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冬の伍 麹甘酒

 ビクターは風邪をひいていた。

 自慢の体毛も艶を無くし、鼻水のせいで口周りは荒れている。目の焦点も合っていない。

 熱を下げるためか口元は締まりなく開いて、舌がだらしなく垂れていた。


 不思議なことに元異世界人で獣人であるビクターも、この世界の人間と同じように風邪をひく。

 そして、症状の重さも、治り具合も普通の人間がかかった時と変わらない。


 研究者に言わせると、これはビクターのいた前の世界とこちらの世界とで、太古の昔から頻繁に転移があった証拠らしい。

 菌も転移しており、それぞれの世界で菌も生き物も適応した結果だとか何だとか……。


 そんなことを説明されてもビクターにはよくわからない。

 ビクターに分かるのは、病気になるとどこの世界でもどんな種族でもつらいということだけだった。


 「それじゃ、お大事にー。栄養のあるもの食べてしっかり寝てねー」

 「……ありがとう……ございます……」


 白衣を着たエルフの治癒師を見送り、ビクターは布団に潜り込んだ。


 エルフは魔法を使える種族で、こちらの世界でエルフの治癒師というと治癒魔法と科学医療の知識を持った異世界医学と現代医学のハイブリッド医師である。

 普段は異世界からの『落ちてくる者たち』のことを知っている人たちや、様々な事情を持ち現代医学だけでは助からない人たちを助けている。


 たかが風邪で往診してくれることはない立場なのだが、昔に『おいなり荘』に住んでいた関係で特別に来てくれたのだった。


 ちなみにビクターがお願いしているわけはなく、何も言わなくても勝手に来てくれる。

 魔法で深い縁がある人が体調を崩すと分かるらしいのだ。

 本当にありがたい。


 「……あ、栄養のあるもの……」


 不意に、思いついたように呟く。喉が荒れていて鼻水も止まらず酷い声だ。

 熱のせいで重い身体に鞭打って、ビクターは潜り込んだ布団から再び這い出した。


 保存食品などをストックしてある棚からもち米を取り出す。


 「…………四号ぐらい炊くかな……」


 もち米をさっと研いで、水を多めに入れて炊飯器にセットする。

 そして炊飯ボタンを押してから、また寝なおした。


 しばらく寝て起きると、もち米はしっかり炊けていた。

 低温保温になっているのを確かめてから、そこに適当に水を投入して解すと同時に少し温度を下げた。

 理想は六十度程度。

 ビクターの使っている炊飯器は低温保温が六十度で、高温保温が七十五度らしい。低めの温度になれば勝手に温度調整してくれる。


 水の量は少しベタベタする程度。雑炊みたいになったら入れ過ぎだが、入れ過ぎてもそれほど問題はない。


 「えと……麹は同量だっけ……?多めの方が良いんだよな……」


 棚から今度は乾燥麹を出し、ボウルに四号を計って入れた。

 熱で呆けて手元が狂って、予定より多めに入ってしまったが、麹が多い分には問題ない。


 ぬるま湯で乾燥麹を湿らせてから、そのままもち米の入っている炊飯器に投入する。

 しっかり混ぜて、蓋を開けたままの炊飯器に濡れ布巾を被せておく。


 ふたを開けておくのは、密閉状態だと熱がこもって全体の温度が上がりすぎてしまうから。

 温度が高くなりすぎると麹のコウジカビが死んでしまうので、それならば熱が逃げて低い方がまだいい。


 濡れ布巾を被せておくのは、炊いたもち米の乾燥を防ぐため。

 布巾はすぐに乾いてしまうので、たまにチェックして濡らしなおした方がいい。


 「炊飯器さん、よろしくお願いします……。寝る」


 そこまでして、ビクターは再び眠りについた。

 そのまま五時間ほど眠り、ビクターが目を覚ますと部屋いっぱいに甘い甘酒の香りが漂っていた。


 「いい匂い……。まだ発酵が足りてない……よな?喉乾いた。何か食べよう」


 エルフの治癒師が置いて行ってくれたスポーツドリンクを飲み、同じく持ってきてくれたプリンを食べる。

 そして、炊飯器に被せておいた布巾が乾いていたので濡らして、薬を飲んでからもうひと眠り。


 次に目覚めたのは、さらに四時間後だった。


 「……できてる」


 炊飯器の中で、麹の甘酒が完成していた。

 発酵する時間は最低でも八時間らしいので、九時間なら十分できている時間だ。


 ベタベタした感じの炊いたもち米が、デンプンが糖に分解されてシャバシャバとした米粒混じりの液体になっていた。

 色は少し黄色味を帯びている。


 ビクターはそれを鍋に移し、加熱して発酵を完全に止めた。

 ちゃんとできるとかなり甘みが強いので水で適度に薄めるのだが、今は風邪で味覚がボケていて、どうせまともな調整もできないのでそのままだ。

 がっつり甘いくらいの方が、栄養補給にもいい。


 甘酒は飲む点滴と言われるくらい、病気の時に理想的な栄養補給ができる食べ物だった。

 それを思い出して、ビクターは作ったのだろう。


 器によそって、すりおろしのショウガを入れる。


 「よし、食う」

 挿絵(By みてみん)

 火傷しないように気を付けながら、熱々の甘酒を飲んだ。


 しっかりとした甘みと、ショウガの香りが食欲をそそる。風邪で鼻も詰まり気味で味覚もおかしくなっているが、それでも美味しく感じた。

 喉を通る度に、身体が温まっていった。


 一気に飲み干して、お代わりまでしてから、ビクターはまた眠りについた。

 熱に強張っていた顔も、リラックスして穏やかなものとなっていた。



 

 翌朝。

 熱が治まったビクターはまだ鍋いっぱいに残っている甘酒を見て、考えた。


 「……なんで、熱でつらいときに、オレは甘酒作ったんだ?それに四合って、麹も考えたら八合もあるじゃん……」


 炊飯器を使うなら、お粥でも作った方が早い。

 それに、こういう時のために、レトルトのお粥も常備していた。

 甘酒を作る理由はどこにもなかった。


 それ以前に、一回で作るには量を作りすぎだ。


 「熱でまともな思考ができなかったんだろうなぁ。それで甘酒を作ってるって、さすがオレ」


 なぜか嬉しそうに言う、ビクターだった。


 結局、体調が完全になるまで飲み続け、それでも余った分は調味料代わりに使う分を残して小分けにして冷凍したのだった。












 

 


 


 



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