12
朝。雨上がりの雫をキラキラ光らせる朝陽。窓を開ければ、白いハトが飛んでいる。なんて穏やかで静かですがすがしい朝。先日戦場だったのが嘘のよう。
「おはようございます!」
元気のいい挨拶が庭から届いた。父さん付きの兵士さんだ。彼の元に白いハトたちが帰っていく。平和を語りそうな彼らは軍用の伝書鳩であり、先日はジェダさんの手によって、父さんたちへの救援要請の任務を完遂した。仕事を持つキリリとした面構えの彼らはしかし、兵士さんの所に帰らず、私の頭に乗っかりたがるのがいる。
「あのー。このハトどうにかしてくださいぃ」
「この者たちは清潔であり! 落し物をすることはありません! ご安心下さい!」
そうじゃなくてー。
あの日。変装が功を奏したかどうかはともかく、なんかコトがすんなり終わっていた。
お姫様はダリルを見て「……そんな……」という言葉とともに気絶したという。その間もダリルはお姫様たちの手下相手に嬉々として闘争、そして以前ダリルにヒゲを付けた時に使った、逃走ルートを利用して逃走。
お姫様の指示が受けられない手下たちは仕方なく退散した。
議員が怒り狂ったが、「子供が自分の家に勝手に入り込んだよその人間を、びっくりして追い出しただけだろ」と父さんはダリルの未成年を逆手に取ってくれた。
「リンデ、あいつは行先を言っていたか?」
「あ、うん。学校の友達と山に探検ごっこだって。あー、もうこんな時間かあ。約束時間に間に合ったかなあ」
「おおそんなこと言ってたなあ。友達は大事にしなきゃなあ。約束は破っちゃいかんなあ」
とっぷり日も暮れて、雨が轟々降る窓の外と私たち親子に視線を行き来させながら、エレンディール議員は口をパクパクさせていたが、鼻づまりを治したいオヤジの如く「ふん!」と言って出ていった。
あの日から3日目の朝。今日も食卓にダリルはいない。代わりに父さんがいる。
お姫様は帰っても、マレヴィルの人間は幾人か残っているそうだ。なんでだろ。一緒に帰った方が色々節約できるんじゃないのかな。
だからダリルは父さんの指示でしばらく潜伏している。なら心配する必要はないけど、あの雨の中飛び出していったんだから風邪ひいてないといいな。
「すまなかったな、リンデ。怖かっただろうにな……」
父さんがでかい体を小さくさせて頭を下げる。小さい頃からたまに父さんはこうやって謝ることがある。
うー。だからダリルに謝られた時もなんかもぞがゆくなったのよ。なんていうか、よくわかんないけど、とにかく苦手なのよこんなことされるのは。だけどここはアレのチャンスでもある。
「レンブランのシュークリー」
「それはダメだ。ま、今回の事でお前に護衛を付けるいい口実になったかもしれんな」
「ちょっとまって。私、そんなに危ないの?」
「危ないにきまっているだろう! 最近学校帰りに小童どもから声をかけられているそうだな! 父さんの判断ミスだった! 逮捕術大会で見せびらかしたばっかりにお前に子虫どもが」
「はいはいそんなことですね。ところでダリル、どうしてるかな」
「心配するな。ジェダもついている。しかし、あんなに生き生きしているダリルを見たのは初めてだぞ。ああしてみるとあいつの父親を思い出すなあ」
「へーそうなの?」
「最初はあまり表に出さないが、そのうち素直になってきてなあ」
父さんは嬉しそうに笑った。うん、素直なトコは確かにあるよね。大人みたいに悟ってるかと思えば、子供みたいなこと好きだし。なんだかんだ言って14歳っていうか、10歳児っていうか。
「ホントはレイシーより子供っぽいかもねー。あははははー」
「モテ男はモテ男で色々大変だってことだなー。ははははは」
ははははと笑いあっていたけど、父さんの傍らにいつのまにか兵士さんがいて、笑いが収まるのを待っているので、気まずくなった。来客の知らせだった。
「謝罪?」
マレヴィル側から私たち親子あてに謝罪の手紙が来ていると言う。父さんは思い切り顔をしかめている。
「とち狂ったのか、あちらさんは。親分の『自分たちが悪かったです』なんざ『たかってください』だろうが」
「ディヴァイン外務大臣を通しているようです。オルダス大佐が11時刻にこちらへ参るとのことです」
議員の次は大臣? ん? ディヴァイン……ジザベル嬢の父親じゃなかったっけ。どのみちまた政治絡みなのね。父さんは渋い顔してジェダさんから手紙を受け取った。それを見た父さんの顔は更にゆがんだ。
「何? 何なの父さん」
「ご無礼を謝りたいからお昼にお食事奢りますよだと。だったら頭下げに来いというんだ。いや来た方がごめんだな。父さんと、リンデお前もだ」
「ご無礼……謝りたいって……まさか、お姫様!?」
「の、兄だ。招かれてる。昼から滞在先に来いだと」
兄って……。王子様!!? えええええええええ!!
