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勝手ながら4話と5話だけ一人称を止めます。すみません。
マフラーをぐるぐる巻いてなるべく顔が見えないようにする。
「あなた、少しいいかしら、お話したいの」
頬を高揚させた貴婦人が腕を捕まえて引き止める。マフラーの季節前から見ていたわけか。
「俺はないです。それじゃ」
腕を払って足早に帰る。その先にはいつも店の影から様子を伺う少女が3人。気づかないふりをして通り過ぎる。
3人とも顔がトロンとしている。もう少し行けば時間を見計らって外の掃除をはじめる男。
学校から自宅までの3分たらずの距離でこれだ。たまに新顔がいたりするがどの顔も『魅了』にやられてとろんとしている。皆同じく見えてしまう。
いつもなら顔をすっぽり覆う程のマスクをしている。だが訓練の後顔を洗っている時風に飛んでいってしまった。
マスクを買うついでにもう一つ手に入れたいものがあることを思い出す。
つけ髭だ。ずっとあれが気になっていることをそろそろ認めねばなるまい。
あれはいい。あれをつけてしばらく過ごした日々はなかなかのものだった。視線が劇的に減った。ただし普通のヒゲでは意味がなかった。あの大きく渦巻くヒゲが効果的らしい。
悔しいがあの女には感謝しなければならない。
大事に付けていたのだが、ある日粘着が弱くなってこれも風で飛んでいってしまった。
新しいのがほしい。あの女に頼むと何か増長しそうだし、何せ信用ならない。
だが学校帰りに買う時間などないし、どこで売っているのかも分からない。同級生は何故か話しかければ逃げていく。
ダリルは知らない。抜け駆けを禁じた結果、公平に誰も話をしてはならないおかしな事態になっていることを。
野獣の目覚めである10代半ばの男子たちには無我の境地への修行を強いられていることを。
ヒゲに思いを馳せていると後ろから頭をぽかりとやられた。
「話しかけてるのに無視しないでよね」
リンデが青ネギで頭を突いてきた。両手にある買い物の荷物を一つ差し出してくる。
「あなたの食料でもあるんだから持って帰るの手伝って」
「……」
ダリルは黙って受け取りスタスタ先を行く。こっちはさっさと帰って観衆から早く遠ざかりたい。また呼び止められないうちにと足早になった。
「エンライトンさん。こんばんは」
またもや一人話しかけてきた。これもまた高価な毛皮を纏った貴婦人。
立ち去ろうとするとすでに周辺を男たちで囲まれている。
「どいてくれる?」
マフラーを取り微笑んで呟いた。たまにうっとりして素直に聞いてくれる者がいるので試してみた。貴婦人はクラクラして倒れそうになったのを隣の男に支えられる。その男も鼻血を出している。立ち去ろうとすると。
「あああ、ごめんなさい。あなたの願いを聞けない私をぶって……!」
両腕を鼻息が荒い男たちに捕まえられた。こいつらもしっかり魅了されている。駄目か。
諦めて馬車の中に詰め込まれた。そこにはよく見知った先客がいた。
「……私、あなたに巻き込まれたワケ?」
泣きそうなリンデがいた。
馬車は窓を塗りつぶされ外は見えない。どこに運ばれているんだか。
馬車の中は静かだった。リンデは怯えているのか膝を抱えて鼻を啜っている。喚かれたり騒がれたりするよりはマシだが、しくしく泣かれてもうっとうしい。
そりゃ自分の事に巻き込んだのは悪いと思っている。だけどそれ以上にこんなこともあるのを分かって引き取ったこの親子がバカだという思いの方が強い。こっちだって他人を巻き込んで寝覚めの悪い思いになる感情くらいある。
それにしてもリンデまで攫ってご丁寧なことだ。きっと娘の命が惜しければダリルを大人しくよこせ、とかそんなところだろう。
馬車が何処かについて、目隠しをされながら歩かされる。
暖かい部屋に通され、視界が晒されるとそこは見るからに高価な調度品で取り揃えられていた。
目の前には先程の貴婦人がいる。扉にはガタイのいい男が一人。
「私はマロリーよ。怪しい手を使ってしまったけど許して。いつも見かけるあなたが欲しくて、どうしても欲しくて」
……はいはい。あなたを狂わせてすみませんでした。自分の顔が原因だとしても、やはりどこかで気持ちが侮蔑する。
『魅了』は性欲が強い人間ほどかかりやすい。人間それがなければ子孫繁栄が出来ないことは分かっていても、10才になるかならないかのうちから押しつけられれば嫌悪感がどうしても先立つ。
強く汚され続けてかえって中身が潔癖になった自分が可笑しい。
