8話:理解を深める1月10日
地下に降りて戦い始めてから、3時間後。迅は、広場の中心で痛みを叫んでいた。
ハイゴブリンに殴られた顔はボコボコで、あちこちに避けきれなかった棍棒による裂傷が残っている。ロンは棍棒を片手にハイゴブリンとの1対1を10回、それを《《やってのけた》》迅をじっと見つめていた。
「ろ……ロン。いい加減に限界なんだが」
「――ああ。悪かったな。文句なしだ、色々と分かった」
ロンは省略した言葉を告げながらポーションを渡した。複数で現れるハイゴブリン、その中から1匹だけ誘導して迅と1対1させるために囮を務めていたロンも負傷していたのだが、本人は「取るに足らないものだ」と迅を優先して回復させていた。
迅のダメージは軽いものではなく、ポーションを2本飲んでも傷が残っていたほど。完治をするなら、ともう1本進められた迅だが、地獄の底のような不味さの方がツライと追加のポーション投与を断っていた。
「勘弁してくれ、心にくるから」
「慣れれば割り切れるんだがな。いや、今日はこれで終わることにするか。色々と確認しておきたいこともあるし……そういえば、テルルの姿が見えないんだが」
視線を向けられた迅は、「ああ」と天井を指差した。
「ちょっと用事を頼んでな。結果も知りたいし、急いで上がるか」
2人はそのまま玄関からリビングへ。そこで迅は、積み上げられたガラクタの横で疲れ果てていたテルルを見つけた。
「お疲れ様。価値あるものは見つかったか?」
「ううう~……どこにも無いのです」
「じゃあ、少なくとも屋敷の中には残ってないか」
迅が残念そうに呟く。話の流れが見えないロンは、どういうことかと尋ねた。
「難易度5の査定はおかしいってジンさんが言うんですー」
「で、運営側っぽいテルルに再審査をお願いしたんだよ」
信じられないと告げる迅。テルルは否定するも、最後は押し切られて屋敷の捜索をすることになった。結果、小さい身体でバテるまで探し回っても、それらしいものは見つけられなかったという。
迅は労力に見合った成果が得られずにうなだれるテルルを見て、流石に悪いことをしたと頬をかいていた。
「……ま、そういうこともあるだろ。座れ、色々と情報を共有しておきたい」
促されるまま、迅が座る。ロンは少し考え込んだあと、過去のことを尋ねた。今までに特別な訓練もしくは修羅場を経験したことがないか、と。
迅はその質問に驚き、目をそらした。
「どうして、その事を?」
「やはりあるんだな。今後の方針に関わる、無理なら話さなくてもいいぞ」
「……分かった。実は、俺はな」
真剣な表情に、ロンが聞き入る。テルルは迅の横で、ごくりと唾を飲んだ。
「最近なんだが、3年付き合ってた彼女にこっぴどく振られたんだ。それだけじゃなくて、あいつは実は男嫌いだったんで俺のことは金目当ての遊びだったんだよ!」
一大事件だと叫ぶ迅。
それを聞いたテルルが、ガラクタの一つを掴んで投げた。
ロンも同じく、そこにあった座布団を迅の顔面にぶつけた。
避けきれなかった迅は顔面に直撃を受けて、盛大に後ろに転んだ。
「な……なにしやがんだよ!? これでも俺は深く傷ついてるんだぞ?!」
「気の毒だとは思うがそういうこと言ってんじゃねえよ。殺し合いの経験とか、兵隊としての訓練を受けたとかそういう意味だよ、アホ」
気をつかったのが馬鹿みたいだとロンが舌打ちする。
テルルはもっと言ってやった方がいいです、と心底同意していた。
「そう言われてもな。強いて言えば、小学校の頃に虐められかけてたことだけだ。義務教育の9年は無難に地元の大阪で、高校もそこそこのレベルの工業高校を卒業しただけの一般人だぞ?」
「……平和な世界だったんだな」
「そう、だな。戦争なんて他所の国の話だったし。東京人と大阪人で色々と諍いは起きてたけど」
