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星が恋した3分戦争  作者: 岳
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3話:陥し込まれた1月8日

2/10 一人称に変更しました。


恐怖は人の心を蝕む毒だ。時には人を殺す猛毒にも成りうる。だが、死に瀕した人間であっても、空腹からは逃れられるものではない。


なんていう小賢しいことを考える余裕があったのは、1日だけ。部屋に逃げ込んだ翌日の昼、俺は空腹という本能に耐えきれずに部屋から出たあと、リビングでカップラーメンをすすっていた。


腹ごしらえではない、その場しのぎの行動だ。食べながらでも、不安が止まらない。


このままでは、俺は――分かっていても、二度とあの場所にはいけない。行きたくないし、行けば死ぬ。先日の殺し合いで勝ったのは、運が良かったからだ。相手はたったの一体だったが、幸運が味方しなければ自分は殺されていた。だというのに、あと5体も居るとか聞いてない。卑怯だろ。勝てる見込みなんて、確実にゼロだ。


そうして最低限の水を飲んだ俺は、再び布団へと逃げ込んだ。寒い夜でも、布団の暖かさは俺を慰めてくれる。


だけど、繰り返して三度。それだけで、屋敷の食料は尽きた。


脱出しようと色々試したが、無駄だった。しなびた白菜をかじりながらあれだけ歩き回ったっていうのに。


欲するに足りぬものを自覚することを飢えるという。そんなことを、高校の頃の先生が言っていたような気がする。


今になって、その言葉が含蓄のあるものだと知った。自覚がある。余計なものが消えていく。俺は今、食べ物があるなら大抵の人間を傷つけることができるだろう。


腹が空くというのは、こういうことか。胃が痛い。意識がかすれていく。そんな自覚よりも何よりも、思考回路の大半が食べ物のことで圧迫されていく。


そして―――寂しかった。


テレビも、スマホも、パソコンまで動かない。他者との接触を全て奪われた。昨年の12月20日から一人になっていたけど、大晦日までの11日間は誰かしら繋がる相手がいた。


だが、今は違う。完全に繋がりを断たれた。求めても、誰も応えてくれない。


こんなに飢えているのに。苦しいのに辛いのに怖いのに、誰も何も言ってはくれない。慰めも侮蔑もなく、屋敷には静寂だけが満ちている。どうしようもない気持ちを声にして叫び散らしたこともあった。


――おなかがすいた。何か食べ物を、なんでもいい、食って死なないものならば。


――話がしたい。誰か、誰でもいい、言葉を交わしてくれる人が居るのなら。


訴えるけど、反応は無く。求める手は虚空を彷徨うだけに終わった。


気がつけば、俺は玄関で立っていた。


食べ物を――誰か、話せる誰かを。


危険なのは分かっている。けど、このままだと狂ってしまう。そんな言い訳と共に、自分で塞いだ地下への扉を開放する。空腹だというのに、靴箱は不思議なくらいに軽かった。


(……装備を……確認……)


武器らしい武器は、台所にあった出刃包丁だけ。研いで鋭くした肉厚のそれは、玄関という空間においては非日常に見えた。服はジャージではなく、会社時代のビジネススーツ。彼女に釣り合うようにと誂えた、灰色のオーダーメイドスーツだ。


防具として選んだ理由は、布が頑丈なこと。それと、身体に沿って作られた高級のオーダーメイド故に、ジャージと同じぐらいに動きやすいこと。気休めだろうが、少しでも頑丈な生地の服を着ていたかった。


ふと、剃り忘れた髭の感触がする。傍目から見れば不審者だろうな。だけど、そんなことはもうどうでもいいんだ。


右手で包丁を、左手をノブに。がちゃり、と開いた扉の先には誰も居ない。そこには一週間前と同じ階段だけがあった。


(……階段に詰めていれば、蹴落とせたのに)


