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それからダリルについて色々聞かされた。
ダリルの母親はそういう魔法(笑)を使えるように作られたじんこう人間……ん? じんぞう人間だっけかいぞう人間だっけ、まいいや、なんか特殊な人間だったらしい。
しかもとこぞの頭良し金持ちの道楽で作られたというのだから怖ろしい。
彼女は誰彼かまわずその魔法を垂れ流し、周囲は色々大変だった。彼女の顔を見ただけでうっとりしてかしずいて「好きにして下さい」状態に陥ってしまうというシロモノ。
国は彼女を危険だと感じて父さん達軍関係者がこっそりどうにかしたらしい。
「母親ほどではなくとも受け継いでるのう。リンデもやられたのかい?」
「うん。ものの見事に。笑いかけられたらポーッとなって体が火照ってメロメロになった」
あれはダリルの出す魔法(笑)のせいだったのか。
「姉の方がもっと濃く現れていたがの」
「姉がいたんだ……」
「母親は亡くなったが、姉は生きている。が、もう4年前から行方不明だ」
「そんな……どうしてダリル一人残して……」
「母親と姉は人々に求められ狙われ続けてな。父親はその争いに巻き込まれて行方が分からなくなった。……姉弟2人で数年、各地を点々としていたそうだ。だがどこへ行っても人から見られ追いすがられ、争いがおきて……姉に会ったことがあるが、地獄だろうにな、と感じたよ。想像できるかい? 男も女も自分を見ればとろんとしてしまうんだ」
そうして姉は自分がダリルを危険な目に合わせていると感じて弟を無害な老人に預けて姿をくらました。
だが老人が程なくして亡くなった。それからダリルはどうしていたかというと。
身売りされた。あちこちに売られ、買われ……男娼まがいのことまでしていた。ダリルをめぐって刃傷沙汰が起きたことで父さんが居場所を知ることが出来た。
「そんな風に生きてきたからダリルは姉や父親以外の人間を信用せん。特に自分を色欲で見る者は徹底的に嫌悪する」
たしかにこの2ヶ月、ダリルは誰ともなれ合わない気がする。誰にでも同じ態度、同じ愛想、同じ口調……。彼にとって皆、好かれようが嫌われようがどうでもいい存在なのか。
「レジェスは、“ダリルが手を出すことはない、何かあったらリンデの方からだ、まあまだかわいいねんねだから魅了なんざまだ早い”だのぬかしてなあ」
父さんのばかー! 娘よりヨソの男を信用する親があるかー!
夕方押し迫り。頭の中をぐちゃぐちゃさせながらの帰り道。
なんだ。あれは魔法にかかったようなものか。じゃあ本心からじゃない偽物の恋愛感情になるのかな? よかったじゃない、本当の恋心じゃなかったんだよ。はしかにかかっただけで、そのうち治るんだよ。私があんなにウダウダするわけないものね、みんなまやかしみたいなものだもの。
……望みどおり、割り切れそうなのに。なんだか寂しい。捨てたかった恋心なのに、いざ捨てるゴミ箱が見つかったら、この奇麗でもない不格好の恋心がどこか愛しい。
それは、ダリルの心がほんの少しだけ分かったつもりになったからかな。つもり、だけどね。
みんなが自分を見る。だけど見ていない。芸術作品を見ているのであってダリルを見る人間はいない。自分が垂れ流す魔法の光で目がつぶれている人間ばかり。
それじゃ誰も信用しないわけだ。そんな孤独もあるんだな。
気がつけば弟レイシーのお墓の前に立っていた。
“姉だなんて呼ぶ気も失せた”
呼ぶ気も失せた……。
彼は、欲しかったんだ。自分を普通に見てくれる存在が。
形だけの姉であっても姉と呼びたくない程、彼の中で家族は大事な存在なのだ。それはそうだろう。自分を普通に見てくれる人間は親と姉の他にいなかった。人一倍家族の大事さを味わってきた。
始めの頃、姉さん、と呼んでくれたのは一縷の望みがあったから? なのに私は。
のぼせ上がった私を見て、ああ、またか、やっぱり駄目か、と思ったことだろう。自分と並んで歩く優越感に浸る私はどれだけ醜く映っていたことだろう。
