子どもだって、いつかは大人になる(転)
タクトと同じ漆黒の髪、黒い瞳。
外見は若く見えるが、その姿には精霊達や国王陛下と同じものを感じる。つまり――重ねた年月が見かけに反映されない、そういうものを。
「可愛い子だね、レーゲンボーゲン。土の精霊が言ってた水の精霊と炎の精霊が選んだ神官ってこの子かな」
男の手が私の頭上へと伸ばされる。
――怖い。その黒い眼には何かが隠れていて、裏が知れないような気がする。
咄嗟に身体を引いて、その手を避けた。
同時に、横からタクトの手が男の腕を払う。
払われた手を見て、男はケラケラと笑った。
「おお怖い。『俺の女に手を出すな!』なんて、若いのにアツいねぇ」
「……やめてください!」
その手の誤解はもう飽きた。
正直、そろそろもうどうでも良いか、という気持ちもなくはないが、やっぱり否定すべきとこは否定しておく必要がある。
繰り返されるやり取りに倦んだ気持ちが声に出ていたらしく、男はますます楽しげになった。
「『やめてくださいっ』だって。かーわいー」
「からかわないでください!」
「やめとけ、おっさん」
珍しく、タクトも横から加勢してくれる。
「あはは、大丈夫大丈夫。そんな眼で睨まなくても、君の彼女取ったりとかしないからさ」
「彼女じゃありませんからっ!」
「おっさん。これ、男」
「……男?」
突然真顔になった男が、じろじろと私を上から下まで眺める。
そうして眺めてから、男だと納得した途端に興味を失ったらしい。
特に謝罪もなく、視線が私から外れた。
外れたことには安堵しつつも、胸の内から苛立ちが燃え上がる。
エリート上級神官たるルイーネを前にして、何たる侮辱!
女でないルイーネには存在価値がないと言うのか!
この溢れる程の知識と才能を前にして、無視するとは!
「タクト……私、腹が立ってきました。あの人嫌いです。仕返しします」
「仕返し?」
「はい。こっそり靴を隠したり、机に『ハゲ』とか落書きしたり、昼餐の麦餅を知らない内に食べちゃったりです」
「……ああ」
勢い込んで言った途端に、タクトがそっとため息をつく。
「それ全部、あんたがやられたヤツじゃん」
「ななななななんで分かったのですか!?」
今まで自分が同年代の子達にやられた中で、微妙にイヤだったことを上からチョイスしてみたのだが、タクトは何故それを知ってるのだろう。
私を良く知っている分、簡単に想像出来ただけということもあり得るが――微かに理解を含んだ視線がそうではない、と告げていた。
タクトの後ろからひょこりと顔――目深に被ったフードが邪魔で顔と言える部分は顎しか見えていないが、一応顔――を覗かせた土の精霊が、ぼそりと呟く。
「……見てきたから、だよ」
「見てきた……とは?」
土の精霊の頭をフードごと撫でながら、タクトは私に微妙な表情を向ける。
嬉しいとも悲しいともつかない、微妙な。
「……あんたの過去、色々見せてもらったんだよ」
「私の、過去……?」
「うん、あんたも俺の家見てきたんだろ?」
――ああ、では。
私がタクトのご家族を見たのと同じように、タクトもまた私の生い立ちを見ていたのだろうか。
生まれてすぐに孤児となり、孤児院で殴られながら暮らしていた幼い頃。部屋の隅に積まれた数冊の本だけが――古の勇者譚と精霊伝承について記述された大人向けのその本が、私を苦しみから解き放つ想像の扉であったこと。
突然、私の前に現れた水の精霊が加護を与える、と告げたことで、まだ幼い内に神殿に引き取られたこと。興味半分で私を見に来た炎の精霊の加護も受けることになり、突如、通常の神官にはあり得ない昇進をすることになって、戸惑った日のこと。
そして……全てが終わって周りを見た時、私の傍には誰も残ってはいなかったことを。