殺して捌いて食えば――いや、今はいい。舌打ちしながら、下へと進む。


再び、脳内に声が響いた。


『システムメッセージ。称号『単身赴任』を取得しました』


「……何がだ」


無視して進んだ。警戒はせずに、どんどん進む。判断力が鈍っていることは分かっていた。2日続けての徹夜明けのように、脳が興奮しきっている。だけど、止まれない。


そのまま広場に進む。そこで、土に汚れているフライパンの残骸を見つけた。拾い上げながら、周囲を見回す。


最初に目が合った奴と、戦おう―――殺して、その次は。


何をするにも覚悟が必要だ。条件を付けて、自分に強制するなら素面では出来ないことでも、きっとできる。殺して食うことだって。


違うな、殺す。……互いに殺し合う、生存競争になる。


今、誰かと出逢えば俺は、きっとそいつの生命を求める。それは、コミュニケーションと呼べるのかもしれない。ぼんやりと、そんな愚にもつかないことを考える。


言語による語らいが相互理解を目指すためのスキルなら、命の取り合いはその正反対の極地だろう。だけど、情熱的であるとも言えるのではないか。心の底から焦がれるほどに強く、その生命を求めるんだから。


……平和な日常の中で、今ほど誰かに焦がれたことがあっただろうか。思い返し、思い当たらない。思わず笑えた。バカか、と自嘲する。


その憂いを打ち消すように、腹から空腹を訴える音が鳴った。空腹は度が過ぎれば腹の中を蝕む。痛みさえ感じる飢餓は、人の人間らしい部分を削り取るらしい。いよいよ限界だと思った脳は、獣のように純粋になっている。


探す。敵を、殺す相手を見つけなければ。口の中が乾いている。何か、噛み砕いて胃の中に入るものを。


――実際はその必要さえなかったのだが。地下一階の大きな広場には、たった一体。中央に待ち構えていたモンスター以外に、動く生物はいなかった。


あれが、敵だ。その生物を見据えて、俺は手の包丁を握りしめた。


深呼吸を、一つ。息は重要だ。生きているという感じがする。それをしっかりとキめた俺は、その生き物が居る場所に向かってゆっくりと進む。すり足で、靴底に土を感じながら。


近づくにつれ、求めていた敵のその威容が気になってくる。そいつの背丈は170cm程度だった。自分と同じか、少し小さいタッパ。だが、遠目でも分かる。その身に秘めている脅威が、先日のゴブリンの比ではないことが。


相手の武器は、左手に持っている大きな金棒。木の棍棒の100倍は殺傷力がありそうなそれは、直撃すれば車でも吹きとばせそうなぐらい、凶悪だった。


だけど……見た目はゴブリン、だよな?


特徴は、ゴブリンそのもの。細部は違っても、種族は同じに見えた。


でも、細部ではなく全体の雰囲気が全然異なっている。そのモンスターの外見的特徴は、先日に倒したゴブリンとほぼ同じ。だけど、最初に出会った個体とはまるで違う。


あまりにも堂々とし過ぎているのだ。真っ直ぐに立ってこちらを見返してくる様は、歴戦の風格を思わせられる。その視線に邪悪な意志は感じられない。


なんだか、こちらを見定めるような、探る目。そのプレッシャーが半端ではない。俺は一般人だが、相手の威圧感は物理的に作用しているんじゃないか、と思えるほどに重い。


芸能人で言えば大御所レベルだろう。この相手に、正面から勝つことは―――


考えながらも一歩、また一歩。近づくにつれて、額の汗はその量を増していた。敵の迫力は極まっている。空腹による腹の虫さえ、忘れるほどに。


これ、殺される? 冗談ではなく、俺はこれから死ぬかもしれない。そんな不安を覚えた影響だろう、心臓が痛く、早鐘を打った。


その全てを捻じ伏せ、ゴブリンの前まで辿り着いた俺は、ゆっくりと口を開いた。


「俺は……黒烏迅だ」


名乗り、腰を落とす。どうしてそうしたのか、自分でも理解っていなかった。ただ、そうしなければならないような気がしていただけだ。行った後でも意味や意義を感じた訳ではなかった。


