頭で分かっていても、心の底から分かってるとは限らない(承)
タクトは肩を竦めて、言葉を続ける。
「まあ、甘えなんだろうとは分かってるんだけど……そういうのが続いて、何かもう自分ではどうしようもなくてさ。俺は部屋から出なくなった。部屋の中にいるのはセキセイインコのポチだけで。だから……向こうの世界に残してきたポチのことだけが辛いけど、俺と一緒に暮らしてたあいつらがポチの面倒見てくれてるとは思えないし、これだけ時間が経ったら……」
「ぽち……」
風竜に「ぽち」と名付けたタクトの気持ち、本当の意味でようやく分かった。
ぐし、と鼻を鳴らした途端、タクトはふと視線を上げて私の顔を見て――今度こそ、はっきりと笑って見せた。
「ほら、また約束破ってる。『1つ、ルイーネは』?」
「……る、『ルイーネは、早く泣き虫を治しま』……ぐしゅん、ごめんなさい」
「良いのよ、ルイーネ。あなたはそのままで可愛いのよ……。ああもう! こんなヒドい約束、わたしがその場にいたら絶対に結ばせなかったのに……! むしろもっと泣いても良いのよ! うふふふふ……」
水の精霊が指先で頬を拭ってくれる。
どうやら母性溢れる水の精霊にとっては、人間の弱さもその保護範囲であるということらしい。笑っている時の目が何だかちょっとイっちゃってる気がしなくもないけれど、多分私の気のせいだろう。
そんな私たちの様子を見て、タクトは微笑んでいる。
微笑んだまま――決定的な言葉を口にした。
「――だからさ、俺。あの世界に戻りたいなんて全然思ってなくて。早く自立して1人になりたかったし、何ならいっそあいつら皆――全部まとめて滅びてしまえば良いのにって思ってたんだ」
笑っているはずの、その目元に浮かんでいたのは、消そうとしても決して消えない――見間違えようのない憎悪だった。
「タクト、あなたは……!」
笑いながらそんなことを言えるタクトが、怖いよりも、悲しかった。
目元が熱くなって、どんどん液体が零れているのが自分でも分かったけれど……止まらなかった。
きっと、タクトと私は同じだった。
だから、こんなに気持ちが分かってしまう。
だけどきっと、タクトと私は違う人間でもある。
だから――こんなにタクトの在り方が悲しいんだ……。
私の顔を見たタクトが、何か言おうと口を開いた時、突然窓が音を立てて開いた。
窓枠を潜って、人影が部屋の中へと足を踏み入れる。
「――自由を愛するその心、私の寵愛を受けるに相応しい。そうだろう、水の精霊?」
「風の精霊……どうやら今日は本体のようね」
細身の下履と身体に添うような丈の短い上衣を纏ったすらりとした女性。
先日会った時は少女であったように思ったが、水の精霊の言う「本体」とは、そのことを指しているのだろうか。
タクトだけが何だか不思議そうな顔をして、窓の前に立つ女性を見ている。
「風の精霊……? あれ、あんたってそんな感じだったっけ? 何かまるでポチみたいな気配を感じるんだけど……」
「もう、タクト! 女性を肉食の獣と一緒にするなんて失礼ですよ!」
「獣か……風は気まぐれ、風は自由。姿など如何様にも変えられる」
ふん、と胸を張った様子を見ると、やはり風の精霊に定まった姿はないのだろう。
必ずしも少女の姿が本当の姿、という訳ではなさそうだ。
ぽちみたいな気配、というタクトの言葉も何となく分からないではなないのだけれど、やはりそこは本人が気にしてなさそうとは言っても、素直に頷くのは憚られる。
「如何様にも、ねぇ……ふーん」
水の精霊がひっそりと笑っているのだけが気になった。
その視線が風の精霊の胸元に当たっているのだけれど、タクトも私も笑いの意味が分からなかったので、そのままスルーした。
「それで? 何か用か、風の精霊。今日はこっちにポチは来てないぞ」
「何だか今日は、こちらの方で、えらく精霊の気配が濃いと思ってな」
「精霊の気配? ああ、さっきまで炎の精霊がいたから、そのせいじゃないかしら」
水の精霊の言葉に、私は1人納得した。
そう、さっき宮殿の廊下で、水の精霊と炎の精霊はお互いの力をぶつけあっていたのだ。炎の精霊の炎の力と言ったらそれはもう……とか思ったところで、ふと思い出した。
私、焦げた宮殿の廊下をそのままにしてしまったのだけど、大丈夫だろうか。
いや、大丈夫な訳はない。
後でリヒト上級神官のところへ報告に行かねば……修復費用として、今月のお小遣いを減らされてしまうかも知れないが、黙っておく訳にはいかない。
大体、黙っていても、炎の事故が起きれば、炎の精霊の加護を持つ私のせいだと、すぐに疑われるのだ。無意味な疑惑を振りまくよりは、素直に自分から言った方が早い。
精霊の加護を受けたからこそ、私はここにいる。
そして、精霊の加護を受けたからこそ、私はここから弾かれる。
それでも、今となっては彼女たちがいない生活など、考えられないのだ。
だって、私の存在価値は、それしかないのだから。
そんなことをつらつらと考えている内に、タクト達の話は思わぬ方向へと進んでいた。
「いや、ディーネとザラがお気に入りを取り合ってるのなんて、いつものことだろう。私が言っているのは、もっと濃い……ほら、もう1人いるだろうが。四元素霊で、久しく見かけていない……」
「えーっと、火と水と風と……あ、土か。名前何だっけ」
「バカじゃないの、ルイーネにあやかってもうちょっと脳みそ鍛えなさいよ。あの子の賢さったら、小さい頃からわたしが教えてあげた呪文を一言一句間違えずに覚えるほどで……」
「そろそろ黙れ、貴様のノロケは聞いていて辛い。さすが胸にしか術力を蓄えていないと精霊界でも評判のディーネさまだな」
「……土の精霊、だよ」
「ああ、それだそれ。土の精霊ね――」
「あら、フィード。あなたこそ精霊界で噂になっているわよ。あなたのお胸がそんなに寂しいのは、いつも殿方のような格好ばかりしているからだって」
「失礼な話だな」
「全くね、事実は逆なのに。お胸が寂しいから、殿方のような恰好しか似合わないのよね」
「あのさ、あんたら、もうちょっと仲良くできないの?」
呆れたようなタクトの声で、睨み合う2人はひとまず口を閉ざした。
3人から少し離れて黙って会話を聞いていた私は、慌てて両目をこすってみる。
3人――いや、4人……?
もしかして、会話に夢中になっていたタクト達は、気付いていないのだろうか。
タクトの背中に隠れるように、茶色いフード付のマントを深く被った小さな影が、今の話の中で、一言口を挟んでいたということに――