「ご覧になったのですか……お恥ずかしい」
恥ずかしい――本当に恥ずかしい過去だ。
あの頃の私は、傍に人がいないなどというどうでも良いことが寂しくて、毎日泣いてばかりいた。
相手をしてくれたのは調理師長のツィーゲだけ。私も調理師になるのだと言い張っては、いつも困らせていた。
全く、若い頃の自分の行為というのはあまりにも考え無しで恥ずかしい。
水の精霊の加護を得たその日から、私には、神官になる以外の未来など与えられてはいなかったと言うのに。
ぼふ、と私の頭にタクトが手のひらを乗せる。
驚いて見上げると、黒い瞳と目があった。
同じ色なのに、おっさんの眼とは全然違う。安心出来る色。
「……あんたさ、約束したじゃん。『1つ、ルイーネは早く泣き虫を治します。』」
「はい、約束しました」
「あれ、違う約束にしよう」
「はい?」
「『1つ、ルイーネは泣くだけ泣いたらしっかり泣き止みます。』」
何で泣くこと前提になったのだろう。不思議に思って、首を傾げてみた。
斜めに見るタクトの顔は、やっぱり微妙な表情をしていて、私は何を答えれば良いのか分からない。
その微妙な視線のまま、タクトは私を見下ろしている。
私の横でレーゲンボーゲン陛下が眉を寄せた。私を宮殿に呼び寄せ神官にしたのは陛下だから、多分そのことについて陛下も思うところがあったのかもしれないけど。
……ただ、他に選択肢などない。それだけだ。
タクトの手が、乱暴に私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「だからさ、別に泣いていい。泣き虫でも別に……受け止める覚悟は……えっと、多分、ある」
どこか照れくさそうに視線を逸らすタクトに、何を答えようかと考えていたけれど……答えが出るより先に、横から呆れた声が投げかけられた。
「さて、そうやって男同士でいちゃいちゃしてて、からかわれずにすむのは今の内だからな。大人になるまでに卒業しとけよ」
黒い髪の男――いや、もうあいつはおっさんだ。当世風におっさんと呼ぶことにした。とっても腹立つ人だから。
男同士でいちゃいちゃとか、余計なお世話だと思う。
友情は何ものにも変えがたい宝であると、昔の人は言ったのだ。
「――それで。こうして俺とルイーネが色々見てきた後で、満を持したように出てきて、さっきから混ぜっ返すばっかりのあんたは誰なんだ」
タクトの言葉は、まさに私の気持ちを代弁していたので、私もタクトに合わせておっさんを睨みつける。
おっさんは、あの底知れない黒い瞳を光らせて、私たちを見下ろしてきた。
「……誰だと思う?」
楽しそうな声が、当然ながらムカつく。
「誰かは知りませんが、失礼なおっさんだと思います!」
「失礼で、おせっかいで、鬱陶しいおっさんだな」
私たちの敵意を一身に受けながらも、おっさんの笑いは止まらない。
「毎回言われるよ。だけど仕方ない。失礼でおせっかいで鬱陶しいくらいじゃないと、わざわざ異世界からやってきて一国を興し、更にその国を最後まで見守るなんて、気力の要ることは中々出来ない」
「一国を興す?」
「――そうだ」
私の問いに直接的に答えたのは、おっさんではなかった。
私の後ろから歩み寄ってきたレーゲンボーゲン陛下が、いかにもだるそうな声で囁く。
「このウザいおっさんは、エルファンバイン王国の始祖。最初の国王であり、勇者であり、そして魔王である――ヴィントホーゼどのだ」
エルファンバイン王国の始祖ヴィントホーゼ陛下。
名を聞いて、私とタクトは再びおっさんに目を戻す。
にんまりと嫌な笑みを浮かべるこの男が、まさか。
千年もの昔、我らがエルファンバイン王国を興したと伝承される古の武王の姿が、そこにはあった。