「殺し合うまでは落ちてないのなら、十二分に平穏無事な世界だろ」
迅の過去も普通だった。喧嘩の経験は数回で、いずれも後に響くような内容でもなく。ロンは聞けば聞くほどに特別な所がない迅の過去を前に、そういう素質かと厄介そうに頷いた。
(自覚を促したが、少しも引っかからない。あれだけ殺し合えるという事実を、特別だと思っていない。善人の類ではあるが、いざという時は躊躇わない)
そして、後に引きずらない。一度決めたら手段を選ばない非情さも垣間見える。ロンは前世の経験から迅の素質を一部だが見極めていた。
戦いを生業とする者に必要な資質は大きく分けて3つある。
1、身体を動かす技術に関する飲み込みが早いこと。
2、命のやり取りという極限状態で頭と身体を十全に動かせること。
3、生き物の殺害に対する耐性があること。
(1はそこそ、2は相当なものだ。ハイゴブリンを相手に、何だかんだとパニックにならず、それどころか隙を伺うだけの戦い方は出来ていた。3は、際立ってるな。壊れていると思ったが、恐らく違う。生来の資質だな)
魔物を殺して心を病む。
人型の存在を殺して心を傷める。
言葉を解する生命を潰して後悔をする。
同族である人を殺害して心に罅が入る。
そういった傾向が一切見られない者を、ロンは知っている。
戦うために生まれてきたのではないか、と思わせる生き物。
それは能力だとかスペックだとか関係ない、敵に居て欲しくない存在だった。
「巡り会えた奇縁を有り難るべきかな」
「なんだって?」
「早めに攻略に向けて動けそうだ、ってこと。過去はもういい。次は戦っている時に気になったことを2、3」
ロンは大前提に、と筋力のパラメータを話した。
「一言、しょぼい。トレーニングをしつつ実戦を繰り返せば改善はできるから、そう問題にはならないが」
「筋トレか……でも、今更やったって意味あるのか?」
「今だからこそある。少なくとも俺たちの時代はそうだった。今、人間が自ら引き出せる力は何割だと言われている?」
「え、っと……たしか、3割程度だったと思う」
「だろうな。で、変だと思わないか? どうして自分の身体なのに自由自在に操ることができないのか。全力を出せば自分の肉体を傷つけるから、か? それでも3割というのは少なすぎるだろ」
それだけではない、人は動物と比べて、どうして筋力が劣っているのか。虎は鍛えずとも虎の身体能力を得ることができる。他の動物も同様だ。猫でさえ、自分の背丈の数倍の跳躍力を持っている。一方で、人間はどうだ? 尋ねるロンの言葉に、迅は正しいと思える解答を持っていなかった。
ロンは、誰かを――過去の何者かを嘲笑しながら告げた。
「制限されているからだ。脳機能も同様だ。人は、人間はかつて惨めに敗北した罰を与えられているが故に弱体化した。それだけではなく、世界を支配する力も」
古代には、魔法も超能力もあったとロンは言う。全世界でそうした概念が残っているのも、かつての栄光の時代の名残が残っているからこそだと。
「……それが本当なら夢がある話だが。荒唐無稽すぎる、とも思う」
「それは抑えるべきポイントじゃ無いな。ここで言いたいのはただ一つ、人の限界は解き放たれているということだ。だから筋トレをしろ。成長速度は以前の比じゃない」
目に見える形で結果は現れると、ロンは断言した。
「不定形概念力……“オーラ”で定義するんだったか? オーラや職業の補正は無くても、鍛錬次第では素の能力でハイゴブリンをくびり殺せるようになる」
逆に言えば鍛えなければ弱さも際立つということ。つまりは、筋トレが必須という話だ。迅は嫌そうな表情を浮かべたが、命がけでないトレーニングで強くなれるのであれば、と初歩の初歩から始めることにした。