だが、その特異なゴブリンは違った。名乗ったことに反応したのだ。その仕草を見るに、何かを告げようとして、何かに気が付き、忌々しげに黙り込んだようで。


それからこちらの足から顔まで舐め回すように見てくると、左手に持っていた凶悪な金棒を横に放り投げた。


ちょいちょいと、指で誘う。


ニヤニヤと、嗤っていた。


そこで、俺は悟った。コイツは「かかって来い」と言っているのだ。


――舐められている。その事実を認識した俺は、頭に血が昇った。感情のまま、身体が咄嗟に前に出ようとする。だが、俺は踏み込めなかった。出来たことは、拳を握りしめるだけ。


本能が察しているのだ。今飛び出せば、俺は呆気なく殺されていた。。


そして、何となくだが悟った。この広場に居たゴブリンは、コイツに殺されたのだ。同族を殺して喰らい、育ったのだ。なぜなら、目の前の存在は生存競争を勝ち抜いた者のオーラを振りまいていたから。


つまりは、エリートと言えよう。勝利(資格)を得て成長し、今も上へと昇り続けようとしている。


勝ち、喰らい、学び、得ることで自信をつけている、自らの血肉としている。


素人の自分とは違う。俺は力量差を理解させられ、縮こまりそうになった。それでも、飢餓からくる生存本能は前に行けと俺に命令をした。


死にたくない、殺されたくない、だけど。心の中の葛藤が俺の身を震わせる。冷静さはすでに無い。恐怖が血管から神経を支配していくようで。


故に、必然だったかもしれない。


暴発した俺が、無造作に挑みかかるのは。


予備動作もみえみえに、声を上げながら走る。身を低くしながら一直線に、真正面からゴブリンの顔面へと。


そこで、俺は見た。ゴブリンが構えを取った姿を。


まずい。何かが訴えるが、殴りかかった身体は止まらなかった。


ゴブリンの喉目掛けての、包丁の突き。それは本能が選んだ最適解。力量差を理解しての、超短期決戦。


手応えは、あった。


――数ミリだけ皮膚に突き刺さるという、惨めな手応えだけが。


手だ、止められた。しまった、と思う暇もなく、ゴブリンが笑った。


瞬間、俺は包丁から手を離して後ずさった。


その判断が、命を救った。


次の瞬間に見えたのは、遠い天井。次に床、衝撃。数秒遅れて、俺は自分が殴り飛ばされたことを理解した。驚愕に硬直する暇もなく地面へ激突、転がされていく。


それでも勢いは止まらず、4秒ほど転がってようやく俺の身体は止まった。


「ぎ……が、はっ」


ずきり、と痛みを感じたのは腹。衝動のままに咳き込む。


だが、そうしては居られない。すぐそこに、早足で近づいてくる敵の足音が。


必死に立ち上がった所に、緑色の硬い拳が突き出された。


直線的なそれを、何とか後ずさって避ける。


だけどゴブリンはさらに前へ、拳、足で押し込むように攻め立ててくる。


俺は必死に後退しながら、それを避け続けた。スーツが乱れるのも構わず、跳び、転がり、みっともない動作で回避し続ける。


反撃のためではなく、痛みという恐怖から逃れるための行動。だけど、立ち止まらずに逃げ続けた先で、俺は気がついた。


(壁……しまっ!)


ゴブリンの視線で気がついた、もうこのフロアの端に!


どうしようかと迷っていた所に、先程とは違う、更に半歩踏み込まれた。


咄嗟に腕で攻撃を防ごうとする。そこを、横から吹き飛ばされた。


(なん、見えな、側、頭部……?)


転がり、何とか立つ。そこには、蹴りを放った後のゴブリンの姿が。


回し蹴りだ。直線の攻撃に意識を慣らされた後に、死角からの回し蹴りを食らわされた。推測で、実際には見えなかったが。


……違う、今はとにかく立たなければ。朦朧とする意識の中で足に力を入れたが、間に合わなかった。


その一瞬が、ゴブリンにとっては十分な時間だったらしい。気がつけばゴブリンは、俺の身体の上に乗っかかていた。


そして、ゴブリンはゆっくりと拳を振り上げた。


「ひっ!?」


ゴツリ、という音。鼻に痛み。血が出たかと思う暇もない、次には頬に打ち込まれた。


ゴッ、ゴッ、と鈍い音、揺れる視界、繰り返される度に痛みが襲ってくる。


「あ、ぐ……ぎぃっ!」


顔を両腕で庇っても意味がない、無骨な手で払われて拳を叩き込まれる。


暴れるにしても、圧倒的に力が足りない。


視界が血に染まっていく。身体から力が抜けていく。


俺の両腕も身体も、地面へと横渡っていた。



(あー……これで終わりか)