あの時彼を受け入れないで抵抗して本当によかった。
レイシー、ありがとう。目を覚まさせてくれて。レイシーの記憶が私を止めてくれた。そうでなきゃ、二度とやり直しはきかなかった。やり直せるだろうか。
弟が出来る喜びを思い出さないと。
イミテーション疑惑がある恋心を別の心に変えられるかも知れない。
私にヒロインは無理だ。魅力的な展開も甘い甘いハッピーエンドも無理無理。でも私は主人公だ、私の人生の。主人公はドロドロを作るわけにはいかない。
レイシー、力を貸してね。
※※※※ ※※※※
「ダリル、チェスしない?」
あの事があってから避けていた私が遊びに誘ってきたことに、さすがに少し驚いてみせる義弟。
「いいけど? 俺は強いよ?」
穏やかに笑ってみせるその顔にやっぱり心がどきりとさせられる。しずまれーしずまりたまえ心臓ー。
何事もなかったかのような態度は逆に私への興味の無さを感じさせる。
くじけそうな気持ちを抑え、せっかくいい天気なんだから、と私はテラスに誘い、そこに2人向かい合った。
ダリルはたしかに強い。一回目、私はあっさり負けた。ホント強い。秒殺だ。
「本当に強いなあ。こんな綺麗に負けたことないよ私」
「手加減してあげようか?」
「そんなのおもしろくないでしょ。私が本気出せてないからだよ」
「なにその負け惜しみ」
「賭けるものがあれば火事場の馬鹿力が出せるかも。賭けない?」
「へえ? いいの?」
「うん。私が負ければ一つだけダリルの言うことを何でもきく。私が勝てば一つだけ私の言うことを聞く。どう?」
「なんでも? 本当に?」
綺麗な笑顔が少し、毒物の混じった色に見えた。悪意と呼ぶものなのか軽蔑とよぶものなのか分からないけど、今はそれに感情を動かされる場合じゃない。
ダリルは少し考えてから楽しげに答える。
「いいよ。おもしろそうだね」
もう一戦私たちは始めることにする。
私に無関心。あの笑い。負けたら「俺の目の前に二度と現れないでくれる?」くらい言われるかもしれないなあ。特に嫌われてる身だし。あはは……。
「あなたのこと、聞いた」
私はチェス盤に目を落としながら告げた。彼も同じくチェス盤に目を落としたまま「そう」と応える。なんの感情も動いていない声。
「生い立ちも、家族のことも。……私はごくごくこれ以上なく普通にそれなりに大事に育てられた世間知らずの一応お嬢様部類に入っているからあなたの大変さは一欠片も分かってやれないけど、力になりたいとは思ってる」
「そう」
どうでもよさげな再びの返答。
「……お姉様は素晴らしい方だったんでしょうね。またご家族に会えるよう、私も祈るから」
「そう」
「……姉になってやれなかった事、ごめんなさい」
「そう」
「……ねえ、勝ったら私に何をしてもらいたい? 私、なんでもしてあげる。本当よ?」
「そう」
「なんでも言って? あなたのために何かしたいの」
「そう。じゃ、俺を二度と見るな」
「……! そ、そんな……」
「それとも裸で街を歩いてもらうかな。あんたも一度世間から気持ち悪い視線をあびる経験してみたら」
「……ひどい! 私、あなたのことを……」
「何も分かってないくせに。あんたみたいなお嬢ちゃんの口から姉の話をされると虫唾が走る」
「あ、あんまりだわ! あんまりよ! あなたの為を思って言ってるのにひどいわ!……チェックメイト」
「うるさ……え?」
さやさやと春風が心地よい。その風が私とダリルの髪をそよがせる。
輝きの美しいダリルの瞳は駒を強く凝視し続けた。風が止み、動のない時間は怖ろしく長く感じた。やがてダリルは立ち上がるとこちらにつかつか歩み寄り、両手首をひっつかんで私を強引に立たせた。
「いったあっ!」
「……小細工してたらはったおす」
手首や体中を触られたがときめきが起きる状況ではなかった。あちこちおかまいなくはたかれて、痛い。
だけど何も見つからないので諦めてダリルは席について溜息をついた。
「ああいいよ。俺の負けで。何でも言えば?」
どうでもいいよもう。そんな感情がありありすぎる。私は彼を見つめ、顔を赤らめてもじもじした。