「わかりました。あなたの好きにして下さい。で、義姉を連れてくる必要はなんだったんです?」
彼女は関係ないから帰してやれ、なんて言えば嫉妬に狂って「あの子をかばうのね!あの子を殺してやる!」というトンチンカンな方向に行きかねない。
質問をしたのに貴婦人は自分のものに出来た喜びにうちふるえている最中。大分してようやく答える。
「取引に必要でしょう? あなたを正式に私のモノにするための……」
隣ににじり寄られ、香水や化粧の香りが鼻につく。思った通りの答えすぎて退屈さえこみ上げる。
「じゃあ早く取引をすませて下さい。あの家とさっさと縁を切りたかったんですよ」
※※※※ ※※※※
リンデは手足を縛られて一室に閉じこめられていた。
「もう……怖い、どうしてこんなことに……」
しくしく泣き、お腹をグーグーならす。恐怖で空腹なんかどうでもいいけどうるさいものはうるさい。もぞもぞと体を動かす。
手首の関節がおかしな方向に曲げられるというのはこういうとき便利だった。
玉結びをほどくのは手間がかかったがなんとか自由になった。
足の縄もほどき、ベッドの天蓋の柱に括られたロープもほどく。しくしく泣きながら出口を探す。
扉の前には見張りがいるんだろう。じゃあ窓から逃げ出すしかない。
お金持ちの家はどの部屋も豪華に作らなければならなかったんだろうか、窓は大きく立派なものだった。
時間は深夜もとうに過ぎ、東の空が白じんでいる。ベランダに出ればここが3階だということがわかった。飛び降りるのは……無理っぽい。
ふと壁につたう茨が目に入った。見れば地面まで這っている。これをつたって下りられないか。だが棘が当然痛そうだし……。
自分を繋いでいたロープを思い出す。それを手にグルグル巻いて数本の茨の蔓に手をかけた。
よし痛くない。ぎゅっと掴むとベランダから身を乗り出した。
だが。茨ごときが少女とはいえ人間を吊せるほど強靱なわけがない。上空でブチブチ音がしてリンデはジャングルの王者のごとくブラーリと一本の気まぐれな蔓で宙づりに揺れた。
「ひっ」
ブチッと切れた蔓がさようならと手を振っているように見えた。ああ、死ぬ、と思ったときバフッと硬くはない衝撃が背中を覆った。
それからどさりと体が落ち、自分が階層が下のベランダにいることを知った。
「……何してんだお前は。アホか!?」
ささやき声に近いダリルの声。状況を確認するとどうやら宙づりに揺れた時振り子状態でこのダリルのいるベランダに近づけたらしい。そのタイミングに彼がベランダの中に引きずりこんでくれたというわけだ。
「ダ、ダリル……」
隣で自分と同じく息を切らして青ざめているダリルを見上げ、なんとなくいたたまれなくなった。
お高そうなガウン姿。部屋の方に目をやれば、大きなベッドがあり、女性が横たわっている。未成年には目の毒な光景だ。ダリルは舌打ちをして大きな溜息を吐いた。
「……何? 不潔? 汚らしい?」
「……あ、いえ、その……」
「誰の為にしてると思ってんだよ。お前に手を出さないように仕向けてんだから。ま、そんなことしてもらっても嬉しくなんかないわーとか抜かさないよな」
「……あ、はい……」
抜かす所だった。
「大人しくしていれば帰してもらえるってのに、何よけいな行動してるんだか」
「ダリルはどうするの?」
「別に。あの女が俺を囲いたいらしいからそうさせる。元の生活に戻るだけの事」
「え、えーっと、それは、一日中ねんごろになったり、おたわむれをしたりと怠惰で淫靡で背徳な……」
「お前何かの読み過ぎだ。別に外れちゃいないけどさ」
実の所、マロリーをさっさと寝かせて一人浴室を使わせてもらっただけなのだが。
真っ赤な顔になっているリンデを呆れた目で見下ろしてダリルはどうするべきか考えた。普通にこのまま逃がしても問題なさそうだ。
「ダリル? そこにいるの?」
中からマロリーの声がして咄嗟にダリルはリンデの体を地面に押さえつけて「うごくなよ」と告げ、中に入っていく。リンデに会話はよく聞こえないが甘ったるいマロリーの声がする。ついちらりと窓の向こうを見れば2人は口づけをしている最中だった。
ふ、不潔! ……と思っていたが、そのうちマロリーがだらりとダリルの腕から落ちそうになる。彼女を抱き上げたダリルはベッドに寝かしつけ、またこちらに戻ってきた。
「……? 何したの?」
「魅了されている最中の奴は少し高ぶらせると恍惚がいき過ぎて寝ちまう。ちょっと便利だろ」
唇を拭って答えるダリルの表情は、嫌悪感に溢れていた。顔色も悪く、リンデは心配になるほどだった。
今日中にもう一話の予定。