア』を、第一級犯罪人として日本帝国政府の名の下に逮捕することが決まった。我々は日本帝国軍部機関の者だ」
私は男が口にしたその言葉を、ただただ黙って頭の中で反芻するしかなかった。
―――――何言ってんの、コノヒト。
なかなか進まなくてちょっと自分で焦れてます;;
身に覚えのないことでいきなり捕まっちゃう人の心境ってどんなものなのでしょうかね。