頭で分かっていても、心の底から分かってるとは限らない(結)
褐色の肌の少女が、燃えるような髪を振り乱して駆け込んできた。
「――ねぇちょっと勇者、やっぱさっきの納得いかない! あたしは別にルイーネのことすっ……好きとかじゃないし! 嫉妬が周りに渦巻いてるから、それでくっついてるだけ――って、あれ? 何でみんな揃ってるの?」
中を見回して、瞳をぱちくりと瞬かせる。
途端、まさに室内に炎を投下したように、精霊達が一斉に声を上げた。
「ザラ、良いところに来たわ! ちょっと聞いて! この子たち、わたしのルイーネたんを――!」
「ザラか。全く、相変わらずだな。貴様は何だかんだで私を避けてばかり――」
「……久しぶり、だよ?」
「え、何? なに? 今日は何かのパーティなの? 何でみんないるの? ディーネはちょくちょく会うけど、シルとか――あ、ミィ500年ぶり、相変わらずちっちゃいね!」
ずかずかと室内に入ってきた炎の精霊と、他の精霊達が親しげに挨拶を交わす姿を見て――私は、そっとタクトの方を覗き見た。
……やっぱり怒ってる。黙ってシーツを被っているが、イライラしているのが伝わってくる。
このままうまく精霊達を誘導出来るかと思っていたのだけれど、再び盛り上がり始めてしまった、どうしよう。焦る私の気持ちを無視して、ベッドの上から深い深い闇のような魔力が流れてくる。
「――だからさ」
その声の重さに気付いた精霊達が、一斉にベッドへと目を向けた。
「――うるさいって――言ってるだろ!」
上から圧し潰してくる暗闇が届くより先に、私の周りを精霊達が囲む。
それぞれの色で四色に輝くドームが、私と精霊達を覆って、漆黒の魔力を防いだ。
「――ほーら、乱暴モノ! このド生意気が勇者なんて、わたしは反対!」
「ディーネは『ルイーネたんラヴ』『ルイーネたん命』だもんねー。ルイーネを勇者にしたいんでしょ」
「だってこの愛らしい顔を見たら、誰だってそう思うわ、そうでしょう?」
「誰に問うているんだ。私はそんなことはないぞ」
「シルはどっちかと言うと勇者どのの方がお気に入りだもんね」
「……だね」
「ななななな何を言うか! そういうザラこそ、ディーネと同じく神官どのを――」
「――っば……! それ違うって言ってるじゃない! あたしはただルイーネの周りに嫉妬が渦巻いてるから……!」
「うふふふふ……ザラ。わたしは知ってるのよ。あなたはわたしのライバルだって。幾ら見た目に年が近そうな方がまだ健全じゃないか、とかシルに言われても、わたしは諦めないのよ?」
「諦めろ。貴様とでは良くて姉弟。場合によっては親子にしか見えん」
「……だよ」
「親子!? 何てことを! ミィも酷いわ、ちゃっかり同意するなんて! 良い? ルイーネが勇者になりさえすれば全ての問題は解決するのよ?」
「え、それでルイーネを勇者にしたがってたの? 大した精霊の加護だなぁ……」
「何よ、悪い!?」
「悪くはないが、それは無理だと言っているだろ。諦めろ」
「……黒い魔力が勇者の適正、だよ?」
守って頂けるのは大変ありがたいのだが、少しばかり――いや、だいぶ騒がしい。
放っておくと、精霊達だけでいつまででも喋っていそうだ。
次々に発言する精霊達に目を合わせていたら、くるくる動きすぎて段々目が回ってきた。せめて順番に発言するとかの心遣いをしてほしい。
女性というのはおしゃべり好きな生き物だと、傭兵のベルクが時々言っているが、そのことを初めて実感したような気がする。
タクトはしばらく無言で魔力を放出し続けていたけれど、さすがに呆れたのか、ふとその力を緩めてベッドの上を降りてきた。
黒い圧力が消えたところで、精霊達も自分の力を霧散させる。
タクトの黒い瞳が、不思議そうに土の精霊を見下ろした。
「――今、この魔力が勇者の適正だって言った?」
「……だよ」
あ、別に呆れてやめた訳じゃないのか。
どうやら、タクトは自分の魔力について尋ねたいことがあるらしい。
「この魔力――黒い力なんて、こんなのゲームの悪役みたいだよ。今までこんな力なかったのに、こっちの世界に呼ばれてから勝手に溢れ出すようになった。自分でも何だか怖いって思うようなすごい力で、それなのに真っ黒で……あんたらは、この力が何なのか知ってるの?」
「――え? タクトはこの魔力、昔から使えていたのではなかったのですか? 勇者さまは黒い魔力を使うっていうのは伝承通りの話なので、生まれた時から力をお持ちなのかと思ってました……!」
黒い魔力を自在に操り魔王を倒す、それが勇者だと500年前の勇者譚は告げている。
だから、黒い魔力を使えることこそがタクトが勇者たる所以で、その力を使って魔王を退治する為に召喚されたのだと、私はてっきり思い込んでいた。
水の精霊が柔らかい指先を、私の髪へと伸ばしてくる。
「ルイーネ、勇者の力は召喚された時、異世界人に等しく与えられるものなの。召喚の儀式が勇者の力を与える儀式なのよ。召喚前はただの普通の異世界人に過ぎないわ」
「召喚が、勇者の力を与える?」
「それも儀式のせい、なのですか?」
それはつまり。
意味があるのは、誰を呼ぶか、ではなくて。
ただ、異世界から呼ばれたということ、だけ?
水の精霊を見上げる私の耳に、タクトの声が飛び込んでくる。
「――待て、それじゃ俺は本当にたまたま呼び出されただけってことか!? ポチの生死は――俺の気持ちはどうでも良いってことかよ!」
「……そう、だよ」
土の精霊がこくん、と首を傾げながら小さな声を上げた。
タクトの視線を受けて、恥ずかしそうに顔を下げながら、土の精霊はフードの下から囁く。
「……召喚されて、精霊に愛されることが、勇者の条件、だよ」
「精霊に愛されること……ですか?」
精霊が愛するのは。
それぞれに好む感情は。
「つまり――ディーネの孤独、ザラの嫉妬、私の自由。そして、ミィの憎悪だ」
「それがありさえすれば、誰でも良い……?」
タクトは顔を伏せているけれど、声だけで、その感情が伝わってくるようだった。低い音に含まれているのは、呆れと失望。
――孤独、嫉妬、自由、憎悪。
そんな感情は――きっと誰だって持ってる、なんて。
「タクト……!」
駆け寄ろうとした私に向けて、タクトはそっと手を上げる。
顔を上げて私の方を見た瞳が、予想外に落ち着いていたので、少し驚いた。
黒い瞳はすぐに、風の精霊へと視線を戻す。
「……どういうことだよ。あんたらが言う勇者っていうのは、正義じゃないのか。俺の常識じゃ、勇者は清廉潔白、公明正大な英雄だ。なのに、あんたらの求めてるのはそんな感情じゃない。本当は……勇者ってのは、何者なんだ?」
静かに告げるタクトの言葉が、私の心を揺らす。
孤独、嫉妬、自由、憎悪。
感情に善悪なんてないとしても、確かに――それは英雄に求められる資質とは程遠い。
いまだ私の髪を撫で続ける水の精霊の指先が、一瞬、耳元で止まった。




