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ごー・すとれーと  作者: 桂田武史
1/1

走り出す箱

 署につくと、地域課長の毛利双葉(もうりふたばが満面の笑みを浮かべていた。ゆったりとしたきれいな黒髪の女課長は物憂げな表情でしなやかな毛を弄んでいるのが常であり、高岡には見向きもしない。それが

「よく来た、高岡寛人たかおかひろと君」

 高岡はびくっと背筋を伸ばした。ろくでもない予感が高岡をその場に縫いとめる。

「高岡君」

 直立不動の高岡に毛利はもう一度声をかける。異常事態だ。異常と言えば毛利のデスクに居眠り用の快眠枕がないことも。

「なんでしょう」

 高岡は声が震えないよう、さらに毛利から目をそらさないように注意する。

「いやはや、素晴らしい話でね。君に後輩の世話をしてもらいたいんだ。頼まれてくれるね」

 毛利の口調は、一昔前のアニメに出てくる探偵のよう。彼女なりに恰好をつけている。そして、彼女がこういう喋り方をする時、高岡に拒否権はない。

 いつものように高岡はしぶしぶ頷け……なかった。

「しかし。刑事課転属の話はどうなるのです」

「いや、その。もちろん忘れていないさ。安心してくれたまえ。ほら、高岡君。君は非常に真面目だ。だから君に、君のような後輩の育成を任せよう。そうしたら考えてあげないこともないがね」

「と、いうことは」

「当面はお預けさね。健闘を祈るよ」

 高岡は腐った。何か言い返そうにも毛利は一応正論の体裁を保っている。刑事課転属の件は忘れていたようにしか思えないが、何を言ってもうまいこといなされてしまいそうだった。

「おっと。そろそろ朝礼の時間だ。さあ、屋上に向かいたまえ高岡君。おくれてしまうよ」

 高岡は毛利の背中を呆然と見送った。毛利の独り言が聞こえた気がする。

 ――頭痛の種だ。



「こんにちは、先輩。じゃがいもに似てますね。僕は田所美繰たどころみくりです。よろしくおねがいしますね」

「いいえ。踏み潰した蛙ではないかしら。私、剣持楓けんもちかえでと申します。ご指導のほどよろしくお願いします」

 高岡は頭を抱えた。目の前には二十そこらの男女が子供のような笑みを浮かべて立っている。二人とも長身だ。剣持と名乗った女は百七十と少し、田所と名乗った男は百八十五くらいあるかもしれない。すると、一番上背がないのは高岡ということになる。

「先輩座ったままですか。仕事行きましょうよ。まさか外見のとおり鈍臭い人ですか」

「失礼でしょう、田所さん。先輩は足が短くて恥ずかしいから立ちたくないだけです。人が気にしていることを見てみないフリをするのが大人でしょう」

 胃が痛くなった。高岡は課長席に目を向ける。毛利はイタズラ坊主のような顔でこちらを見ていた。高岡の視線に気付き慌てて寝たフリをしようとするも、大きな胸がデスクにひっかかって上手くいかなかったらしい。諦めたような顔で高岡を見てきた。高岡は首筋を手で拭う。

「こんな大仕事とは聞きませんでしたが」

「なに、頑張ってくれたまえよ。署一番のお人好しにして将来の敏腕刑事、高岡寛人巡査部長殿ならお手の物だろう」

 それから毛利は田所と剣持にむかって言う。

「田所君、剣持君。高岡君はたしかに芋のようなヒキのような冴えない感じで階級も君らと同じ巡査部長だがね、とってもいい上司だよ。私が保証しよう。励みたまえ」

 毛利は口元だけでくっくと笑う。高岡が何かを言う前に大きな双丘をデスクの下にはさみこみ、さっさと昼寝をはじめてしまった。

「先輩、仕事は」

 剣持が言った。高岡はため息を吐く。

「あれを見て、あるように思えるか」

「いえ」

 高岡は田所を窓口まで行かせ、自身は書類の整頓を始めた。剣持が隣に座り、何かをメモしている。黙っていれば熱心な警察官なのだ、と高岡は思った。それに見た目だけなら昭和の清純系女優を想像させる。

