6話:何かが動き始めた1月9日
「……戦争か。まあ、最終的に人類が勝てばいいか」
「軽っ!? え、それでいいんですか!?」
「うん。どこかの誰かがやってくれるだろ、きっと」
無気力世代と呼ばれた者らしく、迅は他力本願を口に出した。それよりも、と世界中で起きている事実が気になっていた。
「つまり、俺の妹もダンジョンに挑んでるのか」
それこそが最優先事項で、聞き逃がせない危機。迅は俯き、考え始めた。その様子を見たロンは、心配するなと声をかけた。
「そうそう死にはしない。別に、豪邸住まいって訳でもないんだろ?」
「あ、ああ。そうだけど。たしか、賃貸だって聞いた覚えがある」
「だったらダンジョンの規模と難易度は大したもんじゃない。普通に生きるために考えられる頭を持ってるなら、さしあたっての命の危機はないだろ」
ロンは経験談を語った。最初のチュートリアルはそれさえできない弱者を掃除する選別であることを。
「危機に協力できないクズ、自分で考える頭もなく、無責任な奴ら。チュートリアルの後の“本番”に、自分で生き残る力を持てない奴らは必要ない、らしいぞ」
「……それはそれで一方的すぎるだろ。で、どうなんだテルル」
「え、えっと……わかりませんー。それを知る権限は与えられていませんのでー」
不安そうな顔をするテルルに、迅はそうかと呟いた。
(どうせ、言葉だけで説明されて納得する訳でもなし)
実際にこの目で見なければ安心は出来ないだろう。小心者であることを自覚する迅は、優先すべきことに目を向けた。
「クリアすれば屋敷から脱出できるんだろ? なら、話はそれからだな」
駆けつけるにも、出られなければ絵に描いた餅だ。そう告げる迅に、テルルは頷きを返した。
「そのとおりですー。でも、早々と突破するのは色々と厳しいかとー」
「え……どういう意味だ?」
「地下にあるダンジョンの規模と難易度のことを言ってるんだろ。たった一人で規模8とか……ひょっとしなくても山まで含まれてるんじゃないか? 一階の広さなんて序の口だぞ、下はもっと広い」
「えっ」
またしても聞いていない事実。そういえば、と迅は土地代がどうだの、説明された話を面倒くさいと省略してもらった記憶があった。
「お前な……今更か。それに、もっと気にすることがあるだろ」
ロンはDDを指差した。迅は表示されているメニューを見る。
『ステータス』『マップ』『収納』と書かれている
まずは、と迅はステータスを押した。
えーと、と読み上げる。
名前:黒烏迅
レベル:8
年齢:28歳
職業:無職
身長174cm
体重74kg
筋力:ふつう
敏捷:おそい
体力:ザコ
気力:そこそこ
PP:1
DP:127
横で見ていたロンは「やはりな」と告げた。
「いや、分からんことが多すぎるんだけど。多少は成長してるみたいだが……テルル、このPPってなんだ?」
「“Possibility Point”ですー。えっと、簡単にいうと可能性の幅という意味らしくてー」
「えっ」
「ポイント消費で職業が選択できるすごいポイントなんですよー? DPはダンジョンポイントといって、モンスターを倒したり、誰かと取引して入手できるお金のようなものですー」
「……」
迅は無言で職業の所を押した。すると、戦士、魔法使い予備軍、社畜、格闘家という選択肢が出てきた。
「へえ……魔法とかあるんだ。でも、一番低い社畜でも必要ポイントが3ってなってる」
「はいー。そして、残念なお知らせがあるんですが……」
PPの初期値は共通して5。昨日にロンとの戦闘で4を消費して、今は1。指折り数えるテルルに、えっ、と迅は聞き返した。
「ど、どういう……いや、そういえば妙に力が湧いてきたような」
「そもそもこのレベルと身体能力であそこまで戦える訳ないだろ」
ロンが呆れたように言う。そして、自分のステータスを見るように促した。
「わ、分かった……げっ」
迅はそれを見て思わずと、息を呑んだ。
名前:ロン
レベル:15
年齢:0歳
職業:ハイ・ゴブリン
身長173cm
体重85kg
筋力:つよい
敏捷:けっこう
体力:なかなか
気力:いっぱい
PP:5
DP:358
数字で表記されていないため明確な差は分からないが、迅よりも圧倒的に上であることは確かだった。
(というか、序盤で現れていい敵じゃないだろ)
