生きものって可愛いだけじゃ世話できない(転)
「タクト――!?」
水の精霊に手を引かれて、部屋まで辿り着いた。
途中まで私が先を走っていたはずだったのが、どこで前後が入れ替わったのだろうか。
どうやら、私よりもウンディーネの方が駆けっこが速いらしい。
扉に手をかけ、思い切り開けた途端、室内の惨状に言葉を失った。
床に散らばるのは家具の破片、窓の欠片。壁にも酷い傷跡が残っている。
国王レーゲンボーゲン陛下の居室と比較は出来ないとしても、勇者を迎えるに相応しい見事な設えであったはずの部屋は、バラバラの瓦礫の積み上がるゴミ置き場になっていた。
瓦礫の中央に、きゅかきゅか鳴き続ける子ドラゴンを抱きしめたタクトが1人立ち、窓の向こうを睨んでいる。
視線の先には、割り砕かれた窓。
窓枠に残った欠片の先に見えるのは、宙に浮かぶ小さな影。
そこまで見て取ってから、私は室内へと踏み込んだ。
「タクトっ! ご無事ですか!?」
「ルイーネ……」
振り向いたタクトの頬や手足には、擦り傷が多少あるくらいで全体としては大きな怪我はなさそうだ。
背中に庇うように窓とタクトの間に割り入り、窓の向こうの人影から自分の身体の後ろに隠した。
「……幾ら信仰の対象たるお方とは言え、世界を救うべく降り立った勇者さまに対し、このような乱暴な訪れは許されません!」
きっ、と睨みつけてやったが、人影は少し笑ったようだ。
砕けた窓を乗り越えて、室内へと入ってくる。
外にいる間は逆光ではっきりと見えなかったが、落ち着いて部屋の中で観察すれば、それは――幼い少女、のように見えた。
「わの手のものを捕りたるは、なれか?」
えらく古い言葉遣いだが、この私の豊富な知識をもってすれば、何とか意味は理解出来る。
どうやら、自分の手下を捕まえたのはお前か、と聞いているらしい。
私に向けた問いなのか、タクトに向けてかは知らないが、前に立つ以上、私が答えねばならない。
意味は理解出来ているとしても、さすがに同じ時代の言葉遣いで返答するのは無理だけれど。
瓦礫の山。水の精霊の思わせぶりな言葉。子ドラゴンの存在。
もちろん私には、この少女の存在に思い当たりがあった。
タクトの腕の中で、「きゅあっ」と子ドラゴンがまた鳴き声を上げる。
跪きたい気持ちを押さえて、私は胸を張って答えた。
「……いえ、捕まえた訳ではありません。怪我をしていたので、このエリート神官ルイーネが保護していただけです!」
私の背後で、タクトが「エリート関係ない」と呟いたが、無視する。
この際、問題はそこではない。保護したのは私ではなくタクトなのだが、そうと知られればこの少女――風の精霊に何をされるか分からない。
そこを私が初めて結んだ友情を優先することで、必死に庇っているのだということを、是非とも汲んで頂きたい。さすが親友のルイーネだ、くらい言っても良いのではないだろうか。
少女はただでさえ大きな緑の瞳をますます見開いて、踵に届くほど長い深緑の髪を背中に広げながら、私達の方へと歩み寄ってくる。
何かを呟いたように聞こえたが、もう今度こそ意味が分からなかった。
「……まいねしゅぷらひぇ、いすとつーあると?」
神聖精霊語だ。
聞こえたままを繰り返して、部分的に意味がとれたような――私、古い……いやだめだ、文章としては全く分からない。
私の横から水の精霊が、呆れた顔で少女を窘めた。
「そうよ、あなたちょっとは周りを見なさい。もうあなたの知っている時代じゃなくてよ。これだから流行りに疎いって言うのよ」
「わを何者とかわきまふる……こほん。短命の虫けらに合わせる必要などあるものか。私ではなく、貴様らが合わせて話せば良かろうもの」
