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「……君の所は監視が利くと信じていたんだがね。エンライトン」
オルダス大佐は報告書を片手に溜息をついた。数件ある報告書はすべて、ダリル・エンライトンに関する内容である。
「軍管区外へ勝手に出る、警巡隊所で揉め事を起こす、顔を塗たくって四方からの問い合わせを増やしてくれる……何をしているのかね、君は」
オルダスは直立不動で立つ大男に吐き捨てる。大男は右目に填レンズ、左目は縦長の傷跡が横切り、右耳は伝声管で覆い、顔にも無数の傷跡が残る、誰が見ても百戦錬磨な風体。
「この1件だけでも頭が痛いというのに」
オルダスが机に叩きつけた報告書は、この大男、レジェス・エンライトン中佐の娘リンデと、彼が養子にしたダリル、この2人の誘拐未遂事件についてである。
娘と義理の息子が誘拐されてすぐレジェスは動いていたが、誘拐犯のマロリー・エヴァラードは政府高官の娘。手出しは無用とお達しされた。軍側が政治家に恩を着せるため、ごちゃごちゃやり始めたのだ。
マロリーがあの地区に入ってもいいよう、後先考えなしに許可したのは上層部のクセに。だがそこをスルーして、過ちは下に押しつける。上が身勝手なのは世の常だ。
リンデもダリルも無事が保証されたものの、いつまでも続くごちゃごちゃにキレて、レジェスは密かに動いた。
だが到着したころには2人とも自力で脱出していた。しかもダリルがリンデを追い回している最中だった。
どういうことだ、ダリルは異性を毛嫌いしているんじゃなかったのか。そうか、うちの娘がそれだけ魅力的ってことか。まいったな、さすが俺の娘……
「聞いてるのかね! エンライトン!」
「は、聞いております、オルダス大佐殿」
オルダスは舌打ちをした。たかが諜報出が。レジェスを含む元諜報部連中は、縦社会である軍部にあってはみ出し感が強い。元々政府の機関であって軍部とは違う教育を受けた彼らは、大国との戦争終了と共に、予算削減で縮小吸収された肩身の狭い立場のはずだった。
それが、ダリルの母親「セラフィタ」によって覆された。彼女は魅了でもって軍の内部を引っかき回し、機能を落とし、内側から腐らせていった。
そこで活躍したのが戦場馴れした連中ではなく、レジェスたち元諜報部の人間だった。
元諜報部がいなければこの国はどうなっていたか、と思うほどの動きを果たした彼らの中でもレジェスは特に、特殊部隊顔負けの活躍ぶりだった。それが認められて正式に階級を与えられ、表舞台でご覧の通り大きな顔をしているこの男が、どれだけ小言を聞いているものか。
「訓練生として生かしてはいるが、役に立たないようなら即刻処分すべきだという声もある。分かっているだろうがな」
「役立つ……魅了をハニートラップにでも役立てる案ですかな。ですが飼い殺しが得策と上は結論づけた。だから私が預かったと思っていましたが」
「問題を起こすな、と言うことだ。あの坊やがらみだとピリピリする連中が多い」
それはそうだろうなとレジェスは思う。ダリルの母親によって軍の威厳は失墜したのだから、その息子に怨恨を持つ軍関係者は少なくないだろう。軍の宿舎に入れば、四六時中どんな手が伸びるか分からない。
ダリルは軍の保護下という名において監視対象である。一般社会に出す訳にはいかない。
だからレジェスが引き取り、通わせるという手をとった。左目の視力を失い、右耳は聴力が低下したにもかかわらず、その胆力ぶりが失ったものをカバーしている勢いの彼は保護者として適任であるが。
……別に多少は自由でもいいじゃねえかよ。青春でも味わえば、あの人形みたいな笑いも少しは人間らしくなるだろうに。そう思い独断で、軍管区外へ出ても刃傷沙汰にならない限りは、監視者にも自由にさせるよう指示していた。
それにしても青春か。リンデとか? いやいやリンデにはまだ早い。早いといえば、レイシーが死んでからもう2年か。あいつには寂しい思いばかりさせてるな。そうだ、今度ドレスでも買って……
「聞いてないだろ! エンライトン!」
「は、聞いております、オルダス大佐殿」
オルダスは何かあきらめた顔をして、うっとうしげに退室を促した。
「今日も何もなかったか?」
部下に送られて遅くに家に着いたレジェスは、玄関先に立つ若い男に尋ねる。ダリル付の監視者、ジェダは若いながらも腕が立ち、とある怪我が元で魅了に落ちることもない、貴重な人材だ。
「は。昨日に引き続き、ダリル訓練生は顔に異物を付け、ほがらかに登下校を……」
「そっちはどうでもいい、リンデは無事だろうな?」
「……中佐、何度も言いますが私はダリル訓練生付でして、リンデ嬢の警護は……」
「お前監視だろう、警護じゃないだろう、ダリルがリンデに何かしたらめった刺しにするのがお前の役目だろう、さあ答えろ」
ギリギリと頭を掴まれ、ジェダは「そんな役目はない、このバカ親」の言葉を飲み込んで答えた。
「……その点に関しては僅かな心配も不要です。ただ、リンデ嬢は少々覇気がない気もしますが」
「なんだと! それをまず言え馬鹿者が! リンデに何かあったらお前は始末書だ!」
慌てて中へ行く大男を見送り、送ってきた部下とジェダは、山ほどある言いたい言葉を飲み込んで、本部への帰路についた。娘が絡まなければ尊敬の念でも持ちたかったのに。まあ、上司が身勝手なのは世の常だ。
「と、父さん、お願いがあるの……」
久しぶりに顔を合わせた娘の願いだ。なんでも聞いてやろう。それに確かに少し覇気がない。ダリルの方はおかしい顔して覇気があるのに。よし、なんでも聞いてやろう。
「どうした、元気がないな?」
「う、ううん、大丈夫。父さんの顔みたら元気が出たから」
ようし、なんでも聞いてやろう。
「逮捕術大会のチケット……欲しいの……」
「なんだそんなことか。いいぞ、百枚でも千枚でも用意するぞ! そうだ、祭りのドレスも買ってやろう!」
「ホント!? 父さん大好き! ……あ、で、でもドレスは、うん、いいよ」
「なに遠慮してる? ダリルの事も任せっきりで苦労してるだろ。それくらい埋め合わせだ」
ははは父さん頑張っちゃうぞーと豪快に笑い晩酌を始めるレジェスだが、リンデが罪悪感の目で、父の背中を見つめていることは気づかなかった。