13
「君はもしかしたらまだ未成熟だというのもあるけど、一旦罹った魅了を半分以上の割合で克服した。それを解明したい。ダリルの魅了を治すには、君を解剖することが条件だ」
「か、か、か、解剖!?」
「そう。頭の中。何か魅了のことが分かるヒントがあるに違いない」
「見て分かるんですか、そういうの! ひ、人の感情ですよ!?」
「人の心とか感情なんてね。体内から出てる物質の一つに過ぎないんだよ。恋も愛も喜怒哀楽も、欲望も。形無いものなんてこの世にはない。だからこそ魔法じみた“魅了”なんてものが実存する」
怖い、本気で怖い。何言ってんのこの人。言ってる内容の意味が分からない。もう王子もの小説読めない。私、頭割られる! でも!
「割った頭を綺麗に戻すんなら、い、いいです、行きます!」
「ぶはっ!」
ん? ぶは?
ぶはって聞こえたけど、他に誰もいないし、えーと、どう考えても、今目の前でお腹抱えてうつむいて肩を震わせている、この、王子様が……? ぶは……?
こ、声もあげずこらえきれないほどに、笑うことないじゃない! あと王子様がぶはなんて下品なことありえないから影武者かもしれない!
「ひどいです! 一大決心を笑うなんて!」
「っ……。限界……。割るって……」
そう言って手の甲で目元を押えうつむく、偽王子。偽王子の笑いのツボが私には分からん。おかしなこと言った自覚はあるけど、そこまで笑わなくても。これ以上なく心が荒涼とし、王子に対する怖さも不気味さも、ましてやドキドキなど、なんだそれ状態。いい加減笑い止めこら。
親の仇みたいに睨みつけている私の眼力などものともせず、偽王子は私の頭をくしゃくしゃした。きらめく濡れた瞳は笑い泣きの痕跡。ありがたみなし。
「なにするんですか。私怒ってるんですから」
「いや。妹もこんなだったら毎日可愛がり倒すのになあと思って。ほらいい子だから落ち着いて。ミルク飲む?」
むかー! ダリルに続いての犬猫扱い! どいつもこいつも大きいからっていい気になってー!
「本当にダリルを治したい?」
偽王子が見下ろしてくる顔に驚いた。笑いが消えている。一瞬怖さを覚えたけど、その青緑の目は真剣さがあった。1も2もなく私はうなづいた。するとその顔が少し近づいてきて、荒れを知らなそうな唇が動く。
「じゃあ、君にね」
「それ以上聞くな」
別の声が後ろから轟いて、私はびくりと体を揺らした。ソファを挟んでダリルが立っている。いつの間に入ってきたの? ドアの音もしなかった。
偽王子の表情が元の笑顔に戻り、あの不気味さが蘇っている。
「どうやってここまで?」
「よく言う。分かってて聞くか」
「相変わらず便利だね、魅了って」
ダリルと偽王子のやり取りに冷気が走ってる。えらく仲が悪いのは私でもわかった。
「このホテルの従業員や僕の手の者、何人たぶらかしてここまで来たのかが知りたくて聞いたんだけどね」
「…………」
明らかに偽王子はダリルを挑発していて、ダリルは無言。外の雨に打たれたのだろう、髪や服が湿っている。
ああ、そんなこともやろうと思えばできるんだ。全員にはできないだろうけど、何人かはダリルの言うなりになるだろうし……。
「おぞましいよね。恍惚を高めたり、言うなりにしたり。どうあっても怪物でしかないと思うけど」
まるで同意を求めるように偽王子の顔が私に向けられている。その目はやはり観察しているかのようだ。
