何で勇者が引きこもってるんだよ!?
「勇者さま……そろそろ、せめて宮殿の庭へ出て見ませんか?」
「やだ」
私の言葉に返ってきたのは、あっさりした否定の言葉だった。
はう、とため息をついて、寝台に寝転がったままの勇者を揺する。
「今は丁度、宮殿も花々が咲き始め、美しい季節ですよ」
「どうでも良い」
ごろん、と転がって私に背中を向ける勇者を見て、私は再びため息をついた。
初めて勇者と顔を合わせてから3日目、昨日一昨日と、途中で根負けしてこの部屋を辞したのは私の方だ。
しかし、いつもの執務室に戻った私を待っていたのは、何の仕事もないという空虚だった。
そりゃそうだ。
勇者の専属神官は、そもそも勇者と共に旅立つのが前提だ。仕事なんか振ってはいけない。
「勇者さまは、何故そんなに外に出たがらないのですか?」
「めんどいから」
早い。
答えが早い。そして短い。
一昨日からこの調子で、何故勇者が部屋を出ないのかも全く理解できない。
いや、あれだ。
百歩譲って、突然の召喚に驚いているとかそういうのかもしれないとは思う。
幾ら私が自ら改良した翻訳ブレスレットで、お互いの意思疎通に全く問題はないとは言え、突然さっきまでいた世界とは別の世界に呼び出されてしまったんだ。友人や家族など、元の世界に残してきたものもあるだろう。
だから、その点を口に出してくれれば、私にだって交渉の用意はある。
選ばれし勇者としての役目を果たしてさえくれれば、その後に元の世界へ送り返すことだって出来るのだ。
しかし。
「勇者さま」
「…………」
「そろそろ昼餐の時間です」
「今はいい」
「その……どうして一緒に召し上がらないのですか?」
「お腹空いてない」
「少し身体を動かすために、先にお散歩でも行きましょうか?」
「良い」
……会話が続かん。
とりあえず、無視をするつもりじゃないらしい。
問えば答えはある。
だが、どれだけ待ったところで、簡便な一言以外は何も返ってこない。
私はもっと――先の展望を話したいんだ!
これからどの街へ向かうとか、魔王の軍勢はどのくらいの予測だとか、いや、せめてどんな武器を求めるか、なんて近々の話でも良い! 発展性を! 会話に広がりを!
「勇者さま……」
「…………」
「勇者さまは、魔王退治をするおつもりはないのでしょうか?」
「ない」
「何故?」
「関係ないから」
関係なくない! この国が滅べば、ここにいるあなたも共に死ぬだけだ!
この王国が背負っている何千万の民を何だと思っているんだ!?
腹立ちまぎれにもう一歩突っ込んだ。
「勇者さまは、元の世界に戻りたい、と思わないのですか?」
「あんたが、それを聞くの?」
じっとりと湿った黒い瞳が当てられて、一瞬怯んだ。
強大な魔力の塊が、私の肩を上から押さえ込んでくる。
来た……昨日も一昨日も、これで黙らされた。勇者たる所以であるところの人並み外れた魔力量をそのまんま直に下ろしてくる、勇者にしか出来ない無言の圧力だ。
先の2日は自分の力をもって抵抗していたが、3日目の今日は抵抗する魔力も既にない。
抑え込まれた力のままに、床に膝を折った。
この私を――上位神官ルイーネを跪かせるとは――何という屈辱か!
あまりの羞恥に涙が浮かんできたが、ぐっと堪えて勇者の顔を見上げた。
私と目が合った勇者が慌てたように、視線をそらす。
その頬が微妙に赤くなっているようにも見えるが……今の私はそれどころじゃなかった。
水辺のスライムのように、床にへばりついてしまわないように必死で抵抗するのに精いっぱいだ。
身体中に力が入っているからだろう、頬を伝った雫が、荒い呼吸を繰り返す唇を掠めて流れ落ちた。
途端に、目の前の勇者がそわそわと落ち着かない動きを繰り返す。
何か言わなければ、と身体全体で呼吸を繰り返しながら、とにかく勇者を見ようと顔を上げた。
「……あ……勇者、さま――」
「待って、その呼び方は止めて欲しい……」
ぼそり、と呟いた声とともに、圧力が一気に掻き消えた。
はぁ、と息を吐いて力を抜いた私に、勇者は眼を逸したまま呟いた。
「俺は成瀬 拓斗――タクトで良い」
「タクト、さま」
「違う。恥ずかしいから呼び捨てにして」
「……タクト。私は、ルイーネ上位神官と言います」
思い返せば、私達はお互いの自己紹介すらしていなかった。
どうも上手く噛み合わないから、まともな会話も出来ないままだったのだ。
「ルイーネ。さっきはごめん。その……な、泣かせちゃって」
その言葉に衝撃を受けて、自分の頬に触れると確かに雫の跡がある。
いや、ちがくて――これは――これは……!?
あくまでそっぽを向いたまま謝るタクトに、私は床に座ったまま首を大きく振った。
「泣いてません!」
「え? だって……今――」
「――泣いてませんから! これは汗です! 勇者さまの見間違いですから!」
大声で言い返しておいて転げるように部屋を出た。
……当然ながら、その後私を待っていたのは、執務室には何の仕事もないという、昨日と同じ状況だった。