「ご趣味は?」と聞かれたら、大概は「読書です」と答えることにしてる
「つまり、そういうことですか、タクト」
じっと見つめると、寝台の上のタクトはそっと眼を逸らした。
私は寝台の横にしゃがみ込んで、更に見つめ続ける。
「必要なのは報酬、そう仰りたいのですか?」
「……今日は、昨日のドレス姿じゃないんだ?」
「その話を蒸し返すな!」
ばふ、と手近のクッションをぶん殴った。
タクトは一瞬だけそちらを見て眼を丸くしたけど、すぐにまた、ふぃと視線を逸らす。
「……じゃあ聞くけど。あんたならどう思う?」
「どう思う、とは?」
「目が覚めたら知らない場所にいて」
「はい」
「知らないおっさん達に囲まれてる」
「ちょっと怖い」
「何言ってるか全然わかんないし」
「怖い」
「こっちのテンション関わらず、向こうは大興奮」
「すごく怖い!」
私の反応に気を良くしたのか、満足げに頷いたタクトは、そのままシーツの中に潜り込んだ。
またこちらを無視して午睡をとるのかと思ったが、その状態で話を続けている。
「落ち着いて色々聞いてみれば、まあ……これって学校に行かなくても良いってことかって、ちょっと嬉しくなったけど」
「がっこう?」
この世界にない概念なので、翻訳ブレスレットではうまく通訳出来ないようだ。
「だけど、ここにはマンガもアニメもゲームもないし」
「絵物語、紙人形芝居は分かるとして……げえむ?」
「今週の『チャンプ』読みたかった……アニメだって、『松の巣三角』も気になってたし……」
「ちゃんぷ? まつのす?」
良く分からないが、良く分からないなりに頷きながら聞いておく。
「こんな世界で、金あってどうすんの? 俺、何買えば良いの?」
「……報酬を貰ったとしても、欲しいものがないということか?」
「あると思う?」
尋ね返されたが、良く分からない。
衣食住を満たすことは、世の人々に共通した望みではないのか。
「裕福な人々がしていることと言えば……綺麗な服を着たり」
「現状で満足してる」
「美味しい食事をとったり」
「今だって悪くない」
「立派な家を建てたり」
「これ以上ない程立派な建物の中にいるんだけど」
……なるほど。
王宮の一室に間借りしている今の状況で、十分であると言いたい訳か。
「つまり、俺に不足してるのは娯楽なんだよ、娯楽」
「娯楽ですか」
「遊戯、趣味、楽しいこと、レクリエィション。そういうものがこの世界にはない」
この世界に存在しないものは買えない。
財産を貰っても使うアテがない。だから金はいらない、と。
「……じゃあ、褒美いらないじゃないですか」
「いらないよ。だから毎日ごろごろしてる」
はた、と気付いた。
「ってことは、買い求めたい気持ちになるような娯楽があれば、褒美を受け取ってもらえる訳ですね!」
「……ん? まあ、そうとも言えるかな……」
微妙な顔つきのタクトを置いて、私は立ち上がる。
「分かりました! 首を洗って待ってて下さい!」
「それ前回も聞いたけど」
「改めて言いましょう! 首を洗って待ってろ!」
「毎度、あんたの言い草は丁寧なのか馬鹿にしてるのか分からない」
「基本、私のスタンスは上からです。エリートですから」
「言い切ったか……」
踵を返して部屋を出る私の背中に、「ちょっとだけ期待してる」と小さな声がかかった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「――と、いうことで、用意しました」
「結構時間かかったね」
タクトの部屋を退出してから一週間。
そもそも娯楽するという概念のない私は、事前調査から始めざるを得ない。
市井の人々から娯楽について聞き取り調査したのだが、その結果、1つの結論に達した。
「よろしいですか、タクト。娯楽とは趣味に耽けること、趣味とは……人によって異なるものです!」
「そんな当然のことを決め顔で言われても」
「100人いれば100通りの趣味があるかも知れない。しかしたくさんの趣味を集めれば、タクト、あなたにだって気に入るものがきっとあるはず!」
「……まあ、あるかもね」
今一つノリが良くないようにも感じるが、タクトの視線が私の背後にある『娯楽』をちらちらと見ていることは確かだ。
『視線は1つの言語である』とはエルフェンバイン王国内で良く言われる諺だ。
ここは古くからの知恵を信じ、腹を決めるとしよう。
「……えっと。今日はまず1つ。あなたも言っていた『紙人形芝居』から」
「アニメ!?」
早速ベッドから身を乗り出してくる反応の早さだ。中々滑り出しが良い。
私は気を良くして、背後に置いてあった芝居用の台をいそいそと引っ張って、タクトの正面にセッティングした。
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「ごごーん、ごごーん! どーん、がらがらがらっ! わー、やられたーっ!」
