良い感じにノってる時ほど、後のことを心配するべき(後)
「リヒト上級神官、答えて下さい! タクトは大丈夫なのですか、大丈夫なのですよね!? 重篤な状態に陥ったりとか……ああっ! まさかこのまま儚くなったりはしませんよね!?」
「落ち着けって。あんたがそんな慌てても事態は好転しねぇっての」
そわそわうろうろ部屋を歩き回る私の腕を、リヒト上級神官が引いた。
タクトの枕元で様子を見ている彼の声は落ち着いているが、私は全く安心出来なかった。引かれるままに素直に傍に寄り、足元に跪く。
「リヒト上級神官! どうか、どうかタクトを助けてください、お願いします!」
「うえっ!? ……何でいきなりそんな低姿勢なんだよ。いつもの勢いはどうした、エリート」
「エリートと言えども、必要な時は頭を下げます」
両手で彼の手を取り、祈るように見上げると、若干引き気味に手を振りほどかれた。
「お前さんが殊勝だと気持ち悪い」
「どうかタクトを助けろ、お願いします」
「おっ……おお、その調子……?」
「エリートですから」
いつものやり取りをこなしておいて、私は立ち上がり、再び焦る心に引かれて歩き出す。
「とにかく私はただタクトが心配なだけなのです。だってすごく苦しそうにしてますし、思えば朝から何かおかしかった。いつもは部屋を出るのを嫌がるタクトが、自分から外に出ていこうなんておかしいにも程がある! それなのにこの天才的な神術の能力と有り余るほどの精霊知識は何の役にも立たず、私は気付かずに……あっ! もしかしてこれは魔王の仕業でしょうか? もしもそうならば、今すぐ魔王退治に――」
「――落ち着けっつの。その魔王退治に行ってくれる勇者さまがぶっ倒れてるんだから、どうしよもないだろが。あんたが何やら自分のせいだと思い詰めてるのは分かったから」
ぐるぐると歩き回る私の頭の上に、リヒト上級神官の大きな手が乗った。
「良いか? 熱はあるけどそんなすげぇ高熱って程でもないし、安静にして、しばらく様子見るぞ」
「そんな!? 様子見なんて言ってないで今すぐ治癒の神術――癒やしの雨を使ってください! 使いなさい!」
「もう、わざわざ言い直さなくて良いから……癒やしの雨だったら、おれが使うよりあんたの方が得意だろ。そもそも、治癒を司る肝心の精霊があの調子じゃなぁ……」
リヒト上級神官の眼が私から逸れて、部屋の隅をちらりと見る。
視線を追いかけた先には、透き通るように白い肌をした青い髪の麗しき乙女――水の精霊が、その柔らかい腕を胸の前で組み合わせ両足を伸びやかに広げて立ち――ぶっちゃければ、仁王立ちしていた。
「いやよっ! そこのクソガキが、おばさんなんて呼び方を撤回するまで、誰が祈ってこようとも絶対に癒やしの雨なんて使わせないから!」
大人気なくツンとそっぽを向くウンディーネ。
だが、彼女の――精霊の恩恵なくして私達に神術を使うことは出来ない。
困惑する私達の様子を見て、これまで黙ってぜえぜえと息を吐いていたタクトが、ベッドの上で口を小さく開いた。
「……あ! タクト、謝るつもりなんですね!」
近づけた私の耳元に向けて、タクトが掠れた声を絞り出す。
「……あの、おばさんの……力なんか、いらない……!」
「もう、タクト!」
「ほらぁ、わたしそいつ大っ嫌い! 大体、何で神官でもない男が『聖なる泉』で水浴びしてるの!? おかしいでしょ!」
「ウンディーネ、それは私がですね――」
「ルイーネは黙ってて! 悪いのはそこの変なガキよ!」
「お、おばさんの……言うことなんか……」
「もー絶対絶対やだ! このガキ!」
「何だよこの、子どもの喧嘩……」
どうやらウンディーネのこういう態度を初めて見たらしいリヒト上級神官が、呆れた様子でぼそりと呟いた。当の本人には(幸いなことに)聞こえなかったのか、そちらに視線を向けることはなかったが。
「ねえ、ルイーネ。そんなの放っておきましょう? 最近あなた、めっきりご無沙汰だと思ったら、こんなのに関わりあってたのね、幾らお役目とは言え可哀想に……」
「いえ、さして可哀想でもないのですが――」
「でも、わたしが知ったからにはもう大丈夫よ。炎の精霊……はわたしとの仲はちょっとアレだけど、あなたの窮地と知れば力を貸すわ。わたし達がいれば、勇者の力と言えども恐れることはないのよ」
「はあ、そのお気持ちは嬉しいのですが……あ、タクトが勇者さまだってことは、知ってたのですね」
特に急所に突っ込んだつもりではなかったが、私の言葉を聞いてウンディーネはぎくりと身を竦ませた。
「あ、あの……違うのよ?」
「はい?」
「別に、あなたが最近遊びに来ないから、後をつけてたとか、隠れて聞き耳立ててたとか、そういうことじゃないのよ?」
「はい。まさかウンディーネがそんな下衆なことをするとは思ってません」
「下衆……そ、そうよね? そんな下衆なこと、わたしがする訳ないのよ」
「……ごほっごほっ、道理で最近ずっと変な気配が……下衆な上に嘘つくとか……」
「おれ、しばらくウンディーネ系統の神術は封印しよ……」
私とウンディーネの会話を聞いて、何故かタクトとリヒト上級神官がぼやいているが、何をぼやいているんだか良く分からない。
首を傾げる私を置いて寝台に近付いたリヒト上級神官は、タクトの額の汗を布で拭いながら話しかけている。
「勇者さまよぅ。これでうちのルイーネが何でエリートなのか、半分くらいは納得がいっただろ?」
「……?」
「ぼっちでアホの子で体力ゼロだけど、水の精霊と炎の精霊の強力な加護を受けててなぁ。多分、その2つの系列の神術に限って言えば、王国内で右に出る者はいないはずだ」
「……ごほっ、上司のリヒトよりも……?」
「その2つならな。その代わり、ルイーネは他の風の精霊、土の精霊の系統の神術はまるっきり使えん。ちょっとおれらとは違うんだ」
「…………」
「まあ、もう半分は書庫中の精霊知識を丸覚えしてるっつー……他に並ぶもののない精霊マニアってのもあるけどな」
確かに、このエリート神官ルイーネのエリートたる所以は、その卓越した神術の才能と豊富な精霊知識によるものなので、リヒト上級神官の言葉は間違ってはいない。
他に何の取り柄もなかったとしても!
