研ぎ師グラントスの憂鬱
「包丁研ぐよ~、どんな魚も獣も思い通りに捌けるそんな夢の包丁に仕上げるよ~。一本銅貨一枚(百円)、二本目以降は半銅貨一枚(五〇円)だ。安いよ、安いよ~」
バーナ辺境伯領、その領都グレンデスの露天通りにそんな気の抜けた声が響いていた。
彼の名はグラントス=フォング、十六歳。辺境伯領専属鍛冶師である。
魔物が跋扈し、野心ある周辺諸国がこの豊かなアルギニス王国を虎視眈々と狙う時代情勢。鍛冶師は剣を生み出し、強力な魔具を作成する。それによってこの王国を守護する支えになることこそが彼らの使命であり、誇りである。
特に軍事国家デガート帝国と国境を隣する、このバーナ辺境伯領は国防の要であり、何度も起こる小競り合いのせいで常に戦場の最前線として脅威にさらされているのだ。
そう言った理由から、軍需物資の輸入量や生産量が国内一とされており、それは領都に拠点を持つ鍛冶師の腕前も一流と言うことでもある。軍事技術においては他領よりも頭一つ分は抜けているのだ。
そんな中、グラントスはただ一人だけ変わり者の鍛冶師として有名であった。彼の専門は『研ぎ』、それも包丁を研ぐことが主収入であり、その他は鉄製の生活用品の修理がグラントスの収入の全てである。
それでも需要はあるのだ。寧ろ領都では引っ張りだこと言える。研ぎだけで一財産築けそうな程に。
何せ領都グレンデスに店を構える鍛冶師は皆が皆、武具の生産の最前線に立っているのだ。辺境伯軍に毎月卸す軍需品でさえ膨大な量に上り、武具整備の依頼だって定期的にやってくる。他領や国軍に輸出される武具が占める割合も多いのだ。
更に小競り合いの絶えない国境線に集まる傭兵も多く、彼等向けの商品も打ち上げねばならない。
そんなこんなで彼らは尻に火が点いたように年がら年中、大わらわなのだ。
鍛冶師の眠らぬ街、種火の絶えぬ街、怒声と金槌を子守唄に育つ街、と多くの異名を持つ程である。
つまりそれほどまでに鍛冶師達は忙しい。
そんな中で、生活用品の整備や修理など後回しの大後回しであり、下手すれば忘れ去られて預けたまま返って来ないなんてこともザラである。
そんな訳で、領都唯一の料理人・主婦向け鍛冶師として働くグラントスに仕事が一気に集中し、場合によっては一流鍛冶師以上に忙しい時がある。
それならば、他所から一般向け鍛冶屋が店を出せばいいのではないかと思われるが、この街の職人達は二流以下の腕前を嫌い、すぐに追い払ってしまうのだ。この鍛冶の聖地で店を出したくば技量を示せ、と。
そして領民達も鍛冶の街に住む人間としてそんな職人を支持するのである。
その度にグラントスは血反吐吐きそうな演技をしつつ職人のまとめ役に労働環境の改善、鍛冶師不足を理由に突っかかるのだがすげなくぶん投げられるのだった。
では何故、彼がわざわざ鍛冶師でありながらそんな分野を生業にしているのかと言えば、それはグラントスの鍛冶師としての腕前が二流以下であるからだ。
職人達は二流以下の腕を認めないと言う前述に矛盾するようであるが、まずは説明を読んで欲しい。
この世界で鍛冶師に必要とされる能力は火の精霊と土の精霊との親和性であるとされている。
火の精霊は鉱石の精錬と焼き入れを補助し、土の精霊は鉱石の選別と成形を補助すると言われているのだ。
そして、その両精霊との対話を重ね、深い絆を築いた鍛冶師のみが一流と呼ばれる武具を生み出し、更にその中でも他属性の精霊とも絆を深めた者を『魔剣鍛冶師』と呼び、特級の魔具である魔導装具を作りだすことができるのである。
だが、グラントスは生まれた時から火の精霊との相性が最悪だったのだ。
無論、訓練次第では先天的な才能がなくとも一流の鍛冶師となることはできる。グレンデスに住む鍛冶師の中には才能を努力で埋め、名工と呼ばれるまでになった者も存在するのだ。
しかしグラントスは例外だった。彼は火の精霊との相性が最悪である。その存在すら認識できない。