「…………」
「ならばこちらは、満を持して伝説の勇者の登場だ! きゃーっかっこいーっ!」
「…………」
「勇者は伝説の武器である超究極殺戮剣ムラサメを取り出した!」
「…………」
「ばーん、どぅしゃっ! わー、死んだー!」
「…………」
「よーし、ではこちらは魔王最終奥義、暗黒龍蒼炎だ!」
「………………」
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「――そしてついに、世界に平和を取り戻した勇者は大海の藻屑と消えたのだった。おしまい」
「なんて不穏なエンディング」
「ふぅ……。どうでしたか? 楽しめましたか? また見たくなりましたか?」
「何と言うか……小学生のヒーローごっこを見てるような気分だった」
「しょうがくせい?」
良く分からない単語は、翻訳ブレスレットが上手く働いていないのだろう。
「あー……説明面倒だからスルーして。そんなことより、今のってどういう演目なの?」
「世に広く知られている500年前の勇者の世界救済譚に、私なりの改良を加えたものです」
「改良」
「改良です」
頷く私を、タクトがそこはかとなく憐れみを含んだ視線で見ているような気がしたが……憐れまれる理由が全く分からないので、無視した。
「超究極殺戮剣ムラサメ」
「そのくだりは私の改良部分で。元より壮大で感動的な物語なのですが、今日の為に、昨日深夜まで読み返していたところ、クライマックスでのカタルシスが少し足りないような気がしてきたので」
「暗黒龍蒼炎」
「1回聞いただけで良く覚えてますね。味方と同じく敵も強大な方が良いと思いまして……私の改良部分です」
「魔王最終奥義、何個あった?」
「12個ありますよ、私の改良部分ですが。試練とは繰り返し訪れるものなのです」
「……勇者超合体ってのは?」
「改良部分です。仲間との友情が主人公に力を与える展開って、やっぱり熱いですよね」
「魔王5段変形……」
「私の改良を随分と気に入って下さったようですね」
「呆れてんだよ!」
タクトがベッドを降り、私の方に近付いてきた。
興奮した表情で、肩を掴んでくる。おお、立った。勇者が立った。
「今すぐこの元ネタの英雄譚を教えろ!」
「やっぱり気に入ったんじゃないですか」
「気になるんだよ!」
「まあ良いですけど……そう仰ることもあるかと思って、持ってきてます。こちらがその世界救済譚です」
「あんたの背後の山、羊皮紙ってヤツか。だけど、こっちの世界の文字なんて、俺読めないからなぁ……」
どうしよう、なんて言いながら、悩む勇者の姿を見て――何だか昔のことを思い出した。
そう、私にだってあったのだ。
この莫大な羊皮紙に書き記された勇者の生涯に胸を躍らせ、彼の活躍を必死で追った幼き頃が。
「タクト……。あなたがお読みになりたいと言うのであれば、文字くらい私がお教えしますよ」
興味ありげにこちらを見る黒い瞳に、ふと自分の頬が緩むのを感じた。
ここのところ、昼は公務、夜は神官としての学びに時間を割いていて、物語を楽しむことなどすっかり忘れていた。
タクトを外に出す為に始めたことだったが……自分にとっても有意義な時間だったのかもしれない。
「……まあ、あんたの無茶苦茶な改変の、元ネタ確認しときたいし……教えてくれるってなら、文字くらいは覚えてやっても良いかも……」
私から視線を逸してぶつぶつと呟くタクトに、そっと頷き返す。
「ええ。そうすれば、500年前とは違い、勇者さまご本人の道中の手記を残せるかもしれません」
困難を乗り越えた者の言葉は尊い。
文章の上手い下手などとは無関係に、それはきっと価値のある記録となるだろう。
私の言葉を聞いたタクトは、少しばかり驚いたように、羊皮紙を一束手に取った。
「ってことは……これ、筆者は勇者じゃないのか。じゃあ、吟遊詩人とかそういうヤツが書いたの?」
「いえ、同行した神官が記録係の役も果たすのです。つまり、あなたの場合は私が――」
言い掛けた途端に、みるみるタクトの表情が曇る。
「俺、やっぱ旅になんか出ない……」
「――何故!?」
あれ!? 何か良い方向にいってたような気がしたのに!?
「勇者さまっ!」
「俺の物語とか、絶対いらないから」
「待って下さい! 既に出だしは決まっているのです。『今宵、この深い闇から生まれた貴公子タクトが、愚かな民のあまた巣食うエルフェンバイン王国へ、堕天使の如く舞い降りた――』」
「絶対いらないからな! それじゃどっちが魔王か分かんねぇよ!」
何故だ!?
私に任せて下されば、素晴らしく感動的で教訓の多い英雄譚を、必ずや記録として残すものを!
私の混乱とは無関係に、今日もタクトはもぞもぞとシーツの中に戻っていくのだった。