3人いると、1人はみ出す(転)
「うわー! とっても良い天気だね、それに人もたくさんだよ、ね!? ルイーネちゃん、タクトくん」
元気いっぱいのふわもこ――もとい、リヒト上級神官の妹姫シャッツが、太陽に手をかざしながらこちらを振り向く。
まるで太陽そのもののようなその姿が眩しい。
そんな彼女を見て、私の隣ではタクトが――信じられないことに――にこにこ笑っている。
――そう! 恐るべきことに!
何と我々は――タクトを含めた我々は――街へ出てきているのだ!
まさか、タクトが自ら宮殿の外へ出ることがあろうとは! あろうとは!
ああ、これはもしかして、勇者さまが勇者さまとして旅立つ日も近いということだろうか!
勝手に感動していると、ふと、タクトもこちらを見ているということに気付いた。
「……どうしました?」
「いや、どうじゃなくて……その後ろのは誰だよ」
どうやらタクトが見ていたのは、私ではなかったらしい。
私と手を繋いでいる炎の精霊を見ていたようだ。
「えっと……こちらは炎の精霊です」
「炎の精霊だよ、よろしく、勇者さま」
にこにこしながら手を差し出す褐色の肌、赤い髪の少女を見て、タクトは少しだけ嫌な顔をした。
「……その呼び方は好きじゃないんだ」
「そう? 別に良いじゃない。名前なんてあってもなくてもいっしょだよ。ね、今日は皆で街に行くんでしょ? ルイーネが行くならあたしも行こうと思ってさ。嫌かな?」
「……別に。好きにすれば良いんじゃない」
「だよね。まあ、断られたら君らとは別々にルイーネと2人で行こうと思ってたんだけど」
炎の精霊が私の方を見上げて、「ね?」と同意を求めてくる。
私は素直にうなずいて、再びタクトに視線を向けた。
タクトは何故かさっきまでの満面の笑顔を早々に引っ込めて、私を見ている。
「……ま、どっちでも。別に俺と一緒にいなきゃいけないってこともないんだから、そうしたいなら勝手に2人で行けよ」
「いえ、許されるならご一緒したいです。勇者さまをお守りするのが私の仕事なので」
「ふーん、『仕事なので』、か……」
「? はい」
タクトの視線が何だかきつくなったような気がしたが……それ以上は特に何も言われなかった。
無言で踵を返した背中に向けて、隣の炎の精霊が楽しげに口笛を吹いた。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「――これ! これ似合うんじゃない?」
「え、ちょ……待って、この世界ってこんなのが普通なの?」
古着屋に吊られている洋服を一着外して、シャッツは嬉しそうにタクトの胸元にあてた。思わぬ掘り出し物を喜ぶシャッツに対して、タクトはやや引き気味に答えている。
その表情からはどうにも拒否の気持ちが感じられるが、膝丈の上衣と下履の上下に対して、何故そんなに忌避感があるのか、私には分からない。
街中の古着屋にしては、さしてくたびれてもいないし、中々良いものだと思う。中流階級の者にしては気品というものをそこそこ分かった人間が、仕立てさせて使っていたのだろう。
「あれ、好きくない感じ? じゃあねぇ……」
即座に他の服を物色し始めるシャッツを、タクトはほっと胸を撫で下ろしながら見守っている。
私はシャッツが戻したばかりの衣装をもう一度手に取り、タクトの胸元にあててみた。
――うん、似合う。
「悪くないと思うのですが……」
「おい、あんた本気で言ってるの?」
「どこがそんなにお嫌いなのですか? あ、腰が絞られてる意匠があまりにも当世風お好みではないとか?」
尋ねた私に向けて、タクトは眉間にしわを寄せる。
「いや、流行りとか知らんけど。何でそれそんな肩んとこ出張ってがっちりしてるの?」
「男らしいですね」
