8.災難の中の再会
「ひっ……んぐっ」
人買い!? と叫びかけた私の口を、レミュエルがあわてて押さえる。
「声を立てるな。あちらは数が多い。見つかったら面倒なことになる」
私を守るように抱きかかえたまま、彼は茂みの向こうをじっと見すえていた。その視線を追いかけて、彼が見ているものに目を凝らす。
窓すらない四角い箱に車輪を付けただけの、頑丈そうだけど息苦しそうな馬車が二台、前後に並んで進んでいる。
その両側に四人ずつ、後ろにもう一人、剣を提げた男たちがいた。たぶん、馬車の前のほうにもまだひとりかふたりくらいいるのだろう。
「全部で十人はいるな。人買いを見過ごすのも腹立たしいが……俺たちふたりでは、どうしようもない。こんな山奥では、衛兵を呼びようもないしな」
レミュエルはそうささやきながら、私をしっかりと抱きしめるようにして動きを封じている。私がうかつな行動に出ないよう、警戒しているのだろう。
「ベリンダ。絶対に、声を上げるんじゃない。いいな?」
口を押さえられたままこくこくとうなずくと、彼は慎重に手を離してくれた。
ぴったりと寄り添うようにして、遠ざかっていく馬車を食い入るように見つめる。
もしかしたらあの馬車の中には、売られていく人たちが押し込められているのだろうか。なのに黙って、それを見過ごすことしかできないなんて。
すぐ近くから、ぎりりと歯をくいしばる音がする。レミュエルもまた、この状況を悔しく思っているのだろう。
自然と、手が胸元に向かう。この笛を使えば、周囲の山に棲む獣たちを呼び集められる。その子たちに、あいつらを襲ってもらうのはどうだろう。
でも、この辺りの森にどんな獣がいるのか知らないし、獣たちが集まってくるまでには少し時間がかかる。
それに、捕まっている人たちがいたとして、そちらには危害を加えないでほしい。私がそばにいて指示してやれればいいのだけれど、遠くから見ているだけだと、うまくいくかどうか微妙なところだ。
声を出さないように気をつけつつ考え込んでいたら、レミュエルの焦った声がした。
「お、おい、ベリンダ」
え、何? と答えようとしたとき、すぐ近くでがさりという音がした。驚いてそちらを見ると……。
「ハンナ!?」
そこには、ひときわ大きな乳牛が立っていた。茂みをかき分けるようにして、私たちのほうに近づいてきている。
「顔見知り……か?」
人買いに見つからないように隠れていたら、乳牛に見つかった。そんな奇妙な事態に頭がついていっていないのか、レミュエルがちょっとおかしな言葉を口にする。
「家で飼っていた子よ。どうして、ここに……」
んもー。
私の声を聞いたからか、ハンナが嬉しそうにひと声鳴いた。次の瞬間、街道のほうが一気に騒がしくなる。そちらを見たレミュエルが、すうっと青ざめた。
「しまった、見つかった!」
「レミュエル、あなたは荷物と一緒に逃げて! ほら、あっちの姿で!」
見つかってしまったからには、打てる手はふたつだけ。逃げるか、戦うか。
「しかし、俺ひとりならともかく、君を乗せて逃げ切るのは難しい」
「大丈夫。ハンナが来てくれたから。ちょっと、考えがあるの。危険かもしれないから、離れていて」
そうこうしているうちにも、剣を抜いた男たちが数名、こちらに向かって歩み寄ってくる。レミュエルは苦虫をかみつぶしたような顔をしていたけれど、じきに短くうなずいた。
「……分かった。だが君が危なくなったら、ためらうことなく割って入るからな」
彼が荷物一式を手に、ふっと姿を変える。そこには、いつぞやの黒いオオカミがいた。
不思議なことに、彼がオオカミの姿になるとき、身につけているものや持っているものはふっとかき消えてしまう。しかしなくなってしまうわけではなく、人の姿に戻ったらまた出てくるのだ。だから、荷物は彼に預かってもらうのが一番だ。
そうして彼の姿が木々の間に隠れていったのを見届けると、私もいったんハンナの陰に隠れる。胸元から笛を取り出して、強く吹いた。
この近くにいる強い獣たち、不届き者たちをこらしめて。音にならない笛の音は、私の思いをのせて広がっていく。
男たちの足音が、どんどん近づいてきた。あわてず騒がず、ひらりとハンナの背に飛び乗った。
私は、馬の乗り方は知らない。故郷の村にも馬はいたけれど、あの子たちは馬車を引くために飼われていたから、乗る機会はほとんどなかった。
しかし、牛に乗るのは得意だ。放牧の帰り、帰りたがらない子の背にまたがって、なだめながら家に連れ帰ったものだ。
そしてハンナとは、よく一緒に遠乗りにいった。彼女は体も大きくて力強いから、馬車を追い抜くくらいに速かった。私にとって彼女は、相棒のようなものですらあった。
「牛!? なんでこんなところに!?」
「しかも女が乗ってるぞ!?」
私よりも広い世界を知っているはずの人買いたちも、牛に乗って走る乙女は初めて見たらしい。剣を手にしたまま、あんぐりと口を開けて立ち尽くしている。
「い、いやまて、あれはかなりの上玉だ! 捕まえろ!」
けれど彼らは、すぐに立ち直ってしまった。しかも私のことを、獲物とみなしてしまったらしい。
「よしハンナ、頼んだわよ!」
もー!
