気付いた時には~草食男子の理想~
「……ねぇ、旭ってさ好きな人……いる?」
「どうした唐突だな」
新年度がスタートしてから三日後のことだった。
吉野里桜は突然、恋バナを振ってきた。
今日も午前授業だった。だから里桜はまたいつものように俺の家に押しかけては、俺の部屋に勝手に入り込み、本棚から俺のライトノベルを勝手に手に取り、俺のベッドに勝手に寝っ転がりながら読みふけっている。
俺――吉野旭が隣で机に向かっているのにも関わらず、だ。
「好きな人なんかいねぇよ」
人が勉強している横で呑気に本を読みやがって……なんて本音を隠しつつ質問に素っ気なく応える。
「えー、いないのー? 華の高校二年生だよ? ……青春、したくない?」
本をパタッと閉じてから起き上がる里桜。
「うるせえ。こちとら化学のテスト勉強で必死なんだよ。化学基礎全て範囲なんだから」
それに対してこちらのノートを覗いてから、ニヒヒと意地悪い笑みを浮かべた。
「どうも。効率的な勉強ぶり、充実した新年度。ハイスペックJKです」
似合わぬ妖艶な声で告げながら、髪をかきあげる里桜。
「は?」
「せっかくの午前授業だったんだから遊ぼうよ!」
「いや無理だろこれ。まだリアカー無きK村だぞ」
「え? テストの直前までなんも復習してないから一夜漬け?」
ふっ、と鼻で笑ってから「ダメボーイ」と告げてくる。
「……喧嘩売ってる?」
イラッとした。青筋がピキッピキッとなっているかもしれない。そして年末年始をきっかけに大ヒットしたあのネタを即興で作り上げる、というハイスペックさを認めることしか出来ないことにさらにイラついた。思わず拳を握り締めてしまう。
とはいえ、付き合いも長いので心の底から沸々と怒りが湧いてきているわけでもない。
「べっつにー? 一回やってみたかっただけだよん☆」
「よかったー手を汚さずに済んで」
そういえば里桜ってこういうことする子だっけ? ふと疑問に思ったが、構わずに俺は復習を再開した。
里桜を認識するようになったのは、小学校三年生のクラス替えで同じクラスになったときである。今から八年前だ。
話すようになったきっかけは詳しく覚えてないが、おそらく苗字についてであろう。二人共に『吉野』と書くが俺は『きちの』と読み、彼女は『よしの』と読む。最初は出席番号順で座るから、その違いが浮き彫りになって興味を持ったのかもしれない。
その後、二人共に少年漫画が好きなことが判明した。互いに少ないお小遣いをやりくりして単行本を買っていたため、読んでみたい作品の半分すら読めていなかった。そこで貸し借りしあって、沢山読めるようにした。色んな作品に触れられるのはとても嬉しかったし、楽しかった。それについて語り合える友がいたのも嬉しかったし、話していて楽しかった。
だが、そんな日々はずっと幸せであったわけではない。陰が差したこともあった。
――震災だ。
都内ではあったが、里桜の住んでいたのは当時築四十年ほどのボロマンション。震度六弱の揺れには耐え切れず、一部が壊れた。さらに、ウチは室内も大変な目に遭ったようだ。彼女曰く、大きな食器棚が倒れてほとんどの食器が割れ、他の家具も倒れて壊れた。片付けようにも激しい余震のせいでそれどころではなかった。だから数日間は避難所で過ごしたそうだ。避難所には無論お風呂などなく里桜にとっては不快だった。
その後の区の調査によってマンションには赤紙が貼られた。それは『もしまたこれくらいの地震に遭ったら倒壊するだろう』ということを意味した。この追い討ちを受けて恐れ慄いた両親は引越しを決心。しかし、すぐに部屋は見つからずなかなか大変だったらしい。
このことが誰によって広められたのかは分からないが、いじめに近いものにあった。みんな十歳とはいえガキばかりだ。配慮の出来る子など少なかった。
そんななかでも俺は以前と変わらず漫画を貸した。以前と変わらず話をした。確かに臭ってないと否定はできなかった。でも風呂に入れていないのは彼女のせいではないのに、何故苛められるのか甚だ疑問だった。そんな同級生たちには嫌悪感を抱いた。
その後無事引っ越せた新居はなんと俺の住むマンションであった。これを機にさらに仲を深めた気がする。もとから性別の違いをあまり気にしていなかったが、この頃から全く気にしなくなった。
しかし、中学に上がると里桜は女子力云々、女子の裏社会が云々を気にするようになった。漫画は俺の家に遊びに来たときにしか読まなくなった。けれども、俺がラノベに夢中になり始めると彼女も同じように読むようになった。
そんなこんなで今の関係は築き上げられた。
「ふう」
およそ一時間後、キリのよいところまで終わって、ペンを置いた。
それに気付いた里桜はパタンと本を閉じて視線を上げた。
「どんな感じ?」
「とりあえずキリのいいところまでは終わったかな」
「お、じゃあちょっと休憩入れますか」
何故かほんの少し声が震えていた気がした。けれども理由が全く想像つかなかったので、俺が疲れているのだと結論付けた。
「ああ、そうするよ」
「……で、さ。さっきも訊いたけどホントに好きな人いないの……?」
「いないって。急にどうしたん?」
