夏の肆 酢漬け色々
初夏から秋にかけて駒井ビクターは色々甘酢漬けを仕込む。
この世界に落ちてくる前の世界……異世界では、ビクターは酸っぱい物は苦手だった。
単純な好き嫌いと言うわけではなく、酸味のある食べ物は腐敗した危険なものだという認識があったせいだ。
冷蔵庫がない異世界では食べ物は保存しにくく、すぐに腐ってしまう。賞味期限などの目安もないため、味や臭いで自分で判断するしかなかった。
酸っぱい臭いや味がしてるものは腐っている。そういった認識が常識だった。
それに危険に満ちた世界ではちょっとした体調不良でも命に関わるときがある。
自分から腐っている可能性のある食べ物を食べて、腹を壊して行動不能になるなど以ての外だ。
薬も高く、腹を壊したからと言って気軽に飲めるものでもない。
だからこそ、リスクを避けるために安全だと分かっていても酸っぱい物をわざわざ食べる酔狂な者はほとんどいなかった。
しかし、この世界に落ちてきてからは大きく変わっていた。
食品の安全確認は簡単にできるし、保存技術も信じられないくらい発展している。
腐ったものを食べて体調を崩したとしても生死に直結しないし、薬もすぐに手に入る。
だからこそ、ビクターにも酸っぱい物を楽しむ余裕ができ、今では自作するほどになっていた。
「さて、やるか!」
ビクターの目の前にあるのは買い物用のエコバック。持ち歩いても食べ物が痛まないように保冷バックになっているものだ。
その中にはいくつかの食材が入っていた。
「まずは茗荷と新生姜の下準備だな」
ビクターはエコバックから今日採ってきた数個の茗荷を取り出す。それと、数日前から冷蔵庫に貯めこんでいた分も取り出し、全部水洗いしてボウルに入れた。
茗荷はおいなり荘の裏手の鎮守の森で内緒で栽培していたものだ。
まめに見回りに行って採ってきている。
冷蔵庫の数日経ってるものは葉先が少し萎れかけてるものも混ざっているが、どうせ甘酢漬けにするのだから問題ない。
次にエコバックから買ってきた新生姜を取り出す。
いつもの農産物直売所では見当たらなかったため、近くのスーパーで買ってきたものだ。
それも、見切り品の棚にあった、少し古く半額になっていたもの。
これもどうせ甘酢漬けにするのだから腐ってさえいなければ問題ないと思って買ってきたのだった。品質に問題なければ安いのが正義と思うビクターだった。
新生姜を野菜洗い用のタワシで丁寧に洗っていく。
タワシで洗うと新生姜の薄皮が剥けてそれだけで皮を剥く必要がなくなるので楽だ。新生姜の形によってはタワシの毛が入らない部分があったりするが、その時は包丁で洗いやすい形に切り分けて丁寧に洗った。
それから洗ってもキレイにならない部分や硬い部分を切り落とし、食べやすい大きさで薄切りにしていく。
厚さは好み。
ビクターは歯ごたえを感じられるくらいの厚みが好みだ。
「よし!」
薄切りにした新生姜もボウルに移す。茗荷と一緒にしてもいいのだが、一応味が混ざらないように別のボウルだ。
そして、茗荷と新生姜に粗塩を適当に振りかけて、軽く揉んだ。
塩が全体にしっかり回ったところで、ザルにあけてザルごともう一度ボウルに入れる。
塩をしたことで新生姜と茗荷から出てくる水を受けるためだ。
そのまま水を抜くためにある程度の時間、放置する。
ビクターは一度しっかりと水を抜いた方がいいのではないかと一昼夜放置してみたことがあるが、夏場に腐りやすい状態で放置するのは間違いだったらしく、見事に腐ってしまって泣く泣く捨てたことがあった。
その経験からその後は数時間にすることにしていた。
「次は胡瓜だな」
胡瓜の甘酢漬け……要するにピクルスだ。
小さなピクルス用の胡瓜のイメージだが、別に普通の胡瓜でも問題ないし、特殊な胡瓜は手に入りにくいので普通の胡瓜を使う。
適当な大きさに切って、終わり。
「さて、問題の青トマトか……」
実は、今回、ビクターが初めて使う食材があった。
それがミニトマトの青い状態のもの。『ピクルスにしたら美味しいわよ!』と農家の人に半ば押し付けられる形で貰ったものだった。
