良い感じにノってる時ほど、後のことを心配するべき(前)
「……で、これ何?」
「その……前回のお詫びだそうで」
前回べろべろに酔っ払って、謝りながら帰っていったのは、傭兵のベルクだ。
ベルクから貰ったソレをくるくる回しながら、タクトは不思議そうな顔をしている。
何だかちょっと頬が赤いような気がするけれど……気のせいだろうか。
私の視線に気付いて、タクトは眉を上げる。
「いや、お詫びは良いけど。これ、どうやって、何に使うものなの?」
再び手元に視線を落とす。
覗き込んだり、ひっくり返したり。
細長い筒状のソレ、大きさは私の手首から肘くらい。木製の筒で、振るとかすかにカタカタと音がするのは……中が全くの空洞ではないのだろう。
2つあるのは私とタクトに、ということに違いない。
しかし、ベルクに直接会って使い方を聞いた訳でもなく、人づてに渡されただけなので、何に使うものなのかはさっぱり分からないのだった。
「えっと……ちょっと外に出て、誰かに聞いてきましょうか?」
「ん――あ、待って。これ、何か動く」
立ち上がろうとした私を止めて、タクトは筒から飛び出た棒を引いた。
きゅいきゅいと音を立てながら、引っ張ると、どんどん棒が伸びていく。
「……棒を伸ばす道具?」
「伸ばしてどうするのさ」
「えっと……この伸びたとこに、例えば……」
例えば、何かを巻きつけるとか?
私も同じように自分の手元の棒を引っ張って見た。
少し抵抗がある感じで、きゅーっと動く。
何かここに巻きつけるようなものがあるだろうか。羊毛か、麻糸か……。
「……あっ!」
棒を押したり引いたりしていたタクトが、突然声を上げた。
「えっ!? 分かったのですか、タクト!」
「分かった! たぶん分かった! これ、昔のマンガとかで見たことある!」
「昔の絵物語で……? 何か、伝統的な武器とかなのですか?」
「や、違くて……口だと説明しづらいし。あのさ、この辺に水場ってないの? 井戸とか」
「水場――あっ宮殿の中庭に『聖なる泉』があります」
「よし、それだ。行こう」
私の背中を押すタクトの手が熱い。
いつになく行動力のあるタクトと、私は共に『聖なる泉』に向かった。
扉を潜った時に、「あれ? 何かこれって……あれ?」と思ったのだが、何が「あれ?」だったのかは、その時は良く分からなかったのだった。
●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
「こちらが『聖なる泉』です」
「おー……広い……」
満々たる水を湛えた泉は青く、周囲に植樹された木々は春を迎えて豊かに茂っている。
美しい中庭の中央を占める水場には、小鳥たちが集っていた。
「見事なものでしょう? ここは宮殿では聖地と言われていて――」
「――よし。じゃあ、これの使い方実演してあげる」
私の言葉を聞かないまま、タクトは無造作に泉の縁に近寄ると、手に持ったままの筒の片端を水面につけた。
「――あっ……!」
声をあげる私を他所に、筒についた棒を引いていく。
きゅーっと音をたてて伸びていく棒を見て――何だか嫌な予感がした。
「……おっけー。ルイーネ、ちょっとこっち」
軽く手招きをされたが、私は筒を胸に抱いたまま、ふるふると首を振る。
珍しくタクトが笑っている。
その、笑っている顔が、何とも――
「来ないなら――勝手に行くぞ!」
筒の先がこちらを向いた――と思った瞬間に、ずべしゃ、と頭から濡れていた。
何が起こったのか分からない私は、濡れネズミで目を白黒させるだけだ。
「あははっ! ほら、これ水鉄砲だよ!」
「みずれっぽ……?」
私の頭にない概念により、タクトの言葉を翻訳出来ない。音だけを拾った。
「ルイーネもこっち来いって。こうやって水を吸ってさ……」
再びタクトが手元の筒を泉につけ、きゅるきゅると棒を伸ばす。棒の伸び切った『みずれっぽ』を、今度は私ではなく泉の中央に向けると、一気に棒を縮めた。
ぶしゃーっという音とともに、勢い良く水が吹き出していく。
手で水を掬ったのでは、あんなに遠くには届くまい。
「……す、すごいですタクト! これが『みずれっぽ』……!」
やはりタクトは勇者さまだ、すごいものを知っている……!
