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女子だけが甘いもの好きな訳じゃない!(中)

「……えっと、上位神官さま。本当にまだ大丈夫ですかい?」


 街で護衛に雇った傭兵のベルクが、振り向きざまに尋ねてきた。無骨な剣を肩に担いでいるが、その足取りは軽い。生い茂った草を砂利と一緒にさくさくと踏みつけて、私の先を歩いている。

 尋ねられた言葉に何とか応えようと、私は口を開いた。


「……はぁ、あ、はぁ……うぇ」


 息が乱れてまともな返事はできなかったが、必死に首を振ったことで、とにかく私の不退転の意思は伝わったようだ。

 頷いたベルクは息を吐いて、再び頂上を目指して歩き始めた。


「全く。強情な神官さまだ……」


 呆れたような声が、その広い背中越しに聞こえてきたが、これに答える必要はないだろう。

 私はけして、こんなところで諦める訳には行かないのだ。

 ――この山の峰のみで採れるという高級食材、『精霊の雫』を買い求める為に。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



 タクトのために「こく」のある食事を用意しようと考えた私は、まず「こく」とは何かを解明しようとした。

 しかし、翻訳ブレスレットによって翻訳されないということは、つまりこの世界にはそれに値する概念がない、ということである。

 いや、正しくは私の頭の中にそれにたぐいする概念がない、ということなのだが、私のこの古今東西の知識を詰め込んだ頭にないものはこの世界にもないと言っても良いと思うのだ。


 概念がないものを見つけることは出来ない。

 見つけることが出来ないものをどうすれば良いか。


 勿論、私のこの天才的な頭脳は、たった1つの回答をあっという間に叩き出していた。

 つまり――ないものは、作れば良い!

 「こく」の定義を、今日この時、私がこの世界に作れば良いのだ!


 そこで私は、タクトの食事に足りないもの、をヒントに、「こく」を定義することにした。

 しかし、いくら天才的な記憶力を有する私とは言え、調理や食についての専門家ではない。

 1人で回答を出すよりもその道のプロに助言を求めたいと思い、王宮の調理師長チーフシェフツィーゲのところへ相談に行くことにした。

 ツィーゲはヤギっぽい白いヒゲの生えた初老の男だが、長く王宮の食卓を支えてきた功労者である。

 彼と一緒ならば、きっと「こく」を作ることが出来るに違いない!


 昼餐後のまったりタイム。

 戦場を駆け抜けた後の昼下がりの厨房。

 私が入室すると、たった1人、まだ厨房に詰めていたツィーゲが嬉しそうに振り向いた。


「これは……ルイーネ上位神官さま、お久しぶりですな。どうされましたか?」

「うん。あなたの仕事を邪魔するつもりで来てる訳ではないので、手を止めぬままで。どうか、相談に乗ってほしいのだ」


 この時間を狙ってきたのだが、調理師長チーフシェフはいつだって忙しいことを、私は知っている。

 ツィーゲは今、晩餐の下準備なのだろう、何やら見たこともない食材を水に漬け戻していた。


「幼い頃は毎日のように顔を見せて下さって、『わたしもつぃーげのようにほうちょうをつかいたい!』とワガママをおっしゃっていたものですが……最近は私の後を継いで、調理師長チーフシェフになる夢は諦めたのですかな」

「もう私はそんな子どもではない! 今の私にはもっと大事な使命があるのだ!」

「ほう、それはそれは。今度は何にお成りかな。お医者さまか冒険者か、洗濯女、女官長、それとも兵士か王さまか……」


 ツィーゲは笑顔でひげを撫でた。

 何だか良いようにあしらわれている風もあるが、どの職も確かに私が口に出したものと記憶にある。幼い頃は色々と好奇心が旺盛だったのだ。

 勿論、今はそのどれでもない、勇者さまの旅の随員としての職務を果たそうと心より思っているが。ちょっとだけ、本当はまだ調理師長チーフシェフになりたい気持ちがあるというのは、内緒だ。