「剣持君」

「はい。なんでしょうか」

「君は、その、失礼なところもあるが熱心なんだと思う。それに」

 悔しいが高岡なんかよりも刑事に向いているような気がする。剣持に伝えると、彼女は口元だけでゆっくりと微笑んだ。

「だから分からない。君は浜松市の出身だそうじゃないか。大きな街だ。何故、こんな田舎の地域課なんかに」

「以前は浜松の中央署で刑事をしていました。ですが現逮の折に失敗をしてしまいまして、怖くなったんです」

 高岡は黙った。相変わらず剣持は悠然とした笑みを浮かべている。どうにも気まずい。高岡は半分腰を浮かせた。そこへ田所が駆け込んでくる。剣持は静かに立ち去った。

「じゃがいも先輩、仕事です、仕事」

「高岡と呼べ、高岡と」

「仕事です、高岡」

「先輩はどこへいったんだ」

「先輩が高岡と呼べと言ったんです」

「悪かった。高岡先輩と呼びなさい。で、用件は」

「知りません。先輩、わかりますか」

「分かるわけがあるか。しっかり聞いてこないでどうする」

「僕が行くんですか」

「当たり前だ。経験をつめ、経験を」

 高岡は田所を追い返そうとした。

「残念だなあ。可愛らしい上にメロンそっくりだったもんだから。先輩に譲ろうと思ったんだけどなあ」

「待ちなさい」

 高岡は田所を呼び止める。

「メロンとは、どうメロンなんだね」

「それはもう。先輩の想像で間違いないかと」

 高岡は浮き足立った。

「わかった。俺が行こう。田所、剣持。丁度いいから付いて来い。こういう田舎では地域のつながりが大事だからな」

 窓口へ急ぐ。

 そこで待っていたのは、確かにメロンそっくりの、黄緑の毛糸帽をかぶった可愛らしいおばあさんだった。

「ね、先輩」

 田所がおどけたように言う。振り返ると飄々とした駱駝面が、目じりにしわがよるほどにニヤけている。腹が立つことに、整った顔立ちだ。高岡は咳払いを一つ。おばあさんに向き直る。

