子どもだって、いつかは大人になる(結)
エルファンバイン王国の始祖、伝承のみに伝わる古の武王ヴィントホーゼさま。
その人が、今私の目の前にいる。
驚きに目を見開く私と逆に、タクトはどうでも良さそうな姿勢を崩さなかった。
「で? 伝説の~とか、始祖とか言われても、俺全然ピンとこないんだけど」
「……この国を作った人、だよ?」
「だから? 失礼なおっさんに変わりはない」
「まあ、勇者はそんなもんじゃな。余もそうであった」
呟いたのは、現国王レーゲンボーゲン陛下――であったはずの、幼い女の子。
年齢に見合わぬ老成した仕草で、そっと腕を組んだ。
「そういえば、あんたも勇者で魔王で国王なんだっけ。この国の国王ってのは皆そうなの? かつては勇者だったの?」
「そうだよ。僕も、レーゲンボーゲンも、そして君もいずれそうなるんだ」
決めつけられて、タクトは眉を顰める。
土の精霊がふるふると首を振った。
「ヴィン……まだ、タクトは決めてないん、だよ?」
「決めてなくたって、そうなるしかないさ。良いかい、次代の国王陛下。君の常識で言うとね、僕は君と同じ世界の別の時間軸から来た――未来人なんだ」
「未来人……?」
「うん、君はえっと……西暦2000年頃の子だっけ? 僕の生きた時代より、まあ3000年程前になるね」
「3000年……?」
「……ちなみに、余はそなたより100年ほど前の戦争で負けた側の国の人間だ。そなたがつけている翻訳ブレスレット、改良したのはルイーネだが、元を作ったのは余だ。幸いにして、こちらの世界では『神聖古語』と言われている言葉が余が元いた国の言葉によく似ておったのでな」
「100年前?」
あー、とタクトが頭を振る。
「未来はともかく、過去なら社会の時間に習った……はずだけど……えっと、100年前の戦争ってどれだっけ? 敗戦国ってどこの国だったか……」
「構わんよ。こちらの世界ではさして意味もない」
「そもそも精霊たちの使う『神聖古語』は、僕の時代、僕の国で使われていた言葉だったんだ。精霊たちは僕が作ったんだからね」
「作った!? 水の精霊や炎の精霊をですか!?」
「そうさ。タクトの時代より3000年後の異世界っていうのは、そういうことが出来るようになってるんだ」
「……4人の造形は、ヴィンの好み、だよ?」
「こら、ミィ! 人聞き悪いこと言うのやめて!」
土の精霊の言葉を聞いて、ヴィントホーゼさまがちょっと焦った素振りを見せた。
国の祖という意味では偉大な方だが、やっぱりイラっとしてた気持ちは消えてなかったので、分が悪い状況を見るに良い気味だとか思ってしまう。
「……つまり、あんたは未来人で、未来の科学力で異世界に国を作って、過去から人を拉致しては自分の国の王さまにしてるって、そういうこと?」
「何だ、こっちも人聞き悪いなぁ。まあ、君の言うことはそう間違ってないから良いか。精霊の力は異世界人がいないとうまく発揮できないんだ。言っただろ、それぞれ好む感情があるって」
「孤独、嫉妬、自由、憎悪ですか……」
ヴィントホーゼさまが肩を竦める。
「そそ。僕も色々試してみたんだけど、そういう負の感情の方が力がひきだしやすいんだよね。その力を異世界との接点から引き出すことが出来るんだ。だけど、異世界との接点っていうのは、こちらに定住して500年もすれば枯渇しちゃう」
「……精霊の加護を受けると長生きするん、だよ?」
「勝手に呼び出しておいて500年国を治めろとか最低じゃろ? そもそも呼び出される条件も適当だしのぅ」
「そのくらい性格悪くないと、国なんて支えられないよ。最初の500年をやり抜いた僕が言うんだから本当さ。まあ、さすがに僕も疲れたし、代替わりしようと喚んだのがレーゲンボーゲン。魔王を倒すってのは、ただの比喩。力の薄れた国王を廃して新たに国王になることを、そういう風に表現してるだけ。ほら、精霊達って長生きした分性格悪さが極まってるからね。そんな言い方が好きなだけさ」
「……みぃは性格悪くない、よ」
「うんうん、みぃは性格悪い人が好きなだけだもんな。僕がそう作ったんだし」
最初のタクトのまとめは悪意に満ちているような気がしたけれど、どうやらその悪意に満ちた状況がおおむね正しいらしい。
人材確保の方法は本人の意思とは無関係の召喚。選考基準は性格の悪さ。選ばれたからには感情が摩耗するまで国王として国を統治する。
否応なしに連れてこられたというタクトの気持ちを考えれば……その方法が既に性格悪いと自然に思えた。
「あの……それにしても、そんな無理やり連れてこられて、何故レーゲンボーゲン陛下は勇者と――ひいては国王となることを受け入れたのですか? タクトのように勇者の責務を拒否したりはしなかったのですか?」
「したに決まっておる。タクトの気持ちもわかるのでな。それで、何も言わずにしばらく好きなようにさせておったじゃろ?」
「だけど、結局は受け入れたのかよ」
不思議そうなタクトの視線を受け、レーゲンボーゲン陛下は諦めたように笑った。
「じゃって、戻るところなんかないのじゃもの。それに、どんなに求めても戻りようもないのじゃ」
「……え?」
