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主人公、心がドロドロ回。注意。
「ヒゲのお姉さんですね」
女学校からの帰り道、ダリルと同じ制服の、眼鏡の男の子に声をかけられた。……ああ、またあの日の目撃者。死にたい。
「ケンカなら買いますけど」
「え? なんでですか、ダリル君のヒゲ姉さんなんですよね。あ、何か気に障ったことでも……」
気に障ったどころか気が高ぶって殴りかかる半歩手前です。
「さようなら」と言い捨てて、さっさと立ち去った。
大人しい顔して悪気がないフリなんて、たちわる。どうせダリルがらみのことなんだろう。
ワル目立ちし、ダリルの義理の姉と知れた私はあの日から、ダリルと同じ学校の訓練生たちに声をかけられることが増えた。
もちろんモテ期到来なわけがない。私と仲良くなって、ダリルに個人的に近づきたいという、おぞましい目的のため、もしくはただのからかい。おもしろいもの見るようにニヤニヤ笑って、
「ちょっといい? ダリルのことで」「君のおうちどこ?」「ダリル君のことでちょっとつきあってほしいんだけど」「ダリル君のことでちょっと話が」
皆、ダリル目当てがありあり。ひどいのは、
「君のことがあの日から気になって……」
……ヒゲ付けた女のどこをどうすれば気になりだすんだ。ひどすぎて怒る気も失せる。騙すなら少しでいいから頭ひねって。ちょっとつきあって詐欺被害者からのお願い。
やばいよう。このままだと男性不信になる。
少し前まで、男の子と会う機会すらないから、まともに話さえ出来る自信がなかったくらいなのに、今じゃ「緊張して声も出ない」から「あきれて声も出ない」だ。これ、異性にときめく季節を飛び越えてるよね。異性へのファイティングに向かってるよね。まずい。
「あの!」
さっきの男の子がまたもや声をかけてきた。しつこい……そう思って振り返ると、植木に足を取られ「うわあ」と叫んで転んでいる最中だった。なにこのドジッ子は。
よく見れば小柄で、肌も白くて、どう見ても軍関係より、お坊ちゃま学校タイプに見えるんだけどな。
「……大丈夫?」
「ああ、えと、ごめんなさい、ダリル君と同じ科の、クルト・ソリスと言います。ちょっと相談があって」
にこりと笑う彼は礼儀が正しそうで好印象だ。私じゃなく私の隣の垣根に話しかけてるんじゃなければ。
「私はこっちだけど」
「うわ、ごめんなさい! 眼鏡が壊れた! 助けてください!」
あわあわと、慌てふためく姿になんだか気が抜けて、しょうがないから手を引いて立たせて、落ちた眼鏡を手渡す。視力も悪いんじゃ、士官候補より軍事研究希望なんだろうな。将来は白じいにこき使われるのかも。
とりあえず、近くの広場で話を聞くことにした。
「あの! どうすればダリル君の魅了にかからないで済むんですか!?」
「えっ……。それが出来れば苦労しないんだけど……私だって今だにやられることもあるし」
とはいえ最近のことはわからない。なぜなら、あの公開処刑から、ダリルと顔を合わせていない。
せっかくダリルが歩み寄ってきたところを、きれいに裏切ったことは問題だと思い、もう一度ちゃんと謝ろうとした。
だけどダリルは私を無視しだした。さっさと出てき、顔を合わせないし、謝らせてくれない。
そのうち、何日も受けている、ちょっとつきあって詐欺の迷惑さに疲れてきた。公開処刑の上に、からかい対象みたいな気分が続くと、ダリルに悪いことをした、という気持ちが薄れてしまった。誰が何といおうと、むくいにしてはひどすぎると主張したい。目には目を程度じゃないと思うんだけど。
それで私は逃げた。一つ屋根の下が苦しくて。
ダリルがうちに来る以前は、父さんが帰ってこない夜はお泊まり場所にしていた、グレン叔父さんの家に逃げ込んだ。
クルト君は押し黙った私を不思議そうに見ていたが、やがて明るい声で私に言う。
「そうですか? そうは思えませんでしたよ。あの時リンデさん、魅了にかかってなかったじゃないですか。怯えてしまって、気の毒でした」
わ。ジザベル嬢2号発見。この子いい子だ。
「他のみんなも褒めてますよ。『さすがエンライトン中佐に似て、魅了をはね除ける鋼鉄の心臓だ』って」
「褒めてない! 怯えた少女の心臓が鋼鉄って何よ!」
「僕もそんな心臓になりたいなあ。僕なんかノミの心臓で。憧れます、リンデさん」
「そのノミの心臓に毛が生えてるよあなた」