とか言いながら、言葉遣いを若干直してくれたのはありがたい。もしもあのまま喋るつもりなのであれば、翻訳ブレスレットを付けてもらいたいな、くらいは思っていたところだったので。
ぐぃ、と見上げる顔は幼いとは言えさすがに人智を超えた精霊の美しさ。深緑の大きな瞳が真っ直ぐに私を見上げてくる。
表情の失せた少女の背後から、冷たい風が吹き込んできた。
「風の精霊よ……!」
私の呼び声に応え、少女が――風の精霊が目を細める。
――が、すぐに右手を軽く振って囁いた。
「貴様ではないな、さがれ」
「んっ!?」
指先だけで起こしたとは思えない風が吹き荒れて、足元がぐらついた。
その隙を見逃さぬように、勢いのある風が正面から飛び込んできて、私を吹き飛ばす。
「あっ――!」
「ルイーネっ!」
咄嗟に水の精霊の出した柔らかい水に包まれて、何とか壁に激突するのは免れた。
だが、私が退けたことで、風の精霊はタクトへと迫っている。
「た、タクトが――!」
「任せて!」
水の精霊が一瞬沈み込んで床に姿を消したかと思うと、風の精霊の目前に、湧き上がる泉のように身体を伸ばした。
「……この性悪女っ! わたしのルイーネに何するのよ!」
「貴様に言われたくない、粘着女」
瞬間、何が起こったのか、人の身では理解し得なかった。
ただ強烈な光が室内に満ちる。
しばらくしてから、力の残滓となった飛沫とかまいたちが辺りに散って、2人の精霊が何かを相殺させたことだけが分かった。
水の精霊の方が力が強かったのだろうか。無傷で腕を組む水の精霊の眼前で、肌に細かな傷を負った少女が憎しみを込めた眼で見上げている。
少し間を置いて、背後のカーテンがずたずたに千切れて宙を舞った。
「貴様とやり合うつもりも、あの神官にも興味はない。私はウチの子を取り戻しに来ただけだ。大人しく返せば、攫った人間を八つ裂きにするだけで許してやる」
全然許されてない。
慌てて壁際から声を上げる。
「大人しく返してそれってことは、返さなかったらどうなるんですか!?」
「辺りの人間全てを八つ裂きにして取り返すまで」
どっちにしろ八つ裂きらしい。
八つ裂きにされたタクトを想像して、思わずぶんぶんと首を振った。
精霊の力は絶大、我ら人間はその恩恵を受けて生かされているだけ。
風の精霊が一度こうと決めたことに逆らうことなど出来はしない。
「タクト……!」
「うるさい、もう決めた。ポチは俺が飼うんだ」
「きゅあっ」
「ちょ――いつの間に名前付けたのですか!?」
答えは返ってこない。
タクトは私や風の精霊から庇うように、子ドラゴン――ぽちを抱きしめて背中を丸めた。
「ポチは……ポチはもう捨てさせたりしない! 今度こそ俺が幸せにしてやるんだから!」
「今度こそ? あっ、待って下さいタクト――!」
「邪魔するなら、精霊だろうがなんだろうが――俺の、敵だ」
私の制止も聞かぬまま、タクトが怒りを湛えた黒い瞳を輝かせた。
タクトの身体から漆黒の闇に似た魔力が噴き上がり、そして室内を押し潰すような圧力が真上からかかった。
頭上から押さえつけてくる力に耐えきれず、私は床に両手を突いて這いつくばる。
「……くっ……」
「ルイーネっ!」
水の精霊が慌てた声で私を呼んだ。
飛ぶように私の傍に戻ってきた柔らかい腕が、私の身体を包んだのを何とか知覚する。
結界を張ってくれたのだろう。少しだけ圧力が弱まったように感じたが――気づけば、私の肩にかかった腕すらも小刻みに震えていた。
これが勇者の力。
私ごときでは、深い闇の圧力に抗うのが精一杯で、額の汗を拭う隙もない。
ほとんど顔も上げられない。
タクトが今、どんな顔をしているのかも見えぬまま、私はただ震える腕で自分の身体を支えていた。