「レーゲンボーゲンの言葉が全てだよ。勿論僕もそうだし、タクト、君もだ。君は元の世界に帰ることは決してできない。僕に出来るのはこちらに連れ込むことだけだからね。さっきみたいな感じで覗き見するくらいは出来るけど、そんなの大して意味もない。そう考えるとほら、こっちでどうやって楽しく暮らそうかな、って思わない? このエルファンバイン王国の王になれば、少なくともお金に困ることはないよ?」
こちらの世界の基準に合わせて、タクトがどんな贅沢な生活をしていたか、私は正しく知っていた。
そして、タクトの望みも。
タクトは、ただ誰にも邪魔されない静かな空間が欲しいだけなのだ。
元の世界に戻れないなら、こちらの世界でその希望を叶えるしかない。
王になれば、きっとそんな願いは思うままだ――
「……タクト」
私は、隣のタクトをそっと見上げた。
タクトは私をちらりと見下ろし、そして尋ねた。
「俺が王になって、あんたらはどう得をするんだ」
「あー……この国は4精霊の力なくては維持できない。外敵を拒絶する神術の壁が東西南北に張られていてね」
「……みぃは北方、だよ」
「こんな肥沃で豊かな土地だというのに、周囲の国は壁があるから攻めて来ない。精霊の加護を受けた異世界人の王が玉座に座ることで、壁は維持されるんだ」
「……玉座にいさえすれば、寝てても良い、よ?」
ヴィントホーゼさまと土の精霊の言葉を受けて、タクトが私に目を向けた。
事実かどうかを確かめているのだろう。
私は頷いてみせる。エルファンバイン王国の国民であれば、四方の壁が我らを守ってくれているのは、周知の事実だ。
「ルイーネがそなたを慕っているのと同じように、そなたもルイーネのことが大切じゃろ? 余も最初は納得できなんだが、やはりこちらの国の友に絆されての……。な、どうじゃ? ルイーネを守りたくば、玉座におるだけで良いのじゃぞ?」
レーゲンボーゲン陛下も、黒い瞳をにこにこと細めながらタクトの顔を見上げた。
皆みんな、幸せになる。
それだけで。
タクトが玉座に着く――たったそれだけのことで。
だけど、ただ1つ。
タクトがいまだに怒っていることだけが、解決されてない。
「……好き勝手言いやがって……!」
私の横で、タクトの肩が震えた。
恐怖ではない。度を越した怒りで。
「――黙って聞いてりゃ、寄ってたかって俺の人生勝手に弄って、好き勝手言いやがって――!」
噴き上がった真っ黒な闇が、私の上衣をめくった。
髪の毛が浮き上がって、びしびしと頬に当たっている。
突然に発せられたタクトの怒りに、レーゲンボーゲン陛下とヴィントホーゼさまが咄嗟に後退った。
「……な、何を怒っておるのじゃ、こやつは……?」
「人生勝手に弄ってって……君だってあの世界――元の地球は好きじゃなかったんだろ? 神官ちゃんも見てきたはずだ、君は決して幸せじゃなかったぞ?」
まるで、助けてあげたとでも言いたそうなその言葉。
もしかすると……タクトと出会ったばかりの頃の私なら、同じように言ったのかも知れない。
だけど、今の私は。
タクトがその世界でどんな風に頑張ったのか、知っている私は。
その判断が正しいなんて言えないのだけれど、それでもタクトが怒っている理由は良く分かった。
「――俺は元の世界なんて好きじゃなかったし、毎日部屋に閉じこもってたし、家族なんていらないと思ってた。だけど――大事な人だって向こうの世界にはいるんだよ! それを勝手に連れてきて、お前が我慢すりゃこの国は平和だって――そこのクソガキが500年しか保たないなら、どうせまた500年後には同じこと繰り返さなきゃいけないんだろうが! そんな、無関係な誰かの犠牲がないとやってけないような国――無理して支えてんのはおっさんのワガママだろうが!」
もしも、私が同じように請われたならば。
私が玉座に着くだけで、この国はあと500年平和でいられると言われたなら。
きっと、私は頷くだろう。
たとえ玉座が針の筵であったとしても、笑って座るだろう。
それで多くの人々が笑って暮らせるなら、私の幸せもまた、そこにあるから。
でも、タクトはそうじゃない。
この国とは縁もゆかりもない、異世界の人。
彼を縛るのは人から押し付けられた計算ではない。
ただ、自分のやりたいことをやり、自分で決めたことだけをする。
そんな彼の判断を、自国について残念に思う部分がない訳ではないけれど。
だけど――でも、私は尊重したい。
だって彼は、自分で選んだことだけを実行する人だから。
だから、私は何も言わずただ、黒い風に耐えていた。
始まった時と同じ、唐突に風が止む。
「……はふぅ、だよ」
土の精霊が息をついて、地面から顔を上げた。
吹っ飛ばされないようにしゃがんでいたらしい。
陛下とヴィントホーゼさまもそろそろと顔を上げる。
タクトの黒い瞳がこちらを向いて、そして黙って私の手を取った。
「……行くぞ」
「あ、は、はい」
「ちょ、行くって何処に行くつもりなのじゃ!? まだそなたは魔王を――余を倒しておらんぞ」
「この変な空間出て、宮殿に帰るんだよ。あんたを倒すつもりはない、俺は勇者にも王にもならないから」
「え、じゃあ次の国王は誰にすりゃ良いのさ?」
「そんなのは、あんたらが勝手に考えろ。俺、そういうのやりたくない」
そう言いながらも、私の手は離さない。
私はこのエルファンバイン王国の神官なのに。
それなのに、離さないで――連れて行ってくれるってことは。
それは、多分。
タクトはタクトのやり方で、この国の為にやりたいことを見付けたってことなんじゃないだろうか――。




