これだから大人ってヤツは信じられない(下)
勢いを失うと、今度は会うのが怖くなってきた。
今になって声をかけたことで、本格的に嫌われたらどうしよう……。
しかし、このままにしておく訳にはいかない。タクトと会うのは、ただ私が仲良くしたいから、というだけではなく、私に与えられた責務でもあるのだ。
国王レーゲンボーゲンさま以下、王国中の期待がこの肩にはかかっている……仲直り出来るにせよ出来ないにせよ、きちんと片を付けなければいけない。
夜が明けて、リヒト上級神官とベルクに、謝罪とお礼を述べた後。
昼餐の時間になり、ようやく――恐る恐るタクトの部屋の扉を叩いた。
返事がない。
扉に手をかけてみても、鍵はかかっていない。
「……タクト?」
扉を開け、覗き込んだ私の声に反応して、ベッドの上のシーツがもぞりと動く。
ばくばくする私の心臓と、どこかぴりぴりする部屋の空気を除けば、いつも通りの光景だ。
私は卓の上に、いつでも食べられるように昼餐の膳を用意して、それから……改めて、ベッドの横に立った。
「あの、タクト……」
「――うるさいな。出てけよ」
どくん、と胸が詰まった。
やっぱりいつも通りなんかじゃない。タクトはまだ怒っている。
冷たい声に拒絶を感じた身体が、勝手に眼から水を押し出し始めた。
泣いてはいけないと――泣かずに謝らねばと、思っているのに。
「あの、ご、ごめんなさ……」
「――謝らないで良い。出てって」
謝罪すら拒否されて、もうどうすれば良いか分からない。決壊した涙腺を両手で押さえて、必死に水を拭い取りながら、大人2人のアドバイスを思い出した。
落ち着いた頃に直球で謝れって。それが一番って。
だから、これで許して貰えないということは、一番の手段が通じないということで――もしもそうなら私は、己の責務を誰か他の者に引き継ぐしかない。
確かな覚悟を胸に、ベッドの横に跪く。
「わた……私が、勝手に色々してしまって、ごめんなさい」
「…………」
返ってくるのは沈黙。
答えたくないほど怒っているのか、それとも呆れ果てているのか。
しばらく待ってみたけれど……結局、答えはなかった。
で、あればやはり、私は許されないということなのだろう。
もうどうしようもなくだらだら落ちる涙を放置して、とにかく言わねばとその責任感だけで言葉を続ける。
「タクトが私に……っその、怒るのも当然なのです。ぐしゅん。私は、あまり同じくらいの年の子とっ、なか、仲良くしたことがなくて……ずびっ……き、きっと全然分かってないので、す。本当はもっと、ぐしゅ、楽しい話や面白い遊びを知っている子っが、じゅるっ……タクトの――勇者さまの専属神官になった方が……」
「……え」
シーツの向こうからタクトの声が聞こえる。
だけど、言ってて、自分でも何が言いたいのか分からなくなってきたし、鼻水まで垂れてきたので、これ以上我慢して喋るのも限界だ。
最後にこれだけは言わなければ、と、私はぺこりと頭を下げた。
「私は――この天才的な頭脳を持つ上位神官ルイーネがそう認めるのは滅多にないことなのですが、私は――ゆっ勇者さまの専属神官に、えぐっ……ふさわしくない……ひっく……その、こ、国王レーゲンボーゲンさまには、私から話してみ、ます。じゅびっ……次こ、そ、はきちんとした方を、タクトの神官にして貰えるよう、に……」
「次って――」
ごそごそとシーツが動いた。
その下から響いてくるくぐもった声に、私は頭を下げたまま答える。
「はい。あ、あの……今までお世話になりまし、た。えぐっ……お、お傍にいなくても、勇者さまのご活躍を祈って――」
「――待って!」
ばさり、とシーツがはためいた。
下から現れたタクトの黒い眼は、何やら驚きで見開かれている。
「え、何? あんた、辞めちゃうつもりなの!?」
「だ……だって、私はきっと、タクトの欲しいものやして欲しいことが、よ、良く分かっていないのです……じゅびっ」
「だからってそんな……困るよ!」
眉をひそめたタクトの表情を見て、びっくりした。
まさか、引き止められるとは思わなかった。
タクトは私と喋るのも嫌なくらい、怒ってるのではなかったのだろうか。
見上げると、予想以上に焦った顔をしたタクトが私を見下ろしてきた。
「あの、タクト……」
「辞めるとか言うなよ。あんた、俺と一緒に魔王退治に行くんじゃなかったの? それなのに、そんな簡単に」
「で、ですが……えぐっ」
「うるさいな、とにかく辞めるとか許さないから」
「ゆ、ゆるさな……? ぶぇ……」
「あーもう、泣くなって! 許さないってそういう意味じゃないから! あんたは――俺はこの世界ではあんたしか知り合いいないんだから、いなくなられたら困るって言ってんだよ!」
「タクト――」
