第2話 悪いのは何か
花蘇芳駅南口前の広場で、その場に駆けつけていた警察官二人は鬼に拳銃を発砲。しかし彼らの放った弾丸は、鬼に傷一つ与えられず、いとも簡単に弾き返されてしまった。撃ち続けているうちにやがて弾切れになり、彼らは追いつめられる。
「そりゃあ怖いよなあ。だって俺は、鬼なんだから」
頭に生えた二本の角、硬そうな濡烏色の皮膚、真っ赤に発光している虫の複眼のような目――。鬼の容姿は、人間から遥かに逸脱したものであった。一目見てわかるだろう。これは怪物だと。
鬼は右手を掲げ、警察官二人に向かってその手を振り下ろそうとする。
――そこに訪れる、黒いバイクに乗った鋼鉄の戦士。
彼はバイクで鬼に体当たりをし、警察官二人に届かないところまで、鬼を突き飛ばす。
その戦士――深尋はバイクから降りて、数メートル先まで転がり倒れる鬼を見たのち、警察官二人に言う。
「対策係の者です。ここはお任せください」
「はい!」
二人は転びそうになりながらも、その場から逃げていった。
すると、鬼が立ち上がった直後、鬼の体が一瞬だけ放電。
「雷……!?」
雷のようなそれは深尋の足元に落ち、生じた煙が風に乗って彼にぶつかる。
それを見た哲範が、対策係のオフィスから無線で言った。
「放電能力か。厄介だな。小林、バッテリーに引火しないよう気をつけろ」
「了解」
A-200のバッテリーは背面に存在する。そのため背中へ大きな衝撃が加わると、バッテリーの損傷により、A-200は活動を停止してしまう。特に今回のケースでは、放電攻撃によってバッテリーに引火し、深尋ごと爆発してしまう危険性があるのだ。
深尋は右大腿部からサブマシンガンを取り出した。
「武器のセーフティを解除します」
A-200の音声ガイダンスを聞きながら、彼は鬼にそのサブマシンガンを連射する。
鬼の胸部に全弾命中。後ずさりする鬼。
しかし、鬼はすぐに全身から放電した。電流を周囲に撒き散らしながら、深尋へ走ってくる。
その電撃は、サブマシンガンを持つ深尋の腕に直撃。彼はサブマシンガンを手から落としてしまった。A-200は、「右前腕ユニット、損傷レベル『軽微』」と状況を知らせる。一部配線が露出し、発煙する右前腕を、左手で押さえる深尋。
鬼は放電を止めて、深尋に飛びかかる形で衝突した。鬼と深尋は地面に転がる。
深尋はすかさず体勢を立て直し、少し遅れて立ち上がる鬼に目をやった。互いを凝視しながら、呼吸を整える二人。かと思えばそれは一瞬のことで、右の拳を握りしめた鬼は深尋のほうへ大きく踏み込み、一気に距離を縮めてくる。
深尋は迫り来る拳を左手で払い、続けざまに鬼の鼻を右手で殴った。その攻撃で鬼がよろけたのを見て、彼は鬼へと飛び込み、鬼に投げ技をかける。次の瞬間には、地面に寝そべる鬼の姿があった。こうなれば、鬼にもう後はない。彼は鬼の頭に一発、重いパンチを食らわせて、鬼を気絶に至らしめた。
すると、動かなくなった鬼の体を赤い光が包む。光の中で鬼のシルエットが変化している。光が消えると、ごつごつした濡烏色の皮膚は、人らしい質感のものや衣服に変わっており、鬼は人間の男の姿に戻った。
◇
二十分後、深尋は鬼を逮捕して、対策係の整備室まで戻っていた。A-200を脱いだ彼は、椅子の上に置いておいたスーツの上着を右手にぶら下げ、ドアを開けてオフィスに戻る。
「宇佐見さん、A-200また壊しちゃってごめん」
「いえいえ! 今すぐ修理しちゃいます! まかセロリ~」
陽気な朱莉はそう答えて、軽く会釈する深尋と入れ替わるように、整備室に入っていく。
スーツの上着を着る合間に、深尋は、デスクを挟んでほとんど正面に立っている哲範に質問する。
「係長、鬼の動機ってわかりましたか?」
「そういや、戦闘中に聞けなかったか」
「はい、放電能力に気を取られて」
哲範は腕を組んで、被疑者の犯行動機を語る。
「動機は聞き出せた。差別を受けたことによる恨みだ」
真由は、「差別ですか……」と、哲範がこれから語る内容を悟り、悲しみをその目に宿す。
「ああ、今回の被疑者――東直哉は、花蘇芳市民ってだけで酷い扱いを受けた。職場の人間から、本当は鬼なんじゃないか、と言われ続けていたそうだ」
「それで、本当に鬼になって報復を?」と深尋が訊く。
「ああ、花蘇芳駅にその職場の人間も居た。鬼の力が花蘇芳市の中じゃないと使えないのなら、相手を花蘇芳市に呼んでしまえばいいって考えたんだ」
哲範は組んでいた腕をほどいて、デスクのへりに手を置きながら言う。
「でも安心しろ。被害者の命に別状はない」
「良かった……」
胸を撫で下ろす真由。しかし、彼女の胸中には別の思いもあった。それは被疑者への同情。彼女はその思いを、隠すことなく口に出す。
「ですが、東の気持ちもわかります。今回の被害者による差別がなければ、おそらく東は、鬼にはなっていなかったでしょうから……」
「むしろ、鬼のほうが善人に近いことだって、少なくない」
真由より前から対策係にいた、深尋のその言葉。重みは大きい。
すると深尋のほうから、真由へこう切り出す。
「桐谷は、鬼の力をどう思う?」
「鬼の力……ですか。そうですね……」
少しの沈黙ののち、真由は答える。
「私は、鬼の力は悪だと思います」
「そっか」と返す深尋。しかしすぐに彼は、「でも――」と言い出した。
「鬼の力に良いも悪いもない。それを決めるのはその使い手だ。俺はそう思う」
「それって、力の使い方を間違えていない鬼は、許容すべきってことですか?」
真由は深尋の言葉に引っかかる。それではまるで、鬼を罰する今の法律が、間違っていると言っているようなものではないかと。
「俺は、事の本質に目を向けず、表面だけを見て批判する世界が嫌なんだ。批判する前に、何が悪いのかを知っておくべきなのに」
「しかし、鬼の力は危険です。それは鬼の力も、悪ということなのでは?」と主張を続ける真由。
「確かにそうかもしれない。でも、今は危険ってだけだ。いつか、みんなが鬼になっちゃえば、危険に感じる心配はなくなる」
危険視されているのは、鬼である者とそうでない者に二分されているから。つまり、鬼の力そのものには、本来罪はないはず。それが深尋の考えだった。
「鬼の力が受け入れられる時代を願ってるんですね。ですけど、私はそうはなれません。もしそんな時代になっても、私は鬼の力を嫌うでしょう」
「桐谷はそれでいい。桐谷がそんな時代を望まなければ、そうならないように頑張るんだ。俺は、俺の望む時代を夢見て頑張るから」