まるで水の神術のような勢いのある水流だ。
「そんなキラキラした目で見ないでよ。そもそも、これベルクが持ってきたんでしょう? 何であんた知らないの。多分、子どものおもちゃだよ?」
「え、子どものおもちゃ?」
そう言われてみれば、夏場に子どもたちがこんなものを抱えているのを、見たことがあるようなないような。
どちらにせよ、そんな遊びに参加した思い出のない私が、存在を知る由もないのだった。
いやいやいや、そう言えば、そういう話以前に言っておかねばならないことがある。
私は濡れた髪を掻き上げながら、ふと思い出した。
「……あの、タクト。実はこの『聖なる泉』は――」
「はい、油断大敵」
「――ぶひゃっ!?」
口を開いた瞬間に、再び顔面に『みずれっぽ』の水流を食らって、咳き込んだ。
「ごほっ……ごほっ、タクト、ひど……ごほっ」
「え、ご、ごめん。まさかこんな正面からまともに食らうと思わなくて……あんた、どんだけ運動神経ないの」
「う、うんろーしんけ……ごほっ」
訳の分からない単語はスルー。
咳き込みながらタクトの方へと近づくと、少しだけ慌てたタクトが駆け寄ってきた。
私は泉の傍に跪いて、更に咳き込む。
「え、ちょ……大丈夫?」
私の背中をタクトが撫でてくれて――その隙を狙って水を吸い上げた『みずれっぽ』の、先をタクトの方へと向けた。
「今だっ! タクトこそ、油断大敵で――っぶひゃっ!?」
向けた瞬間に、反撃食らった。
びっしょびしょの前髪の向こうで、タクトがお腹を抱えて笑っている。
「あははっ! あんた分かりやす過ぎ――っぶっ!?」
その満面の笑みに向けて、思い切り水を押し出してやった。
ようやく1勝。
「うふふふふ……この神術の天才ルイーネに、水の精霊の加護で勝てるわけがないのです!」
「――言ったな、運動音痴!」
楽しそうにタクトが叫んだ瞬間。
「――静かになさい!」
重々しくも柔らかい女性の声が、辺りに響いた。
私の背後に視線を当てたタクトが、きょとんとした顔をしている。
「……何、あれ?」
「あれ、とは何ですか、失礼な! この『聖なる泉』で騒ぐ不届き者め!」
すぐに窘める声が返ってくる。
私の背後――死角になって見えないのだが、実のところ、私にはその正体に見当がついていた。
ついでに……何故、今現れたのかという理由にも。
「水の精霊……」
振り向きながらその名を呼ぶと、透き通るように白い肌を水に晒しているその美しい女性は、満面の笑みを浮かべた。
「……ルイーネ。遊びに来たのね、可愛い子……」
伸ばされた両手が、私の頬を挟む。
ばっちゃばっちゃと乱暴な水音を立てて近寄ってきたタクトが、私の隣で止まった。
「ルイーネ。何だよ、こいつ」
「こ、この……こいつだの、あれだの……四大元素の1つを司るこの水の精霊に向かって、何たる……!」
「何だよ、このおばさん」
「お、おばさ……!? このくそガキが……!」
ふるふると震える指先が私から離れ、タクトの方に向けられた。
その指の示すものに思い当たり、慌てて制止の言葉を口にする。
「水の精霊、いけない! その方は――」
「喰らいなさい! 水の神術!」
「――ダメっ!」
慌ててタクトの身体に飛びつこうとしたけれど、私の鈍足より一足も二足も先に、水の精霊の放った水流がタクトに迫った。
まずい! あんな勢い神術をまともに喰らったら、四肢が弾けとぶ!
迫る水の神術を前に、タクトは落ち着いた様子で水流をしゃがんで避けた。
掠った黒髪が一筋、千切れて宙に散らばったところで、巧く避けたものだとほっと安心していた。
タクトの身体が、派手な水音を立てて、泉に突っ込む瞬間までは。
「――タクトっ!?」
慌てて駆け寄った私は、抱き上げたタクトの身体が異様に熱いことに気が付いた。
「……こっ、これは――」
「熱があるのに水遊びするなんて、バカな子ねぇ……」
風にとけるような水の精霊の声を聞いて、私の腕の中のタクトが、ぶしぇっ! ……と、盛大にくしゃみをした。