「それでご用件は」

「なるほど。まずは地域の方がきたらバストサイズを確認、と」

「静かに」

 高岡は剣持をにらみつけた。

「そのメモは消しておくように」

 おばあさんは何も言わずに座っていた。高岡はひとまず安心する。深い皺で閉じているとも開いているとも言いがたい目が、ゆったりと笑っているように見えた。

「バスの、サイズですか」

 しわがれていない、細く高い声だった。都合のいい勘違いをしてくれている。高岡は口元をもごもごと動かした

「え、ええ。ほら循環バスも乗客がいんでしょう。本数を減らすよりサイズを、ですね、まあなんだその、小さいやつにしたらいいと思った次第でして。ところでご用件は」

「それがね。おじいさんをね、おじいさんを置いてきちゃったのよ」

「それは本日でいいんですね」

「ええ、ええ」

「おじいさん、とは貴女の夫ということであっていますか」

「ええ、そうなの」

 後ろで田所がメモの用意をしている。剣持がもたつく田所に手を貸していた。高岡もスーツの胸ポケットからボールペンを取り出した。

「それでは、お名前と、ご主人の特徴を」

「村松義男。住所は成滝なるたきよ。ええとねえ、とっても小柄で優しい人よ。笑うとえくぼができたわ」

「小柄というと」

「そうね、私より少しだけ大きいくらいだったかしら」

 高岡はボールペンを走らせる。村松義男さん、身長百五十五から百六十五前後。

「歳は」

「七十八だったかしら」

 七十八歳、と。

「今日はどんな服装で」

「どんなと言われてもねえ。まったく」

「そうですか、大丈夫ですよ。他に特徴は」

「そうね、白髪で猫背、痩せててねえ。前歯が二本欠けていて頭頂部がねえ、歳かしらねえ、少し寂しくなっていたの」

「ありがとうございました。我々が必ず見つけます」

「見つかるかしら。だいぶ小さくなってしまったもの」

「ええ、必ず」

 高岡は身長のところを百五十五から百六十前後に修正し、立ち上がる。村松婦人の背中を見送った。振り返ると剣持と田所がメモを手にもめている。

「よし、今聞いた情報を広報掛川こうほうかけがわにまわせ。それと、メモ、見せてみろ」

〈行方不明情報 ムラマツヨシオさん七十八歳。小柄で細身、白髪、ハゲ、スキンヘッド――〉

「なんだこれは」

「意見が割れましたので」

 剣持が一歩前に出て言う。

「田所さんがハゲと書きましたが差別に当たると判断しスキンヘッドと訂正した次第です」

「伏せておいても支障のない情報だ。書かなくていい。それから薄毛とスキンヘッドは別物だ」

「はい」

 剣持が手帳にメモを取る。薄毛とスキンヘッドは別物。いちいち指摘するのも面倒くさくなった。高岡は手元の紙に眼を落とす。

〈――服装は全裸〉

「おい、なんだこれは」

 すると今度は田所が答える。

「村松さんは『まったく』と言いましたが」

「同意します」

 剣持も頷いた。

「まったく覚えていない、の『まったく』だ。じいさんを裸でつれまわす妻があるか」

「捜してみればいるかもしれないですよ。じゃがいも先輩」

「高岡だ。もういい、俺がやる」

 高岡は自分のメモを手にとる。

「俺が広報にまわすから車を用意しろ。捜索開始だ」

「どこへです。私も田所さんも、先輩も村松さん夫婦が何処を散歩したのか訊いていません」

 高岡は拗ねたような顔をした。

「じいさんだ、遠くへは行っていない。さあ、捜しに行くぞ」


 正面玄関をでると田所が車を横付けして待っていた。剣持も助手席に座っている。

『こちらは、広報掛川です――』

 丁度、広報も流れ始める。

『――掛川警察署からお知らせします。本日、午前十一時ごろ。掛川市成滝の村松義男さん七十八歳が外出先で行方不明になっています。村松さんの特徴は、身長百五十五センチから百六十センチ前後、痩せ型で白髪、猫背です。お心当たりがございましたら掛川警察署までご連絡ください。繰り返します。本日』