偽王子から目をそらし、ダリルを見る。濡れた髪に隠れて偽王子に向いた顔は表情がよく分からない。
「その怪物ってやめてください。王子様だからって何を言ってもいいと思ってるんですか」
「リンデ」
呼びかけてきたダリルの声には、困惑が少し入っている。
「あんな事言われて、何すまして聞き入れてるのよダリルも。うちの国の王子様じゃないんだからいいじゃない。王子様、ダリルは怪物なんかじゃありません。ゼリー男です」
ボフッとクッションを後頭部に受けてしまい、私は怒って後ろにいるダリルを睨んだ。
「かばっているのにひどい!」
「どっちが! 何か胸打つ台詞を期待しかけた俺がバカだった!」
「それはこれからなの! ダリル、あなたはブヨブヨした生き方から、今しっかりと固まり始めてそして……」
「お前こそ俺だから何を言ってもいいと思ってるだろ!」
「立派に成長してるっていう流れのいい話なんだってば。あっそれより風邪ひくよ。顔色も最悪。ここのソファ最高だから横になっていた方がいいよ。王子様は私がとっちめるから」
「とっちめるって……お前」
私は小さな声で囁いた。
「あの人ホントは影武者なんでしょ? 王子様らしくないもの」
「本物だぞ」
「えっ。…………えーっと、あ、タオル持ってくるね。あとよろしく」
この場からとりあえず離れようとしたが、ダリルに肩を捕まえられた。
「ここにいろ。動くな。俺から離れるな」
「や、でも……」
「で、気持ち悪くなるのを我慢してまでここに来たのか。どうしてそこまで?」
王子様、涼やかな顔でさりげなく会話に入ってくる。
「麗しいね。彼女が僕に奪われないように、必死になって来たという訳かい?」
「それがどうした」
うわ……! な、なにこの腰が砕けそうなやり取り……! 耳がどうかしたの私!?
「君にそんな人ができるなんて驚いたな。彼女は君の何? ただの義理の姉?」
「こいつは……姉のような……。妹のような……。でもそうじゃないものもあるって気付いた」
え。何。何を言うつもり?
「こいつは……いざという時は頼れる、兄貴のような」
ボフボフボフボフボフ!
高級ホテルの高級クッションは高級綿なので、いくら叩きつけても凶器になりやしない!
「おい、なんで怒る!?」
「乙女小説で何学んだのよ! どっか修行に出て二度と帰ってくるな!」
「俺なりの賛辞だぞ! 俺なりによく考えて」
「もうホモってればいいよダリルなんか!」
「喧嘩両成敗だと思うけどね」
爽やかクールなそよ風のごとく王子様の声で、私はとりあえずクッションを置いた。他人がいるんだった。
そんな王子様にダリルは木枯らしのごとくな態度を向ける。
「あんたは何の夢見てるんだ? 治す方法なんてあるわけないだろ。母さんが生まれた国は跡形もなく消滅した。作った人間も技術も設備も一緒に」
「その上で言ってることも悟れないのか。手間がかかるね君は」
な、仲ホント最悪……あれ? そういえば、この二人向かい合って……あ、れ!?
我を忘れて私は話に割り込んだ。
「王子様、あるんですね! 治す方法!」
「リンデ……!?」
「だって、王子様は魅了が利いてないじゃない! 魅了に罹らなくなる方法があるってことじゃない!」
半ば興奮気味にダリルを見上げると、その顔は驚愕と、さっき見たような困惑が混じり合っていた。どうしてそんな顔をするんだろう。喜ぶことじゃないの?
