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ラストスタンディング

作者: 小林 樹人

 ラストスタンディング


 

 1 



 深夜二時を過ぎた頃。ガンメタリックブルーのスープラが、アクアライン上を走っている。


 運転席には、銀色のショートヘアの女性が。年の頃は二十代後半から三十代前半といったところか。

 一方助手席には、金髪をハリネズミのように立ち固めた、十代とみられる男性。夜だというのにゴーグルタイプの黒いサングラスをかけている。



 2



 男は軽佻浮薄そうな口ぶりで言った。

「ところで先パイ、何コか質問いいッスか」

 女は進路に目を向けたまま、表情筋のひとつも動かさなかった。それをイエスと受け取り、男は続ける。

「俺、頭悪くてよく分かんないんスけど。やっぱ、皆さんコウモリとかオオカミとかに化けたりできんスかね?」

「幽けき才能と、遥けき鍛錬があればね」女は、低くもよく通る声で答えた。やはり表情は変わらない。

「言葉がムズ過ぎるッス」

 情けのない返答に、女はふ、と息をついた。

「フルマラソンを走破する程度の労力よ」

「百キロくらいでしたっけ」

「四二.一九五キロ。『死に行く子』、と覚えなさい」

「……なんか縁起悪いッスね」


「世に、私たちほど縁起の悪い存在なんていない」

「間違いない」男はかかか、と嬌声を上げる。



 3



 会話が一旦途切れてしまった。

 車は、間もなくアクアラインを渡り切ろうというところまで進んでいる。

 男はこの手の重い空気感が苦手だったので、次の話題を振ることにした。

「そういえば、フランケンシュタインなんてのもどっかにいるんスかね」

「それは、額に縫合の跡があったり、こめかみからボルトが突き出したりしている大男のこと?」

 心なしか、女の声が僅かに弾んだようだった。


「彼はフランケンシュタインじゃないわ。ビクター、ないしビクトル・フランケンシュタインは狂気の科学者よ。フランケンシュタイン博士は土葬された死体を掘り起こし、人体の断片を集め、ひとつの身体に繋ぎ合わせたの。そして出来上がったのが、あなたの言わんとした彼。彼は名も無き『怪物』。だから縫合の跡があるわけ」

 一気に、聞かれてもいないことまで捲くし立てる。

「そうだったんスか。詳しいッスね」

「死から生まれた存在。私たちとは対極であり、またある意味では同類とも言える。興味深い存在ね。いないと思うけど」

 長々と喋った割に、結論は一言だった。彼女には論説癖のきらいが感じられる。


「残念だなぁ」

「よくある勘違いだわ。あなたのそれは、十万馬力の少年ロボットを『お茶の水』と呼んでいるのに等しいの」

 切り捨てるような女の言葉に、男は水を差した。

「あの、先パイ。アトムを作ったのはお茶の水博士じゃなくって、天馬博士っていう人なんス」


 途端、車が蛇行した。

 周囲に他の車はなく、またすぐにハンドルを切り返したおかげで事故にはならなかった。

(ん? 先パイ今、焦ったのか?)

 ニヤニヤしながら表情を確認すると、女は変わらず無表情だった。

 ただし、微かに肩が震えている。


 彼女の姿越しに運転席側の窓にも目を向けると、東海ジャンクション近辺であることが見て取れた。

 なお、窓ガラスにもサイドミラーにも彼女の姿は映っていなかった。

(マジで鏡に映らないんだ)

