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「……ねえ、帰らないの?」
「?」
「ダリル、顔色よくないよ。死人みたい」
「……」
自分ではよく分からないがそうなんだろうか。リンデは首を傾げて見上げてくる。
「淫靡で背徳生活ってダリルには本当はキツイんじゃないの? せっかくうちに来て血行よくなったのにね。もったいない。それに白じいから聞いてるし」
「何を」
「こういう性的なことを体は別に頭はイヤでイヤでしょうがないから生き死人みたいになるって。ダリルは感情も食欲も睡眠欲も薄れちゃってるって。この生活に戻れば悪化するんじゃないの?」
「ご心配ありがとう。余計なお世話」
「うちを自分のごたごたに巻き込みたくないから、なんて理由はまさかないでしょうね」
「……ない」
「……そう。せっかく慣れたのに」
「慣れた?」
「あなたの顔。……やっと弟に思えてきたのになあ。次に会ったらまた私血色悪いダリルにメロメロになるのかな。ちょっと疲れる」
「……」
今まで逃亡生活やあちこちに買われて点々と出会う人を変えていた為、自分に慣れてしまった人間はいなかった。
「……もっと遊びたかったな。……あなたの顔で」
寂しげに悲しみを堪えて小さく微笑むリンデだが、言ってる内容は酷い。
「……そうだな。俺もお前の顔は他の女と違って忘れないかもな。あんなに大笑いされた顔は初めてだった」
暖かな繋がりを確認するかのように微笑むダリルだが、馬鹿笑いされた恨みは忘れないともとれる内容である。
ふふふっとそれぞれに思い出を味わって笑い合う姿はとりあえずは絵になっていた。
その時。
「おい! いなくなってるぞ!」
斜め上のベランダから響く男の声。リンデが逃げ出したのがバレたのだろう。咄嗟に2人は部屋の中へ入り込んで、探し回る男たちの視界から逃れた。
「どうしよう、どうしよう」
「大人しくしてれば悪いようにしないって」
それでも怖いリンデはパニック半分で辺りをうろうろした。この部屋の主の女性は起きる様子もない。ベッドの脇には2人分の脱ぎ捨てられた服が散乱しているのが目に入って悲鳴をあげそうになった。
……その下着の一つを見ているとある気持ちがリンデにむくむくとこみ上げる。
「……ダリル。やっぱり一緒に帰ろう?」
「いいよ。お前ら親子は静かな生活してろよ」
「やっぱりうちに気つかってるんでしょうが。バカ」
「どのみちお前のトコは窮屈なんだよ。出歩けないし義父さんはうるさいし」
「分かった、じゃあ、最後にお願い聞いてくれる? それと何かあったら守って」
「マロリー様、小娘が逃げました!」
女主人の部屋をノックする手下たちは中から女の悲鳴を聞いた。
「やめて! なんてことするの! おねがいそれだけは!」
女主人の嘆き声に、寝室であることも躊躇せずドアを開ける。男たちが目にしたのはベッドの上で泣き叫ぶマロリーと、彼女に向かって仁王立ちするリンデ、その手前に椅子に座る青年。
青年は首から上が丸くつるんとしていた。どういうことかと目をこらして驚愕した。
頭から肌色のタイツを被っている状態だった。
「いい!? 言うことを聞かないとこれを上に引っぱりあげるわよ!」
頭のてっぺんにあるタイツの先をリンデが手にしている。なんてことだと男たちは震えた。
あの美を結集した顔が、今タイツの中で縦によじれている。 それを今あの小娘はさらにタイツをひっぱり上げようとしているのだ! そんなことをすればどうなるか。あの顔の唇がめくれ上がって鼻が上に向き目がつり上がり瞼がおでこが……
「やめろー! やめるんだ!」
悪夢を想像し、男たちはリンデに駆け寄ろうとしたが
「動かないで!」
と脅される。生殺与奪権はあの小娘が手にしているのだ。誰一人として動ける者はいなかった。張りつめた空気が寝室に落ちる。
「……私の言いたいことは分かるわよね? ご婦人」
リンデの言葉にマロリーはがくりとうなだれる。
「お前たち……。手出しはしないで……」
「マ、マロリー様……」
悲しみにうちひしがれながら、女主人と手下たちはタイツ覆面の人質を連れて堂々と正面から帰っていくリンデを見送った。
目の前のリンデを無視してダリルはタイツを引っ張り上げた。
「……っっ!! …っ!」
声も上げず涙を流してうずくまる彼女を転がしておこうかと思ったが、一言言わなければ気が済まないので笑いが終わるのを待っていた。
ぼんやり見ていると、人はこんなにも笑えるものなのかと感心する。あまり大笑いする環境でもなかったので初めてみるようなものだった。
「そろそろ怒っていいか?」
「はっ……。も、申し訳ございませんでした。どうしても別れる前にダリルでやってみたい衝動が抑え切れなくて……」
「そうじゃねえだろ! 他人の下着顔にかぶせやがって!」
「え? そ、そっち?」
「そっちじゃなければどっちだ? クローゼットに新品あるだろうが!」
リンデは怒り狂っているダリルを見ながらふと気づいた。
ヒゲの時も、怒りだしたのは騙したとわかったときだった。ヒゲをつけられた時は呆れとイライラだけ……。
もしかして変顔を笑うことは怒らないのか。
「ね、ねえダリル。笑われたの、腹が立ってる?」
「……」
罵倒を止めてダリルは考え込む。怒り顔もだんだん消えていく。
「……あれ、悪くないよな」
「え」
「トロンとされるより気分いいな、笑われるって」
そう告げるダリルの顔は初めて目にするあどけない、さわやかな笑顔だった。さらにリンデの手をとって甘くささやく。
「リンデ、一緒に帰っていいか?」
「本当?」
「それで頼みがあるんだけど。タイツ買ってきてくれないか?」
ダリルは生まれてはじめて、女が自分を見て青ざめる体験を味わうことができた。
すいませんほんの出来心でした次からもっと真面目にやりますきっと多分