「ああ、そういえばそうだね。相変わらず僕に効かないね。でもリンデ、治す方法を知ってるならさっき君を我が国へ誘わないよ。もう一度言おう。治す方法は確立されていない。だからその一歩に君を調べたい」
「耳を貸すなよ。嘘だらけだ。もし本当のことを言ってるとしても、こいつは自分のことしか考えてない。魅了が欲しくてたまらない国家元首の息子が、その魅了を無くしたがってる。つまり自分の国や妹に反逆してる、腹ん中毒虫だらけの男だ」
「あ……」
確かにそうだ。王子様がからかいや冗談で言ったんじゃなく、本気で魅了を治したいというなら、そういうことになる。そんな人に協力すれば、私も父さんも、大変なことになってしまう。
「そんな……。協力したくてもできない……」
「お前は考えなくていい。帰るぞ」
ダリルに無理やり腕をひっぱられながら戸口へ向かわされる。振り返って王子様を見れば、優雅な仕草で椅子に体を沈め、相変わらずの笑顔でこちらを見ていた。その口が動いている。
「さようなら、レディ・バタフライ」
かすかにそう聞こえた。……私は王子様が観た観劇が何なのか分かって、唇をかんだ。蝶々夫人と一緒にするな。全然違うじゃないの。
部屋を出ると、皆幸せそうに眠っていた。父さんはいない。私は口をつぐんで何も言わず、ダリルに従って歩く。なぜか誰とも出会わず、派手なロビーを通ることもなく、外に出た。
馬車が止まっており、中で父さんとジェダさんが待ち構えていた。
「無事だったか、リンデ。何かおかしなことをされなかったか?」
ちょっとちょっと父さん。一国の王子様まで小虫扱いする気? 親バカ通り越してバカ親だよ。そう思ってあきれていたけど、ダリルがいたって固い口振りで答えた。
「リンデを自国に連れて行こうとしていました」
「……そうか」
その態度。ダリルも父さんも様子がおかしい。
「王子様が誘ってくるの、予想してたみたいね。父さん」
「わざわざ呼び寄せるのに何かあるとは思っていた。だがお前がヘタなことをされても外交問題で父さんたちは手出しできん。だからダリルを使った」
あ、マレヴィル側は「ダリルは自国民だ!」って主張してるんだから、ダリルが王子様たちに何をしてもうちの国の問題にするの難しいよね。あ、そういう理由でダリル参上ね。ダリルが自分の意志で私を「助けに来たぜー!」ってわけじゃない、と。そんなことだろうと思った。あーはいはい。
あの若すぎる大佐と打ち合わせてた内容はそれだったのかな。
「つまり私はからかわれていたわけじゃなく、本気であの国へ連れてかれて、頭をかち割られる所だったと……」
「なんだって……!?」
「くっ……。いくらでも揉み消せると思いやがって……!」
ダリルは驚き、父さんは怒り心頭になってしまった。言い方まずかったかな。
そのあたりのことを父さんに話しておく。色々聞きたいことがあるけど、父さんとダリルの雰囲気はそれを受け付けてなかったので、私も何も聞かないことにした。
父さんが言わないようなら聞かない、首をつっこまない。大臣たち政治家の思惑も、王子は本当の所何を考えているのかも、王子とダリルが仲悪い理由も、聞かない。
その私の不文律は、軍人の娘だからというより、元諜報員の娘だからだろう。余計に「知る」事は怖いことだと。だからこの時はこれでいいや、と思っていた。
家に着いた頃は雨も上がっていて、夕暮れがせまっていた。
あ、しまった! 今朝晴れてたから鉢植え外に出しっぱなしだった。慌てて庭に行くと、さっきまでの大雨で、鉢の土が少し流れ出てる。あーごめんねウツボカズラー。
水を追い出して、土を入れ替えてると、ダリルも庭に出てきて隣にしゃがんだ。
「何? どうしたの?」
「あの王子、他に何を言った?」
「ダリルは手がかかって大変だろう可哀想にぜひうちの城に来てお姫様にならないか」
「正直に言わないと兄貴と呼ぶぞ」
「……ダリル。正直に言えば私、ダリルが怖い」
ダリルは夕闇の中で顔を横に向けて私を見る。構わず私は話した。
「私がダリルを許すのって魅了が深く浸透してるからだって言われた。あの人に本音晒すの悔しいからごまかしたけど、本当は私もそうなんじゃないかって思った。普通の弟だったらどれくらい許すのか、もしかして私の感情は魅了で捻じ曲げられて、本当はダリルを嫌いたいんじゃないか、そうだとしたら、あの王子が言うように魅了って……怪物だって……本音は私もそう思った。だから、怖い」
となりの義弟は黙っていた。もう薄暗くてぼんやりとしか見えない横顔。王子と同じように十分傷付けることを私は言った。でも、隠したくもなかった。それが『弟』への接し方だからと、色々覚悟をきめていると。
「そんなわけないだろ」
意外なほどに明るく、はっきりした声。笑いさえも含んでいる。
「深く浸透してたら俺のこと怪物だ、怖いなんて冷静に思うかよ。俺にそんな感情さえ抱かないでいるさ」
「でも……。そう思いながら溺れちゃう人だっているでしょ。ほら、父さんみたいに、お酒の飲みすぎが体にダメだって分かってるのにはまっちゃうような……」
「魅了に罹ってるかどうかは表情で分かる。緩んでる部分があるから。……試してみるか?」
「え?」
頬を挟まれて顔を引き寄せられた。夕闇の中で鈍く光る黒い瞳が、じっとこちらを見据えている。真正面からこの距離で? 薄暗いから普段より見えづらい。けど、その整いすぎた作りはよくわかる。
こうやってじっくり見ていると改めて人間離れしている気がする。均衡のとれた両眼、高すぎず低すぎずスッとまっすぐな鼻、歪みのない唇。それらには色々培ったものが見えなくて、腕のいい画家の書いた絵画のようだった。
そう、美術館の芸術品を鑑賞しているような。……それをこうやってじっくり見ることができるってことは。
『美人は3日で飽きる』はダリルに通用しないけど、半年で飽きることはでき……た?
