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3人いると、1人はみ出す(結)

「あー、楽しかったね!」


 そんなことを言いながらにこにこしているリヒト上級神官の妹姫シャッツの顔を見て――自分の中を探ってみたけれど、どうやら嫌な気持ちは見つからない。

 さすがに彼女のこの表情だけでもやもやするのではないと知って、私はそっと胸をなでおろした。

 なるほど、私のこの理解不能な感情は、人の幸せを妬むことによって生まれている訳ではないらしい。

 ……となれば、何が理由なのだろう。思い当たることがあるようなないような……。

 街を抜け、宮殿へついたところで、シャッツはリヒト上級神官の部屋へと向かうことになった。


「最後にお兄ちゃんに会ってから帰らなきゃ。もうここまでで良いよ。じゃーね、タクト、ルイーネ! また遊ぼうね!」

「ああ、じゃあな」


 隣を見れば、シャッツに向かって笑顔で手を振るタクトがいて……あ、ダメだ。やっぱり苦しくなってきた。

 私の手を握る炎の精霊(ザラマンデル)は、楽しそうに褐色の頬を歪め、唇をつりあげている。

 何なんだろう、私。何がこんなにもやもやするのだろう。


 シャッツの後ろ姿を見送って3人だけになってから、タクトがふう、と息を吐いた。

 このまま「疲れた」と言って、1人部屋に戻ってしまうのかと思ったが、どうやら今日はそうはしないつもりのようだ。私の方に向き直ったタクトが、面倒そうに褐色の少女を指した。


