生きものって可愛いだけじゃ世話できない(起)
前回の出来事をきっかけに、タクトは少しずつ外に出るようになった。
もちろん、あんなハイテンションやる気全開で外へ向かってたのは、熱のせいだったようなのだが。
『みずれっぽ』で遊んだことも、何だか記憶があやふやらしい。
また一緒に遊んでくれないだろうかと思っているのだが、水の精霊に阻止されている。
それにしても、タクトは私が困れば魔王退治に行っても良い、とも言っていたし、どうやら勇者さまとしての役割を果たしてくれる日も近付いてきそうな……!
あまり焦る気持ちがある訳でもないのだが、ずっと引きこもっているのも身体に悪いし、最近は毎朝、宮殿の中壁の周りを一緒に散歩することにしている。
……とは言っても、タクトが出歩く時には条件があって、その行動には微妙なルールがあるらしい。
散歩するのは、宮殿の敷地内だけ。
私が隣にいるときだけ。
雨が降ったり風が強かったりしたら、即お部屋へ逆戻り。
つまり――魔王退治の旅まではまだ遠い、ということなのだった……。
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昨晩はひどい嵐だった。
私以外の神官や兵士達は被害を確認する為に、宮殿を出払っている。
「勇者係」の私だけが、普段通りの朝を過ごしている、ということになる。
少しばかり気が引けるのは確かだが……それは、口に出しても仕方がないことだ。
私の――『この世界』の都合で、焦ってタクトを外へ連れ出そうとしても、本人には理解されない。そのことが分かってきたから。
隣のタクトはいつも通り眠たそうな眼で、ぼんやりと歩いている。
昨夜の嵐が嘘のような、良い天気だ。
濡れた地面に差す、春らしい麗らかな木漏れ日が心地良い。
よく晴れた1日になりそうだ……なんてぼんやりと空を眺めていたら、隣を歩いていたタクトが、ふと足を止めた。
「……あ」
「タクト、どうしたのですか?」
呼びかける私を置いて、ととっと壁際に駆け寄り、その場にしゃがみ込む。
タクトの背中の向こうから、頼りない鳴き声が、「……きゅう」と聞こえた。
「……はい? 今、タクト何か言いましたか?」
「きゅう」
「きゅう? きゅうとは何ですか? 何かの食べ物ですか? 翻訳ブレスレットが働いていません」
「何で食べ物に限定するの。俺じゃないよ」
「きゅう」
どうやら、「きゅう」はタクトの鳴き声ではないらしい。
しゃがんだままのタクトの傍へ近づいて、背中の向こうを覗き込んだ。
「……きゅう」
「――こ、これは……!」
小首を傾げてつぶらな瞳で私達を見上げているのは、ちょうど私の膝くらいまでの大きさの子ドラゴンだった。
「タクト! ドラゴンです!」
「あ、やっぱこれがドラゴンなの? すごいね。魔法とかあるしドラゴンとかいるかもとは思ってたけど」
「きゅう」
子ドラゴンは頼りない瞳で私達を見上げている。
そのまん丸い真っ黒な眼はどこか困っているようにも見えた。
ぽってりとした白いお腹は柔らかそうだが、背中を覆う黒い鱗はつやつやと光って硬質な印象がある。
可愛いけれど野生の生き物であることはすぐに分かった。
背骨に沿って後頭部から尻尾の先まで、たてがみ様のトゲも生えているし、短くて小さな手足には更に小さなツメだってついている。
気を許してはいけない。これは野生のドラゴンで、ドラゴンは風の精霊に仕える――とか自分の知識を引っ張り出してたところで、後ろの2本足で立ち上がった子ドラゴンが、首をひねるような仕草をした。
「きゅううぅ……」
いかにも『助けて欲しい』と言っているように見えるが、かつて学んだドラゴン知識を頭の中でぐるぐる回す。
ドラゴンは人間だって食べる!
ドラゴンは成長すると人間より大きくなる!