「ダリル君、学校でもいつも一人で行動して、皆から距離を置いていたんです。こっちも魅了が怖いから、あまり関わりたくなかったし」
それはダリルもたまにチラリと言う。その時の口ぶりがあまりにもサラッとしていたので、「それでいいの?」と尋ねたら、「何か問題があるものなのか?」と、心底私の質問の意図が分からないみたいだった。
「でも顔に色々やってくるようになったじゃないですか。あの時僕達、思ったんです。ああ、努力してるんだなあって。僕達を笑わそうと、歩み寄ろうと、道化師になってまで。感動しました。彼を誤解してました」
……余計なことは言わないでおこう。
「顔がおかしい時、話しかけたんです。最初はあまり話してくれなかったけど……普通にいい奴でした。」
嬉しげに話すクルト君。あ、私もあの時、そう思った。もしかしてちょっとはいい奴なのかなって。あの時だけ。
「今、学校長の許可を得て、仮面を付けることにしたじゃないですか」
「え……。知らない。全然会ってないもの」
「そうなんですか。何かの拍子で取れたりしない仕組みの仮面です。警巡隊には不審者じゃない通達を送ったそうですし、通学路の住人にも、仮面の事は知らせたそうです」
「今更になって!?」
何それ。学校長は仮面を許可してなかった。そう出来るなら最初から……。
「そうなんですよね。上は魅了のことを知ってるんだから、最初からそうさせるべきですよね。多分、魅了の威力のデータが欲しかったんですよ。十分とれたからもう大人しくしてろってことです」
それが軍のやり方なのだ。
「仮面を付けたことで魅了の心配が無くなったから、他の人も普通に話をするようになったんです。ま、もちろん皆が皆じゃないですけど。その時分かりました。ダリル君は、魅了されてる人とされてない人を見分けられるんですね。魅了されてない人間には、ものすごく信用を置いてくれるんですよ。そしたら、あ、なんかけっこう苦労してたのかって分かって。それで、魅了をどうにかできればな、って思えてきたんです」
男同士だとけっこう早くに分かり合えるんだな。
でも今の私はダリルをどうにかしてやりたいなんて思わない。こっちはダリルに苦労させられてるんだから。
よかったですね、皆と分かり合えて。ふーんだ、ふーんだ。
こうなってくると、自業自得を棚に上げて、父さんにバラしたのも、小学生の「いっけないんだー先生に言いつけるー」みたいに思えてきてなんか腹立つ。
黙り込んでる私に、クルト君が「リンデさん?」と声をかけてきた。あ、顔に思いっきり出てたか。
「あの、ダリル君にヒゲつけられて、怒ってますか? もし何なら僕から彼に……」
「別にいい。元は私が悪かったんだし、ダリルだってこっちのことは構ってられないだろうし」
……もう、どうでもいいだろうし。
会わなくてもいい生活が続いても、気にしない奴なんだから、ダリルにとって私はどうでもいい部類に戻ったのだ。魅了だって、色々相談できる友人たちができたことだし。
でもこっちだって知らない。ダリルにとって、一度ダメならその人は切り捨て、やり直しは許さないんだろう。私はやり直しが効く本当の家族でもない、軽蔑する他人でしかない。
魅了を持っててうらやましいよ、ダリル。その気になれば何をしても許されるだろうし、人を「選べる」立場にもなれて。私みたいな失敗だらけの小物はそれをうらやむしかない。
あ、妬みの毒まで体に広がっていく。ひどいもんだ、ぐだぐだと。でも妬むのも疲れてくるなあ。やめたいよー、こんな感情。
……一緒に暮らしていける自信がない。私は悲しいほど、俗物なのだ。すぐに気持ちが揺らいで、芯が弱い。
今までだって、ダリルをレイシーだと自分を騙して、やってきた部分もある。
なるべくなら自分がこれ以上醜くなりたくない。ダリルの傍にいれば、きっとこれからも私は、体の中に汚物を作ったり、醜い自分と対面する。
もうこれまでだ。父さんに言おう。私はダリルと暮らせない。
「あの、リンデさん。お願いがあるんですけど」
「何」
「お家に遊びに行っていいですか?」
「……」
なんだ。結局クルト君もそれ。何人に言われたっけそれ。父さんの意向で、ダリルの住まいは知らされてないし、宿舎住みの彼らに調べる方法がないから、私をあてにするのだ。
「私から教える訳にいかないから、父さんに当たって。それじゃ」
「あ、待ってください! あの、やっぱりリボン、使ってくれないんですか? リボンに罪はないですから……」
は? リボン? なぜリボン?
