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ダリルの本性を知ったのはある日突然だった。
その日はダリルの誕生日だった。
私はプレゼントを用意した。それを手に彼の部屋を訪ねて…………。
見たのはお手伝いのレナ婦人とむつみ合うダリル。
茫然として、手にしていたプレゼントの箱を落とした為、2人が私に気づいてしまった。
レナ婦人は青ざめて乱れた服の胸元を正し、私に頭を下げ、ダリルに促されて出ていったが彼女のことは目に入らなくなっていた。
ダリルはいたずらがバレたか、みたいに肩をすくめている。その平然とした態度になんだか頭が混乱した。
不潔? 最低? なにをしてるのよ?
……色々浮かんで考えが定まらない。
「ショックだったんだ。かわいそうに。そんなに青ざめて」
……そう、ショックだった。別に彼が自室で何をしようが、姉であって恋人でもなんでもない私が彼を責める立場ではない。私は別に恋人ではない、その事実を突きつけられたことにショックだった。何を勘違いしてたんだろう、私。
ダリルは困ったように私の顔を覗き込んだ。
「しょうがなかったんだ。彼女にしつこくされて、一度でいいからどうしてもって言うしさ。軽蔑する?」
そう言って私の肩に腕を置いて私の顔を囲い込む。見下ろしてくる黒い瞳が底のない夜の湖水のようで目が離せない。見惚れていた。
そんな私の内面を深く黒い底から見つめるダリルは顔を近づけて囁いた。
「しないよね? だってリンデは俺が欲しいんだから」
湖底に飲まれるように私は震えた。ダリルは私の心の内に気づいているんだ。
どさりとベッドに押し倒された。そのままダリルはのしかかり、私を覗き込む。ダリルと自分の体格差を感じ、恐怖心がこみ上げてきたのに私は動けないでいる。心にあるのは恐怖だけじゃない、違う感情がわき出ている事をダリルは読んでいる。
頭がうっとりしてたまらない。覆い被さってくるダリルの顔が間近にせまり、おかしくなりそう……
その時、ペンダントがぷらんと目の前に現れた。
ダリルの身につけているものが胸元からこぼれ落ちたのものだ。
「……!」
弟レイシーが身につけていたペンダント。幼いレイシーが父から貰ったときの光景が重なる。軍の徽章を象った模造品だけどレイシーは大はしゃぎで持ち歩いていた。
『どう? これでボクもいちにんまえだよ?』
『いつか父さんのお手伝いが出来るってことだよね!』
「やめてっ!」
体をねじってダリルから逃れる。未知の世界への怖さが急に勝った。レイシーが見ているみたいな錯覚を起こしたのが原因だ。ペンダントはレイシーのものじゃない、でもペンダントにレイシーの意志がつまっているみたいで。
ダリルは意外そうにあっさり身を引いた。
「いいの? やめちゃって」
「……あ、姉と弟はこういうことしちゃいけないでしょ……」
「姉……ね。よく言う。あんなにもの欲しそうにしておいて」
「もの……っ。誰がいつそんな……!」
「初日からそうだったろ? こっちは姉さんって呼んで線引きしたつもりだった。なのにあんたはのぼせ上がっちゃってさ。姉さんなんて呼ぶ気も失せた」
表情はいつもと変わらず淡々とした口調に心が冷えていく。
「大体、なにを突然姉ぶってるんだよ。ああ、遊び馴れてなさそうだしね。こういうの土壇場で怖じ気づいちゃうか。いいよ? やさしくしてあげるから」
「だ、だれとでもすぐにこんなことしてるわけ!? 最低!」
「俺は望まれたら応えてやってるだけ。人をみればイロに狂った顔する連中のさ。あんたにもそうだ。一応家主の娘だからゴマすっておこうと思ってさ。いい気持ちだっただろ? 数多い女達から自分だけが選ばれる特別な存在になってみるの。次は何を叶えてあげようか? ベッドでいちゃいちゃがいやなら、嫉妬に狂った女達の攻撃から守ってあげるとかかな」
な、なにこの男……。彼の表情、声色、態度すべてが、いつもとかわらなすぎて、空恐ろしくなる。おもしろがっている風ならまだいい。なんでそんなに淡々と、一日のスケジュール発表みたいにそういうこと語るわけ?