 高岡は後部座席にのりこむ。車は、国道側へ発進した。

 田所が、警察署前の信号を左折する。

「おい、成滝は右だ」

「知ってますよ、人を馬鹿みたいに。ちょっとシャトレーゼに行こうとしただけですよ。美味いですよね、あそこのケーキ。あ、又一庵の和菓子でもいいですよ、先輩」

「後にしろ。あと、何を期待している」

「えー、可愛い後輩の歓迎会もなしですか」

「自分で可愛いという奴があるか。だいたいそういうのは先輩がこっそり企画するもんだ」

「いやいや、じゃがいも先輩そういうとこ気が利かなさそうだし」

「そうだな、先輩をじゃがいも呼ばわりする後輩は可愛くない」

「そんな、マッシュポテト先輩」

「加工するな」

 ため息を吐きかけた時。

「ボヘミアーーーン!」

 今度は剣持が絶叫した。スマホからイヤホンで音楽を聴きながら歌っている。わりと下手だ……。高岡はため息を吐くのも忘れ、頭を抱えた。


 ミニストップの駐車場で方向転換し、成滝方面へ向かう三人。駐車場で運転を田所から剣持に交代させていた。

「私、まだ道が」

「いい。俺が言う。まだ直進だ」

 田所は運転席の剣持にのしかかり過ぎ去るシャトレーゼを見つめている。

「先輩、コーヒー買ったじゃないですか」

「駐車場借りるだけで出て行くわけにはいかん。店へのちょっとした迷惑料だ。お前らのも買っただろ。危ないからちゃんと座れ」

「ならシャトレーゼの駐車場でもよかったのに」

「馬鹿言え。コーヒーなら眠気覚ましの言い訳が利くがケーキはないだろう」

「頭に必要な糖分」

 ついでに村松は近くで目撃されていないと店主から聞いた。

「片岡先輩、何処までならまっすぐでいいでしょうか」

「高岡な。立体交差手前のタツミガスの角で左だ。そこ、トイレが展示してあるやつだ」

「わかりました。すぐそこですね」

 そういって右にあったサンゼンの駐車場へ侵入する剣持。

「おい」

「すみません。丁度スーパーがあったので。ここならば人も集まりますし。ちゃんと『眠気覚まし』のコーヒーも買ってきますから」

 戻ってきた剣持は、本当にコーヒーを人数分買っていた。

「ここには来ていないようです。最近見ないからレジのおばさんも心配していて」

 しかし、他にも買ってきたらしいねぎ、牛肉、卵、いとこん……すき焼きかな? ちゃっかりポイントカードまで作っている。

「経費でおちますか」

「馬鹿言え」

「はい、では失礼して。馬鹿」

「なんでそうなる。私用は後にしてくれ」

「ちゃんとコーヒー買いました。眠気覚ましの言い訳は有効です。聞き込みもしました」

 剣持の隣で「その作戦、いただき」みたいな顔をしている田所。

「本当にやめてくれ。後輩がこれだと刑事課への道が」

「「先輩がいなくなったらさみしいです」」

「この野郎」

 徒歩で五分もあれば着くはずの成滝。到着までに車で三十分かかった。


 パトカーは成滝を徐行する。三人は村松らしき人をさがす。

「捜しにくいですね。おじいさんばっかり」

「……そうだな」

「あの人あたり、どうです。もう適当に、」

「田所!」

 あたりはお年よりだらけ。もうすぐ成滝を抜ける。高岡はふと思いつき、車を止めさせた。

「なんです、小学生を危ない目で見て」

「誰が危ない目だ」

「それより見てくださいよ、向こうのお母さん。メロンみたいだなあ」

「黙ってくれ。メロンは好かん」

 西山口小学校前。高岡はすぐそばにいた五年生くらいの男の子に話しかける。

「ごめんね、警察なんだけど。今日、村松のおじいちゃん見なかったかい」

「どの村松?」

「村松義男さん」

「見るわけねえ」

 帰ろ帰ろ、と友達を連れて去っていく男の子。おどおどした様子で二年生くらいの女の子が話しかけてきた。

「村松のおじいちゃんなら、この前死んじゃったよ」


「どうして言ってくれなかったんです」

 高岡は電話に向かって怒鳴った。毛利のだるそうなため息。彼女は成滝出身で村松が死んだことを知っていた。

『なんでと言われてもね。確かに村松義男氏が亡くなったのは知っていた。しかしだね、君たちが彼を捜していたのは知らん。先ずは最寄の伊達方だてがた交番に連絡をとればよかったではないか』