「どうしよう父さん! 私何にもできないよ! 急に言わないでよ髪だって知ってたらジャガーさんからコテでも借りてあとドレスもああああ今日ニキビができたのにそんなダンスは絶対足踏むし」
「落ち着け。向こうが一応下出な立場なんだからかしこまらんでいい。学校の制服で十分だ」
ぶーぶー。せっかく王子様と会えるっていう夢みたいなイベントが、学校の制服ぅう?
ま、いいや。明日皆に自慢しよう、あ、ダリルがらみのことだから話せないか。
お昼近くになると、でっかい馬車が迎えに来た。乗り込むと、向かい側に軍の人と、執事(謎)さんぽい人がいた。一応挨拶をするけど、軍人さんはシカト、執事さんはにこにこ。マレヴィルの侍従役なんだそうだ。
軍人さんは父さんの態度で、上官なんだろうと思うけど……若すぎないかな。階級章を見れば、あれ? 父さんのより線が一本多い……大佐? まっさかあ。10代で社長やってるようなものじゃないそれー。
「何か珍しいか? リンデ嬢」
ひっ。見ているの気づいてた。わーどうしよう父さんの立場悪くしちゃったー!
「申し訳ありません。娘が不躾に」
「すいません! かっこよかったから目が離せなかったんです!」
父さんが固まり、上官さんは無言、執事(疑惑)さんはひたすらにこにこ。わ、悪い気がしないだろうな言葉を送ったけど……どうなのこの空気は……。
「エンライトン。A-10案についてだが」
「は。その件ですが」
あ、なかったことにされた。…………大人の世界って、びっくりなほど子供をスルーする。
専門用語バシバシ使ってさっぱりわからない会話をする父さんと、緊張と空腹でお腹がおかしくなりそうな私、ニコニコ執事(未定)さんを乗せて馬車は走る。
ついた所は物凄いご立派な、神殿みたいな……ホテル。うわー、自分の住む街にこんなすごい建物あったなんて知らなかった。
もうきょろきょろしたくて仕方ない。模様が入った石の床とか、キラキラ通り越してギラギラした化け物みたいなでかいシャンデリアとか、叫ぶといいこだまがかえってきそうな天井の高さとか……。
行きかう人がどう見てもお金持ちばっかり。うー、こんなトコに制服って……。
父さんの影に隠れてひょこひょこついていく。上に上がってく変な箱に入れられて最上階まで行くと、これまた豪華な絨毯の敷かれた豪華な部屋に通された。
「今しばらくお待ちください」
……ふこふこソファに座らされ、父さんにびったりくっついて自分を落ち着けた。
「お待たせしました」
緊張が度を越した。そうなると人間って記憶がおかしくなるんだな。
なんでこうなったんだっけ。これは何がどうなっているんだっけ。
今、私は真っ白い壁の部屋にいる。あちこちに色とりどりの花が活けられ、調度品は指紋がすぐにばれそうにピカピカ、ソファはどこまでも沈めそうにふかふか。
そんな部屋に私は、キラッ、サラッ、ニコッ。な、王子様と二人きりである。
二人きり。二人きり。二人きり。きりきりきりきり。
なんか胃にきてる。
えーっとたしか食事したっけ。美味しくて幸せだった、あの頃。
王子様はこの国の文化をお褒めくださっている。昨日見た観劇は素晴らしかった、前時代の歴史を感じさせるものだった、と、優雅な口調でおっしゃられられ……。私は内容がよく分からないが、まあおほほ、といった感じの笑みをおつくりになってごまかした。
食べ終えてお茶の時間になると、私は手持無沙汰で、部屋の壁紙とか、カーテンの柄とか見てるしかなかった。王子様なんてじっくり見てない、見れない。
王子様と一緒にいた、偉いんだろうなと思われるオジサンが父さんたちに色々話して、そっちで盛り上がってるし。そうしたら王子様が、
「せっかく来ていただいたのに退屈させるとは。どうかな? しばらく相手をさせてくれないか?」
あれ、王子様がこっちを見てる。それは私に向かって言ってるんですか。
戦慄が全身を駆け巡った。いいですそんな気遣い謙遜とか謙虚とかじゃなく圧倒的な人間の質の差に押しつぶされそうなんですやめてえ!
