なるほど、そういう手もあったか――って、ないよ!
「……と、いう状況です」
さすがに一週間も勇者の対応に変化がないからには、一度は報告せねばならない。
嫌々ながら、リヒト上級神官に報告に上がった。
何を言われるかと恐れる気持ちはあったが、向こうは向こうで連日続いていた私の暗い声と表情で、まあ大体察してはいてくれたらしい。
「あー……だよなぁ。ま、上も時間かかることは分かってるから、急いじゃねぇよ」
「もういっそ、力づくで放り出した方が早いかもしれません……」
自分の無力さを情けなく思いつつ呟いたが、彼は困ったように苦笑を返してきた。
「お前さん、勇者さまに正面から向かってって、勝てると思うか? 力づくで」
「伝承の通りなら無理でしょうが……まだタクトは自分の力を理解していないかも」
「あ、まだ無言の魔力圧迫浴びてないんだ」
「浴びました……」
泣きそうになりました、とは言わなかった。
「だろ? それに、本人やる気ないまま叩き出して、どっかで野垂れ死なれたらどうすんのよ。お前さん、代わりに1人で魔王退治に向かってくれるの?」
魔王退治の旅に同行するのは良いが、1人で行くのは嫌だ。
それじゃ自殺行為じゃないか。
「ま、だからそんなに急がなくて良いさ」
「……とは仰っても。現実的に魔王は既に復活している訳ですから」
急がざるを得ないだろう。
リヒト上級神官は今日も例によってほわほわした髪を振って、そっぽを向いた。
「や、魔王が復活してるのは確かなんだけどさ……今んとこ動きはねぇんだ」
「動きはない?」
「ない」
「あの……兵を集めたりとか戦争の準備を」
「ない」
「魔物達の活動が活発になったり」
「ない」
「近隣の村が襲われ」
「ないってば」
……ないのかよ。
だからこそ、こちら側も勇者が自分から部屋を出てくるのを待てるのか。
それにしても、復活だけ果たして何も動かないとは、魔王の方も何を考えているんだか。
不思議に思って見やったところで、リヒト上級神官がわざとらしく頬を赤らめながら眼を逸らした。
「お前――そんな可愛い顔して見つめてくんなよ。惚れちまうじゃねぇか」
「国へ帰れ」
「……ってのは冗談だけど。まあ、丁度良く向こうからその話が出たなら、そういう方法もアリじゃね?」
「そういう方法?」
神妙な顔で頷く彼の手には、何やら白いレースのひらひらした塊が乗っかっていた。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「…………」
「…………」
ベッドに座ってこちらを見ているタクトの視線が痛い。
無言が辛い。
白いレースとフリルに包まれた身体が重い。
「……あの、ルイーネ……?」
「……何も言うな」
やっぱアレだ。こんなの無意味だ。
リヒト上級神官は、何か勘違いをしている――!
「その……可愛いよ?」
「下手なお世辞止めろぉっ!」
蹴りを食らわせようと足を上げたところで、スカートにたっぷりと縫い付けられたレースに絡まって、バランスを崩した。
そのままコケそうになったところを、ベッドから飛び出たタクトが両腕で軽々と支える。
それ自体はありがたいと言っても良いが、何故か丁度胸元に当たった手をわきわき動かしていた。
「……あ、胸はないんだ」
「ないって言ってるだろぉ、もうっ!」
今どんな気持ち? 今どんな気持ち?
泣きそうな気持ちだよ、くそ!
白い長手袋を嵌めた両手を振って、タクトの腕を払う。
「私は! ルイーネ上位神官、性別は男性!」
「はい?」
「今年で15の年を迎え、ここまで順風満帆にエリート街道を歩んできたっ!」
「はい」
「なのに何で今になって、こんな格好をせにゃならんのだっ!?」
「俺に聞くなよ」
「あああああああっ!」
頭を抱えて身悶えすると、全身に施された装飾のフリルが一緒に揺れた。
がんがんと足を踏み鳴らして見たが、どうにもすっきりしない。
全てはアレだ。リヒト上級神官の思いつきのせいだ。
こんな……妹の為に買ったドレスだけど、送り返されたから丁度良い、お前が着ろなんて……!
リヒト上級神官の妹君が受取を拒否した理由が手に取るように分かる。センスが悪いんだ、あのクソ上司は!
レースが多いのはその分高価なのだろうと分かるが、明らかに装飾過多だ。フリルもレースも多すぎる。神官の着る神衣の色である純白なのは良いが、白が霞んで見える程にフリルってる。重い。
ああ、もう! 何でアレの言うことを素直に聞いてしまったんだ、私は!
「……まあ、落ち着けって」
タクトがぼさぼさの黒髪を掻きながら、よっこらせ、とジジ臭い掛け声でベッドに戻る。
微妙に私から視線を逸し、ため息をついた。
「とりあえず、何でそんな格好したの。ご丁寧に頭にリボンまで付けて」
「……リヒト上級神官が……向こうから色仕掛けなんて言い出したんなら、それは有効ってことなんじゃないかと……」
無理矢理に言葉を絞り出すと、再びため息が返ってきた。
「……その格好、色仕掛けのつもりだったのか」
ぐっさり。
自分の胸に何かが刺さった音が、はっきりと聞こえたような気がする。
「この――誰のせいで、この私がこんな格好を――っ!」
「俺は別に頼んでないけど」
「――っぐ……!」
羞恥と屈辱で泣きそうだった。
必死で涙を堪えていたら、鼻の奥がつーんとしてきた。
ふるふる震える両手でスカートを持ち上げる。
「――そ、それでも。今日はとにかくあなたをベッドから一歩動かすのには成功したっ!」
「まあ……それが成功だと思ってるなら、明日もその格好で来る?」
「来るか、バカっ!」
今度こそ絡まらずに、ガン、とベッドの端を蹴る。
スカート持ち上げておいて良かった。
「良いか! 次はまた別の方法だ! 次こそあなたをこの部屋から外へ出してみせる!」
「……まあ。出来るものならどうぞ」
「首を洗って待っていろ!」
びし、とタクトの額を指しながら、踵を返そうとして――スカートに絡まってコケた。
顔から思い切り床に突っ込む。
びたーん、と予想以上に良い音がした。
「……あの、大丈夫?」
後ろから心配げなタクトの声。
……ついに、怨敵に気遣われた。
最後の砦ががらがらと音を立てて崩れていく。
「覚えてろっ――あ、いや、忘れてろぉっ!」
強打した鼻から流れてくる鼻血と、眼から流れてくる塩水を一緒に拭いつつ、私は改めてタクトの部屋を後にした。
背後にタクトの「いや、どっちなんだよ」という呟きを聞きながら。