「いや、何でそんなカーテンみたいなごわごわした生地なの?」
「しっかりした織りですね」
「そんで何でそんな目に痛いようなケバケバしい色なの?」
「こんな鮮やかな色が出るなんて、腕の良い染師ですね」
「――あと、何かおっさんの匂いするんだけど!」
「古着ですから……後で洗えば良いじゃないですか」
「げぇ。おっさんの古着……げぇ……」
本気で嫌そうな様子なので、私はそれ以上何も言わないことにした。
どうやら古着である、という点で、既にタクトの選択肢からはかなり逸れてしまうらしい。
やはり勇者さまともなれば、古着など着ないという事だろうか。
私やリヒト上級神官は神官なので、普段の衣服は階級に合わせた神官衣を支給される。そのため、自分ではほとんど利用することはないのだが、一般的な市民の間で古着のやり取りは当然のことだという常識くらいはあるのだ。
真新しい衣を仕立てられる人間など、上流階級の支配層と一般市民の中でもかなりのお金を持っているほんの一握りに限られてしまう。
タクトは元々かなり上の階級であったのだろう、というリヒト上級神官の推測が、この様子からも裏付けられてしまう訳だった。
「でも、タクト……さすがにタクトが最初から着てらしたそのお召し物も、そろそろ寿命だと思うのです」
私の言葉を聞いて、タクトは嫌そうな顔で自分の衣服を見下ろした。
著しく丈の短い上衣――と本人は言っているが、遠目に見れば薄いわ軽いわで下着にしか見えない。ので、今日は外出にあたって、こちらで用意した上衣をもう一枚、上に羽織ってもらっている。
その下には擦り切れた青い下履。
ともに毎日の繰り返し着用に耐え――うーん、まあぎりぎり耐えているか。とりあえず、まだぱっと見て分かる部分は破けたりしていない。
この上下、どこにも縫い目が見当たらないので、逆に遠目では一枚布をまとっただけの貧民のようにも見えるのだが、実は――よくよく見せてもらうと、ものすごい裁縫技術でしっかりと縫い合わされているという見事な一品なのだ。
タクトはこの装いがお気に入りらしく、こちらからお渡しするものは基本的に着てくれない。今までに着てくれたことがあるのは、せいぜい汚れを落とすために洗って乾かすまでの間、室内で代わりに着ている部屋着類くらいだろうか。
それが、今日に限ってはシャッツの「それじゃ下着か部屋着にしか見えないよ」とという一言であっさり上衣を――上に羽織るだけとは言っても――着てくれた。
これも譲歩かありがたい――と思っているはずなのだけど、私の胸の中で何かが引っかかっているのも事実だった。
「寿命だろうが何だろうが……俺はこれ、着るし。ここにはどうせTシャツもジーンズも着替えはないし」
「てぃーしゃ? 綿の綾織り下履……あ、下履の方は何だか作れそうな気持ちがしてきました!」
「待て、あんたまた自分で作ろうとかしてないだろうな!? 約束思い出せ!」
「約束? 『1つ、ルイーネは何か変わったことをするときは、タクトに相談してからにします』……タクトは新しい綿の綾織り下履があると嬉しいですか?」
「いらない!」
「……ですか」
ここから一番近い綿の産地は――などと考えていたのだが、どうやらいらないらしい。
一度しょんぼりとしてから顔を上げると、何故か目が合った途端にタクトがそっぽを向いた。
そう言えば、新しい服なんていらないと言っている割に、この店に立ち寄ったのは――これまた、シャッツのお誘いの結果だったりしたのだっけ。
もやもやした思いがこらえきれなくて。
吐き出すように――ついうっかり口にした。
「あの……タクトは、何故そんなにシャッツに優しいのですか?」
はっとした顔で再び私を見たタクトが、少しだけ躊躇して口を開き――何故かそこはかとない怒りを湛えて閉じる。
