エレジー先生と地雷
クラサワさんは、インターネット上のいざこざで悩んでいる。SNSで知り合った人から一方的にひどいことを言われ、それが頭から離れず、仕事をしていても食事をしていても気が晴れないのだという。
それは暇だからだ、とエレジー先生は思う。人から言われたことを気にするのは、時間が余り返っているせいだ。仕事を増やしたり、ペットを飼ったり、家事に励んだりしていればどうでも良くなるものだ。
「そんな気力があったらとっくにそうしてますよ。見てください、この顔色」
クラサワさんは顔にかかった髪を持ち上げ、椅子から乗り出した。確かに肌つやが悪い。でもそれはおそらく、夜遅くまでパソコン画面を見ているせいだ。
エレジー先生は白衣のポケットからボールペンを出したが、特にカルテに書くようなこともなく、紙の余白にスズメの絵を描いた。
お上手ですね、とクラサワさんが言った。しまった見られた、とエレジー先生は思ったが、怒っている様子はなく、むしろ興味深そうに見ている。
「絵が好きなの?」
「はい、よく描くんですが……ネットだといろんな人がいますから、好みが違うとトラブルになったりするんです」
エレジー先生はボールペンを置いた。要は自分の作品を批判されて落ち込んでいるだけなのだ。それを一週間も一ヶ月も引きずっているのは、やっぱり暇だからだ。
「気にしないで描けばいいんだよ。一日につき千五百枚を目標にしてみれば?」
「だから、そんな気力ないですってば」
クラサワさんは眉を八の字にして言った。
「地雷だ、って言われたんですよ。それも大好きなフォロワーさんから。これが落ち込まずにいられますか」
「ふーん。面と向かってそんなこと言うなんて、よっぽどイヤだったんだね」
「先生までそんなこと言わないでください」
地雷というのはつまり、うっかり踏んで後悔するような代物、ということだ。心の底から嫌な作品。存在そのものが許せない作品。とりわけ、二次創作におけるキャラ解釈の違いや、恋愛描写の描き方をめぐって対立した時に使われる言葉だ。
「別にいいじゃん。たまたまその人には合わなかったってだけで」
「一人じゃないんです。私の絵を見た人みんながそう言いました」
「その絵ってもしかして、一般的に受け入れられてないカップリングとか、性転換とか?」
「カップ……何ですか、それ」
クラサワさんはおずおずと言った。急に難しい医療用語を聞かされた患者と同じ反応だ。
おや、とエレジー先生は顔を上げた。今の今まで、クラサワさんを同人絵描きだと思い込んでいたのだ。
「まあとにかく、描いたものを見せてよ」
「見せて何になるんですか」
「見ることは大事だよ。冷蔵庫に入れ忘れた牛乳が傷むのは野生のウロパミーの仕業だし、日陰に干したタオルが乾きにくいのはパレパレ猫が引っ張ってるせいなのに、誰も見ようとしない」
クラサワさんはまだ納得のいかない顔で、鞄からスマートフォンを出した。素早く画面をタッチして、これです、と言って見せる。結局は見てほしいのだ。
「キャラクターや流行りのものはほとんど描きません。私が描くのはお菓子の絵です」
エレジー先生は画像を見て、えっ、と思わず声を上げた。
「これ、間違ってない?」
「間違ってるって何が? 私が描いたホットケーキの絵ですよ」
エレジー先生は目を細めて見た。
丸くて薄いものを二枚重ねたような形をしている。色合いは全体的に黄色く、シロップのような光沢もある。
ただ、ホットケーキには見えなかった。くすんだ色調や硬質な線、陰鬱な雰囲気、火薬のにおいがしてきそうな背景。
そして何よりおいしそうに描けていないせいで、どう見てもホットケーキではなかった。
「円盤じゃないし、不発弾じゃないし……ああそうだ、地雷だ! これは地雷だよ」
「ひどい!」
クラサワさんは顔を覆い、しばらく打ちひしがれていた。
エレジー先生はお菓子の本を処方し、まずは作ってみなよ、と言った。