生きものって可愛いだけじゃ世話できない(結)
這いつくばったままの私は、タクトの魔力圧で顔も上げられない。
だからはっきりとは分からないのだけれど、私が自分のことで手一杯になっている内に、風の精霊はまた一歩タクトに近付いたようだった。
苦しげに、だがそれでも消えない余裕を持って、我々を――タクトを蔑んでいる。
「これだから人間の愚かさは罪深い。風竜を一介の獣と同じく見ているのか」
「何だって……!?」
タクトが怒りで声を上げた途端に、ぎりり、と両肩にかかる圧力が強まった。
私はもう声も出せず、潰れぬように踏ん張るだけだ。
私の肩を抱く水の精霊の手に、力が篭もる。
「……もうっ、勇者ともあろう者が好き勝手して――」
悔しげな声はタクトには届かなかったらしい。
がん、と瓦礫を蹴り飛ばす音が前方から聞こえてきた。
「何が愚かなんだよ! 1人では生きられない生き物を見て、何でみんな捨てろなんて簡単に言えるんだ。こんなとこに呼び出されて、きっと今頃ポチは死んじまってるんだ、あいつらは面倒なんか絶対見ない! きっと食べ物も食べられずに死んじゃってる……だから、今度こそ俺はこいつを守るんだ!」
タクトらしくない悲痛な叫びを聞きながら、私は胸の奥から息を絞り出した。
ぽちは、いたのだ。
多分……タクトの元の世界に。
守りたかったのに守れなかった『ぽち』がいたのだ。
それも、どうやら私たちのせいで――!
私の言葉よりも、風の精霊の呆れた声の方が早かった。
「だから、愚かだと言うのだ」
「――何だよ!?」
「そいつはぽちなどではない。風竜はみな風の精霊に仕える生き物、風の精霊の力を食らって生きるのだ。我ら、離れては生きていけぬ」
「え?」
「きゅあぁ……」
不思議そうなタクトの声に、切ない子ドラゴンの鳴き声が重なる。
「それが証拠に、貴様、今日までそいつに何を食わせようとした? 何をやっても食わなかっただろう」
「え?」
「物を食えねば、いずれは痩せ細り死ぬだけ。貴様がやっていることは、そいつを助けているように見えて、本当は――」
諭す口調の風の精霊を、タクトが呆然と遮った。
「――や、食ってたけど」
「え?」
「食ってたけど。めっちゃ。麦餅の精霊の雫がけとか」
「え?」
「きゅあっ」
ぴょん、とタクトの腕から飛び降りたぽちが、突き出したお腹を小さなツメのついた手で、ぽんぽんと叩いている。
「きゅあっ!」
良く分からないけれど――美味しかったらしい。
呆然としたことでタクトの支配する魔力が力を失い、私と水の精霊はようやく魔力に抗うのを止めて、息を吐いた。
全員が何となく黙って、きゅあきゅあ鳴く子ドラゴンを見やる。
そんな中で、誰より早く硬直から逃れた風の精霊が、わなわなと両手を震わせながら叫んだ。
「――おま……何やっとんじゃあ!?」
「きゅあ!」
「何で食べるの何で食べるの何でいつも食べちゃうんですか!? 知らない人に貰ったもの食べちゃいけませんって言ってるだろうが! あなたがそういうことだからドラゴンは無害な姿に化けて人を襲う暴食の生き物だなんて噂が広まるんでしょ!」
「きゅぅぅあっ!」
「そもそも食べても何の力にもならないんですよ!?」
「きゅきゅうっ」
「ですからっ……じゃなくて、だから迎えに来るのが遅いって、文句言うくらいならそっちが早く帰って来い!」
「きゅああぁ!」
傍目にはぽちが何を言っているのか分からないのだが、どうも風の精霊には通じているらしい。途中何かおかしいとこがありつつも、我を失ってまくしたてる風の精霊と落ち着いた子ドラゴンの様子を見ていると、全体としてはぽちが優勢のようだった。
身振り手振りで何かを訴えるぽちに、しばらく文句を言っていた風の精霊は、やがてがっくりと首を垂れた。
『あぁぁ……もう良いです! 分かった、分かりました! とにかく私たち――いや、我らは離れては生きていけないのだ。一緒に帰ろう、な?」
優しい声を聞いて、ぽちと――タクトがぴくりと肩を動かした。
自分より身体の小さいぽちの前にそっと跪き、その頭を撫でるように手を伸ばすタクト。
ずるい、私もやってほしい。
「ポチ」
「……きゅあ」
「ポチは、帰りたいのか? 本当はお腹がすいてたのか?」
問いかけに一瞬だけ迷った後、ぽちは確かに小さく頷いた。
その頷きを見て、タクトは眉を寄せる。
「お前は、俺と一緒にいるよりも……」
言いかけて、でもぽちの切なげな瞳を見て、口を閉じる。
ぽちの小さな手が、タクトの膝に乗せられた。
「きゅあぁ……」
「……うん、そうだな。どっちを選ぶとか言う話じゃないんだな」
「きゅあっきゅあっ」
「うん、分かった。あんた1匹で生きていけるんだよな。俺の……ポチとは違うんだ」
「きゅあぅ……」
「ああ、元気で」
タクトの声は小さくて、何かを我慢してるみたいだった。
でも、何を我慢してるのかなんて、言わなかったから――私も尋ねはしなかった。
ぽちがタクトから手を離し、よちよちと風の精霊の足元へ歩いていく。
その背中を見るタクトの横に、何とか立ち上がった私は歩み寄った。
タクトは振り向きもしなかったけど、黙ってその手を取る。
「……何だよ」