高校生の頃まではゲームをやっていた迅は、理不尽に憤った。難易度ですよー、とテルルが補足する。
「チュートリアルの難易度は1~7まででー。1だと、ジンさんでも普通に勝てるレベルになりますので、考えなしに戦うのでなければきっとだいじょうぶかとー」
「それは嬉しい情報なんだけど……難易度って言ったか? それはどうやって決まるんだ」
「個人で保持している資産とか、ツテとか。あとは屋敷の中の色々なものの価値ですねー」
「そういうことか…にしても、ロンのレベル15ってなんだよ。今の俺のほぼ倍じゃないか」
「殴り合いの最中に成長したからマシですー。職業補正が無い一般人だと、一撃でミンチ肉に加工されていたかとー」
無邪気に現実を告げるテルル。怖っ、と迅は青ざめた。ロンはため息をついて、続きを促した。テルルは「はいー」と迅に申し訳がなさそうな目を向けた。
「チュートリアルでは、どれだけ頑張ってもPPは入手できないんですー。クリア報酬は規模と難易度に応じて増減するんですがー」
「……つまり、ここをクリアするまで俺は無職のままってことか?」
「はいー。レベルによる補正と、不定形概念力の運用は可能なんですけどー」
レベル補正は、そのまま。数字に応じて全てのステータスにプラス補正をかけてくれるものだろうと、迅は理解した。
だが、不定形概念力とは。聞いたこともないという顔をする迅。
テルルは、待っていましたとばかりに宙空に光を浮かべ、文字を描いた。
「これですー。一般的には気とか魔力とかオーラとかマナとかオドとかハンドパワーとか呼ばれてるそうですー」
「いやいや、ハンドパワーって。気もオーラも漫画とかじゃ聞いたけど、どこが一般的なんだ? 少なくとも俺は直で見たことがないぞ」
「でも、無いことは証明できないですよねー?」
「え……」
「ですよねー?」
「そ、それは……そうだけど」
「はいー。ある《《かも》》しれないし、無いとは言い切れない――ーだからこそ人は昔より物語ってきたんでしょう?」
「っ?!」
一瞬だが、テルルの雰囲気が変わる。迅は驚き、目を疑った。何か、恐ろしいものを見た感覚に陥ったからだ。
今のは、と尋ねようとする迅。だが、その時には元に戻っていたテルルの様子を見て、内心で首を傾げた。
「……色々と強引だけど、まあ。あるとするんなら、あるんだろうな……って、ちょっと待て。《《何でもあり》》って、つまりそういうことか?」
「はいー。人が描いてきたもの全て、その身に宿すことが可能ですー」
「それは、また……めちゃくちゃだな」
迅は、全てを理解した訳ではない。だが、何となくだが概要はつかめた。戦士はともかく、魔法使いという職業。見たことはないが、概念としては存在する。
(そういったものを現実に引き落とすことが可能になった、のか? なら、ゲームに出てくるものとか、アニメ、漫画、ラノベ、映画……だけじゃなくて、歴史でもOKかも。それらに登場する“何か”に自分で成ることができるかもしれない)
夢が広がるとは、この事だろう。迅は内心でワクワクし始めた。
「だけど、ジンは無職のままなんだよな」
「はいー、残念ながら」
一転、突き落とされた迅は炬燵に頭をぶつけた。
「そうだよ、どうせ俺なんか所詮は刺身のツマ以下……いや、今はガリぐらいには成長できたなって俺って謙虚」
「ぶつぶつうるさい。それに、喜んでる場合じゃないだろ」
「え……なんでだ? 何にでもなれるってんなら、夢の力だろ」
「だからこそだ。つまり、この星はこう言ってるんだよ。――“お前ら人間ごときの浅知恵など取るに足らない、どんな手を使おうが打ち砕ける自信がある”ってな」
全て持って来い、叩き潰してやる。そんな強気が無かったら、こうは成らない。そう語るロンの言葉には説得力があった。
「そういえば、驚いていなかったよな。ロンの時代もそうだったのか?」
「いや、多分違う。俺も断片的にしか思い出せない」
ただ、魔術、魔法と呼べる力があったことは確かだとロンは語った。
「超能力的な力もあったけど……勝てなかった?」
「善戦はしていたと思う。ただの敗者の戯言だ、気にするな」
「……いや。気は引き締まったよ。無職の弱音だ、気にするな」
「だ、だいじょうぶですよー。お二人とも、これからとっても強くなるってテルルは思うんですー!」
「天使か。いや妖精だったわ」