友達と言える友達が1人もいなかったとしても!
私にはこの神術の才能と知識が――とか考えていると、何故か勝手に胸が痛くなってきたので、途中で考えるのを止めた。
私は再びウンディーネに向き直り、両手を握って正面から見詰める。
「……あっ、ルイーネったら、大胆……」
薄布に包まれた白い身体をくねらせて、水の乙女は青い瞳を伏せた。
私は更に一歩近付いて、真っ直ぐにその麗しい顔を見詰める。
「ウンディーネ……」
「……なぁに、ルイーネ?」
「どうしても、癒やしの雨を使わせてくれないのですか……?」
ぴき、と優しげな頬が引き攣った。
「ルイーネこそ、何でそんなクソガキに一生懸命なの!? わたしのことなんて、もうどうでも良いって言うの!?」
噛み付くような声を、私は真剣に受け止め――はっきりと答える。
「どうでも良い訳ないじゃないですか。あなたはこの世界にたった1人の水の精霊。四元素霊の1人、麗しくも偉大な乙女です。数少ない私と会話してくれる人です」
「ルイーネ……!」
潤んだ瞳が、私の少し上から見下ろしてくる。
そんな私達の会話をよそに、背後では小声のやり取り。
「さっきの『おれ達とはちょっと違う』って……もしかして、ルイーネが女に対して恥ずかしい言葉を真顔で言えるから……? それってただ単に稀代の女たらし……はくしゅっ」
「おれが妹に再三突かれてても、なかなか会わせようとしない理由も分かるだろ?」
「あれ、生身の女に効くの? ルイーネからの好意ってだいぶハードル低いし、そんなに喜ぶ女いなさそうな気がするけど……ごほっごほっ」
「試したこたないが……まあ顔は良いし、あれかな、ダメな子程可愛いってタイプには良く効くんじゃねぇかなぁ……」
2人が何言ってるのか全く分からない。
タクトとリヒト上級神官の声を聞き流しながら、私は両手にぎゅっと力を入れた。
万が一タクトに何かあったらと考えて――目頭が熱くなってくる。
「ウンディーネ、お願いします。タクトがこのまま死んだりしたら、魔王退治はままならないし、何より――私は自分の負った責務を果たせず、国王レーゲンボーゲンさまに叱られることになるのです……!」
「――そこっ!?」
背中からタクトが突っ込みを入れてきたけど、改めてスルー。
叱られる以外にも、いなくなったら寂しいとか、色々理由はあるのだけれど、それを口に出す必要性を感じない。
「叱られるのは困ります、私はエリートなので!」
「あいつ、まじムカつくんだけど……っくしっ」
「あー……落ち着け、勇者さま。あいつは言葉の選び方を知らんと言うか、知ってると言うか……」
騒がしい背後とは対象的に、正面のウンディーネは沈黙を守っている。
頬を滑り落ちていく雫の感触を、私は黙って流れるままにした。
私の手を解いて、ゆっくりと伸びてきた水の乙女の指先が、目尻を拭う。そして優しく微笑んだ桃色の薄い唇が、そっと開いて息を吐いた。
「――涙目で見上げてくるルイーネたん、カワイ過ぎる……っ!」
「……俺の翻訳ブレスレット、何かおかしいような気がする」
「安心しろ、おれも何かおかしいような気がしてるから、翻訳の問題じゃない」
ウンディーネは輝くような笑顔を浮かべて、私の頬を両手で挟む。
「いいわ、ルイーネ。今回はあなたに免じて、あのガキに癒やしの雨を使わせてあげる! だって叱られるのは嫌よね。わたしが助けてあげなきゃ、叱られちゃうんだものね!」
「はい、ありがとうございます! さすがウンディーネです。心が広くて優しいウンディーネが、私は大好きです!」
「ええ、ええ……! ねえルイーネ……お願いを聞いてあげるのだから、代わりに今度、わたしと一緒に――」
「そうと決まればウンディーネ、さっそく癒やしの雨を使います! よろしくお願いしますね」
白い手を引いて、タクトの横たわる寝台へと近付いた私に――何故か、呆然とした2対の瞳が向けられたのだった。
「……? どうしました、2人とも?」
「……うわあ……ごほっ」
「これがエリートのスルースキルか……」
「何を言っているのか分かりませんが、確かに私はこのエルフェンバイン王国に仕えるエリート上位神官ルイーネで間違いありません」
私には良く分からないどこか冷めた空気で、何故かしょんぼりとしたウンディーネの視線を受けながら、私は静かに癒やしの雨の呪文を唱えたのだった。