その表情の変化を不思議に思った次の瞬間、怒りの理由らしきものが私の腕に指をからめてきた。
「――ねぇねぇルイーネ、見て。あっちに可愛いドレスがあるよ?」
私にしなだれかかる小柄な褐色の身体は、紅い瞳を面白そうに輝かせている。
ただし、私に向けて話しているというのに、何故か私でなくタクトを見ているのだが。
「炎の精霊――」
「ほら、あれ。あんな綺麗な赤色なら、きっとルイーネにぴったりだね」
「私はドレスは着ませんが」
「絶対に?」
「絶対……ではないですが、基本的には着ませんし、着たくありません」
絶対を言い切れないのは、以前、打つ手に悩んだ結果、しかたなく着たことがあったからだったりなかったり。
「ふーん、絶対ではないなら、あたしがお願いすれば着てくれるよねぇ?」
「えっ!? いや、それは……あの……」
着たいなんてある訳ないが、人智を超えた四大精霊の一の言葉と思えば、あっさり「いいえ」とも言い難い。
何と答えようかと悩んでいる私の耳に、小さな声が聞こえてきた。
「……どうせ嫌だ嫌だって言ってても、その程度なんだろ。あんた言ってることとやってることが違うんだよ」
ぼそりと吐き捨てたのは、タクトだった。
その何とも言えない皮肉な響きに驚いてタクトの方へ顔を向けたが、その時には向こうは私から目を背けていて、表情がうまく掴めなかった。
どういうことだろう。
そんなに憎々しげに言われるほど、私のドレス姿は酷いということか。
先日私が着て見せたドレスは、そんなに駄目だったんだろうか。
駄目だったとしたら、あれはあくまでシャッツとリヒト上級神官の趣味が問題なのであって、この古今東西の知識の宝庫、選ばれしエリート神官ルイーネは何にも悪くないのであると、強く主張したいのだが。
悩む私の隣で、炎の精霊がくすくす笑っている。
「あは。あの様子だと、よっぽどルイーネがドレス着たところが見たいんだね。だから断られて怒ってるんだ」
「……え? そ、そうなのですか?」
そうそう、と嬉しそうに頷く炎の精霊の、紅い瞳がきらきら輝いている。
なるほど、そっち方面には考えてはいなかった。しかし、炎の精霊が言うからにはそうなのかもしれない。
かつてタクトのために、シャッツのふりふりドレスを着た私の姿が、そんなにも面白かったということなのだろう。
であれば……やはり、もう一度着てみることも、本気で視野に入れた方が良いのだろうか。
いや、約束では、何かをするならタクトに相談しなければならないのだった。
むう、こういう誰かのことを考えながら動く状況は初めてなので、何から手を付ければ良いのかなかなかに難しい。
悩んでいると、ついに炎の精霊が声を上げて笑い始めた。
そんな私達の方へ、シャッツがやや薄手の白い上衣を持って、駆け寄ってくる。
「ね、これだったらタクトも好きな感じなんじゃない?」
「あ、良いかもね」
そもそも私は悩んでいたはずなのだが――シャッツが笑った途端に笑顔を返すタクトを見ていると、何だか悩みとまでは言えないような居心地の悪さを感じて、やっぱり胸がぐるぐるしてくるのだった。
そんな私を見て、炎の精霊は堪えきれないようにお腹を抱えて身を捩る。
微笑み合うシャッツとタクト。
笑い転げる炎の精霊。
今日は楽しいお買い物日和のはずなのに、皆の中にいて、私だけが何だか楽しくない。
ああ、もう面倒だな。
もしもタクトが笑ってくれるなら、ドレスくらい着ても良いかも。
それで、シャッツに見せているような笑顔を、私にも向けてくれるなら。
胸の中のもやもやとドレスを秤にかける私の耳に、遠くでタクトが低く低く呟くのが聞こえた。
「あの精霊娘――シャッツが帰ったら覚えてろ」――なんて、不穏な言葉を。