「広報が入ったでしょう」

『記憶にないね』

「亡くなったのはいつです」

『一週間ほど前だ。もういいかね、私は昼寝で忙しい』

 プツッ。ツー、ツー、ツー……。

 高岡はため息を吐く。

「おい、村松さんの家に行くぞ」


 村松婦人は三人を仏間に通した。真新しい位牌と、遺影。これでもかという本数の線香がしつこいまでの煙を放っている。

「あらまあ。少し待っていてくださいね、おじいさんにお線香あげなくちゃ。ああ、お茶を持ってきますね」

 高岡は隣で吹き出した剣持の足を踏んだ。

「あーじゃがいも先輩パワハラ」

「うるさい、男にはこうだ」

 ついでに田所の脳天に鉄拳を叩き込む。

「嫌だなあ。頭がハート型になったらどうしてくれるんだ」

「なるか、馬鹿たれ」

「大岡先輩、馬鹿タレとはどんなタレでしょうか」

「高岡だ」

「では先輩が馬鹿タレ、と」

「勘弁してくれ、剣持まで」

 そこへ村松婦人が戻ってきた。

「あらあら。お座りになって」

 高岡は腰をおろす。剣持は座布団をめくって下を確認していた。田所はというとさっさと座って畳のほどけたのをむしっている。高岡は二人を交互ににらみつけた。

「それでお巡りさん。おじいさんは見つかったのかしら」

「そのことですが。ご主人は既に亡くなりましたよね。今日連れ出した、とはどういうことですか」

「だからね、おじいさん海が好きでね、見せてあげたくて」

「ですから」

 すると剣持が高岡のスーツを引っ張る。一方田所は無遠慮に線香の煙を払いながら大福をほおばっていた。

「広岡先輩、遺骨がありません」

「高岡だ」

「だからね、こう、おじいさんをだっこして車で大東まで行こうとしたの。少し荒いけど、きれいな海なのよ」

 ようやく高岡は理解した。

「遺骨がなくなったのはいつですか」

「一度、城東中学の近くの公園によって休んだの」

「吉岡彌生記念館の隣の」

「ええ、ええ。そこに置いてきちゃったのね、多分」


 高岡はすぐに上内田かみうちだ駐在所と大東だいとう交番に連絡をとった。すると、上内田駐在所に遺骨の落し物が届いているという。珍しい事例だから話題になっていたらしい。高岡たちはすぐに上内田駐在所にむかった。

「これです」

 制服警官が一人、白い布につつまれた箱を持ってきた。名札に黒川とある。高岡は黒川から箱を受け取った。が、

「重いな。本当に骨か」

「ええ、それは私も思いました。しかし開けてしまうわけには」

 高岡は箱を耳元で振った。がさがさと鈍い音がした。

「骨じゃないな。俺が責任をとる」

 高岡は白い布を剥ぎ取り、白木の箱を開けた。なかから骨壷は出なかった。覗き込んだ田所がつぶやく。

「わあ、お好み焼きのもと」

「んなわけあるか。薬物だ」

 それも多量の。黒川があっと悲鳴をあげた。

「黒川さん、これは」

吉岡彌生よしおかやよい記念館の隣にある広場で拾われたものです」

「拾ったのは」

「そこの酒屋のお母さんです」


 酒屋のお母さん・西浦は豪快に笑った。

「それんね、変だと思っただよ。だってさ一日に二人もだよ? 二人も骨抱えて公園にくるなんてさ。ばかショックな話だいね。ね、それよりも買ってってよ。新作だに」

 ばか、だに、だい? クビを傾げる剣持にこのあたりの方言だと説明し、高岡は西浦に質問をする。

「骨持っていたのは、どんな人です」

「一人はねえ、緑の毛糸帽のばあちゃん。可愛らしかったにー。んで、もう一人はばかでっかい男だったよ。そこの兄ちゃんくらいあったかもねえ」

 酒をもった田所がきょとんとこちらを見た。『赤兎馬』。

「おい、それ戻して来い」

 田所と同じくらいなら百八十はある。

「ありがとうございます。人相は」

「んとね、目が二つで、鼻が一つ……」


 上内田駐在所に戻り、高岡たちは(黒川も含め)頭を抱えた。男は、顔が薄いというやつらしい。これでは手がかりがない。麻薬もいかんが、何よりも村松を家に帰してやりたい。

