第4話 細胞ディーラー検挙作戦
「ネメシス、あなたの目的を教えて」
「なあに、心配することはない。私はただ、人間たちに滅んでほしくないだけだ」
深尋はオフィスで一人、四年前に独自に入手した、ネメシス誕生時の音声記録を聴いていた。彼はノートパソコンのスピーカーに、難しい顔で耳を澄ませる。
深尋が研ぎ澄ませている聴覚は、整備室の隣室――ロッカールームのドアノブが下がる音を感じ取った。そのドアを開けて現れたのは、哲範。
「ネメシス――鬼のルーツとされる者か……。何か新たな発見はあったか?」
「いえ、何度聴いても、教授の声で喋る別人としか」
深尋は音声を止めて、席を立ちながらそう言った。
「奴の正体がわかれば、行方不明の教授の詳細も、きっとわかる」
哲範は自席へ足を運ぶと、次のように続ける。
「そこでなんだが、小林。複数の鬼から証言を得られた」
「証言?」
「ああ、超ヒト体細胞の密売所を特定できたんだ。そこからネメシスの手がかりが掴めるかもしれない」
厳粛な声で、深尋は訊く。
「密売所を叩く予定は?」
「早ければ、今夜を予定している」
◇
そして、その夜はやってきた。
真由、哲範、深尋の三人が乗る大型防弾装甲車が、密売所を目的地として走行している。
運転手を務める哲範。密売所に到着するまでの時間を使って、彼は言う。
「状況を整理しよう。これから俺たちが向かう密売所では、人を鬼に変える超ヒト体細胞が密売されている。おそらく、そこには細胞ディーラーも居るだろう。一代目の細胞ディーラー『アサガオ』は、ある日忽然と姿を消した。今のディーラーは二代目だ。名前は不明。現時点では単に、『ディーラー』と呼称する。小林と桐谷はイージスを着用して、人を見つけ次第確保してくれ」
「了解」と返事をした真由と深尋は、車内の後方に置かれたイージスの前に立つ。車でも運搬しやすいように、コンパクトで安定した形に変形しているイージス。
「イージス『A-300』、起動します」
「イージス『A-200』、起動します」
二人がヘルメットを被ると、深尋側の音声ガイダンスが真由にも聞こえた。どうやらヘルメットさえ被っていれば、互いのイージスのステータスを確認し合えるらしい。二人は立ち上がったそれぞれのイージスを装着する。
この任務は、真由にとっては初陣である。そのため彼女は、心を落ち着かせるべく深呼吸に没頭していた。ヘルメットをしているため、少々の息苦しさがあるかと思いきや、そんなことはなく、ヘルメット裏のディスプレイが曇る気配もない。イージスはやはり最先端の技術。それを意外なところで思い知らされた。真由は深呼吸を忘れて、マッドラテック社の技術に感嘆する。
装甲車の走行音がなくなった。密売所に到着したのだ。
「よし、着いたな。小林、桐谷、突入しろ」
「了解」
二人は装甲車後方の、観音開きの扉から飛び降りる。十数歩先にあったのは、何かを隠しているような、妙な味気なさのある小さなビル。
「武器のセーフティを解除します」
真由と深尋は、サブマシンガンを構えて突入する。中は暗く、誰の姿も見当たらない。
その時、真由は足音を聞く。真由が振り返ると、そこには、彼らが入ってきたドアから出ていく人影があった。
真由はすかさずジェットエンジンを点火し、ホバー移動でその人影に体当たりをする。
「あらあら、危ないじゃない」
真由と共に道へ転がった人影。その正体は鬼だった。後方に伸びるクワガタの顎のような形の大きな角や、左右対称の髪飾りが目立つ。
サブマシンガンを鬼に向ける真由。
「あなたが細胞ディーラー?」
「ええ、そうよ」
赤く光る目で、その鬼――細胞ディーラーは、真由に笑いかけた。
刹那、装甲車のレーダーが反応。哲範は真由と深尋に警告する。
「真上!? 何か落ちてくるぞ! 気をつけろ!!」
その警告のとおり、それは落下してきた。ビルの屋上より、遥か上空から。
「私の部下に手をあげるなんて、まったく酷い方々だ」
「ネメシス……!」
密売所から出た深尋はその声を聞いてすぐに、目の前に立つ者の正体を確信していた。現れたのは、鬼の起源たる怪物――ネメシス。仮面を着けた濡烏色の姿をしている。ネメシスの細胞を貰い受けた人間である鬼が、濡烏色の姿に変身できるのは、ネメシスの姿に似た結果ということなのだろう。何より、ネメシスを得体の知れない存在、人間ではない何かとして捉えていた真由は、ネメシスがここまで人間らしく喋ることに驚いていた。
「さあ逃げるんだ、ハナズオウくん」
「ありがと。助かったわ、ネメシス」
町の名前と同じハナズオウと呼ばれた彼女は、オオコウモリに似た飛行形態に姿を変え、飛び去る。
「ディーラーが!」
「桐谷、ディーラーを追撃してくれ」
「了解!」
真由は哲範の指示に従い、ハナズオウを追撃しようと高く飛び上がった。しかし――。
「行かせないよ」
ネメシスが右手を掲げて放った光弾は、真由に直撃。彼女は深尋の後方に墜落してしまう。
「桐谷!」
「私は何ともありません! 大丈夫です!」
深尋の声に、真由は力強く応答した。意識はある。ただ――。
「右大腿部ユニット、損傷レベル『甚大』」
A-300の音声ガイダンスは、そう言った。彼女の着るA-300が損傷を受け、真由は立ち上がれない状態になってしまったのだ。
「元気だったかい? 小林くん」
そんな真由を無視して、ネメシスは深尋に語りかける。
「おかげさまで」
深尋はそう答えると、「てか、名前知られちゃってるんだ」と続けた。それに対し、「君は教授の知り合いだからね」と返すネメシス。深尋は言う。
「教授は俺の恩人だ。よく世話になった。それで、あんたは?」
「ん?」
「あんたは教授の知り合いなのか?」
深尋が教授と呼ぶ恩人が誰なのか、真由にはわからなかった。ただ、彼はどうしても、恩人と繋がりをもつネメシスについて知りたいようである。
「私は教授に造られた人造人間さ。もっとも、それは肉体に限った話だがね」
「中身は――あんたは誰だ?」
深尋は身を乗り出して言った。
「私は私だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「抽象的な答えだな」
その回答に、深尋は思わず鼻白んでいる様子だ。
「私の正体なんて、今知る必要はないさ。君はいずれ知ることになるんだからね。そのチケットだって、君が最初に手に入れたじゃないか」
「チケット……」と、深尋はネメシスの言葉の意味を思案するように呟く。
「そろそろ私は帰ろう。ハナズオウくんがいじめられているのを見て、居ても立ってもいられなかっただけだからね」
ネメシスは、「それじゃあ、また会おう!」と言うと、真っ赤な光に包まれて消え去った。
「逃げられた……」と落胆する真由に、深尋は言う。
「今はこれでいい。少しだが情報が手に入ったんだ。上出来だ」
彼は起き上がれない真由に肩を貸した。