 勇者さまの召喚という国家の大事を、ツィーゲに話しても良いものか、私には判断出来なかったので、ひとまずは何も答えなかった。

 ツィーゲのしわしわの手が、私に向けて厨房の隅のいつもの椅子を指す。


「まあ、お座り下され、ルイーネ上位神官さま。これは残り物を集めて私のおやつにしようと思っておったものですが……よろしければ召し上がれ」


 差し出されたのは、カップに入った豆の煮物だ。

 鼻先に漂うほのかな湯気が、作りたてであることを教えてくれる。


「しかし、ツィーゲのおやつがなくなってしまう」

「よろしいのですよ。成長期のルイーネさまが召し上がった方が良い。余り物で申し訳ないが」

「余り物など、そんなことは……では、ありがたく頂く」


 匙をとって一口入れたところで、その濃厚な甘さにびっくりした。


「……こ、これは……!?」

「昼餐の残りの豆を、容器の底に残った『精霊の雫』と絡めて煮込んだものですなぁ」

「――『精霊の雫』!」


 その名を知らぬ者はない甘味の女王、高級食材だ。

 私は、あくまで優雅に、しかし息接ぐ間もなく匙を掬っては豆を口に運んだ。

 まったりとして独特の香ばしさを湛えた『精霊の雫』の甘味が、豆のもっさりとした感触をうまく包み込み、しっとりととろけるような舌触りを加えている。

 ――端的に言って、美味しい。


「これだ!」


 感激のあまり、私は煮豆を掴んだまま、椅子から立ち上がった。

 ――「こく」とは、まったりとした甘味のことである!

 きっとそうだ。だってコレ美味しいから!


「ツィーゲ、これの作り方を私に教えてくれ!」

「え? これ……この、適当に作ったおやつですかな?」

「これの名前は『こく』だ、今決めた! これを食べさせたい人がいるんだ!」

「『こく』? いや、料理の名前は何でも構わんが、しかし――」


 ツィーゲはしばらく首をひねると、申し訳なさそうにつぶやいた。


「教えるのは良いのですがね、『精霊の雫』はこの時期、品薄になることが年によってはあってですな。今年もそうなのですよ。今ルイーネさまが召し上がったもので、この王宮内の『精霊の雫』も底をつきました。次に入荷するまでには、まだ少し時間がかかるだろうなぁ……」


 ――まさかの材料切れ!


「品薄とは、何故だ!?」

「はあ、元々採れる量も少ないのですが、1年の内で、採れる時期が決まっているとか聞きます。毎年、春先のこの時期にしか採れぬと。しかし、今年はちょっと遅いようで、まだ入荷しておらんのです」

「――では、その産地に行けば、もう採取出来ているかも知れないな!」


 ……と、いうことで、冒頭へ戻る。



●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●



「あんた、やっぱ徒歩で向かうのは諦めたほうが良いんじゃないか? ここはそんな物凄い秘境って訳でもねぇからさ。馬は無理かも知れんが、麓で人夫を雇えば輿で運んでくれるぜ」

「……そうは、いかない。私は、自分で材料を……集めねばならんのだ」


 一休みの途中、ぐったりと地面に座り込む私を見て、蒸留酒を煽りながらベルクは本日何度目かの忠告を口にした。

 私の体力が心許ないからこその忠告だとは理解している。腹が立ったりはしない。腹を立てた分、体力がますます失われることなど、さっきまでに何度もベルクと繰り返した言い合いで、もう分かりきってるのだ。

 体力ないと言われると、何だか自分のプライドをちくちくされるように感じて……ちょっと切ないものがあるのだ。


 プライドの問題もあるが、それ以上に、簡単に「では輿を使おう」とは頷き返せない事情もある。

 何故ならば――タクトの為に何かをするのは、私でなければいけないから。

 勇者さまの為ではない、ただのタクトの為に働くのは、今、私だけだから。


 あ、調理師長チーフシェフのツィーゲや傭兵のベルクが働いてくれてるのは、私のためだから、それは別に良い(ということにした)。

 いや、むしろそれくらいは認めて貰わないと――私がたった1人で料理したりしたら、焦がすか燃やすか炭化させるしかないぞ!

 調理に関する才能のなさは、成長の過程でイヤと言う程学んだのだ。

 何度、ツィーゲに「最初は味見しながら調味料を足すのですよ」「火力は強ければ強い方が良いというものではないのですよ」と諭されたことか。


 ふと、それなら「私のために」輿を借りるのもアリなんじゃないのか、という思いが一瞬頭をぎったが、過ぎったものをしっかりと見つめるのは止めた。

 もう頂上はすぐそこだ。

 今になって、もっと良い方法があったなどとは知りたくない。

 ここまでの苦労が無駄足とか、絶望だけで死ねる。


 私は、頭の中に浮かんだ考えを追い払うように、頂上を見つめて自分の使命に思いを馳せた。


 ――そう、私には使命がある。

 何としても、タクトに『こく』を与え、失った食の喜びを思い出させて見せるという、何よりも大切な使命が――!


 お前さんの使命は本当にそれなのか、という、リヒト上級神官の声が空耳のように掠めた気がしたが――これにも私は、あえての無視を貫いた。

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