という訳で私はマレヴィル王国第2王子、フェル・セラティス・ふんふん・ふふんふーんと部屋に二人きり。
歳は19、少しクセのある金髪、緑と青の中間色な瞳、柔和な顔立ち。……こんな緊張感じゃ、あとはまともに覚えられません。
「リンデ、とお呼びしていいかな」
「ひゃい!」
恥……。隠れる穴はどこ。帰りたい。身が持たない。もう勘弁してください。私の心臓は鋼じゃないんです。オルトくんより可愛らしい心臓なんです。
「ダリルは元気みたいだね。君みたいな明るい子の傍にいるからだね、きっと」
「ふぁっ!? いえっ、そんなっ」
私の奇声をモノともせず、微笑みを絶やさず、私の近くにある、一人掛けのふこ椅子に座る王子様。そして食事の席より砕けた口調で柔らかく話しかけてくる。
「リンデは、魅了をはねのけたんだって?」
えっ。そんな噂まで聞いているんだ。王子様にまで鋼の心臓だなんて思われたらどうしよう。
「ちょ、ちょっと慣れてきただけです、今でも時々惑わされます……」
「今回のこともだけど、色々大変だろう? 彼と生活するのは」
「そ、そんなことは、ない、です。とうさ、父が、ちゃんとしてくれてるので」
「そう」
微笑みを絶やさず、柔らかな眼差しを向けてくる……。少しも私から目をそらさず、優しく、優しく………………観察している、この人。
なぜ気付いたんだろう、私。自分にも驚きだけど、それどころじゃない。この人にとって私は、観察物だ。
手紙を受け取った時や、馬車での父さんの態度……ちょっと険しかったな。
この王家とダリルがどうやって知り合ったか、どんな関係を保っていたのか。それを知らないでこの人に会ったことは……失敗だったんじゃないだろうか。不安がどんどん大きくなった。
「……ああ、そうか。君は魅了されても、顔に出ないのか」
「え……?」
急に何を言い出すんだろう。
「きっと君は、彼のせいで誰かに刺されようと、殴られようと、彼のせいにはしないし出来ないかもしれないね。彼は悪くないって思いながら、傷をつけられ続ける気がする」
あ、と小さく声を漏らした。王子の考えてることが急速に分かった。
私と父さんが、ダリルの為に何かすること。なるべく普通の暮らしを提供すること。ダリルを許すこと。それがつまり……。そんなバカなと王子を見つめれば、その笑顔を崩すことなく彼は軽やかに言う。
「どうして、厄介ごとが起きてもそうやっていられるのか……それはそうだね。君は彼に」
「違う。それは違います」
「魅了されてるから、感情をねじられて」
「違います!」
「望むものを用意して、何をしても許してやって」
「違うって言ってるじゃないですか!」
「ではなぜずっと彼を見て、彼といてそんな態度でいられる? いいかい? 君は自分で分かってないだけだ。他者より魅了に慣れてきたんじゃない。逆だ。他者より魅了が深く根付いたんだ」
「なに……それ……」
「操られてるということさ。意識下まで浸透した魅了に」
「……」
「昨日観た観劇のヒロインのようだよ。バカなヒーローに尽くして、信じて待って、結局望んだ愛は貰えない気の毒なヒロイン」
「私は義姉で、ダリルはただの義弟です」
「ただの、ね。彼が人の感情を捻じ曲げる怪物だっていうこと、忘れてない?」
外はまた雨が降っている。空は薄暗いのだろう、灯りの色が際立ってきた。灯りは暖色のはずなのに……地の底で迷っている気分を連想させた。
この人はダリルを、地底よりさらに奥の地獄にいる化け物だと、思っている。
そして私は少しだけ地上に近い場所をさまよっている状態だ。
……そんなこと言われたら、自分の感情が、分からない。どこまでが本当に魅了と関係がないのか。
弟と思い込もうとしているのは、どこまで?
魅了にやられたと実感する感情、ごまかす感情、自分に何かを言い聞かせる時が増えたのはなぜ?
でも王子様の言う通りだとしても、それはダリルのせいじゃない。ダリルが望んだわけじゃ……こうやって、ダリルをかばう気持ちも魅了のせいなの?
本当なら、ダリルを化け物のように思うのが正解?