どうやら、必死で引き止められてるらしい。
ちょっと嬉しくて、逆に涙が出てきた。
「た、タクトぉ……」
ぼろぼろ涙をこぼしてる私をしばらく真っ直ぐ見下ろして――それから、タクトはふと気付いたように目を逸らした。
「……あ。えっと、いなくなったら困るって、そういう意味じゃないよ」
「そ、そういう……?」
「や、だから、すごく単純な理由だってこと――良い? ちょっと考えてみなよ。あんたが俺の専属神官をやってるのは、あんたが最年少でお偉い地位についてるからなんだろう?」
「はい、エリートですから。ぐしゅん」
鼻をすすりつつ答えると、タクトは忙しなく首を振る。
「それだと、あんたが辞めたら、次の神官は確実にもっと年上じゃん。きっと昨日のリヒトみたいなんばっかりだ」
「それは……」
言われてみたら、そうかもしれない。
私と同じかそれ以上の地位についている神官は、ことごとく私より一回り以上年上だ。
中には、タクトの5倍くらい生きてるのではないか、という神官も対象になってくるだろう。
「……確かに、そうかも知れません」
「あんたが辞めたら困るって、そういうことだから。俺、やだよ。毎日ここで酒盛りされるの」
もぞもぞ動いてベッドを降りたタクトが、昼餐の卓の前についた。
「……その。昨日のことは俺も悪かったよ。うるさくて、ついイラッとしちゃって、ちょっと……キツい言い方になったかも。そもそも、あんた人の話聞かないし」
「あ、よく言われます」
「よく言われます、じゃなくて、ちょっとは直そうとか思わないの?」
「いえ、思ってない訳じゃないのですが、どこをどうすれば直るものなのか、そもそも何が悪いのかが分からないので……」
「天然自己中なんだね」
「エリートなのです」
「……翻訳ブレスレット、ちゃんと働いてる? 今、本当にエリートって言った? エリートの意味、俺とあんたで違ってない?」
何が言いたいのか良く分からないが、とりあえず私が話を聞かないのは良くないらしい。
「タクト。すいませんでした。私、もう少し人の話も聞くようにします」
「うん、人の話を聞くとか大雑把な括りじゃなくて、うんと……もうちょいさ、勝手に何かする前に俺の希望を聞いて? 俺ももうちょい……言い方とか考える」
「希望を聞く?」
「そうだよ。例えば……俺が辞めて欲しくないって言ってるのに、勝手に先回りして専属神官辞めたりしない、とかさ」
「…………?」
何が言いたいのか良く分からない。
しばし見つめ合って考えていると、タクトが先に目を逸らした――よし、私の勝ちだ!
いや、じゃなくて。
(私からすると)非常に遠まわしなので、理解するのにしばらく時間がかかったが。
どうやら、とにかく私が専属神官を辞めるとタクトは困る、と訴えているらしいことが、分かった。
「ぐしゅ……あの、では……タクトは私を許してくださるのですか?」
「ん、許すっていうか……俺も悪かったと思うし。お互いごめんって言って、これでチャラで良いんじゃないかな」
「タクト……」
「俺は今のとこ魔王退治とか行く気ないけど……最終的に、魔王とやらに本気であんたが困ることがあったら、多少は考えなくもないかもってのもあるし――今んとこあんた困ってなさそうだけど」
「タクト!」
「その……何が言いたいかって、まあ……これからもよろしくってことで」
「これからも――じゃあ、私は、これからもタクトの専属神官で良いのですね!?」
黙って目を逸らしたまま、タクトは小さく頷いた。
私はその頷きに返すように、こくこくこくこくと小刻みに頭を縦に振る。
「ありがとうございます! それではこの私の人生における初めての仲直りを記念して、今日この時よりタクトの英雄譚と、私達の友情物語の執筆を始めることにします!」
「それはいらない」
「『宮殿に咲き誇るどの薔薇の花よりも麗しい一輪の花が、今、この世界に誕生した――』」
「してない、止めて、さっき言ったとおり人の話聞いて」
「聞きました、止めます。それで、魔王退治にも一緒に行ってくださるって言いましたね!?」
「……ま、あんたが困ってたらね」
「現在進行形で困ってます。勇者さまを旅立たせるのが私の責務なので」
「旅立たせるのが責務なら、困ってるんじゃなくて、責務を果たしてるだけじゃない」
「え? なるほど、そういう言い方も……出来る、のか? いや、しかし……」
首を傾げている内に、さっさとベッドに座りなおし「いただきます」を言ったタクトは、私を置いて昼餐を始めた。
麦餅にしっかりと『精霊の雫』を浸しながら。
「あの、タクト――」
「ほら、あんたも食べな。甘いよ」
「えっと、じゃあ……『いただきます』……?」
タクトの世界風に食前の祈りを捧げた私を見ながら、黒い瞳が穏やかに緩んだ。