「情緒不安定かお前。というか、ジンは本当に正気か? 俺はゴブリンだぞ?」
嘘をついているとは思わないのか、とロンは呆れた。中がどうであれ、外見というものは他者が知覚するパーソナリティの大半を占める。妖精はともあれ醜いゴブリンを仲間にすることに抵抗はないのか。ロンが尋ねると、迅は笑顔で答えた。
「この広い屋敷でボッチ続けるよりマシだ。あと、裏切られるのはもうホント勘弁だし……なんだ、あとはフィーリングだよ。色々とガッチリ嵌ったっていうか。昨日は全力で殺し合ったけど」
「……長生き出来ない性格だな」
呆れたようにロンが言う。その横では、テルルが戸惑っていた。
「テルルにはサッパリ分かりませんー」
「大丈夫だ、俺にも分かってないから」
「そうなんですか!? え……お二人はそれでいいんですかー?」
「いいも悪いもない。ただ、こういうものだろう」
「ああ。別に元人間のゴブリンを仲間と思う人間が居るってだけで。さっきの言葉じゃないけど、“ない”と証明されたことはないんだろ?」
迅がしてやったりのドヤ顔でいう。ロンは小さく笑いながら、格好良くないぞ、と告げた。そんな2人を見たテルルはそれを見た後、そういうものなんですかー、と頷いた。
「しっかし、無職のままってのは辛いな……最低限レベルを上げないと足手まといになっちまう」
「おいおい、せっかちだな。……いや、そうか。妹たちのためか」
「俺の万倍はしっかりしているし、色々と強いからな。大丈夫だとは思うけど」
繰り返す訳ではないが、証明された訳でもない。こんな非常識な非常事態に巻き込まれた妹たちが、無事に生き残れると保証してくれる誰かが居るはずもない。
マップのボタンを押すと、1階の半ばが映された。地下に降りる度にどんどん広がって敵も強くなるのなら、何ヶ月かかるか分からない。かといって命を落としたら意味がないため、無謀は禁物。
その上で可能な限り急ぐことを、迅はハッキリと伝えた。
「文句があるなら言ってくれ。途中で揉めると、互いのためにならないから」
「まさか。納得できる理由があるなら、反対などしない。途中で違えて腑抜けるなら、腹の一発や二発は殴らせてもらうが」
「……分かった。気をつけるよ、ロンのボディブローは痛いからな」
迅は初対面で受けた初撃を思い出していた。冗談抜きで死にそうだな、と内心で冷や汗をかきながら引きつった顔で笑う。
「でも、約束する。さしあたっては……食料を確保しにいこうか」
「最優先事項だな。だが、痛みが引いてからの方が捗ると思うが」
勝算はあるのかと尋ねるロンに対し、迅はDDのマップを見せた。そこには階段と、敵の反応を示す赤色の点が映っていた。
「待ち伏せか。……数は8、狭い階段とはいえ厄介だな」
どうする、とロンが鋭い目で尋ねた。
迅は、簡単だと答えた。
「えっと、テルル。この星との戦いには何でもあり、なんだよな?」
「はいー」
「つまりはこのダンジョンを攻略する時も?」
「同じですー」
「なら、チャンスだな」
自信満々に告げる迅に、ロンとテルルが「え?」という顔を返した。
「――こういう手があるんだけど」
作戦を告げた迅の言葉に、ロンは快諾し、テルルは目を丸くしながら驚いていた。
30分後、迅とロンとテルルは玄関にあるダンジョンの入り口の前に居た。
迅が無言で頷き、ノブを回す。そして開かれたと同時に、ロンがスキルを発動した。
DP300を消費して購入した、スキル“強撃”。効果は威力×1.5倍とノックバックを発動するもの。全身でのぶちかましと併用された先手は、扉の前に居たハイ・ゴブリンと犬―――DDにはグレイハウンドと表記されている――を吹き飛ばした。
狭い階段のため、後続に居たゴブリン達も巻き込まれて落ちていった。そこに、迅が瓶を投擲した。中身に入っているのは、灯油と溶剤と砂糖と洗剤。その先端には布と、投げ込む前に点けられた火が。
結果を確認することなく、迅は扉を閉めた。
「ふう……これでオッケーだな」
「……」
「え、なんで引いてんの? 良い手だって褒めてくれたのに」
「いや、先程までとのギャップがな。よくもまあ、こんな手を取るつもりになったな」
リビングで会話をしていた時のロンの印象は、甘いが優しく、筋を通す性質が強いというもの。それが、色々と説明を受けてからはまるで違っていた。
遠回しに告げるロン。扉の向こうからゴブリンの悲鳴が聞こえてくる中、迅は強い意志を秘めた目で答えた。
