女子だけが甘いもの好きな訳じゃない!(下)
「えっ……まだ出来ていない!?」
「そうだよ」
ようやく着いた山小屋で、忙しそうに立ち働く奥方が、こちらを見もせずに答えた。
驚愕に震える私の姿は、奥方の目にはさして重要なものとも思えないらしい。
『精霊の雫』を手に入れる為に、ここまで死ぬような思いで登ってきたというのに、その努力の全てが無駄になりそうな予感(と、単純な酸欠)で目の前が暗くなる。
「うわ!? あぶねーな、もう! だから体力ねーヤツが無理すんなってのに」
ふらりと倒れかけた私を、隣でぼんやり外を見ていた傭兵のベルクが、慌てて支えた。
「……これは、あくまで絶望で目の前が暗くなっただけで……」
「ふらふらしてんだから、黙ってろ」
「これが黙っていられるか……!」
「何で黙ってられねーのか分かんねぇよ!」
言い争う我々の様子を無視して、奥方は瓶を持って走り回りながら、勝手に状況説明をしている。
「あのさ、『精霊の雫』ってのはね、『精霊の樹』の樹液を凝縮したものなんだ。毎年このくらいの時期から『精霊の樹』は樹液を流し始める。だけど、今年はちょっと始まりが遅くてねぇ。やきもきしてたら一昨日ぐらいからようやく始まって、遅くなった分たっぷり流れ始めた。だから今は原料の回収で大わらわなのさ」
「……あの、そういうことなら、その回収中の原料とやらを凝縮すれば――」
「そりゃ、そうすればすぐにでも『精霊の雫』は出来上がるけどね。凝縮って一口に言うが、集まったものをじっくり煮詰めるんだよ。大鍋の横に誰かついて見てなきゃ、すぐに焦げ上がっちまう。煮詰める方に今は人手は割けないよ。まあ、もう1ヶ月もすりゃ、完成品を売ってやるからさ、それまで待ちな」
……1ヶ月。
呆然としている私の脇腹を、横からベルクがつついてきた。
「ひゃんっ!? わ、脇腹は止めろ! そこは弱い!」
「や、あんたの弱点とかどうでも良いから。どうすんだ、帰るか? それともここで待つか? おれはまあどっちにしろ行き来の護衛って任務は果たす訳だから、雇い賃は満額貰うぞ……つっても、お偉い神官さま方はこういう場合、目的を果たせてないとか言って値切ってくるのがセオリーだけどな」
皮肉に笑っているが、その言い方で、何度も同様の理不尽にあってきたことが推測される。
馬鹿な。私が一度交わした契約を違えるなどと、卑怯な真似をするものか。
しかし、確かにこのまますごすごと帰る訳にもいかない。
しばし考えた後、私は山小屋の中、瓶を抱えて動き回る奥方に声をかけた。
「奥方! それでは、その煮詰める作業――我々がやるならば、良いだろうか?」
「え? 自分でかい?」
「神官さま、意外と肉体派じゃねぇか。われわ……いや、待て。あんた、しれっとおれを巻き込もうとしてないか?」
「付き合ってくれるなら元の額の1.5倍出そう」
「のった」
賃金交渉中の私達の会話を聞いて、奥方はようやく動くのを止め、私達をじろじろと見た。
「……あんたがたね、煮詰めるっても結構な量をぐつぐつ煮続けなきゃいけないから、大変な重労働だよ? 焦がさないように途中で気も抜けないし。それでも大丈夫なのかい?」
あれやこれやの記憶が脳裏に浮かんで、しばし躊躇したが――背に腹はかえられない。
「――大丈夫だ。こう見えても私は、将来は調理師になろうと思っていたことがある!」
胸を張って答えた瞬間に、隣のベルクが大きなため息をついた。
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「と、いうような様々な冒険を乗り越えて、出来上がったのがこの料理です!」
「一週間ぶりに顔を出したと思ったら、何やってたの、あんた……」
呆れたような声にもめげず、タクトの前に煮豆を差し出す。
出された器を受け取ったタクトは、器の前でひくひくと鼻を動かした。
「何かこんがり――を越えて、炭のような匂いが……」
「いやあのそれは……はい、あの……ちょっと……」
「結局焦がしたんだな?」
「……はい。ですが、『精霊の雫』を焦がしたのではありませんよ。豆を煮込む時に焦がしたのです」
『精霊の雫』を作るときには失敗はなかった。
煮詰めている私の横でベルクが「ああ、火が強い!」「馬鹿、吹きこぼれるぞ!?」「いい加減にしろ、ちょっと貸せ」……などと声をかけ続けてくれた為に、焦がさずに済んだのだ。――が、この話はタクトには内緒にしておきたい。