 今更ながら、男は現状が夢ではないことを思い知った。いっそ夢であればよかったかもしれないのに。


「嘘じゃないッス。親父が手塚治虫好きで、ウチに全集ありましたもん。大体読みましたよ。いや、なんだかんだで手塚先生はガチなんス」

「へえ。あなたが手塚治虫を。見かけによらないわね」

「今度何冊か、あんま長くないヤツ持ってきましょうか。中でもオススメなのが――」

 言葉の途中で、ちょうどトンネルに入った。

 瞬間的な気圧変化による轟音が耳をつんざく。


「バンパイヤ」



 4



「ところで俺、『伯爵』のところに行ったらやっぱ……血を吸われるんスかね」

 そう言った男の声は渇いていた。

「その言葉が疑問なのか確信なのか判断に窮するけれど、その通り。現地で言われた通りにすれば結構」

「なんかユーウツ? 的な? 吸血鬼が増えてるってのは分かるんスよ。親父もやられっちまったし。ただ、このギョーカイって縛りが多そうなんで、やってけるかなぁ〜って」

「やっていけるようサポートするわ。心配いらない」

 女の口調は、まるで当たり前の話をしているかのように迷いがなかった。

 男の方の立場からすれば、全く常識の異なる世界に飛び込むのだから当たり前も何もないのだが。

 恐らく女は、男の迷いに気づいた上で無視しているのだろう。今更吠えてどうなるのだ、とでも。


「……とりあえず」彼は『あ』ではなく『ず』にアクセントをつけた。悪い意味で若者らしい、語尾を上げる発音だ。「先パイはしばらく俺についててくれるんスか」

「許可があれば。仮に駄目でも、他の者になんとかさせる。こう見えて割とエリートなのよ、そのギョーカイとやらで」先ほどの男の言葉を引用した。

同じく、男も引用で返す。「見かけによらないわねェ」

「それは皮肉か」

「あれ、怒っちゃいました? スンマセン」

「そんなアクティヴな感情は捨ててきた」

「怒ってますよね」

「怒っていない。無い感情は湧かない。怒らない、ではなく怒れない。いい加減にしろ」

 自称『怒れない』女は舌打ちをして会話を切り上げた。



 5



 木更津でふら付いているところを捕獲され、早二時間。

 車はようやく高速を降り、一般道へと戻ってきた。


 男はオイルライターをカチカチと鳴らしながら問うた。

「あの、吸ってもいいスか」「どっちを?」即答だった。

「ブラックジョークだ……」

 ライターを弄ぶ手が止まる。

「あら、こういうのはブラックジョークとは呼ばないの」

「じゃあ、何て?」

「ブラッドジョーク」

「やっぱブラックだわ。……いや、吸いたいのは煙草の方ッスけど」

「今はまだ構わない。今後は禁煙を推奨する」

「吸血鬼になっても煙草ってカラダに悪いんスね」

「いいえ。ただ――」

 そこで彼女は、はじめて微笑を浮かべた。犬歯と呼ぶには目立ち過ぎる牙が、その横顔に表れる。

「煙草ごときも我慢できない者が血に飢えたら、目も当てられない」



 6



 銀座に到着すると、二人は車を降りた。

「ここからは徒歩。そろそろ伯爵のお部屋も近いから、無駄口はお終い。黙ってついてきなさい」

 声のトーンが一段と低い。男は、唾を飲み込み頷くほかなかった。


 五分ほど歩き、四十階はありそうなビルの一階に入った。

 中には誰の気配もしない。

 エレベーターで最上階へ上がる。ボタンから察するに、四十六階建てであるらしい。


 最上階に出ると、そこには赤紫色をしたカーペット敷きの廊下が広がっていた。

 その中の一室に入ると、落ち着いたデザインの大仰な椅子が一脚。

「座って。まずは血を吸うからじっとして」


 ついにきたか――男が覚悟を決めて目を閉じていると、左腕に鋭い痛みが走った。相場は首筋ではないのか。

 怪訝に思って目を開くと、なんのことはない、献血用の針とビニルパックがあるだけだった。

「あの、血を吸うって、こういう系の……?」 

「ええ。私が直接吸ったらあなた、吸血鬼になるか死ぬかの二択じゃない」

 そう言いながら女は、男の正面に周った。

 そして片膝をつき、頭を垂れる。

「あなたこそ、我らが支配者。不死者の王。最初にして最後。つまり、ギョーカイ内のヒエラルキーに照らして言うところの――伯爵」

 男が絶句している間にも、彼女は続ける。

「あなたの血を、無理のない範囲で少しずつ頂戴。その代わり、あなたの安全は私や私たちが必ず守り通す。我慢の足りないそこいらの小僧になど、触れさせもしないわ」

「えっ……なんでそんな、回りくどいっつーか……ねぇ?」ようやく絞り出した声。


 理由は明確であった。

「あなたがこの世で最後の人間だから」


「なら最初っから言ってくれりゃよかったんじゃないスか。こんなイタズラみたいなことしなくても」

「あら、こういうのはイタズラとは呼ばないの」

 数秒考えて、男は車内での会話を思い出した。

「あっ、そういえばそうッスよね。さっき言ってましたもんね」「ええ、言ったわ」


 二人の声が揃う。


「ブラッドジョーク」

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