頭の中がぐるぐる。ぐるぐる。ちっとも答えが見つからないどころか、どれもこれも、分からなくなっていく……。そして……………。
「めんどくさいから考えないことにします」
「…………」
王子様の表情は変わらない。少し目が泳いだ気がするけど。
「それも魅了のせいかな?」
「いえ、私がバカなだけでしょう。あの、生活が大変だと思っているようですけど、そうでもないのは確かです。私に亡くなった弟がいたのは知ってますか?」
「ああ聞いているよ」
「ごく普通の男の子で、ごく普通に、我儘いっぱいでした。5歳まで母方の祖父母の所にいた頃に、好き放題、甘やかし放題されて、虫歯だらけでした。小憎らしくて、言うこときかなくて、家の中めちゃくちゃにして、近所にも商店街にも迷惑かけて、中々なつかなくて。祖父母がレイシーを取り戻そうと誘拐騒ぎを起こすこと十数回。それでも大切で、大好きでした。だから私には、弟は手間がかかって当たり前なんです。その、魅了うんぬんは、考えすぎで、えーと、そこまで考えてないから、窓から人が侵入しても、どこかで『あ、久しぶりに祖父ちゃんの手先だ』みたいにやり過ごしちゃって……ダリルにも叱られました、あはは」
王子様はやっぱり優しい顔を崩さない。……これ、実は仮面ってことないよね。
「うん、よくわかった。君が魅了に慣れてしまった理由もなんとなく分かったよ。いつまでも今のままで仲良くしていることを祈る」
素敵に笑う顔……。
……王子様。あなたが不気味になってきました。何故でしょう。
当たり前だけど、出会ったことのない種類の人間だというのに加え、この人に理解できないものが多すぎるから?
どう聞いてもダリルをよく思ってない発言をしたせいなんだろうか。それもあるけどそれ以上に、この人に心をかき乱されたからだ。人の感情を動かし、目の前で何をされても自分の心は動かさないで、淡々と観察する人間。人の上に立つ人間って……そういうものなの?
「で、自分をごまかし続けて、観客にも知らせないようにしていくつもり? 哀れなヒロインさん」
「え?」
その言葉は最近見る夢を連想させた。ディアナのお兄さんと仲良くしているお姫様。それを魔女の格好で見ている自分。あの時は出来た。淡い恋より弟をとることが出来た。それで満足している……だから、今も同じ事が出来る……。
「今はそれでいいかもね。君はまだ半分可愛い子供なんだから。魅了がどんなものかわかってるかな? 君が完璧に大人になればなるほど、体は魅了を受け入れるのが強くなる。君の意志でどうにかできるような簡単なものじゃない。いつまでも、君の心は姉弟ごっこでいられない。君の意志に関わらず」
「ダリルは危ないから離れろってことですか?」
「そうは言ってないよ? ダリルが我が宮に滞在した時の事を踏まえて、彼と君の話題を楽しく語っているつもりだけど? 君はどう受け取っているのか聞かせてくれないか?」
「謝罪とか言って、私を手籠め……じゃなくて懐柔して、妹王女姫神子の為にダリルを連れていく計画の一旦に使う気じゃないのかなこれ。って疑っています」
「……そう。これは誤解させてしまったね。僕はダリルを連れていくつもりはないから安心して」
なぜかふいっと顔をそらしてつぶやく王子様。ホントの事言ってるのかさっぱりわからない。この人、何か底なし沼みたいだ。考えてみればうちの国の王子様じゃないんだし、謝罪したいって呼ばれたんだから、失礼だろうがもういいや。
「信じられません。王子様って、ダリルに似てますね。最初のころのダリルに。目つきが」
怪物だ、と吐き捨てた人物に似てると言われて、気持ちいいわけないだろうな。
「他人は皆等しく敵だから、誰にも微笑んで、その内面で『近寄るな』って言ってたダリルそっくりです。王子様の中では、普通の好意も善意も全部魅了のせいなんでしょうね。そんなの、人をなんだと思ってるんだ。って思いますけど」
ダリルを見てたから、この人が不気味なんだと気付けたんだ。目つきが他人を受け入れていない頃のダリルに似ているから。でなければ単純に、綺麗だなーかっこいいなーって、王子様の微笑みに一発で……いえせめて三発目くらいでやられていたかも。
王子の反応は……小さく苦笑するだけ。苦笑する仕草があどけなさもあって、魔法じゃない、人間らしい魅力があった。……ダリルみたいに怒らせてみたかったんだけど、感情がさっぱりわからない!
「すまない。君を不快にさせてるんだね。お詫びで呼んでおいてさらに上乗せするなんて、礼を欠いてしまった。どうだろう、ぜひもう一度改めてお詫びさせてくれないか? 君が望むものを何でもしてあげよう」
!? 意味わかんない。そこまで言うこと? ま、いいや。そう言うんなら。
「何でも?」
「何でも」
「じゃあレンブランのシュークリー……いえ、えーっと、王子様って偉いんですよね」
「僕が偉いかどうかは価値と基準と意義が雲のようだから、どうなのかな」
「ダリルから魅了をとって、普通にしてください」
「いいよ」
!!!???? あっさり!?
「ただし、条件つきだね。君が我が国へ来ること」
「………は!? え!?」
なんで私が!?