その反面、グラントスは愛されていたのだ、土の精霊に、異常なまでに。
結果、寵愛とも呼べる土の精霊からの愛情が他の精霊への浮気を邪魔し、どれだけ努力しても土以外の精霊とは絆を深められなかったのである。寧ろ、生まれた瞬間から妨害していたとグラントス自身はにらんでいる。
では何故、彼がこの道を選んだのか。
それは土の精霊の愛情がいき過ぎ、『研ぎ』、正確には鉱物を含んだ物の成形技術だけが一流どころか、神懸かり的と呼べる次元にまで達したのである。
ナマクラでさえ彼が丹精込めて研げば一流の切れ味に至り、不可能とされている魔剣等の修繕すら楽々とこなしてしまうのだ。
故にグラントスは研ぎに関して職人達に認められ、敬意を込められているのだ。
だが、そんな腕前を持ってしまったが故に彼は主婦の味方的鍛冶師の道を選ぶしかなかったのである。
グラントスが幼少の頃、彼の父の部屋にあった、錆びたガラクタの短剣を戯れに修繕してしまったのがいけなかった。しかもそれを幼馴染であった辺境伯の孫娘に譲ってしまい、その少女も戦に出向く祖父の守りになればと渡してしまったのだ。
それだけなら何も問題はなかったのだが、辺境伯は近年でも規模の大きかった隣国との衝突の報告をすべく王城に上がり、国王がその短剣に目をつけてしまったのだ。
だが、ジジ馬鹿であった辺境伯は国王のおねだりを孫からのプレゼントであることを理由に跳ね除けたのである。それでも国王は生粋の刀剣マニアだったことから駄々をこねまくった。結局、辺境伯は折れることになり、その短剣自体は無理でも同じ製作者が作った物を謙譲することで話がついたのだ。
しかし辺境伯が領地に帰って、製作者であろうグラントスの父に話を持っていったのだが、彼はその短剣に見覚えがないと言い出す。あの刃物に狂った国王が欲しがるほどである。国内一の腕前と評された魔剣鍛冶師である彼の作ではないとすると一体この剣は誰が作ったのだろう。仕方なく辺境伯は孫娘にどこで手に入れたのか、と聞いてみた。
するとそれはグラントスから譲り受けたことを知り、そのグラントスは父の部屋にあったガラクタを研ぎ直しただけ、と言うではないか。
これには辺境伯もグラントスの両親も大慌てになる。
彼がガラクタと称して研いだ短剣は古代の遺跡から出土された魔剣だったのである。それは下手をすれば遺失した技術が詰まった国宝級の魔具とも言える物であった。
元は父が古物商から冷やかし程度に買った物であり、半ばから折れ、劣化が激しく魔剣としての機能も持たない正にガラクタだったのだ。
けれども、グラントスはそれを研ぎ上げ、魔剣としての機能すら直してしまったのである。最早、一大事とも言えた。
何せ、一度損傷し機能を失ったら直せないとされていた魔導装具の修復を可能とし、更には古代の技術を再現できる可能性すら秘めていたのだ。
だが、辺境伯も両親も良い顔を出来ない。ただでさえ戦火の激しい時代。無用に近隣諸国を揺さぶるような火種など抱えたくはないのだ。
仮に古代技術の再現だけでも出来ればアルギニス王国の進歩は目覚しいものとなるだろう。そこに強力な兵器になり得る国宝級魔剣を幾つも配備すれば強国として一歩抜きん出ることになる。
しかし、あまりにも強大な力を持てば周囲の国はアルギニス王国を恐れることになる。そのまま同盟を組んで同時に多方向から攻め込まれでもすれば全ての戦線の維持など出来ずにいずれ瓦解するだろう。
もちろん仮定の話であり実現する可能性も低くはある。それでもその可能性を切って捨てるにはあまりに分の悪い賭けになるだろう。
何せ、大陸の覇者になるか、滅亡するかの選択肢しかないのだ。
周辺諸国を呑み込んだとしても、そこを平定する間は足止めをくらうはめになり、一回り外にある国々に時間を与えることになる。そのタイミングで同盟でも組まれてしまえば中途半端に広がった戦線の維持と、併合国内での内乱にすら気をつけなければならなくなる。