「何の話? リボンって何?」
「……あれ? あの、受け取ってないんですか?」
「受け取ってない。何のことだかさっぱりなんだけど」
「……あー、えー、じゃ、いいです。違いました」
私は手首をおかしな方向に曲げて、不意打ちな手つきで、クルト君から眼鏡を奪いとった。
「あああっ、返してください! あの、どこですかリンデさん!」
「目の前。ちゃんと話してほしいな」
「分かりました、話しますよぅ。前にダリル君から女の人への贈り物選ぶのに、協力してほしいって頼まれて。ダリル君、あまりあちこち行けない身じゃないですか。それに自分じゃ、人に贈り物したことないからさっぱり分からない、頼むって、すごく困った様子で。それでリボン選んだんです。リンデさんにだと思ったんですけど……」
「私じゃない。貰ってません」
「そうなんですか。ごめんなさい、変なこと言って。なんでも、お金使わせちゃったのに、お金渡そうとしても受け取ってくれないんで、代わりに贈り物にしたらしいですから、身近な人かと……」
……ああ、まあ、確かに。姉貴ヅラして、「こういうのは姉がするものよ」とか言ったなあ、えらそうに。
……。
「それって、ヒゲ事件より前?」
「はい。あの前日に渡しました」
……そういえば感謝されたあと、かばんを探りながらダリルは「そうだ、お前にさ」と何か言いかけたのを私がさえぎったっけ。
もしかして、本当に私に贈り物するつもりだったの? あのダリルが? うそ?
…………うそ。
「リンデさん?」
「………」
本当だ。本当は普通にいい奴なのかもしれない。
私が思っている以上に、私はダリルを傷つけてたのか。
一度失敗した人を、容赦なく切り捨てることが出来る立場で、うらやましいって思ったけど……。そうじゃない、私がしたことは、一度だって失敗したらいけないことだった。
謝っても、手後れになるような事なんだ……。
「……帰るね。ダリルに、なるべく会わないようにするから、安心してって。クルト君も宿舎に戻らなきゃならない時間でしょ」
泣きそうになってきたので、急いで私は立ち上がり、別れを告げた。
「あ、はい、お話聞いてくれてありがとうございます。あ、そうだ。ダリル君、庭のウツボカズラに困ってましたよ。大きくなってきてるって」
「うん、わかった」
白じいから貰った、小さく育てやすく改良してある鉢植えのウツボカズラ。ダリルみたいだ、って思ったっけ。
もし一緒に生活しても、きっと私はまたダリルを不快にしてしまう。
学校の友人たちやクルト君の方が、ダリルの力になってるようだし。
グレン叔父さんの所に住もう。
叔父さんの家は広いし、子供たちは皆独立していないし、元々私専用の部屋もある。一人が寂しい叔父さんは、ダリルと私が一緒に住んでいることに大反対し、「どっちか一人をこっちによこせ」と以前から父さんに言ってる。
叔父さんに言うと「よっしゃあ!」と了解してくれた。
次の日の学校帰り、ウツボカズラをとりに自宅に寄った。
庭の奥にあるウツボカズラに向かっていくと、そこにダリルがいた。ウツボカズラを覗きこんでいる。
なんでいるの? いつももっと遅いのに。気まずい。顔を合わせないようにして、気づいてないうちにそろりそろりとそのまま後退して……転んだ。今日は私がドジッ子か。
当然気づかれて、驚いた顔がこっちに向いている。
……あ。素顔だけど。魅了、効いてない。なんでだろ。
ダリルに対する感情は、この前の恐怖と妬みが住み着いて、とうとう魅了が効かないほどに大きくなったのかな。
ときめきはもう、かけらもない。気まずさと、切り捨てられた惨めさだけ。こんな形で魅了に打ち勝つなんてね。
「ごめん、すぐ帰るから。ウツボカズラ、とりにきただけだから」
「……帰るって、何?」
そんな質問がくるとは思わなかった。
「あの、ね。私、叔父さんの……」
「ごめん、悪かった」
「うん、ごめ……はい!?」
私はダリルを見上げた。だけどダリルは右の手の平で口元を押さえている。なんか苦しそう。吐くの?