「……で、今まで我慢してたんだけどさ。あんたの隣のそれ、炎の精霊(ザラマンデル)だっけ?」

「あはは、何回確認するの。そうだよ、って言ってるじゃない、勇者さま」

「その呼び方やめろ。――あんた、何笑ってんだよ」


 突然、タクトから怒りの空気が流れ込んできて、びりびりと大気が震え始めた。

 水の精霊(ウンディーネ)ですら圧倒される黒い魔力が、すぐにタクトを中心に渦巻き始める。

 宮殿の廊下に敷き詰められた大理石が、足元でぴしぴしとひび割れていく音がする。魔力の圧がかかっているのだろう。

 突然押さえつけられるように濃くなった空気に、私は思わず胸を抑える。

 そんな中でも、何故か炎の精霊(ザラマンデル)は笑みを失わなかった。


「はは、勇者を勇者と呼んで何が悪いの? それとも、自分は勇者じゃないとでも? そうすると君はルイーネと一緒にいる意味もないただの子どもってことになっちゃうけど」


 嘲るような声を受けて、タクトは右手を振る。


「ただの子どもかどうかは――これを見てから言え!」


 右手の動きに合わせて、刃のような黒い風が走ってきた。

 魔力の刃は炎の精霊(ザラマンデル)に向けて、正面から襲いかかってくる。

 さすがに見ていられなくなり、私は悲鳴を上げた。


「待って、タクト! 何をやっているのですか、その方は偉大なる四大元素の――」

「精霊だろうがなんだろうが、そいつ明らかに俺に悪意があるぞ! 何なんだ、精霊ってまともなヤツいないのか!」

「……おや、失礼な」


 笑いながら風の刃を避けた炎の精霊(ザラマンデル)が、そっと私の肩に手を乗せた。


「精霊はそれぞれに好む感情があるんだよ。それを強く感じられるもののところへ、身を寄せているだけだと言うのに」

「知るか。あんたの言葉なんか信じない」

「おやおや、嫌われたもんだね。ルイーネ、教えてあげて」


 炎の精霊(ザラマンデル)が私の首元に頬を寄せる。

 熱い体温が、至近距離で息を吐いた。

 一緒くたにタクトに睨みつけられて、私は泣きたい気持ちで炎の精霊(ザラマンデル)の言葉を保証する。


「彼女の言葉は真実です。精霊には、それぞれ好む感情があるのです。水の精霊(ウンディーネ)は『孤独』を、風の精霊(シルフィード)は『自由』を……」

「へえ――じゃあ炎の精霊(そいつ)は何なんだ」

炎の精霊(ザラマンデル)は――」

「――あたしが求めるのは『嫉妬』。人を煽り焦がし尽くす心のほむらさ」


 私の背後――炎の精霊(ザラマンデル)の小さな背中に、羽のように紅い炎が伸び始めた。

 燃え盛る炎はタクトの黒い魔力に絡みつき、燃やし尽くそうとしている。

 タクトの魔力が薄くなるごとに、呼吸が楽になった私は、安堵の息を吐く。

 大きな紅い羽に照らされて、炎の精霊(ザラマンデル)が哄笑をあげた。


「ねぇ、ほら。君も分かるでしょ。ルイーネの存在は人に嫉妬の心を起こさせる。優れたもの、賢きもの、美しいもの、傲慢なもの、孤高のもの……そんなこの子に向ける周りの感情はいつだって嫉妬の渦だ。本人は全く気付かないし、それどころかその嫉妬を無意識に煽って回るしね――楽しいよ!」

「あんた……楽しんでないで、もっと早く何とかしてやれよ! そんなだから、今頃になって俺がいらない苦労してるんだろ!」

「知らないよ。あたしは別にルイーネの保護者じゃないし、ルイーネのアホさをフォローして回る必要なんかこれっぽっちもない」


 何故、喧嘩しているのは2人なのに、私の悪口になるのだろう。

 いや、確かに炎の精霊(ザラマンデル)は保護者ではないし、タクトは私によって今まさに苦労させられているのだろうから、間違ってはいないのだが。

 しかし、喧嘩をするならお互いの悪口を言った方が良いのではなかろうか。私のことじゃなくて。

 勿論、私が誰にも勝り優れ、賢く、美しいエリート神官であることは事実なのだけれど。

 そんなことを言おうとして口を開いたところに、炎の精霊(ザラマンデル)が被せた言葉で私は何を言いたかったのか忘れてしまった。


「ねえ、だけど――まさか彼本人が嫉妬を持つようになるとは思いもしていなかったよ! ルイーネを求めるあまり、精霊あたしとルイーネの関係に嫉妬をするような人間が、まさか現れるなんてね! でもお生憎様、ルイーネは君なんて好きじゃないって。君の魔力を食って燃えるこの炎――これね、半分はルイーネの嫉妬の炎だよ! 怒りと憎しみ、妬みと苦しみの混ざり合う美味しい感情だ!」


 一際大きく燃え上がった炎の羽が、廊下の天井を焦がした。

 私の心も、炎とともに熱くどくりと脈打っている。


 これが――このひらひらと風に舞う紅い炎が、私のもやもやなのだろうか。

 黒い魔力を燃やし灰へと変える、この熱さが。

 タクトなんて燃やしてしまいたいと――いや、待った。これが嫉妬の火だとしたら、私はどんなことに嫉妬していたのだろう。

 絡み合う黒と赤の風の向こうから、驚いたように見開かれたタクトの黒い瞳が覗いた。


「……ルイーネが、嫉妬?」

「そうだよ。ルイーネと――そして、君の嫉妬だ」


 私と――タクトの?