なんでも風の強い日にミニトマトの木が倒れてしまい、もったいないので熟していない青い状態で収穫したらしい。
「まあ、試してみよう」
青いミニトマトを洗って半切りにする。
これで食材の方は準備完了だ。
「さて、お酢」
ビクターは酢を取り出す。
酢はなんでもいいのだが、甘酢漬けは酢の味がそのまま出るためビクターは自分好みの純米酢を使っていた。
ちょっと高いが味には変えられない。
色々と漬け込むため、瓶一本を惜しげなく鍋にあける。
使う鍋はホーロー鍋。
ステンレス鍋でも短時間なら問題ないらしいが、酢を煮るとステンレスが溶けると脅されたことがあるため、ビクターは律義にホーロー鍋を使っていた。
砂糖を適当に入れ、溶かすために加熱する。
しっかり砂糖が溶けたところで味を見ようとして……。
「ぐぅ!げほっ、ごほっ!ごほごほっ!」
盛大にむせた。
味見をするため何も考えず吸い込んでしまったせいだ。
ビクターの作る酢漬けは水を入れない。
水を入れるとさわやかな感じになるが、保存性が下がるからだ。
それに、純米酢を使うため、刺激が強烈すぎるということもない。
だが、刺激が強すぎないといっても、所詮は酢なのだから吸ったりすれば盛大にむせるのは当然だ。
特においなり荘に居るときのビクターは獣人の、狼の顔だ。
長い鼻口部から液体がこぼれない様に勢いよく吸い込んだせいで、酢の刺激が喉にダイレクトに入ってしまった。
「きゅうぅぅ~ん」
情けない犬っぽい悲鳴を上げ、目に涙をためる。
シッポは情けなく垂れ下がった。
「つぅ……ミスったぁ……」
なんとか落ち着かせ、涙を拭って再び味を見る。
今度は慎重に。むせない様に。
「もうちょっと甘いほうがいいかなぁ」
砂糖を追加する。
ビクターは甘みがしっかりした方が好みなので、かなりの量を追加した。
「茗荷と新生姜の分は分けて冷まして」
ガラスボウルに半分ほど取り分け、それはそのまま冷ます。
胡瓜と青いミニトマトはピクルス風にするため、鍋に残った甘酢にニンニク一片と唐辛子、粒胡椒、塩少々を追加して軽く沸き立たせた。
ガラスの保存容器にペーパータオルで水気を切った胡瓜と青ミニトマトを入れ、熱いままの甘酢を注ぎ入れる。
「こっちは完成。あとは数時間後だな」
塩をした茗荷と新生姜の待ち時間と、甘酢が冷めるのを待つために数時間、のんびり過ごした。
それから茗荷と新生姜の水気をペーパータオルで切り、それぞれ保存容器に入れて冷めた甘酢を入れて仕上げた。
こちらは先に塩を振っているため、甘酢に塩を入れたりしない。
振った塩が多めでも、よほど大量に振らなければ出た水気と一緒に落ちるためあまり気にしない。
そして数日後。
「甘酢漬けには日本酒だよな、やっぱり」
ビクターはそう呟きながら冷蔵庫から日本酒の地酒の四合瓶を取り出したが、実はまだ日は高い。
まだ夕暮れにすら数時間ある時間だ。
しかし、この日の午前中に農作業を手伝い、駄賃代わりに地酒をもらったビクターは誘惑に負けてしまった。
最近ずっと日本酒を飲まないようにしており、久しぶりに手にしたものだから耐えられなかった。
「夕食までに一合飲むだけだから……」
誰に聞かせるわけでもなく、一人言い訳をする。ダメな大人である。
片口に地酒を一合ほど入れ、器にツマミの甘酢漬けを少量入れていく。
それを持って縁側に移動すると、腰かけた。
まずは胡瓜の甘酢漬けを一口。
パリッとした食感とともに口の中に甘酸っぱさが広がっていく。
「もうちょっと砂糖を控えてもよかったかな?でも美味い」
稲荷神社の鎮守の森の中に建つおいなり荘は他の場所に比べて涼しいが、それでも夏の熱気に満ちている。
その暑さが甘酢漬けをさらに爽やかに引き立てる。
身体が食欲が増していく感じがする。
実際、酢の物は夏バテにいいらしい。
ビクターは甘酸っぱさの残る口に地酒を流し込んだ。
「くぅ……夏だなぁ」
甘酢漬けと地酒の相乗効果に喉を鳴らし、しみじみと呟くビクターだった。