「次、敏律。筋力にも影響してくるから、地道に―――という対策もあるけど、一つ改善すればマシになるぞ。それも手っ取り早いやつが」
「そんな都合のいい方法が?」
「考えろ、ってことだ。常に考えろ、停滞するな。足も頭も、相手が死んだと確信するまで緩めるな。……反射神経、速度は素質と訓練によって鍛えられるが、油断をしていれば磨き上げた全てがゴミのクソになる」
人間の反射の速度の限界は0.1秒強。才能あるものが極めた場合に到れるレベルだ。だが、そんな者でも油断をしていたら、そもそも集中していなかったらどうなのか。
「戦闘でのコンマ数秒は、時と場合によっては致命傷になる。意識するだけでその芽を潰せるんなら、大収穫だろ?」
「……確かに。早く動くのではなく気を抜くな出し抜かれるな、ってことか」
「相手の行動の予測と、準備もな。常態にするには時間が必要だけど、やろうとしなければいつまでも身につかない」
そして、ロンは言わなかったが迅はその方面の才能はそれなりにあると見込んでいた。弱いが故に油断をせず、楽をしたいが故に弱点を狙い続ける。そう意識し続けることで、だんだんと戦闘に対する慣れが出てくるのだ。
(拒絶せずに、って所はおかしいけどな。それなりに経験を積んだ兵隊でもなければ……いや、別の所もそうだ)
何より、おかしい。称号による補正だけでは説明がつかない所があると、ロンは告げた。
「おかしい、って……特別な何かを身に着けた覚えはないぞ」
「ああ。でも、単純に考えてみろ。《《PP消費の限定ブーストが無い状態で、ハイゴブリンを相手に五分に戦えてるんだ、お前は》》」
ステータス差、職業差、レベル差は数字としてはっきりと示されている。最初は素質を見極めるためだった。故にロンは、迅が危なくなれば割って入るつもりだった。だが、最後まで必要がなかったのだ。その事実こそが変だと、ロンは告げた。
「なにか思いあたることはないか? 急に身体能力が上がった、その原因について」
「原因って……ちょっと待ってくれ。最初から思い出してみる」
迅はダンジョン突入からのあれこれを思い出していた。まずは、称号の獲得。そういえばジャイアントキリングが、と迅が告げるが、ロンは違うと首を横に振った。
ハイゴブリンとのレベル差はすでに10以下になっている。ロンとの殴り合いでも、最初から発動していたのではなく、途中から明らかに出力――補正とオーラと筋力を合わせたものを言う――が跳ね上がっていたことをロンは覚えていたからだ。
「ステータス……解析は受けたけど、それだけだな。あ、そういえば変なことを聞かれたな。『あなたの“言葉”を選択して下さい』って」
それから過去の記憶が頭の中に溢れかえったことと、エラーが起きたので変化は無かったこと。だけど、と迅はロンとの戦闘中に思い浮かんだ言葉を告げた。
「―――“約束”。そうだ、それが俺の言葉だって伝えられたんだ」
両親との、妹たちとの。それを果たせないままでは、死ねない。そう思ったからこそあの痛みを耐えきることができたんだと、迅はその時の事を思い出していた。
「“源語”……たしか、そう言っていたような気がする」
「そうか。で、どうなんだ? だんまり決め込んでるテルルちゃん」
「……いくらなんでも気がつくのが早いのですよー」
「つまり、間違ってないんだな」
「はい-。“源語”とは、その人物のパーソナリティを左右する言葉だと私は教えられていますー」
生きる上で何に重きを置いているのか。
職業、スキル、素質、パラメータだけでは見えてこないもの。
「座右の銘と言うには軽く、魂と同じにするには重い、その人間が最後まで譲れない一線を示す文字、とのことですー」
「……人の方向性を凝縮したものか。面倒なものを。意図が全く読めんが、どういうつもりだ?」
「全ては理解しあうため。それが御方様の望みですー」
