絶対に怖くないもの~イヤホン編~
ホラー!
とても短くシンプルです。最後までお付き合いよろしくお願いいたします。
イヤホン:耳に当てたり差し込んだりして、ラジオやオーディオ機器などからの音声を聞くための器具。
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俺、栄野本雄は、疲れた体を電車に揺さぶられウトウトしていた。
会社帰り、気分は良くない。
最近忙しいし、業績も上がらない。上司からは叱咤され、部下からの信頼は薄く、家族からは冷えた視線と風呂と飯だけが提供される。
ダメなサラリーマンの典型的な例だなぁ、と、自分を客観的かつ自虐的に分析してみたりする。
唯一の慰めは、音楽だった。昔から歌は好きだったし、今では必要不可欠なものだ。
朝の通勤ラッシュで、昼休みの屋上で、帰りの電車の中で。iPodから流れてくる音楽だけが、毎日俺の心を癒してくれた。
今日も、耳にはイヤホンがついていた。電車の中でも聞こえるように音は大きめだ。
だが、不意に右耳のイヤホンが耳から外れた。何事かと右を向くと、目の前には不機嫌そうな若者の顔。
「うっさいんだよおっさん。ボリューム下げろ」
少々乱暴ではあるが正しいのはあちらなので、「あぁ、すいません」と一言謝った。
「……?」
と、俺は異変に気が付く。
音量を下げてイヤホンを耳に戻してみると、音が聞こえなかった。試しに音を一瞬上げてみたが、やはりダメだった。
――どうやら、壊れたらしい。
「……最悪だ」
俺はため息をついて、ぼそっと呟いた。
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イヤホンは、結局買い換えた。近くに好みのものを売ってそうな所がなかったのでネットで。少し贅沢をして高めのやつにしたので、当分昼飯は節約しなければならない。
「あー、やっぱ高いイヤホンは音がいいなあー」
届いたイヤホンを早速使って、部屋で音楽を聞きながらそう呟く。家はマンションなので、部屋の中でもイヤホンで聞くことにしていた。
久々の休日。部屋で自分の好きな音楽を聞いて過ごす、心地よい時間。
とその時、不意に部屋のドアが開け放たれた。そこには、少し不機嫌そうな顔をした妻が立っていた。
「ちょっとあなた! せっかく家に居るなら、トイレの電球変えて。それから、最近パソコンの調子が悪いから見といて」
妻はそう言い放つと、ドタドタと歩き去った。
あぁ、一つ訊きたい。俺はいつ休めばいいんだ?
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その時、奇妙な感覚があった。
「――何だ……?」
その感覚は、どうやら耳の辺りから来るらしかった。
「……イヤホン、か?」
そう呟くと、イヤホンに手を当てた。
微かに、
微かに……震えてる?
これは……?
「ちょっと! 早くして!」
妻の急かす声で、我に帰った。
――気のせいか。
俺はそう結論付けイヤホンを外すと、言われた通り電球を変えに部屋を出ていった。
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翌日。
その日もいつも通り、音楽を聞きながら出勤し、耐え忍ぶように仕事をこなした。
「栄野くん」
部長がそう声をかけてきた。
思わず、ため息を吐きそうになった。部長がそう呼び掛けてくるときは、大抵良いことはない。
「なんでしょうか」
出来るだけ平坦な声で返事をする。
「最近業績が落ちてるんじゃないか?」
またこれか。
先週も、先々週も同じ事を言われた。だが、それは揺るぎない事実だ。
「もともと悪かった業績がさらに落ちたんだ。もうそろそろ、君の居場所が無くなる可能性も考えた方がいいかもしれないな。あぁ、もう無いようなものか」
あぁ、一つ訊きたい。
どうやったらそんなに嫌味ったらしい口調で話せるんだ? 俺の語彙力ではとても表現出来そうにないんだ。
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「くそっ、あのハゲ…」
昼休み、屋上。
屋上には、いつも誰もいない。それがこの会社の唯一のいいところだ。それをいいことに、いつも愚痴りながら音楽を聞いている。
最近さらに業績が落ちたというのは、紛れもない事実だ。ただ――
「もっと言い方とかあんだろ!」
気分は会社中に響き渡るように、実際は小声で毒づくように叫んだ。
こういう時は、激しい曲を聞いて、頭の中で歌い上げてスカッとするに限る。
「あー、くそっ」
イヤホンを着けて選曲中にも、思わず声が漏れる。
曲を選び怒りに身を任せ、脳内で大絶叫する。
その時だった。
――ビクン。
イヤホンが、大きく震えた。
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それは何故か、怒りのように感じられた。
イヤホンが、怒っている。
そしてそれは、どんどん大きくなっているようだった。震えが、激しくなって。
俺は慌ててイヤホンを外した。
イヤホンは最後に一際大きく揺れると、床に落ちて動かなくなった。
――何だったんだ、今のは。
背中に、じっとりとした汗を感じる。
遠巻きにイヤホンを観察するが、動きはない。
俺は、恐る恐るイヤホンに手を伸ばした。
**************
――何も、起きない。
俺はイヤホンを拾い上げた。
イヤホンは、もうピクリとも動かない。ただ音楽が漏れて聞こえるだけである。
思い切ってもう一度、イヤホンを着けてみた。
――やはり、何も起きない。
何なんだ?
