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ヒロインの重要な条件。それは、清廉潔白。あまり潔癖すぎても鼻につくという意見もあるけど、とにかくヒロインは俗物だったり、小物感を出してはいけない。
そういうわけで私は、この日また一つ、ヒロイン位置をあきらめることとなりました。
軍用逮捕術大会はけっこうな賑わい。会場はゴツい男の群れで溢れている。
その中にある花の集団はもちろん私たちの事。総勢15人ほど。
よかった、この賑わいなら黄色い歓声もかき消される。
ジザベル嬢がこの熱気ムンムンの男臭な会場をものともせず、たおやかに微笑む。
「リンデさんありがとう。私あなたの事誤解してたわ。あわよくば義弟×義姉を狙う女狐かと……」
確かにそんな時代もあったけど、女狐はないよね。
ダリルの番になった。素顔のダリルは久しぶりな為、私たちの団体は早速黄色い悲鳴を上げた。
それにしても対戦相手、気の毒だな。すでにトロンとしてるし、あの至近距離だし、まともに組めるのかな。
と思ったら心配する相手を間違えていた。野獣と化した対戦相手は審判の声とともに、ものすごいスピードで襲いかかっていく。躊躇がない。
が、ズバンと地面にいい音を立てて大の字になったのは、対戦相手の方だった。
躊躇がないのはダリルの方だった。
静けさが落ちた中、審判達が何か話し込んでいるが、やがてダリルに一本が認められ、それから歓声が上がった。
それからもダリルは勝ち進むが、どれも反則ギリギリらしい。
「自分の流儀が固定してしまってるのね」
武術をたしなんでいるディアナが隣で呟く。
「ムダなくどんな手を使ってでも倒せばいい、それしかないわ。……あまり、好ましくないやり方ね」
うっとりしながらも曇らない批評するディアナって器用だな……。
ダリルは必要に迫られて、小さいうちから父親に近接格闘術を重点に様々仕込まれ、悲しいことに実戦する機会が多かったと父さんが言ってた。つまり、襲われることが多かったという事。
そんな理由を聞かされて見ていると、武術も知らないはずなのに見えてくるものがある。
……ダリルは誰であろうと殺すつもりでやっている気がする。それは、誰もが敵に見えているのか。
見ているのが辛くなってくる。あまり試合に目をやらずぼんやりしていた。
そのうちに、「娘と一緒に手作り弁当を食べる光景を皆の前でやりたい」と言ってきかない父さんとの約束の時間になったので、皆と別れて待ち合わせの場所へ向かった。
一応新しいお手伝いさんのノディエ婦人65歳(前任者は気まずいのか辞めてしまった)と作った、お弁当のバスケットを持って向かった場所は、出入り口になって人通りが多い。父さんどれだけ見せびらかしたいんだ……。
しかも父さんてば、でかくて顔に傷があるから目立つ目立つ。
とりあえず植木のある芝生で、お弁当を広げることにした。
「ダリルも後で来るからな。残しておけよ」
「え? 試合はまだ残ってるのに?」
「ダリルの参加は最初から『見せしめ』の為だけだ。手を出すとこうなるってな」
「でもそれって、かえって襲撃者が増えることもありえない?」
「その時は監視者の出番だ。お前はダリルのを見たのか?」
「あんまり。父さんは?」
「少し見りゃ十分だ。まだまだだな、あいつは。お前はなんで見ない?」
「なんかね。うん。ダリルにとって皆が敵なんだなあって思って。でも皆、魅了に狂って襲いかかってくるから、ダリルが敵認定するのも無理はないのが……見ててつらい。何をされてきたか、透かして見てる気分で」
「そうか」
会場から聞こえる歓声の中には僅かに、ジザベル嬢たちの声も混じっている。
「父さん。ダリルの顔、もっとどうにかならないのかな」
「……白じいも色々探ってるんだがサッパリだ。今のところどうもできん。あの肌の頑丈さがなぁ。あいつは昔に色々試したそうだ。あいつの姉も」
「何を?」
「顔の形が変わらないか、傷つけたり炙ったりさえした。なのにすべて綺麗に治癒してしまったんだそうだ。……顔だけ異質な作りらしい」
「…………」
あの顔にうっすら見えた無数の線は、傷跡だったのか。私の表情を見て父さんは「お前には少しキツい話だったな」と言ったが、それには首を振った。
「そんなのダリルの話じゃ今更じゃない」
「まあそうだな。どこをとってもあいつは平凡とは遠いからなあ。だから出来るだけ平凡を与えてやれたらと思ってるんだが、ごちゃごちゃうるさいヤツが多くてな。奴らと戦って父さんは毎日遅いんだよ」
「そこまでして父さんはどうしてダリルをひきとったの?」
「そんなこと聞くのかお前。そりゃあ弟の子供だ、親戚だ。困ってたら引き取るのは当然だろうが。他に理由がなきゃいかんのか?」
父さんに深い理由はなかった。さすが脳筋……。
でも父さんの脳筋は居心地がいいのだ。困った事でもなんとかなりそうな気分にさせてくれる脳筋。頼りがいある脳筋。
感慨深く思っていると父さんを呼ぶ声がして、父さんはそのまま声の主である、同僚らしき人の元へ向かって行った。
ふ、と気づくとダリルが木陰にいた。いつからいたんだろうか。
「なにこそこそ隠れてたのよ」
「一度言おうと思ってたけど、お前ら親子ってバカだよな。俺みたいなやっかいなもんに自分から関わって」
「……まあ、否定できない」
今更怒る気にもなれずにつぶやく。人が通る場所から隠れるように、私の横の木陰に腰をかけて、歪んだ根性の義弟は独り言のように話した。
「でも信頼してる」
…………今、なんて言った。口をぱっかり開けて考え込む。
「裏表ないバカな義父さんだけど、それだけに安心する。お前のやり方は、まあ、アレだけど、俺に飲まれないようにしてくれてるのは、ありがたいし嬉しいって、最近分かった」
ポカンとしている私を見てダリルは笑った。その顔を見てさらにポカーンとした。
大人びたいつもの表情でなく、タイツの喜びに満ちた笑顔でもなく、子供っぽい、無邪気な、素朴にすら見える顔。17,8歳に見えていたのに、今は同い年の男の子みたいに、思い切り目を細めて笑ってる。
ん? あ、れ?
