0話『目覚め』
四方六方八方闇の中。
古代中国の妖術師が、五里――当時の一里が約400メートルだというから、だいたい2キロメートルらしい――を霧で包む秘術を習得していたということから、五里霧中という故事ができたとされる。しかし、20キロメートル以上を、一寸先も見えない闇で覆うような秘術などは想像してなかっただろう。いや、当時は夜の帳が下りた後は何も見えない闇が普通だったか。
そんな時代考察はひとまず置いといて。
どこにでもいるような、しかし今までの経験の壮絶感では比類するものなしという点ではどこにでもいない青年、坂上朔也(20歳・男)は、今日も気づいたときには闇の中を漂っていた。もし生命活動に影響する物理現象抜きで宇宙空間に放り出されたらこうなるんだろうか、というような擬似無重力の謎空間を、あてどなく彷徨うこと早……。
それが何秒なのか何分なのか、あるいは何日何月何年何世紀地球が何回回った時なのかすらわからない。しかし、朔也にとっては、既に慣れた感覚である。なぜなら……。
ふと、聞きなれた声がどこからともなく聞こえてくる。
「勇者よ、目覚めのときであるぞ」
そのモーニングコールが目覚まし時計や携帯電話の類だったならどれだけいいと思ったか。朔也が目覚めた部屋は自室の布団の上ではあったものの、布団のそばに面々と並ぶローブ姿の中年たちと、彼を起こした代表格の老人の姿は、非日常な目覚めを現実のものと認識させていた。
「あー、あんたはたしか……? もしかしていつもの?」
「左様ですじゃ、勇者よ。これで三度目にございます。無理難題を申し上げた我々も悪うございますが、そろそろ我らの手を煩わせないほどお強くなっていただきたいと、無礼を承知で申し上げる所存でございます」
「非常に申し訳ないんですけど、年上の方に敬語使われるのは、なんか変な気分になるからやめてくださいと前回あたりも言ったと思うんですけど」
「しかし、勇者様に不遜な物言いなど……」
「その勇者様って言うのも勘弁してほしい、って言いたいところだけど、もう諦めたよ」
勇者様。別に尊大語による蔑称ではない。コンピューターゲームみたいに勇者として生まれたわけでもなく、多大なる功績により勇者と認められたわけでもなく、なくましてや自ら名乗ったわけでもないのになぜかこのローブの集団から勇者と崇め奉られているのかは、おいおい説明するとして。
「で、今回も枕元にこんだけ集まってるってことは、また死んだ?」
「左様にございます。無礼を承知で申し上げますが、三度目となれば自らの御力量を考えて行動なされたらよいかと」
「……正直、申し訳ないです。あれだけ”あいつら”の攻撃から耐えられるなら、4tトラックごときなら大丈夫だと、慢心してました」
「我らの理とこちらの世界の理は違うものだと、勇者様には何遍も申し上げておりましたが。幸い、蘇生の術がどちらの理に因る外傷に有効であったことを神に感謝していただかないことには、我らの苦労も報われず、異郷にて志果たせず路傍の民となったことでしょう」
「今回ほど、神様に感謝しつくせないことはないな。後で祈りの言葉を教えてください」
「祈りの言葉よりも、勇者様には行動で示していただいた方がよい供物となりましょう」
「お、おう……」
突如発生した異界の生物。生物とひとくくりにされてはいるが、幻想の生き物に体骨格が似た”なにか”が地球上に発生してから早6か月。世界の空と海、一部大陸の陸地は、全てその”なにか”の勢力下におかれた。
当初、生物兵器だとか、放射能汚染された動物だとか、遺伝子実験を施された実験動物が逃げ出し繁殖したとか騒がれていたが、既存兵器の大半に対して高い耐性を持ち、某国が行い、後に世界的大顰蹙を買った核攻撃ですら、半数を死滅させ得ないと判明した。
対峙する方法のない脅威。今は単純に”モンスター”と呼ばれる存在の発生と時同じくして、世界中に対してとある組織が声明を発表する。
彼らはこの地球とは違う次元に存在する世界の出身であり、彼らの実験動物が次元を超えた世界に逃亡してしまったため、それらを駆除するために地球の民の力を貸してほしい、と。
彼らが信奉し、地球に至る奇跡を起こした神、『ヒース』の名を御旗に名乗る組織に対して、わかに眉唾な話ではある故、その組織をテロ組織とし、モンスターも自作自演であるとみなして敵対する国、自国の高い軍事力やエネルギー自給率を盾に孤立して対峙する国、そもそもモンスターの発生で国土と民が滅び、亡命政府としてのみ存在する国など、情報の錯綜によって大混乱が生じた。
いち早く対策をとれた極東の島国、日本ですら、瀬戸内海以外のシーレーンを絶たれ、エネルギー的に枯渇しかけた結果、ヒースに対して全面的な協力と、彼らが必要とする人材『勇者』を提供する代わりに、組織を日本政府の監視下に置き特定法人化とする法律、『特定害獣とその駆除組織に関する法』、通称『対モンスター法』を臨時国会にて両院ともに与野党の多数賛成で早急に可決させたのは、モンスターの襲撃から3か月余りが経過し、国全体で備蓄している石油資源が半分以上消費された後だった。
ヒースが語るには、彼らやモンスターの本当の位相は地球上に存在しない次元にあり、縦・横・高さ以外の高次元を持つため、低次元に容易に干渉できるが、逆は難しいという。具体的には、二次元の紙と三次元の箱の互いの干渉能力の違いとしてあらわされる。グラフでいえば、Z=0で固定されている平面は、(2,2,2)を頂点に持つ辺の長さ1の立方体と決して交わることはできないが、その立方体は、移動させればZ=0の平面と交わることはできる。
故に、彼らが言う勇者とは、モンスターが持つ次元を正しく理解でき、且つヒースの世界の技術を扱えるものだという。日本政府も、即座に公職公務員から民間公募に至るまで、広く日本に募集要項を出すことになる。
かくして、勇者育成のための特別研究所兼訓練所、通称『勇者センター』が設立され、友人らと一緒に酒の勢いで願書を出してしまった朔也が第一期生となってしまうこととなる。
こうして、朔也は新しい生活が、死んでも死ねない勇者生活が始まったのであった。