3人いると、1人はみ出す(承)
「でさ、そこのお店で食べたら、お兄ちゃん、お腹壊しちゃって!」
「へー、それ、シャッツは大丈夫だったの?」
「あたしは危ないと思ったから、食べなかったの。お兄ちゃんは本当に食いしん坊なんだよね」
「あはは、それっぽいな」
ずずず……と音を立てて、お茶を啜った。
そんな私を見向きもせず、タクトとシャッツは談笑を続けている。
「お兄ちゃんは全体的に危機意識が薄いんだから。前にもさぁ……」
「前にも?」
ずずずずず……。
ふと、爽やかな風が私達の上を舞っていくのに気付いて、私は顔を上げた。
ぴちゅぴちゅと、どこからか小鳥の鳴き声が響いてくる。
ベランダに置いたテーブルは、ぽかぽかとした春の陽気に照らされて、仄かに温まっていた。
――さて、お気づきだろうか。
私達、なんとベランダにいるのだ!
いや、もちろん私にとってベランダなど珍しい場所ではない。
珍しいのは、お散歩以外では頑として部屋から外へ出なかったタクトが、今、この露天のテーブルに共についている、ということだ!
きっかけは簡単。
リヒト上級神官の妹姫シャッツが、「今日は良いお天気だし、外でお茶しようよ!」と言い出したことがすべての始まりで――それ以外の仕掛けなどはない。
私だって今まで何度か、同じことを言ったこともあったのだが――全て「埃入るでしょ、却下」と断られ続けてきたのに! のに! のにのに!
「でさ、もうどうしようもないから店員さんに……」
「ははっ、なるほどな」
楽しげに笑い合う2人の傍、私は再びずずずっとお茶を啜る。
明るく愛らしいシャッツと、いつになく爽やかなタクトの初々しくも友情をかわす姿を見ていると、何だか私も嬉しく――
「でね、お兄ちゃんたら……」
「うわあ、それはすごいな!」
私も嬉しく――
「もー、本当にどうしようもないよね」
「あはは、そうだね」
――あれ、嬉しく、ない?
ずずず……。
笑い合う2人を見ながら、私は、何故か徐々に萎んでいく気持ちで、お茶を啜り続けるのだった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「じゃーね、タクト! 今日は楽しかった! 明日は一緒に例のお店、見に行こうね!」
「うん、また明日」
ひらひら手を振って扉を出て行くシャッツを、タクトが笑顔で見送っている。
しかも、話の内容的に――明日は街に出てみるとか、何かそんな話になっているような……?
あ、すごい、笑顔でお誘いを受けるタクトだ!
え!? うそうそ! 本当!?
慌てて両目を擦ったけど、ちょっと不審そうにこちらをチラ見しただけで、すぐに笑顔に戻ったタクトは、シャッツに向けて手を振った。
いや、待って。ちょっと考えてみよう。
私、こんな風に笑ってるタクトを見たことなんか、数える程の回数しかないような気がする。
しかもその内の数回は、タクトの可愛がってる風竜が遊びに来たときのことだったりして――あれ、あれ? 私自身にこんな笑顔って、向けられたことあっただろうか?
ばたん、と扉が閉まった瞬間に、息を吐いたタクトがベッドに潜り込んだ。
「あー……ベッドぉ……」
ついさっきまでの態度を捨てきったかのように、だれてごろーん、と転がっている。
ここにはまだ私もいるのだが――タクトは私の存在など、忘れ果てたかのようだ。
「あの、タクト……」
呼びかけてみたが、答えは返ってこない。
「タクト!」
「なにさ」
ようやく答えた。
しかし、頭はシーツに突っ込んだまま、こちらを向いてはくれない。
何だか寂しくなって、私はベッドの横に跪いた。
「あのちょっと、さっきと態度違いすぎませんか!?」
「なにが」
「だから――私の前とシャッツの前で、ずいぶん態度が……」
言いかけたところで、タクトがちらりとこちらを見る。
「……あのさぁ、俺、もう眠いんだけど」
「眠――ちょ、まだお昼過ぎですよ!?」
「や、疲れたから」
「疲れたって――タクトぉ!」
「寝るから出てって」
「うー……タクトのばかぁ!」
「――わふっ!?」
ぼふん、とクッションを投げつけておいて、私は慌てて部屋を出た。
背中に何やら罵声が飛んだような気がするが、耳を塞いでそのまま扉を閉めた。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
自室に飛び込んで、後ろ手に扉を閉める。
胸の中がもやもやとするのだが、何が理由なのかも全く分からない。
タクトが私に失礼な態度をとっているから?
――いや、タクトはいつだって私に失礼だ。
むしろ、最近はマシになった方と言っても良い。
今日は良い天気だから、一緒にお散歩しようと思っていたのに、行けなかったから?
――いや、お散歩なら、これから1人でだって行けば良い。
そもそも、ベランダで食事をした時点で、タクトを外に誘うという本日の目標を達成している。
もしかして私は、シャッツが嫌いなのだろうか?
――いやいや、リヒト上級神官と一緒にいた時は、特に何も思わなかった。
女子とはこういうものか、ノリが違って少し面倒臭い、くらいは感じたかも知れないけれど。
ぼんやりしながらもやもやを追いかけている内に、部屋が暗くなってきていた。どうやら日が落ちたらしい。
手元が見えなくなってきていることに気付いて、慌てて燭台に灯りをともす。
ふわり、と揺れた炎を見ていると、耳元でくすくす笑う声が聞こえてきた。
「この笑い声は……」
「ルイーネったら珍しい仏頂面。どうしたの?」
「――炎の精霊?」
振り向くと、燃えるような赤い髪の乙女が、楽しそうに笑っていた。
数少ない私と会話をしてくれる人の一人である炎の精霊は、いつも、私と同い年くらいの少女の姿をしている。
その分、少しだけ水の精霊よりも話しやすい感じはするのだけれど、炎の精霊の好む感情は幅が狭いらしい。私がその感情にどっぷり浸かっている時以外は、傍に来てはくれないのだ。
そう、彼女を呼ぶ感情の名は――嫉妬。
「……あれ、私、今嫉妬なんて感じてました? でも誰かが私より上手に神術を使った訳でもありませんし、私より上手に走れたとか、私のまだ読んでいない書籍を読破したとか……」
「あははっ! ルイーネ、何言ってるの?」
炎の精霊の両手が私の後ろから、肩を抱き寄せる。
柔らかい髪が私の頬に当たり、真横に見える真っ赤な唇が小さく動いた。
「人間が一番嫉妬するのは、いつだって大好きな人間を奪われた時だよ?」
どくり、と胸が鳴る。
大好きな人間?
誰が。
――誰を。
「初めての友だちを、取られたと思ったんだよね?」
くすくす笑う炎の精霊の息が燭台の炎を揺らす。
私の明晰な思考力は、けれど今だけはその動きを止めていた。
炎の精霊が何のことを言っているのか――さっぱり分からないのだから。
「大丈夫だよ、ルイーネには、あたしがついてる。明日一緒に取り返しに行こうよ」
「取り返す……?」
何をどうするつもりなのだろう。
明日――は、確か。
「……タクトは、街へ行くと言っていました」
「あたし達も行こう、ね?」
何故私は、タクトのことなど口にしたのだろう。
何一つ訳が分からないのだけれど――分からないまま、何故か頷いている自分の気持ちが、一番分からない……。