しっかり目を合わせ、じっくり見てるのに、いつもならついうっとりして慌てて邪念を払っていたのに……
それが、ない。魅了が。
「ありがとな、リンデ」
そう言われた途端にドクンと胸が高鳴った。あ、魅了が襲ってきた。やばい、不意打ち仕様!?
慌てて背を向けて魅了から逃げた。なのにまだ胸が高まってるって、不意打ち魅了は平常魅了よりしつこいな、もう。
「ちょ、ちょっと、魅了ふりまかないでよ、人の努力ムダにする気?」
「ああ悪い。なんかないかな」
そう言って顔を隠すものをかばんから探すダリルに背を向けながら、改めてポカーン気分を味わった。
ダリルが、あのダリルが、感謝をした……!
でもなんだろう、今の。
もしかして今のは、魅了に目くらましされてない、本当のダリルの顔なんじゃないだろうか。
私は今初めて、『ダリル』そのものを見たのかもしれない。
本当は素直な根のいい奴なんじゃないか、そんな風にさえ思える無邪気な顔。表情一つでこんなに印象がかわるものなんだ。びっくりしたなあ。
でもなんで一時、魅了がなかったんだろう。
それに……感謝されて嬉しいは嬉しいけど、なんで罪悪感がむくむく湧いてきてるんだっけ? 私、何か忘れてないっけ?
………………あっ!!
「あ、見つけたわ、リンデさん」
私はダリルをダシに荒稼ぎしたのでした! しかも取引相手が今近づいてくる! しかも全員!
ヘタなことバラされたらどうしよう!
かばんを探っているダリルが「あ、そうだ、おまえにさ」と言いかけたのを遮って、私はまくしたてた。
「ダリル、うちの学校の子たちがこっち来るけど騒がれるのイヤでしょ、捕まったら大変だからそっちの影から逃げて! 早く! 素早く! 遠くへ!」
「何そんなに……」
私の慌てぶりに訝しみながらダリルは繁みの後ろへまわって立ち去っていった。間一髪でジザベル嬢たちが傍に来る。
「リンデさん、今日はありがとう。あなたのお陰でダリル様を見る事が出来たわ」
「本当ね。じっくり見れるなんて。リンデさんが手配してくれたお陰ね!」
「席がよかったのね、よく見えていい席だったわ!」
「そうだ、私チケットの支払いまだだった、ここで済ませていいかしら」
「あ、私も」
きゃいのきゃいの話を進める娘たち。だけど彼女たちの動きが一斉に止まった。
皆がポーッとしている。視線が私を通りすぎて後ろへ向かっている。……もしかして、これは……。
「へえ。お前、俺のプロモーターだったのか」
とてもとても甘い声が後ろからする。それもすぐ後ろから。
体が凍りついて、振り向けない。いや振り向かない方がいい、見たら死ぬ。
「随分荒稼ぎできてよかったね、姉さん」
なんだろう、この穏やかな声色から感じる殺意に近い波動は。
「こっち向いてよ、姉さん」
「ご、ご、ごめんなさい……、堪忍してください……」
肩を掴まれ無理矢理後ろを向かせられると、そこには眩しく輝く微笑みがあった。
……私は知った。人は、『魅惑、快楽、誘惑』に打ち勝つすべがあった。
それは『恐怖』だとこの時、深く、知った。
顔がゆっくり近づいてくる。背後からジザベル嬢たちの悲鳴に近い声が上がった。
ペタ。
「新開発の肌思い仕様だから安心しろ」
そう言い残してダリルは去っていった。唖然としてそちらを見送り、視線を感じてジザベル嬢達を見れば、彼女たちは怒り狂って……はいなかった。
皆、痛ましげに見ている。しかも通りの多い場所、他の若い訓練生までも足を止めて私を見ている。
もしや、と思って自分の顔を探って……ああ、やっぱり。
ヒゲだった。とれない。
その後ダリルに金銭のやり取りを父さんに告げ口され、こってり絞られ、儲けた金は皆に返すことになった。
ディアナも発案者として、同じように絞られ、両親からしばらくお小遣い停止を宣告された。彼女を道連れにできたのはいいけど、
「私の中の悪魔を追い出してくれたあなたの弟に感謝しなきゃね……」
と、悪魔を植え付けた本人に礼をしようという器用っぷりだ。
ダリルにつけられた雄々しい皇帝髭をカットしたが全部は出来ず、3日間チョビ髭状態となった顔をマスクで隠し、しくしく泣きながら皆にお金を返して回っていると、ジザベル嬢に
「さすがに同情するわ、リンデさん……」
となぐさめて貰えた。ぼっちの心配はないのに、涙が止まらない。