「やりすぎた。根に持ちすぎた。……頭が冷えて、自分が可哀想でならなかっただけだって気づいた。謝ろうとしたら、お前帰ってこなくなって……」
「えええ? で、でも行き先くらい父さんに聞けば……」
「『苦しめこの馬鹿者』って殴られて、教えてもらえなかった。学校でも言われた。『女の子にやりすぎだ』って。出来る範囲で探したけど、俺は軍管区外に出られないだろ。だから、学校の奴ら数人に頭下げて協力してもらってたんだ。お前を連れてきてくれって」
「はあああ!?」
「だけど全滅だった。誰もお前に相手にしてもらえなかった」
それって、あの、声をかけてきた男の子たち……!?
「あ、あの人たち、それならそう言ってくれればいいのに! ダリルが会いたがってるって言ってくれたら……てっきり下心ありありな連中かと……」
「会いたいって言えば、かえって会ってくれないと思って。無理そうなら何処にいるかくらい知りたかったんだ」
私は合点がいった。クルト君が「遊びに行ってもいいですか」と言ったり、家を知りたがる人が多かったのって、ダリルの住んでるところが知りたかったわけじゃなくて……。
「だ、だって、ニヤニヤ笑ってたし、からかわれてるって思った……」
「……ニヤニヤは……それ、怖がらせない為だと思う……。あんまり女の子と触れ合う機会がない連中ばかりだから、とにかく笑顔でいけば怖くないだろうと思って。大体、義父さんの娘に変なマネしたらしごかれるんだからさ。でもかえって不審者だったか……」
「えぇえ? あ、え、う……」
「俺から謝る。怖がらせて悪かった。皆にも……」
「あああ、言わないで謝らないで! 逃げてごめんなさいって、言っといて」
彼らの気遣いの努力に気の毒さが湧いてきたのは、かえって失礼だろうか。あのニヤニヤじゃ、私じゃなくても女の子はひっかからない。ディアナとジザベル嬢なんか私の横で、侮蔑の目をしていた。
また口元を押さえてダリルは頷いた。またそんな吐きそうな顔して……。
「ね、ねえ、どこか悪いんじゃないの? 大丈夫?」
「悪くない。……それと、これ」
手渡されたのは、リボン。栗色のベロアの布地を雛菊が編み込まれたレースで覆ったちょっと大人っぽいもの。
本当だった。本当に贈り物を用意してくれてた。
もう、何もかも吹っ飛んだ。なんだろう、嬉しさもあるけど、感動?
「ご、ごめんね、ダリル、私っ……ふっ、ぇっ……っ、ごめん……っ」
「いや、謝るのはこっちで……あ、おい……」
ごめん、本当に。心の中で色々ひどい奴に仕立てて。
感極まって泣いてしまった。目の前でダリルがどうしていいのかわからず、ちょっと困ってる。いいや、新鮮だからもう少し困らせとこう。
……と思っていたら、ダリルはうつむいてしゃがみ込んでしまった。
「……ぇ…、ダリル……?」
「……こういう経験、ないんで、胃に来てる……」
「え、なにそれ、大丈夫!?」
「いや、もういいよ……安心しただけだから……よかった、謝れて」
そう言ってダリルは顔を上げて笑った。
どきりとした。
…………ああああっ! 魅了きたじゃないの!
どうなってる! しつこいよお!
私は背後のウツボカズラの葉に、半ば顔を突っ込むみたいにして、魅了から逃げた。