「私はこの世界に住むただの人間で、もしかするとあなたのぽちの死の原因を作ったかも知れない人間の1人で、その上ぽちの代わりにもなりませんが」
タクトは答えない。
小さく息を吸って、そのまま言葉を続けた。
「でも……私は、ずっとお傍であなたを守りますから」
割と決死の言葉だったのだけれど、タクトはやっぱり答えない。
こちらを見もしないまま――それでも、繋いだ手は振りほどかれなかった。
私はもう答えを待つのを止めて、風の精霊と子ドラゴンの方へ視線を向けた。
「全く。迎えに来るのも一苦労なのに……」
ぼそりと呟いた風の精霊が指先をかざすと、2人の周りを窓から吹き込んできた旋風が取り巻いた。
姿を隠した風は徐々にゆるくなり――その隙間から、何やら巨大な影が見え始める。
完全に風がやんだとき、そこにいたのは――
「子ドラゴン……じゃ、なかったのかよ」
「だから言ったじゃないですか、ドラゴンは変化の神術が使えるのです……」
「言ってないぞ、ルイーネ」
「言ってませんでしたっけ……?」
風の向こうに立っていたのは、部屋の天井に頭をこするってる巨大なドラゴンと、それに寄り添う美女だった。豊かな胸元と細い腰に薄い緑のドレスを纏わせて、気だるげにドラゴンの鱗を撫でている。
緑の髪のさっきまで少女だったはずの美女が、顎を上げてタクトを見下ろした。
「随分と世話になったと、こいつが言っている。一宿一飯の礼で八つ裂きは勘弁してやる。代わりに1つ貴様に罰を与よう」
「……罰?」
「ちっ……世話になっといて偉そうに」
問い返すタクトの後ろから、私についてきた水の精霊が舌打ちをしている。
ぱしゃり、と鳴った水音は戦闘準備に入った証だろう。
その水飛沫が暴れだす前に、風の精霊は慌てたように巨大なドラゴンによじ登り、背中に横向きに座った。
「罰とはな、もしもこいつが次にここに来ることがあれば、貴様は必ず餌を与えねばならない、ということだ」
「餌を――」
「こいつ、精霊の風上にもおけぬ悪食なのか、貴様のくれた人間の食べ物が妙に気に入ったらしいからな……」
「ポチ……!」
「がぶるるるうぅ……」
ぽちが喉元で唸っている。
その姿を満面の笑みで見上げたタクトは、私の手を振りほどいて、ごつごつした鱗に覆われた首に抱きついた。
ぽちもまた大きなツメの先で、慎重にタクトの背中を撫でている。
「あっ、ちょ……私の存在……」
「こら! 風竜に気安く触るでない!」
私と風の精霊の言葉を聞いているのかいないのか、2人は嬉しそうにいつまでも抱擁を続けたのだった。
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星もない夜闇に紛れて、聖なる泉に降り立つ小さな影が1つ。
膜の張った翼をゆっくりとたたんだ子ドラゴンに、泉の底から姿を現した水の精霊は呆れた声をかけた。
「……これだから風の精霊は質が悪いって言うのよ。わたしまで騙そうだなんて」
「騙される方が悪いのさ」
答える女の声は、子ドラゴンの小さな牙の向こうから漏れていた。
くくっと笑った後に、言葉が続く。
「……しかし、気付いたことは褒めてやっても良いかと思っているよ。変化の術は風の精霊の独壇場だと言うのに。いつ気付いた?」
「いつ? 最初から気付いてたわよ、バーカ」
「それは嘘だな」
「もう、ムカつく! あの風竜が大人の姿になった時に気付いたわよ! わたしはあなたの真の姿も知らないし、大人の女の姿をしてる時だって毎回ばらばらだけれど……どれも胸元まな板じゃない」
「……この世界には、水の精霊などいらんかもな」
「あら、この豊かな胸を羨ましがったって、分けてやることも出来ないから残念ね」
「誰が羨ましがるか。この乳牛が」
「まな板に言われても痛くも痒くもないわ」
きゅあっ、と甲高い声で鳴いた子ドラゴンの周囲に、風が巻き起こる。
しばらく周りを旋回してから風が消えた後には、緑の髪をした細身の女が白いシャツを纏って立っていた。
「……ま、見破られたところで痛くも痒くもなし」
「ふん。無害な獣の振りしてまで、何しに来たのよ」
「何を? 召喚されたと言う勇者さまを見に来たに決まっているだろう」
呆れた顔で、水の精霊はため息をつく。
その表情を見て、女は――風の精霊はますます笑みを深めた。
「物好きだこと。勇者とやらは好きにすれば良いけれど――わたしの神官には手を出さないでね」
「そちらこそ」
「あなたのフリして頑張った哀れな風竜にもよろしく伝えて。本気で力をぶつけて悪かったわ」
「彼は今、千切れてまだらになった鱗を嘆いているよ。治るのにどれだけかかることか。可哀想なことをするものだ」
「あなたがね」
絡み合った青と緑の視線が、2人の間で火花を散らす。
「全く。自分の楽しみ半分で救世主に絡むのは止めなさいよ」
「お前がな」
「……わたしは自分からあなたのことバラすつもりはないけれど……ルイーネに聞かれれば隠さないわよ」
「構わんさ。その内、私が自分から言うかも知れないし」
「相変わらずね」
「風は気まぐれなのさ」
くすくす響く笑い声は、吹き抜けた風とともに薄れ、やがて消えていった。