「どう思う」

「麻薬取引き」

「ですね」

 黒川は悔しそうに拳を握り締めていた。その黒川の隣で田所は大切そうに『赤兎馬』を抱えている。高岡が睨むと「迷惑料」とウィンクした。

「田所、お前に黒川さんみたいな熱心さがあればな」

「何言ってるんです。公園の出来事なら、もう一回公園に行けばいい。たかが三時間くらい前の出来事でしょ」

 高岡は妙に拗ねた気持ちになった。しかし他に案がない。

「行くぞ」

 前を歩く剣持のかばんからワインのボトルが頭を出していた。高岡は胃の辺りを押さえた。


「わーい、ママこっちこっち」

「んじゃ、つぎ俺が鬼ね」

「うおー、くらえ最強爆裂拳!」

「おお、お前いい球投げるようになったな」

 昼食の時間にもかかわらずにぎわう公園。ここで、高岡は今日が土曜だと思い出した。

「休みですね」

 剣持が言う。ついてきた黒川は俯いていた。

「私は、休日のこの景色が好きなんです。それが、この公園で、麻薬なんかっ……」

「ええ、同感です。必ず解決しましょう」

「わー、童貞のじゃがいも先輩には縁遠そうな風景」

「うるさい。真面目にやれ。誰が童貞だ」

 あってはいる。

 高岡たちは、聞き込みを開始した。

「え、骨持った男の人? 見てないな」

「骨、といったか。貴様、この漆黒の右腕が目覚めしとき世界の邪眼が、お前を呪うであろう」

「男? 沢山いすぎて分かりゃしないよ」

「かーちゃん、変なおじさん」

「さあ、情報がでかい男ってだけじゃちょっと」

「やだ。骨持ち歩くとかなんかの宗教? マジいみふー」

「フライドチキンの骨を捨ててる人なら見たよ」

 高岡はがっくりと肩をおとした。見つかる気がしない。あと、地味に心折られる。呪われる? 変なおじさん? いみふ? フライドチキン……お腹が鳴った。昼食はお預け状態、いつになれば解決するやら。お昼を知らせる掛川市歌『白壁しらかべ光るー、遥かな天守ー』なんとなく惨めな気持ちにさせられる。

「わー、お兄さんにくれるの。ありがとう、お腹減ってたんだ」

 五メートルほど先で子供からおにぎりを貰おうとしていた田所の首根っこを掴んだ。

「パワハラですよ」

「知るか。何やってる」

「地域のつながり。黒川さんに監視カメラの映像頼んだんで、あとは楽勝でしょう。それに」

 こっちです、と寿司の出前を公園に引き入れている剣持。続いてピザーラとマックと蕎麦屋が来た。高岡は鬼瓦のような顔をした。

「先輩、皺増えますよ」

「男に言うことか」

「私からも。短気な人は脳血管障害による死亡確率が、」

「お前らが言うな」


 監視カメラには確かに村松婦人と謎の男が映っていた。

 まず村松婦人がベンチに座り、隣に遺骨を置く。しばらくして彼女はトイレのほうへ。

 するとベンチに見るからに悪そうなスキンヘッドでサングラス、縦ストライプジャケットの男が来て何食わぬ顔で骨を持ち去る。

「こんな分かりやすい悪党います?」

 口元をおさえて笑っている田所をはたいた。いるのが田舎のおそろしいところ。

 やがて戻ってきた村松婦人はベンチの横を素通りし、カメラの範囲外へ消える。遺骨のことは忘却の彼方、といった感じだ。

 十分ほど後。カメラの記録では十時四十分、身長の高い件の男が現れた。ベンチに駆け寄り腕時計を確認、辺りを見回すと骨の箱をベンチにおいて走り去った。落し物で届いたものとみて間違いない。魚屋の西浦が駆け寄り、男に何か叫んでいるが男は戻らなかった。西浦が骨の箱を拾い上げ、映像から消える。

「この人」

 黒川が言った。

「鈴木だ」

「平凡な名前のヤンキーですね、長永先輩」

「もはや誰だ。違う、骨の男だ」

「ええ、そっちです。火遊び、空ぶかし、落書きと万引きで何度か注意したことがあります。最近は真面目だと思いましたが……」


 鈴木は建設現場の作業員用宿舎で暮らしていた。黒川を見て人懐っこい笑顔を見せる。そのあと高岡たちを見つけ、毛虫を見るような目をした。

「いや、この人たちは大丈夫。鈴木君、聞きたいことがあってね」

 鈴木はあっさりと認めた。黒川を信頼しているようだった。

「金です。骨って言っても本当はもっとヤバいかもとは思いました。けど親がない俺だから育ててくれたおばさんにお礼がしたくて。このままじゃおばさん大事な駄菓子屋維持できなくて」