結局、長期的に見ると、時間が掛かれば掛かるほど、滅亡の可能性のほうが高くなってしまうのだ。
最早、大陸を制するのが先か、滅亡するのが先かのデスレースである。
そんなものに賭けを打つだけ無駄に等しい。
だがそうは考えない連中も出てくるはずだ。
領地を持たぬ貴族や、中央で燻る武官達。もし彼らにグラントスの力が知られれば、一気に開戦派派閥の勢いがつき、国王がそれを制御できなくなれば泥沼の領土侵略の始まりである。
下手をすればその手前、国内を割っての内戦が始まる可能性すらある。その隙にアルギニス王国の領土に他国が攻め入れば即滅亡だ。
そうなればこの王国の利権を巡り、争いは波及し、後百年は続くような戦争がアルギニス王国跡地を中心にして起こるだろう。
そう、だからグラントスの力は知られる訳にはいかないのだ。
どう進もうとも歴史上最大の戦禍が大陸を席捲することになるのだろうから。
そして、辺境伯はそれを未然に防ぐべく暗躍を始めることになる。
慎重に、慎重を重ね、国王と二人だけの密会を繰り返し、今後グラントスを引き金にして起こるであろうあらゆる事態を想定、論議した結果、グラントスの身を一生、辺境伯領で封じる決定が下された。
幸いにも国王は刃物狂いであるが治世においては賢王と評される人物である。グラントスを中心にして起こる災禍の危険性を充分に理解し、彼の能力を国益の一切に関わらせない決断を下したのだ。
その上で、グラントスの能力に関し己自身を含め緘口令を敷くと、彼が甦らせた魔剣も、泣く泣く、泣く泣く、それはもう血涙流して血反吐吐きながら辺境伯と二人だけで破棄したのであった。
しかし、そこまでするのならば何故グラントスを亡き者にではなく封じることにしたのか。
それに関しては前述した通り、辺境伯はジジ馬鹿だ。そして親馬鹿でもある。
グラントスの家は代々領主に遣え、名工を輩出してきた鍛冶師の名家なのだ。その忠誠に応える為に自身の長女を嫁に出しており、つまりグラントスの母親がその長女であり、彼自身も辺境伯の孫に当たるのだ。
娘に嫌われたくない、孫を手に掛けたくない、ついでにそれが原因で孫娘に嫌われたくない。それを理由にしてグラントスの助命を王に願い、通ったのである。
これには国王にも利害関係があった為にあっさりと応えたのだ。
国王は刀剣マニアである。いや、もっと正確には刃物狂いである。その国王にとって名工が鍛え、グラントスの手によって研ぎ澄まされた刃物は垂涎の的なのだ。
しかし、国益に一切関わらせぬと決めた手前、鑑賞用とはいえ国宝級に匹敵する剣を謙譲させるのも後々火種を残しかねない。
そこで国王はどうにかならないかと三日三晩寝ずに考えたのである。
そして彼は閃いたのだ。国宝級の刀剣を手に入れようとするから駄目なのだ。――ならば、国宝級の包丁を謙譲させよう。
まさに刃物狂いの面目躍如である。
こうして、グラントス=フォング、当時九歳であった少年の命は一人のジジ馬鹿と一人の刃物狂いによって救われたのである。
その後、彼は国王との約定により刀剣の研ぎは一切禁止され、時たま国王が持ち込む包丁や鋏、テーブルナイフにペーパーナイフその他諸々を研ぎ続け、包丁研ぎ師としての道を切り開くのであった。
後にグラントス=フォングは神々より太古に授けられた神剣『ルニオン』をその手で甦らせ、世界を暗黒に染めようとした邪神を討つべく勇者と共に戦い、これを成就することになるが、それはまた本編とは全く関係ない別のお話である。
国王様を書きたいが為に生まれた話です。
『まさに刃物狂いの面目躍如である。』
この文章以外は蛇足と言って良いでしょう!!
因みにグラントス君、プロット段階の名前ではグランスト君でした。
清書の最初から最後まで主人公の名前を間違ってたのですが所詮彼です。
いちいち書き直してやるほどの器もない主人公です。