 言われた瞬間に、私の記憶力の良い頭脳は、今日の出来事をダイジェストで流し込んできた。

 そして、その全ての時間において私がもやもやしていた理由を――ようやく理解した。


 いや、本当は、私きっと分かっていたんだ。

 見ない振りをしていただけで。


 タクトがシャッツを大切にするたび、苦しかった。

 私のたった1人の友だち。

 同年代の同性の、喧嘩したり水遊びしたり、仲直りしたり……約束したり。

 そんな、初めての。唯一の。


 私にとって彼が唯一であるように、彼にとっても私が唯一であって欲しかった。

 ほろり、と頬を水滴が流れ落ちる。


 その瞬間――ついにタクトを守る黒い魔力が燃え尽き、紅い炎がタクトの身体にその舌を伸ばしていく。


「くそ……っ!」

「いやだっ、タクト!? 駄目です炎の精霊(ザラマンデル)! 止めて、止めてください!」

「大丈夫さ、勇者さまはこんなことじゃ死なない。ルイーネ、ほら……もっとあの女の子のこと考えてご覧。イライラするだろ、ムカムカするだろ? 勇者さまもちょっとは痛い目を見れば良いと思わない? ね、ルイーネの嫉妬が強ければ強いほど、あたしは力を出してあげるよ」

「嫌です、違うのです! 私はシャッツを嫌いたい訳でも、タクトをやっつけたい訳でもないのです!」


 自分の嫉妬が憎らしい。何でこんなに私は心が狭いのだろう。

 友だちが増えることは良いことなのだから、友だちに友だちが増えるなんて、とっても嬉しいことじゃないか。

 目元が熱くなって、どんどん水が溢れてきたので、慌てて両手で瞳を押さえた。


「違うのです……悪いのは私なのです。私が――」


 それ以上、言葉が口から出なかった。


 きっと、悪いのは私だ。

 『勇者さま』は皆のものなのに、いつの間にか私だけの友だちだと思っていた。

 タクトは部屋から出ないし、ほとんど私としか会話しないなんて……それを良いことに、自分だけのものにしてしまいたかった。


 熱にあぶられながら、私の髪が舞い上がる。

 風にとられた髪の最初の一筋が頬に降りてくる前に、視界を塞いだままの手の甲に誰かが触れた。

 そのまま乱暴に両手を引き剥がされて――思わず見開いた両眼の間近に、タクトの顔があった。


 炎を踏み越えて、ここまで駆け抜けてきたらしい。

 深く息を吐き出してから、眉を寄せている。


「――おい、あんた約束……!」

「……や、約束?」


 一瞬考える。

 タクトの口が、声を出さずにぱくぱくと開く。

 約束――ルイーネは――


「……あっ『ルイーネは早く泣き虫を治します』……?」

「そう、それと『火加減注意』。もう良いからちょっと落ち着いて。嫉妬してたのはあんただけじゃないし、俺だって……」


 その先の言葉は、タクトが口の中だけでもごもご言ったので、良く聞こえなかった。

 問い返す前に、私の両手を握ったまま、タクトが炎の精霊(ザラマンデル)に向き直る。


「何が嫉妬の炎だ、煤ばっかりじゃないか。イタズラも良い加減にしろよ。嫉妬するたびに、こんな見た目だけ派手な炎噴き上げてたら……そりゃルイーネだって友だちいなくなるさ!」