「このサングラスの男は」

「田中です。あいつからあずかった骨を今日の十時半返しに来いって。なんか妹の骨らしくて」

 鈴木といい勝負で平凡だった。

「走ってたのは」

「十分くらい遅れちゃって。あ、おいて帰ったのはあいつの指示です」

 スマホをつきだす鈴木。ラインで確かに『骨は公園に入って一番手前のベンチにおいてくれ。お前は帰ってもいい、すぐにとりに行く予定だから』とある。

「中身は」

「開けないっすよ。そりゃ変だとは思いました。なんてか、妹の骨放置しろとか。けど家庭の事情とか突っ込んだらいかんもんもあるし。開けて本当に薬みたいなヤバいもん出てきちゃったとしたら怖くなるっていうか……ねえ俺逮捕されちゃう感じっすか」

「落ち着いて」

 所持とみなされれば。知らなかったと言っても世間はどれだけ信用するだろう。高岡は鈴木に同情した。

 高岡たちは近くを巡回していたパトカーに鈴木をあずけ、田中の家に向かうことにした。黒川とはここで別れた。


 田中はわりと大きな家に住んでいた。インターホンを押すと現れた田中は上下黒のスウェット。ツキノワグマみたいだ。部屋の奥からテレビの音が聞こえる。『なんでやねん!』ビールのにおいがした。

「あ? なにお前ら」

「警察です」

「は? 帰れって。カップめん伸びちまうだろ」

「ああ、なんてこと。伸びたカップめんなんて美味しくありません」

「じゃがいも先輩、これはニッシンへの迷惑行為に該当します」

「するか。お前らどっちの味方だ。あのですね、田中さん。あなたの妹さんのことでお話が」

「馬鹿じゃねえの。人違いだね。俺に妹はいねえ」

 高岡はにやりとした。これは、当たりだ。

「田所」

 田所は大きなあくびを一つ、のそのそと田中の家に侵入した。

「あっ、てめえ」

 すると剣持が牽制する。

「殴りますか。公務執行妨害になりますよ」

「知るか。勝手に侵入しやがって。訴えるぞ」

「あら、勝手にとは失礼ですね」

 剣持は茶封筒をちらつかせる。あれの中身は連雀商店街のポイントシール『桔梗ちゃんシール』とその台紙だ。さっき数えてるのを見た。高岡は吹き出しそうになった。令状がないのは黙っている気らしい。地域課ではめったにない刑事ドラマ的展開に高岡のテンションはあがった。点数稼ぎになる。刑事課を夢見てサルを追いかけ、カメレオンを追いかけ、次はイグアナ、オオトカゲ……上手いことやればこんな日々とはおさらばだ。面倒な後輩ともさよならできる。

「じゃがいも先輩、ありましたよ骨」

 すると田中の顔色が変わった。

「こんにゃろ、妹の骨になんてこと」

「あんた、さっき妹なんていないと言ったでしょ」

「俺の骨っ!」

「まだ生きてるでしょうが!」

 田中と高岡は揉み合った。すると剣持がわって入る。

「これは、あなたのではありません。公園で遺骨の取り違えがあったんです」

 田中が拳を振り上げる。剣持は軽やかに避け、後ろに立っていた高岡の顔面に直撃した。

「ぶぼっ……!」

「とにかく、その骨はあなたのではありません」

「あ? じゃあ俺のはどこ行ったっていうんだよ」

「上内田駐在所に。ただし中身は骨じゃありませんでしたが」

「お、俺のじゃねえ」

「そうですか。監視カメラに映ってましたし、お友達の鈴木さんも捕まえました。とりあえず署で話は聞きます」

 高岡は鼻血を垂らしながら床に横たわり、剣持が田中を追い詰める様子を見た。さすがもと刑事課属。出る幕がない。「じゃがいも先輩、ダサいですよ」助け起こしに来た田所が毒を吐いたが、言い返す余裕もない。まるでテレビの外からドラマを眺めている気分だ。

 すると田中、剣持に掴みかかる。

「剣持!」

 高岡は短く叫んだ。急いで起き上がろうとして自分の鼻血で滑った。顔面から落ちる。鼻の辺りからめきっと致命的な音がした。

「そいやっ!」

 ビタン、ゴキッ!