「だって、戦争だぜ?」
それに燐達が危ないとなれば。真剣な目で答える迅に、ロンはそうだなと頷きを返した。
その後、2人は火傷を負ったゴブリン達へ追撃を。
まともにやれば負けていたかもしれない戦力差だった。
だというのにコンビを組んでの初戦闘は、迅達の一方的な勝利に終わった。
――その日の真夜中。客室の一つで壁に背中を預けて眠るロンは、気配を感じて目を開けた。そこには、緑色の光を抑えた状態のテルルの姿が。
予想していたように、ロンは驚くことなく言葉を待った。
「……お見通しですかー。流石は絶滅戦争の勇者ですー」
「所詮は敗残兵だ。世辞を言いに来た訳でもないだろう、本題を言え」
「えっと、純粋な疑問なんですがー。どうしてロン殿は、ジンさんを殺さなかったのですか? あの時の戦闘で、あなたは気づいていた筈ですー。ジンさんを殺し、DDを奪えば自分が元の姿に戻れることをー」
PPを消費し、地力を引き上げる。それは最も愚かで非効率な方法であることをロンは知っていた。仲間がいれば、それが許されるはずがない。つまりは、このチュートリアルダンジョンに挑んでいるのは迅ただ一人。
分かっていたと、ロンは正直に答えた。
「そうですかー。……最初の一撃も、手加減をしなければ終わっていましたー。なのに、どうして嬲るような真似をしたんですかー?」
「矜持に反するからだ。当時の子供以下の戦闘力しか持たない、飢えと孤独に苦しむ男。それを一方的に潰すのは、さしもの私とて迷いもするさ。あれだけやられて諦めるなら、そのまま殺していたが」
「試していたんですかー。……でも、彼が本気になってからは」
「化けたな、色々と。あれは少し予想外だった」
おかしそうに、ロンが笑う。テルルはその理由が分からず、首を傾げていた。
「約束も、拒絶して殺して奪う手段もあったはずですー。なのに、あなたはあの時、本気で終わるつもりでしたー。らしくないと、御方様は言っていますー」
「……そうだな。強いて言えば、初めてだったからかな。尻を付け回された経験は事欠かないが、真正面からあれだけ熱烈に求められたことはついぞ無かった生だった」
真摯だが、ちょっと情けなく。希うような顔は、ただ必死だった。
正面から近づいて相対し、殴られるままだったのにまさかの反撃、共に命を取り合っていた一時。色々な顔を見たロンは、迅を評した。
「《《イカれて》》いるな。それも、私好みの外れ具合だ」
「……さっきの作戦ですかー?」
「ああ。尋常ではない痛みだった筈だ。それを呑み込んで、やってのけた」
ロンは知っている。痛みとは、そう簡単に処理できるものではない。反射的にうずくまって当然の傷。それを乗り越えるのは訓練だけでは足りない、特殊な素養が不可欠であることを。
「それ以前に、だ。殺し合いを経験していない素人が、最初の実戦で躊躇なく人を殺す打撃を繰り出せる方がおかしい」
作戦の途中で聞いた、最初のゴブリンとの戦い。それからのあらゆる所に、およそ普通とは思えない発想と行動をしている所をロンは評価していた。
軍人であれば違った。だが、黒烏迅は紛れもなく素人だったという。
最初から壊れていたのか、今まさに壊れている途中なのか、もう壊れてしまったのか。
分からないが、とロンは嬉しそうに告げた。
「……サッパリ分かりませんー。わたしには、ちっとも」
「お前も言ったことだろう。“分からない”。だからこそ、先が見えないと」
無いことを証明するのは困難を極めるのだ。万が一が、あり得ないともいいきれない。この先、黒烏迅という男がどこまで外れるのか、あるいは。
「もっとも、私頼りの作戦を取るようならその場で縊り殺していたんだが」
「え……いきなり、ですかー?」
「だからこそだよ。約束に上下はない。対等であるが故に結ばれるものだ」
従うべきではなく、通じた意志が糸となり紡がれるもの。それが約束だと、ロンは認識していた。破りたくないと思うがために綴られて、破らざるを得ない状況に陥った時にその力は永遠に失われる。だからこそだと、ロンは告げた。
「予想の出来ない旅路になる。楽しんで待っていろと、お前の上司に伝えておいてくれ」
ロンの宣言を受けたテルルは、戸惑いながらも小さく頷きを返した。
窓の外では薄い雲に隠れた月の光が、かつて人であった2人を照らしていた。