ダリルが不意にフッと笑った。無邪気に見える笑顔は、突然魂が宿ったみたいに温かみが出て、その温もりが私の心にも少し移ってきた。
「ほら、大丈夫だろ。この距離でも」
「うん……。最初の頃みたいにウットリしないし……、それにダリルって意外と子供っぽい顔の気がしてきた」
「そうなのか? 11歳のころから17,8くらいに見られてたけどな……」
「じゅ、11歳の頃から!? それって大変なことじゃない。どうしよう、このまま行けばこの前はり替えたばかりの天井にダリル刺さっちゃう……」
「お前が心配しているのは俺か? 天井か? ま、そんなだから金稼ぎが出来たしな。でもあの頃からあまり変わってないからもう伸びないと思う。天井も未来永劫無事だ」
「天井は劣化するよ。てか色々不思議すぎるねダリルって」
「まあな。不思議すぎて俺自身ついていけてないし。でもよかったな。魅了にやられてなくて」
そう言ってダリルは私の頭を軽くぽんぽんしてから撫でた。手つきが、労わってくれてる気がする。そうか。魅了はダリルにとっても、怪物なんだな。怪物にしがみつかれて逃げられないでいるダリルにとっては、私以上に怖いものかもしれない。
「魅了、治せないのかな」
「もし治せたら夢みたいだけどな」
そのままなんとなくぼんやり二人で沈む夕陽を眺めていた。ふとダリルが私の後ろ髪を揺らした。
「そういえばお前、いつもつけてるリボンがないな」
「え?」
いつも横の髪を少し後ろにもっていってリボンでまとめていたのに、後頭部を探ると何も結わえたものがない。え?どうして?
「あ! 王子に頭ぐしゃっとされた時!」
「一回割られてたのか!?」
「違う! 人の頭撫でまわしてもみくしゃにされたの。その時落ちたんだきっと……」
もう関わりたくないあの王子。引き取りに行きたくもない。
「無視しよ。でも、せっかくダリルがくれたのになあ……」
「また買ってやるよ」
「ええええ!? どうしたのダリル!?」
「なんかそんな気分」
「なんで?」
「……さあ、なんでだろうな。ゼリー男にはわからないな」
「ふーん? じゃあ今度は赤がいい。栗色には赤が似合うって聞いたんだ」
「あんな夕陽みたいな真っ赤っ赤なのとか?」
「そう。あ、レンブランのシュークリームも忘れないでね」
「あーそうだったな。ま、しょうがないな」
そう言いながら笑ってる。よく分からないけど機嫌がよさそう。嬉しいな。今度はダリルが選ぶリボンか。
だがその時、家の中から「ダリルごるああ! なんだこの領収書はあ!」と父さんの声がした。
ダリルは「あ」とつぶやいて、私を横目でうかがうようにして言った。
「悪い。リボンは当分なしだ。シュークリームも」
「え!?」
「潜伏している間、軍の予算で『戦場の禿鷹』シリーズ全巻買って……」
「えぇえーー……なにしてんのよぉ」
「時間つぶしに読んだら続きが欲しくなってつい……」
頭をかきながら、珍しく力のない笑いをうかべる義弟。当然罰としてダリルは当分小遣いなしだ。
私はいつになったらシュークリームが食べられるんだろう。
「栗毛には赤」というより、赤は基本的にどの髪の色にも合うと美容院のおねえさんが言ってました。