「あぎゃあああああああああっ」

 バキバキ、メキッ!

「うあああああぅ……」

 吹っ飛んだのは田中のほうだった。関節があらぬ方向に曲がっている。

「ああ、またやってしまった。私、強いのね。我ながらに怖い」

 剣持が頬に手をやりもじもじしていた。

「剣持お前、現逮の失敗とは」

「被疑者の骨をへし折りました。あのままでは男性を押しのけて大きな署で最強になってしまいます。そんな評判が広がったら婚期を逃してしまいますから怖くなって」

「左様ですか」

 それで掛川警察署に来たというわけだ。「そんな、掛川警察署なんて小さいですよ」と言い訳するつもりか。

「また暴れられる」

 恍惚とした表情の剣持に、田所と高岡は青くなった。


 骨は、村松義男のもので間違いなかった。遺骨は無事に帰る。夫婦はあらためて娘夫婦と一緒に海を見に行ったらしい。

田中も部屋から他に薬物が見つかり無事御用となった。高岡と剣持が田中と戦っている間に、田所が見つけてきたものだった。

しかし、逮捕の件は手柄にならなかった。剣持がラング・ド・シャをかじりながら言う。「遠州銘菓たこまん」のわりと高いやつだ。人が働いている間に、と怒鳴ってやりたいのを高岡は自分の尻をつねって耐えた。

「県警がかんかんだ。一斉摘発にむけ泳がしていたのに君が手を出したから親玉に逃げられた、とね」

「聞いてません」

「うむ、話してないからね。しかし君みたいなお間抜けチャンは刑事にはできないねえ」

 高岡はわかりやすく落胆した。

「鈴木も思ったよりは重い罰は受けなくていいらしい。残念ながら、駄菓子屋のほうは閉店してしまったがね。まあ、なんとも奇妙な事件ではないかね。ところで君、鼻のそれ。少しは阿呆面も二枚目に見えるようになって良かったじゃないか」

「折れているんですがね」

 高岡は毛利を睨んだ。こいつが女じゃなければ殴りたい。いや、女でも殴りたい。しかしこの女は上司だ。高岡は転属したばかりのころ一瞬でもこの綺麗な女性と家庭を持ちたいと妄想していた自分の頭を拳銃でぶち抜きたくなった。毛利が大きく肩を回す。

「しかし肩がこる。やはり枕はあるに越したことはないという訳だね」

「署は寝る場所ではありません」

 高岡、「あんた何もしてないでしょう」という言葉は飲み込む。

「何故だね。保護した泥酔者さえ寝ていいのだがね」

 すると、そこに剣持と田所。

「村松さんからお礼だってメロン貰いましたよ。袋井ふくろいで温室栽培したヤツだそうで」

「袋井の温室メロンって最近有名ですね。ああ、高岡先輩。地域のつながりとはこういうことなんですね」

 二人は切り分けたメロンをデスクに配る。が、高岡の分だけない。

「おい、俺のは」

「じゃがいも先輩、小学校の前でメロンは好かんと言いました」

「私も確かにききました」

「ああ、なんと美味いメロンだろう。高岡君、私は君がかわいそうでならない。これの良さが解らんとは」

「……わざとらしい」

「皮ならあげますよ、じゃがいも先輩」

「要らん」

 高岡は逃げるように席を立つ。給湯室に行き、茶を淹れた。立ち飲みし、それからしばらく考え込んで他の三人の分も用意してやることにした。


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