「だが、望みはすれど攻める手は抜かない。自己中心的にもほどがあるぞ」
ロンが面白くなさそうに吐き捨てる。だが、迅は不思議と納得していた。
「反発するのは分かるけど、喧嘩を売っても損するだけだぞ」
「その心は?」
「オカンを傷つけるガキはクズだって、昔から決まってるんだよ。自己中心的なのも、当然のことだろ?」
「―――違いない」
虚を突かれたロンが、にやりと笑った。
テルルは、目を丸くしながら迅を見ていた。
「どうした? “源語”のことを聞きたいんだけど……大体想像はつくけどな。俺は約束を守ると誓った。だから、それに向けて進む自分に職業を超えるプラス補正が入る、って所だろ?」
「は、はいー。だけでなく、ロンさんと約束を交わしたこともですー。気がついていないようですが、異種言語習得のスキルが無いと、元人間さんとはいえ言葉は通じないのですよー?」
「他者にも影響を与えられるってことか」
文字通りの、固有技能に近い。その人物だけが持つ特別であり、状況によっては厄介なものになることまでロンは理解していた。
「あと、文字数と種類に制限は……ってのは今は気にすることじゃないか」
「ロン?」
「条件は揃った。1階の攻略はさっさと終わらせよう」
途中でブーストが消える類のものではないのなら、突発的な事故死の確率は最低限に抑えられる。そう判断したロンは、安全圏を増やす意味でも1階の掌握を優先すべきだと考えていた。
迅は説明を聞いて納得した。何をするにしても屋内では制限があるため、広い場所を使えるのは、訓練から実験から色々と役に立つことが分かっていたからだった。
「待て。実験、とはなんだ?」
「具体的に言えば、ハイゴブリンとグレイハウンドにかました火炎瓶みたいなの。文明の利器は生活と共に戦闘、戦術の幅を豊かにすると思うぞ?」
聞いておきたいことがある、と迅はテルルに尋ねた。
DDの機能についてだ。
「マザーデバイスと子機……ユニットとの間に通信機能はあるんだよな」
「はいー。1日10分の制限はありますがー」
「あと、道具の収納機能も」
「ダンジョンの範囲に応じていますー。ここの規模なら、3m四方であれば確保できるかとー」
「保温機能は? 熱いやつと冷たいやつ」
「温かい飲み物でも持っていくんですかー? 私は蜂蜜レモンティーを希望しますー。あ、保温というか時間遅延になっていますー」
完全に停止とまではいかないが、DDの収納庫の中の時間経過は現実の十分の一。腐りにくいが、永遠に腐らないことはないとテルルが告げた。
迅は何かを思いついた顔をしたあと、やっぱりナシだな、と台所の方を見た。
「要らないものは冷蔵庫に置いておくか。で、食料の確保が最優先と」
「分かってるじゃないか。補給を軽視する戦士に未来は訪れないからな」
面倒な作業は面倒なほど重要になる。そう語るロンに、迅は笑って頷いた。
「取り敢えず、明後日中に目指せ地下2階か?」
「レベルアップとDP確保という意味でもな」
チームになった2人は、どちらが倒しても同じ数だけ両者にDPが入る。
これも“約束”の効力なのだが、2人は理解していなかった。
―――別のダンジョンでは仲間割れの原因にもなっていることも、これが重要なアドバンテージになっていることも。
「それじゃ、改めて。お手柔らかに頼む、ロン」
「死なない程度に尻を蹴ってやるから心配するな、ジン」
2人は不敵な笑みを交わしながら、日が変わる前にと再び地下に降りていった。
迅の望み通り、一刻も早く攻略をするために。
その5日後、迅とロンのコンビは100もの魔物達を倒すことで、地下1階の全てを掌握するまでに至っていた。
――だが、2人はまだ理解していなかった。
国内有数の攻略難度を誇るに至ったこの迷宮の、本当の恐ろしさというものを。