後は殴り殺されて食われて。ゴブリンの尻からひり出されて土に戻るのか。世界でも類を見ない、情けない死に方だろう。


恐らくはこの広場に居たであろうゴブリン達と同じ終わりを迎えることになる。誰にも知られることなく、刺身のツマ以下に相応しく、無様でみっともなく、意味もなく終わっていく。


死ぬ。


それが、黒烏迅という男の全てになる。


(……だ)


歯を食いしばる。拳に耐えるためではない、自分の中に湧いて出た感情のままに。


(こんな、終わりを)


認めることは、証明に他ならない。


だって、そうだろう。自分に才能が無いことは分かっている。自慢できる技能もない。学校から就職まで、流れに乗って生きてきた。特別な何かを選択した覚えはなかった。俺はずっと、苦しむこともなく、自分が出来る範囲で己が出来るだけをこなしてきただけ。


今もそうだ。空腹と寂しさという本能に押し流されて、何かを決断した訳ではない。


生きやすい世の中で、生きやすい自分のまま、楽をする方に流されてきた。


『刺身のツマ以下のあんたに本気になる理由ってある?』


そんな、思い出した暮羽の言葉を、俺は認めた。


頷いた。確かに、利用されて捨てられて当然の存在だと。


――だけど


気がつけば、俺は掴んでいた。ゴブリンの拳を。勢いを止めきれず、自分の手の甲が鼻にぶつかったが、そんなことは関係ない。


俺は、掌に力を入れて握る。ゴブリンの拳を。


自分は特別じゃない。怠け者だった。必死に何かを追い求めたこともない。つまらない奴だったと、今更にして笑えるほどに自覚する。



「だけど」



戻った意識、その中に浮かびあがったのは家族の顔だった。


自分と同じ怠け者だけど、真面目だった父。ちょっと抜けた所はあるしわがままだったが、優しかった母。就職し、初任給で連れて行った寿司屋の帰り道で背中を叩かれながら言われた。


『頑張りぃや。言い訳して逃げるばっかりやと、彼女の一人も出来へんで』。本当にそれな。母さんは慧眼だったと、認めざるを得なかった。


親父は、笑いながら言っていた。『これで一人前や。俺らに何かあったら、燐達をお願いな』。妹達ばかりを気にかけていた親ばか。だからこそ、その時の言葉を俺はハッキリと覚えていた。照れくさそうに小さな声で「ありがとう」と呟いた声を、言葉を、嬉しさを、深く。


「ギッ!?」


ゴブリンが驚きに声を上げる。うるせえよ、タコ。握られた程度で。


俺は拳を受け止めた手に渾身の力をこめながら、ゴブリンを睨みつけた。


胸中に湧き上がるのは、たった一つのこと。


このままでは死ねないという想い。


切望するということ。


渇望することの熱を、噛み締めながら。


頭に、4つのひらがなが思い浮かんでいく。


それは母と、父の、燐と、嵐と、玲に交わした。


破らないことを誓う、形のない繋がり。


初任給、親父たちとの寿司屋の帰り道で。


妹たちとのファミレスの帰り道で。


小指を立てながら告げられたその言葉を、俺は口ずさんでいた。



『システムメッセージ。黒烏迅の源語(オリジンワード)を承認、“約束”が登録されました』



直後、俺は身体に溢れる力そのままにゴブリンの身体を拳ごと引き寄せ。


逆の手で、硬い顔面を思い切り殴り飛ばしていた。。





●あとがき●


・称号「単身赴任」


 それは働き人の悲しい夏休み。

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