いわんや、鍋の前に立っていた時間を総計すると、どう考えてもこれはベルクが作った『精霊の雫』なのではあるまいか、というような事実など、なおのこと。
しかしタクトが気にしているのは、そういうことではないらしい。
「結局、焦がしたんだな?」
「……ツィーゲは頑張ってくれたのですよ?」
「つぃーげ? ……いや、それは良いけど、あんたが焦がしたんだろ?」
「ツィーゲは王宮の調理師長です。火加減を変えるなと言われていたのですが、あの……えっと、火力が足りないような気がしたのです……」
結果としては、ツィーゲが見ていない隙に火力を上げたことが原因で、煮豆を焦がしてしまったのだった。
ちょっと火加減を間違えるだけで、あっという間に黒くなってしまったので、煮豆恐るべし。
「何であんた、チーフシェフの言うこと聞かないの」
「……全然ぐつぐつしてるように見えなかったもので……」
「何であんた、いつもそんな人の話聞かないの」
「……自分でやってみなきゃ分からないお年頃なのです……」
「何であんた、涙目でうつむいてるとちょっと可愛いの」
「その言葉は余計だ!」
だん、と足を踏み鳴らして、タクトに迫った。
「とにかく食べてみてください! きっと美味しいですよ」
「きっと?」
「味見してないから分かりません!」
「しろよ」
どうやら私の一言で、完全に食べる気が失せたらしい。
タクトは真っ黒な煮豆を卓の上に戻すと、そのままベッドに転がった。
「大体さぁ……俺、甘いのそんな得意じゃない」
「え!?」
「こないだ言ったじゃん。あの甘いポリッジ苦手だって。基本的に甘いやつはたくさん食べられないんだよな」
「そんな……」
せっかく頑張って採ってきたのに、全部無駄だったのだろうか。
悄然と煮豆を手にとって、器ごと胸に掻き抱く。
「……煮豆」
「それ、もう炭だよ、明らかに」
「いえ、これは煮豆です。『こく』です」
「こく? ……いや、とにかく炭化してるから。どうしてもって言うなら自分で食べれば」
「ごめんなさい、炭です」
「もっと早く認めろ」
やはり、私には調理の才能はないらしい。
折角、農家の方々が一年かけて一生懸命に作った豆を、ただの炭にしてしまった。
器を覗き込んでいると、ぽつり、と煮豆――改め炭に、透明な雫が落ちた。
ベッドに寝転がって天井を見上げていたタクトが、はあ、と大きなため息をつく。
「……何で泣くかな。そんなに俺が食べないのが気に食わない?」
「泣いてません……」
「じゃあ、何だよ」
「自分が情けないのです。ひとりぼっちで無聊をかこつあなたの為に何かしてあげたいのに、知識と神術については天才的なこの私でさえ、ソレ以外には不器用過ぎて何もしてあげられない……」
最後の方はうまく言葉にならなくて、ぐじゅぐじゅと鼻を啜ってごまかす。
タクトは再びため息をつくと、寝返りをうって私に背中を向けた。
「ひとりぼっちで無聊をかこってるって分かってるなら、元の世界に戻してよね……」
「……戻りたいのですか?」
私の問う声を聞いて、タクトの背中に力がこもった。
今まで、タクトはそんなこと一言も言ってなかった。
しかし――良く考えてみれば、そんな風に思うものなのかも知れない。
突然、異世界に召喚されて、今までの自分の周囲と完全に切り離される、なんてことになってしまうとしたら。
私の質問に対して、何か――怒りとか、叫びとかそういう言葉が返ってくるかと身構えたが、結局は何の答えもタクトからは発せられなかった。
タクトは、元の世界に戻りたい、のだろうか?
それとも――
黙り込んだまま、もぞもぞとシーツの中に潜っていったタクトは、そのままシーツ越しにくぐもった声をあげる。
「……とにかくさ。あんたが顔を出さないと、この部屋、本当に俺1人になっちゃうから、勘弁してよね」
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折角の努力が無駄になるのは悔しかったので、翌日からタクトの昼餐の麦餅のお供に、『精霊の雫』を並べることにした。
タクトは毎回「甘いの苦手なんだってば」と言いながら、週に1回くらいは麦餅に『精霊の雫』をつけて食べてくれている。
初めて食べた瞬間に、「あ、俺『精霊の雫』の甘味は割と大丈夫かも……」とか言ってたので、比較的気に入ってはくれたらしい。
ただ、自分よりも傭兵のベルクの方が火加減が上手であった、という事実に少し落ち込みそうになった私の話は、完全に蛇足であるように思うので、この辺りで口をつぐむことにしたい。