何を考えているのか、どんな感情でそんなことをいうのかさっぱり読めない。
だから一つだけ……一番知りたいことだけを尋ねた。
「ダリルは……私をどう思ってる?」
「愛してるでも好きでもいくらでも言ってあげるけど? いつでも俺を追い出せる立場のリンデ」
フェアじゃないんだよ、と暗に言われて彼がどれだけ本音を隠さなければならない立場だったか気づいた。
「お、追い出さないから。だから本当の事言って」
するとダリルはすこしきょとんとして、それから口角を奇麗な弧にした。それを見たときギクリとした。目が奪われる優しい笑顔と違う、毒を含んだ笑い顔。それは初めて見る顔だった。尋ねたことを一瞬で後悔した。
「どうも思っていない。と言いたいけど、今のところ一番しゃくにさわる人間」
茫然とする私の顔にダリルの唇がすれすれまで近づく。
「俺の姉ぶるな。……期待に添えなくてごめんね?」
いつもの表情に戻り極上の笑みを浮かべたダリルは、私をそっと押して部屋から追い出した。
そうして現在に至る。あれから一週間。
全部忘れようと、私は令嬢の間で流行っている恋物語を読みふけったりして気分を変えようとした。ヒーローに好かれている主人公をうらやましがったりして、身にもならない日々を過ごした。
綺麗さっぱりとあいつを心から追い出したい。もうなんともない態度になりたい。私ってこんなにしつこい性格だったの?
恋なんてちっとも綺麗なものじゃないと知った。私にとっては綺麗にさせてくれるものじゃなかった。
自分の不格好さを思い知らされるだけのものだった。
物語の主人公のようになれたら。どうすれば人を好きにならなくて済むのかな。どうすれば……動じないでいられるのかな。
……だめだ。自分が駄目になってしまう。第一同じ屋根の下に失恋相手がいるのも痛い。
ダリル。あれは私が敵うような人間じゃない。私みたいな脇役人間の手には負えない。あれは魔性だ。
私の今現在の立ち位置は女ったらしのヒーロー役がヒロインという運命の人にめぐり逢うまでに適当につまみ食いするそこらの女だ。
どうやらまだヒロインといえるような存在がこの辺にいないからよかったものの、ヘタをしたら「彼にちょっかい出さないでよこの女狐!」とか言ってヒロインを攻撃してヒーローに手酷く撃退される役割を果たすところだったかもしれない。
そんな台詞言う気もないし攻撃もしたくないけど、恋に狂えば自分で自分が止められないって小説にもあったしなあ……。
あ、今日はダリルが早く帰ってくる日だ。はち合せたくないのでとにかく何処かに出かけよう。
「白じい、いる?」
私が呼びかけると植物園から白髪白髭の老人が手を振った。
「おお、リンデかい」
私は義理の祖父の研究所に足を運んだ。祖父は頭がよくて色々開発している。今は植物からとれる液で強力接着剤を作っていた。それらを見るだけで飽きないし楽しい。昔からの心の避難場所だ。
今日も白じいは新作や新しい植物を見せてくれる。
「この匂いでな、虫をさそうんだよ。そして虫はうっとりして溶けてしまう。こんな風に往生したいもんだなあ」
「これ溺れてもがいてるよ虫」
ウツボカズラの中の地獄絵図はともかく。……匂いでさそうか。私はふとダリルを思い出した。
「モテてモテてしょうがない人もこういう風に匂いをだしてるのかな」
「ああそういう話もあるなあ。せくしいな男の匂いってやつをかんだことでもあるのかい」
「ううん……。身近に男からも女からも節操なくモテまくる魔性の男がいて……」
「ダリルのことかね?」
「うん……。私、あいつといるの辛い……」
ついそんな泣き言を吐いたけど、白じいは小さな唸り声を上げている。いつもなら何を言っても笑い話にされてしまうのに。
「お父さん……レジェスの奴から何も聞かされてないのかね?」
「……うん。ちょうど忙しい時期で、全然話ができないの」
だからダリルと2人きりだけど、顔を会わせないようにするのは簡単だった。夕飯時は時間が合わないしそれ以外はさっさと互いの部屋に篭もるし、朝は私が起き出す前に学校へ行くし。ま、家の中に人の気配があるからいいけど。
「……レジェスめ、だから年頃の娘の所におくなと……」
「白じい、なんの話?」
「んー、ダリルの母親にはな、魔法が宿っていたんだよ。いや、呪いかな?」
……断っておくけどここは魔法の世界ではない。えーと高齢者の幼児退行は幾つかの兆候と考えられるからまずは病院で……
「検査は怖くないよ、私もつきそうから」
「何の話じゃい。いやまああれだ、魔法(のようなもの)だ。いや魔法(仮)がいいかな。それとも魔法(改)が……」
「魔法(笑)でいいんじゃないの」
「いやとにかくだな。その魔法はな、人を虜にしてうっとりさせてしまう、『魅了』という魔法じゃ」
「…………やっぱり魔法(笑)で決まりだね、白じい」
「……そうかの……」