ドラゴンは――
「きゅう」
「――か、可愛い!」
「だね、可愛いなぁ」
横を見れば、微かに笑みを浮かべてドラゴンを見詰めているタクトがいる。
タクトが子ドラゴンに向けて手を伸ばした。
「怖くないよー、ほーら、おいで」
が、少し怯えた様子で、子ドラゴンは後退りしてしまう。
タクトが私に向けて、指を動かした。
「ルイーネ、あんたそこにいて。俺は向こうに回るから、挟み込んで捕まえよう」
「え、あの……タクト! ドラゴンという種族は――」
私の話を聞かず、歩み去るタクトに追いすがるのも何か違うし、とりあえず素直に指示に従って、怯えた様子で後ずさる子ドラゴンを正面から見つめた。
よくよく目を凝らして初めて気付いたのだが、薄い膜を張った両翼が、子ドラゴンの背中でふるふると震えている。右側の羽が青い液体で濡れていて――そこで私は、ドラゴンの血は青い、という話を思い出した。
「タクト! この子、怪我をしてます」
「それはマズいな、手当しなきゃ」
「はい、しなきゃです!」
私たちは呼吸を合わせながら、静かに近づいていく。
前後を挟む私とタクトを交互に見ながら、子ドラゴンは牙をむき出して唸った。
「くきゅるるるるぅ」
「タクト……!」
「行くぞ……せーのっ!」
がばっ、と両手を広げて飛びついた瞬間――跳ねた子ドラゴンの脚が私の腕を駆け上がり、小さな足の裏で顔を踏んづける。
「ふぎゃっ!?」
「あっ、馬鹿! もうこの運動音痴!」
慌てて近寄ってきたタクトが、私の頭から飛び降りようとしたドラゴンを抱き込んだ。
「きゅあぁぁっ!」
「ひあぁぁぁっ!? 痛い痛い痛いっ! 痛いですタクト!」
「あ、ごめ……ちょっとおとなしくしろっ!」
胴体を抱き込まれた子ドラゴンが、タクトの腕を逃れようと暴れる度に、両足の尖ったツメが私の顔を引っ掻く。細くて小さなツメやまだ子どもの体格に見合った弱い力では、肉が抉れるなんてことはないが、とにかく……頬や額に刺さって痛い。
今度こそ両手でしっかり子ドラゴンを掴んだタクトが、ようやく私の額に引っかかってるツメを掴んで引き剥がした。
「きゅうっ!」
「怒るなよ、ちょっと怪我の様子見るだけだって。ルイーネ、怪我ってこの羽の青いとこ?」
「……痛かったです」
「きゅあっ、きゅあっ」
「な、泣くなよ」
「泣きません」
「泣いてんじゃん」
言い合いながら私も手伝って広げてみると、ざっくりと傷付いた右翼は骨が折れ、それが飛び出しているせいで皮膜も破れてしまっているようだった。
「痛そうです」
「そんな、他人事で泣くなって」
「きゅ……っ」
「泣いてません」
「泣いてるし……」
「きゅあっ!」
「それより、あんた怪我を治す魔法――こないだの水のおばさんのヤツ使えないの?」
「あっ、使えます!」
私は頬を流れる雫を拭ってから、子ドラゴンの羽に右手を優しく当てた。
水の精霊へ祈りを捧げてから、湧き上がる力を子ドラゴンへと送る。
「癒やしの雨!」
ふわりと霧が子ドラゴンを包み、翼から飛び出ていた骨が元の位置へと戻った。
「――今です! 骨を固定するのです!」
「え、これで良いの? 骨折は治ってるの?」
「きゅあぁっ!」
「完全には治ってませんから、固定しておいてまた明日続きで癒やします。そんな一回でぱっと治ったら、そんなのは奇跡ですよ!」
「え、治癒の魔法ってそんなもんなの? 俺がゲームとかで知ってるのはさぁ……」
「げえむ? とにかく早く固定と止血を……! 暴れてまた折れたら大変です」
「きゅう!」
不器用ながらも、2人で何とか子ドラゴンの手当を終えた時には昼餐の時間が来ていて――私とタクトと暴れまわった子ドラゴンは、完全に疲れ果てていたのだった。