「いや、そういえば今まで恋バナとかしたことないなーって」
「……確かに。話すこと基本漫画かラノベについてだったな」
「でしょでしょ。だからしてみたいなー……なんつって」
里桜はほんの少し顔を赤らめていた。まあ普通しよう、って誘ってからするものでもなさそうだし。
「そっか。でも俺経験ないからなぁ」
「と、いうと?」
「告白とかちょっと無理なんだよ」
「お? まさかの草食宣言?」
「否めない感はある……」
「うむ潔いのはよろしい」
「どうした急に」
「い、いやー? ーーで、でさ! どういう恋が理想なのかな!?」
「理想? 恥ずかしい話題だな。……なんて言えばいいんだろう。……気付いた時にはそういう感じになってた、的な? 互いにそういう相手として見ていなかったけどふとした瞬間に、互いに好きだと自覚してそのままくっつく……みたいな? まあ、そんな都合の良いことなんてあるわけないけどな」
「ーーそれって!」
ビュンと前のめりで顔を寄せる。吐息がかかりそうな距離に思わず胸が昂る。心臓はタカが外れたらしくバックンバックンと暴走し、頭だけサウナに突っ込んだかのように顔が熱い。
光に照らされた黒曜石が反射するように里桜の瞳は輝いていた。
「な……何?」
「え、えーとぉ……旭の理想の相手って…………どこかで見たことなーい?」
「……へ? いや、だからそんな都合の良いことなんて起こるわけないだろ。ラブコメ漫画じゃあるまいし」
「いいからちょっと考えてみてよ。身近にいない?」
「小さな頃から仲良しでーー例えば漫画の貸し借りをしていてーー家にも平気で上がるような女の子。おまけに家もすぐ近く」
「何そのラブコメの幼馴染み」
「またまた〜! 本当は勘づいているでしょ?」
はたして何故鉄板のラブコメの話を始めたのか、甚だ疑問だ。
意味が分からずに首を傾げて眉をひそめていると、里桜は溜息をついた。
「……このラノベ主人公め。いい? 言っちゃうよ?」
ジト目で睨んでから、もったいぶるように、俺が何かに気付くことを期待しているかのような声音で尋ねる。
「なんだよ、もったいぶるなよ。気になるじゃん」
分からないものは分からないので正直に応えるのが道理であろう。
「……じゃ、じゃあ…………言うよ?」
上擦っているのにどこか甘い響きのある声で宣言する。それからさっと下を向いた。いつもは髪の毛で隠れている耳までが真っ赤に染まっていた。
「……お、おう」
そんな雰囲気に流されてこっちまでなんだか緊張してきてしまった。
「……ぁ」
「ん?」
「あーもういざ伝えるとなるとチョーハズイ!! さっきまでヘーキだったのにぃ!!」
突然天を仰いだ。目は「×」のようだ。
「……な、なんだよ……こっちまで恥ずかしくなってきたんだけど」
「待ってね……」
里桜は鼓動を抑え込むように胸に手を当て、スーハー、スーハーと何度も何度も深呼吸を繰り返した。
「よ、よよよよし。いいい言うからねっ」
「は、はいっ」
「旭の理想……私で、叶ってる……じっくりと……比べてみて」
「ん……うん」
……………………確かに俺は……里桜を異性として意識してなかったけど……。そう思って改めて里桜の顔を覗く。
……ってあれ、コイツこんなに可愛かったっけ? こんなにも女性らしい身体つきだったっけ? 記憶の中での彼女はもう少し丸みを帯びていたはずだが、気づかぬ間に肢体は美しい曲線を描いていた。
それにいつもとは違うしおらしい感じは何だか新鮮というか……ぎゅっと心を掴まれた気分になる。
……ドク、ドク、ドク、ドクドクドクドクドクドクドクドクドクドックンドックンドックンバックンバックンバックンバックンバックンバックンバクバクバクバクバクバクバクバクーーーー!
なに、これ……。エンジンをつけた車のように身体は徐々に熱を帯び、気付けば心臓は猛スピードで脈動していた。
「…………どう、かな……?」
「で、でも……里桜は俺のことなんーー」
「ーー……ちゅ……ん……」
唇が柔らかくて湿った何かに覆われた。それが里桜の唇だなんてすぐに認知できなかった。
たっぷり三秒間重ねてから、ぷはっと離れる里桜。
「へへ…………しちゃった……」
「…………ぇ」
突然のことに俺はマネキンのように固まることしかできなかった。声にならぬ声をかろうじて漏らすことで精一杯だった。
「……好き、……だよ」
「ぇ……ぃ、いつから……?」
「……震災のあと……くらい、かな……」
「え……ということは」
「およそ六年間片思い中でしたー……へへ…………なんて」
「マジか……」
「…………私じゃ、ダメ……?」
「……ダメじゃ……ない、です。でも……なん、で……?」
「自分で言うのもアレだけど……私……いじめられてた、じゃん。覚えて……ない?」
「覚えてる」
「……旭だけ、だったの」
「……俺だけ?」
「いつも通りに……接してくれたのは。……私、嬉しくてさ……それが、いつの間にかに……」
「……そっか」
「……うん。で、さ……。その……」
「宜しくお願いします」
「……へ!? い、いい、の……?」
「……ああ」
どこからともなく、自然と唇を重ね合うのであったーー。