このイヤホンは、何かがおかしい。
ふと気付くと、またイヤホンが震えていた。
しかし今度はそれが、不安に震えているように感じた。
そう、まるで――今の、俺のように。
耳元では、さっきまでの激しい曲が流れている。
「うん」
俺は呟いた。
「確かに、音がでかすぎるな」
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それから、一週間。
――慣れとは恐ろしいものだ。
どんなに不思議な事でも、それが当たり前になったら何とも思わなくなってしまう。
この奇妙なイヤホンにも、俺は慣れてしまったのだった。
そして、わかったことが一つ。
どうやらこのイヤホンは、俺の気分を反映してるらしい。
動作としては震えるだけだが、俺が嬉しい時は喜びに震え、不安な時は不安げに震え、怒っているときは怒りに震える。
ただ、それだけ。
他に何もないなら、特別害もない。
いや、むしろ、俺の気持ちを唯一正確に理解してくれる存在だ。
いつの間にか俺は、このイヤホンを手放したくなくなっていた。
しかし、俺は大いに間違っていたようだ。
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――そして、その時はやってきた。
経緯はあまり覚えていない。
その日もいつも通りだった。
いつも通り会社に通い、いつも通り仕事をこなし、そしていつも通り――部長の『あれ』が来た。
そう、その日はきっと、イライラしていたんだと思う。
理由は覚えていない。
ただ、なんとなくイライラしていて。
そこでの部長。
部長は、いつもと対して変わらないことを言っていただろう。
だが、俺は何故かいつも以上に腹が立った。
でも、その場では抑えている事が出来たくらいだから、大したことはなかったはずだ。
そして俺は、いつも通り屋上に行った。
いつも通り――音楽を聞いていたのだ。
しかし、イヤホンは、いつも通りではなかった。
俺はそれに気付かずに、いつも通りに愚痴をこぼした。
一つ違ったとすれば……
「……死ねばいいのに」
……本気で、そう思ってしまった。
それが、俺の過ち。
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俺がそう呟いた瞬間、イヤホンは、今までにない震え方をした。
怒りでも、悲しみでも、不安でもない。
感じたのは………
純粋な、殺意。
――やばい。
とっさにそう思った。
俺は慌ててイヤホンを外した。
いつもはそれで、震えは止まっていたから。
だが、今回は違った。
耳から解放されたイヤホンは、ものすごいスピードで飛んで行ったのだ。
まるで、生き物のように。
イヤホンは、開けっ放しにしていたドアから屋上を出て行った。
――どうしようもなく、嫌な予感がした。
俺は走ってイヤホンを追いかけた。だが、追い付けるはずもない。
――どこに行った?
その答えは、すぐに出た。
「キャァァァァァ!!」
下の階から、沢山の悲鳴が聞こえた。
俺は、転がるように階段を駆け下りる。
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悲鳴の出所は、どうやら俺の仕事場のようだ。
部屋の中に居たであろう社員たちが、外から恐る恐る部屋を覗いていた。
俺は、彼らをかき分けて部屋に駆け込んだ。
その瞬間、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
「――……嘘だろ」
思わずそう呟いた。
そこにあったのは、
ぐったり倒れた部長と――
その首に巻き付いた、イヤホン。
俺は震える足で、部長とイヤホンに近付いた。
ゆっくりと、部長の首に手を伸ばし、
先にイヤホンに手が触れる。
イヤホンは、やはりピクリとも動かなかった。
続いて、部長の首に触れる。
こちらも、ピクリとも動かなかった。
――死んでる。
驚くほど冷静に、理解した。
そして、部長の首からイヤホンを外すと、それを持って部屋を出た。
誰も、話しかけてはこなかった。
それどころか、俺が歩いていくと、自然と遠ざかっていった。
ありがたい。
俺は歩いた。
向かった先は、屋上。
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イヤホンは、俺に音楽を聞かせていたんじゃなかった。
聞いていたんだ。
俺の、頭の中の声を。
これから、どうする?
部長を殺したイヤホンが俺の物だということは、どうせバレるだろう。
おそらく俺は、何らかの方法で部長を殺したとされ、捕まるに違いない。
さあ、どうする。
俺は、思った。
……もう、疲れた。
俺は、イヤホンを耳に着けると、一番好きな曲を流した。
これから、どうするか。
――お前なら、分かるよな?
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『……続いてのニュースです』
『今日の午後1時ごろ、都内の会社内で、社員二名がイヤホンで首を締められて死亡するという事件が起きました』
『他の社員の証言によると、イヤホンが突然飛んできてひとりでに被害者を絞め殺したとのことです』
『イヤホンは被害者の内の一人の所有物であり、被害者二人の間にはトラブルが生じていたことから、警察ではイヤホンの所有者が、何らかの方法でもう一人を殺害、その後に自殺したと見て捜査を進めています』
『続いてのニュースです…………』
――――END――――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
こちらの作品は、白井直生『一人連載会議』の参加作品となります。詳細はページ最上部(タイトルの上)の『一人連載会議』をクリックしていただければと思います。
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