「じゃ……。あの……」
そう言ってそばに近づく。そして「そ、その前に目……、目を閉じて……。恥ずかしいから……」そうささやく。
ああ、そんなのかと頼み事の予想をつけたダリルはつぶやいて、小馬鹿にした笑いを浮かべ目を閉じた。その伏せた長い睫毛にさえきゅんとする。
ドキドキしながらその顔を覗き込む。なんて綺麗な顔。
ぺた。
…………。
「ふっ」
あ、私ったら笑っちゃいけない。でも、私はなぜか昔からきゅるんヒゲに弱い。
おお、美しい顔にコレがあると破壊力倍増。このヒゲも厳選しただけあるわ。きゅるんどころじゃない、きゅるるるるんくらいある。渦巻きの回転数も直径も半端ない。貼った位置のせいかヒゲというより鼻穴から伸びているようにもみえる。だとすればなんと激しい鼻毛か……
「ぶふっ! あ、ごめんなさい、願い事というの、は、ふっ」
「……人の顔に何つけた」
ダリルは鼻の下についた異物を取ろうとしてるけど無駄よ無駄。それは3日くらいお湯につけないと剥がれない白じい新開発の強力接着剤。
私は笑いをなんとかおさめてきりりと宣言した。よかった、あの顔ならまともな気分で見ることができる。腹筋がまともじゃなくなったけど。
「私の願い事はね、あなたの改造計画に協力してもらう事よ」
「か……?」
「ふっ。ああ失礼。……あんまりこっち見ないでくださる? ふっ…まだそのお顔に慣れなくて……くふっ」
「お前が見なきゃいいだろ」
しゃべるたびにきゅるんがばふばふゆれるのでこれまたたまらない。
「ぅくくっ…そんな……。誰もが見惚れる芸術作品なんでしょう?あなたは。その宿命を少しでも取り除きたくてあなたの為に私なりに考えたの。ほら、これならみんな笑ってくらせるでしょ? 誰の心も傷つけずにすむでしょ?」
「俺がズタズタだ」
呆れ顔で甘い声をいつもより低くさせるダリル。だから私も乙女のかぶりものをとった。
「それはこっちのセリフよ。よくもさんざん言ってくれたわね。凡人にもプライドはあるのよ!一寸の虫にも五里の魂があるのよ!」
「でかすぎだアホ」
「(えっ何が?)まあともかく、あなたの姉君様はそれは素晴らしい方だったでしょうね。身も心も美しい姉弟愛があったでしょうね。だけどあいにく私は平々凡々の姉弟だったの。いい? 一般常識、及び今後の立ち位置を教えてあげる。平凡姉弟の常識はねえ、弟は姉の奴隷そしてオモチャ! わかった!?」
レイシー……。あなたにもこうしてヒゲをつけてやったよね……。姉さん楽しかったなぁ……。
顔色がなくなったダリルに私は懐かしさを感じた。ああ! レイシーと同じ! これよこれ! 弟をいたぶ……可愛がる時の幸福感!
よし、もう一押し!
「あとね、お姉様からもう一つ教えたいことがあるの。2人だけの秘密だよ?」
彼の目の前に手を突き出して、手首をありえない方向に曲げる。そしてぽん、と兵士の駒を出す。
「ごめん。イカサマしました」
そう、私に突出した素晴らしい才能はない。ないけど。何か欲しくて手首をありえない方向に曲げられるのを生かした結果、手品が得意になった。手品、というよりイカサマが。「ヒロインの特技、イカサマ」なんてクライムかノワール小説になってしまう。これを素晴らしいと言ってくれる人は誰もいなかった。
とにかく手段はどうであれ、私はどうしてもこの美しすぎる顔にヒゲをつけてみたかったどうしても……じゃなくて、姉弟という絆を私なりに作ろうとし…
「……はったおすって言ったよな!」
ふとダリルを見るとその美しすぎる眉の間に深い深い縦皺が出来ていた。やだ燃えるような目?
あれ? え? この流れまでレイシーと同じくなるの? いつもどおり興味ない態度にならないの? しかたない、愛しい弟から逃亡するコースを久しぶりに利用するしかない。
こうして私はヒーローから追われる、という憧れのヒロイン像を一つだけ実現できた。
全国の姉弟様申し訳ございませんでした!
この物語はフィクションで実在する団体、姉弟、現実の常識とは全く別物です!