笛の音にこたえた獣たちがやってきてくれるまで、私たちが人買いたちの注意を引きつけておかなくてはならない。
ハンナはすっかり張り切った様子で、器用に走り回ってくれた。右へ左へ、男たちを翻弄するように。私はしっかりと彼女にしがみつき、とにかく落ちないように集中する。
しばらく走り回っていたら、オオーン、とオオカミの鳴き声がした。あれはきっと、レミュエルだろう。何かおかしなことが起こったのだと、私に伝えようとしているに違いない。
なおもハンナにしがみつきながら周囲を見渡すと、周囲の森から小ぶりな影が次々と飛び出してくるのが見えた。
人間の子どもくらいの大きさのしなやかな体、短い尾。ぴんと立った三角の耳には、飾り毛が生えている。
「ヤマネコの、群れね……意外だわ」
普段、ヤマネコは群れない。ただちょうど、この辺りの山に棲むヤマネコたちは、子育ての途中だったらしい。
親と同じくらいの大きさに育ったやんちゃな子どもたちを連れて、親ヤマネコたちがあっちこっちから姿を現したのだ。
押し寄せてくるヤマネコたちを見て、男たちが血相を変えた。私たちに背を向け、ヤマネコを追い払おうとしている。
「ちっ、矢が当たらねえ!」
「う、うわあ! 足をやられた!」
ヤマネコたちは男たちをあざわらうかのように、ひらひらと跳ね回っている。あまりに動きが速くて、何匹いるのか分からなくなってしまいそうだ。
男たちの攻撃はヤマネコたちにかすりもしないのに、ヤマネコたちの爪は、男たちの服や肌をさくさくと切り裂いている。あまりにも、一方的だ。
そんな戦い、というよりヤマネコたちの遊びは、そう長くは続かなかった。
「仕方ねえ、撤退だ! 馬車に乗り込め!」
「乗り込むっつったって、全員は無理だぞ!」
「ああもう、だったらあいつらを放り出せ! どうせ大した値で売れそうになかったしな!」
男たちはぎゃあぎゃあと叫びながら、後ろの馬車の扉を開け、中から人間を引きずり下ろす。それから、自分たちが次々と乗り込んでいった。
全員が馬車に入ったところで、二台の馬車が全力で走り出す。ヤマネコたちが馬車を追いかけていこうとしたので、ハンナに乗ったまま近づいて声をかける。
「ありがとう、助かったわ。もう、帰ってくれて大丈夫」
ヤマネコたちははしゃいだ足取りで、周囲の森に消えていった。
どうやら、人買いたちは追い払えたようだ。ほっとしていると、後ろから足音が聞こえてきた。
「……とんでもない特技だな。牛に乗る人間は、初めて見た……」
声の主は、人の姿に戻ったレミュエルだった。彼は、ハンナの背にまたがったままの私を呆然と見上げている。
「まあ、田舎育ちだから。自然と身についたのよ」
「それ以上に、やけにそのさまが似合っているのが驚きだ……」
「似合ってたら駄目?」
彼の顔には、称賛の色があった。それを踏まえたうえで、あえていたずらっぽく尋ねてみる。
「いいや。むしろ、とても堂々として見える。そうだな……まるで、王者のようだ」
「何、それ」
珍妙な返答にぽかんとしていると、彼も気恥ずかしそうに視線をそらしながら言葉を続けた。
「自分でもおかしなことを言っている自覚はある。ただ、それが一番しっくりくるんだ」
「変な感想ねえ」
くすりと笑ってハンナの背から降り、首をなでてやる。と、そこに細いひもが巻かれているのが見えた。しかも、折りたたまれた紙がくくりつけられている。さっきはそれどころではなくて、気づかなかった。
「なんだ、それは? 手紙のようにも見えるが」
「確かにそんな感じね。見てみましょうか」
紙を外して広げ、ふたりでのぞきこんでみる。見慣れた父さんの字が、目に飛び込んできた。
『お前が旅に出てからというもの、ハンナが寂しがって、毎日鳴いてばかりなんだ。このぶんだと放牧には出せないなと牛小屋に入れておいたら、体当たりで牛小屋を壊してしまった』
そこまで読んだところで、ちらりとハンナを見る。彼女は涼しい顔で、そっぽを向いていた。
『仕方がないから、ハンナの好きにさせることにしたよ。お前と無事に出会えるよう、祈っている』
するとレミュエルが、ううむとうなってつぶやく。
「牛の好きにさせる……君の家族はおおらかなんだな」
「ええ。おかげで、私もたくましく育つことができたわ」
少しも悪びれることなく言い張ると、彼は顔をこわばらせた。これってたぶん、笑いをこらえてるのだろう。失礼な。
気を取り直して、さらに説明する。父さんのこの手紙だけだと、レミュエルはいまいち状況が分からないだろうから。
「うちには牛がたくさんいるから、ハンナがいなくなってもやっていけるの。だからこそ、父さんもハンナを送り出すことにしたのだろうけど……」
それよりも、もっと気になることがあった。
「ねえハンナ、どうやって私を見つけたの?」
ぶもう。
「答える気はなさそうだな」
「というより、答えられないわよ」
笑顔で答えつつも、なんとなく予感はあった。ハンナはとても賢い子だから、街道をひたすら進んでいけばそのうち私に会えると、そう考えたに違いない。
ともあれ、彼女のおかげで助かった。ほっとした思いを感じながら笑いあっていたら、横合いから遠慮がちな声がした。
「あの、旅のお方……もしかしてあなた方が、助けてくださったのでしょうか……」