「え? 別にそんなことしてないよ。ルイーネに友だちいないのは、あたしのせいじゃないし」

「ぅうっ……!」


 分かってることでも、他人様から言われると、やっぱり胸にざっくりくるのだった。

 私の目からまた水が溢れそうになっているのに気付いて、タクトが繋いだ手をぎゅっと握ってくれる。


「おい泣くな、ルイーネ。あんたに友だちいないのはもう周知の事実だから」

「……友だちいなくてずびばぜん……」

「ほら、『泣き虫を治します』!」

「だぼじばず……」


 鼻水出てきて、自分でも何言ってるのか分からない。

 そんな私をけらけら笑いながら見ている炎の精霊(ザラマンデル)を、タクトはじろりと睨みつけた。


「大体、嫉妬してるのは俺だルイーネだって勝手言ってるけど――この炎、本当にそれだけ?」

「……え?」

「ずべっ?」


 期せずして炎の精霊(ザラマンデル)と私の声が重なる。

 どこか意地悪そうに、にやりと笑ったタクトが肩を竦めた。


「あんた――炎の精霊(ザラマンデル)だって、ルイーネのことが好きなんじゃね? だから俺とルイーネが仲良くしてるのがムカついたんだ?」

「ずびっ!?」


 声を上げたのは、今度は私だけだった。

 慌てて炎の精霊(ザラマンデル)に目を向けたら、私と目が合った途端に褐色の頬が――茹でられた蟹のように一瞬で真っ赤になった。

 その変化に何か言おうとした直後、炎の精霊(ザラマンデル)の真上から滝のような大量の水が降ってきた。


「――っぎゃー!?」


 炎の精霊(ザラマンデル)のピンク色の唇から、愛らしい悲鳴が上がる。

 落ちてきた水の塊は床に広がり、すぐに手を繋いでいる私とタクトの間を割くように湧き上がり、みるみる色がついて水の精霊(ウンディーネ)の姿になった。

 そう言えば、この廊下のすぐ外には、水の精霊(ウンディーネ)の棲処である聖なる泉があるのだった。


「私の領域テリトリである泉の傍で好き放題するとは、相変わらずね、ザラ」

「ディーネ……!」


 2人の精霊が、ばちばちと火花を散らすように睨み合っている。

 私は、水が降ってくる直前の出来事を思い出して、炎の精霊(ザラマンデル)に向けて足を踏み出す。


「あ、あの……炎の精霊(ザラマンデル)、さっきの嫉妬というのは……」

「あっ……!? や、ち……違くて……!」


 炎の精霊(ザラマンデル)は私から勢い良く顔を逸した。

 そして、すごい勢いで後退りした後、視線を定めずきょろきょろしつつ、何だか捨て台詞のようなものを吐いた。


「あのそのだから、嫉妬っていうのはすごい燃えてて、嫉妬……あの嫉妬、炎の……あの、あたしすごい嫉妬が好きで、でも燃えてる……だから――きょ、今日のところはこの位にしておいてあげるっ! ルイーネ、またね!」


 精霊だからその場で姿を掻き消すことも出来るのに、何故かそうはせず、すごい勢いで駆け去っていく。

 その後ろ姿を見ながら、ふう、と水の精霊(ウンディーネ)がため息をついた。


「……全く、素直じゃないんだから。はい、離れて離れて」


 繋いでいる私とタクトの手を無理やり引き剥がそうとして、タクトに舌打ちされている。


「……あのさ、あんた呼んでないんだけど」

「残念ね。わたしがこの宮殿にいる限り、ルイーネたんは渡さないわよ」

「別にいらないし。俺が言いたいのそういうことじゃないし」

「三角関係は悪魔の数字――3人いれば誰か1人を弾かずにはいられないのよ」

「そうなのですか? じゃあ、私はこれで失礼するので……お2人はごゆっくり……」


 さっきまで色々と内省していた私は、即座に結論を出した。

 やはり私はタクトを縛りすぎだと思う。

 一歩下がって自分を見直した方が良い。

 そう思って自室に戻ろうとした瞬間に、2人から声を合わせて止められた。


「バカか、あんた! このうざい人と俺の2人で、何をゆっくりするんだよ」

「ルイーネたんがいない宮殿に何の意味があるというの!?」

「え? いえ、三角関係は悪魔の数字と、今」

「いや、もうさぁ。何か次から次へと精霊とか出てくるし。この調子でどんどん増えられても困るし、一回ちゃんと話し合おう。『ルイーネは言うべきことを、早めにタクトに伝え』るんだよな?」


 タクトがため息をついて、自分の背後を指した。


「久々に外出て疲れたけど……寄ってけば。そろそろ晩餐(ごはん)の時間だし」

「あ……は、はいっ」


 反射的に頷き返してから、ふと思い出した。

 いつだって私が勝手に押しかけていたけれど、もしかしてタクトが私を部屋に誘ってくれたのって、初めてかも知れない。

 そんなことを考えると、色々と自分の至らぬところを理解した今日の騒動に――何だか少しは意味があるような気もしてくるのだった。

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