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4.不思議な青年

 悪魔の姿について聞くなり、その場にがっくりと崩れ落ちてしまった青年。悪魔を恐れているというよりも、嘆いているような雰囲気だ。いや、とんでもなく焦っている、のほうが正しいか。


「大丈夫よ、悪魔なんているはずがないわ。たまたま、ちょっと珍しいオオカミを見かけてしまっただけよ。姿を変えたというのは……ええ、ただの見間違いね」


 あまりの落ち込みっぷりに、思わず励ましてしまった。


「私だって、悪魔は信じていない。だからこそ、こうして探索に来ているの。悪魔はいなかったわって、村の人たちにそう報告するために」


 一気にそう言ったものの、彼はうずくまったまま動かない。次の言葉を探していたら、彼はそのままの姿勢でうめいた。


「そのとおり、悪魔なんていないんだ。問題は、悪魔の噂が立ってしまったことなんだ」


「いけにえのことを気にしているの?」


「ああ。……俺はその噂を、どうにかして消さなければならない」


「どうして、あなたが? あなたはこの件とは関係ないでしょう?」


 不思議に思って問いかけると、彼は低い声でつぶやいた。


「いや。あるんだ」


 彼はゆっくりと顔を上げ、まっすぐにこちらを見た。瑠璃色の視線に射抜かれたかのような衝撃に、立ち尽くしてしまう。


 微動だにせず、彼は私を見つめ続けている。やがて、ふっと彼の目元が緩んだ。


「どうやら君は……信頼できそうだな」


 何をもってそう判断したのかと尋ねるより先に、彼は勢いよく頭を下げてきた。


「頼む。手を貸してくれ。俺ひとりでは、この事態をどうにかできそうにない」


「えっ、ちょっと、手を貸してって……」


 噂をどうにかするとか、協力してほしいとか、彼が何を考えているのかさっぱり分からない。


 とまどっていたら、彼がふうと息を吐いた。


「……そうだな、やはり、こちらの手の内を明かさないことには、どうにもならないか」


 手の内。どんどん話がややこしくなってきた気がする。これはますます面倒なことになったなと思っていたら、彼がやけに深刻な顔で言った。


「……これから見聞きすることは、他言無用で頼む」


 その気迫に押されて、訳も分からないまま、こくこくとうなずいた。


「……信じてもらえないかもしれないが、村の人間たちが言う『悪魔』は、おそらく俺のことだ」


 えっ、嘘でしょ。


 しかし私がそう口にするよりも先に、彼の姿がふにゃりと溶けた、ように見えた。


 長い黒髪が彼の全身を覆い、彼の体が形を変え……そして、とびきり大きな漆黒のオオカミが姿を現していた。きれいな瑠璃色の目で、私をまっすぐに見つめている。


 色も大きさも、普通のオオカミとはまるで違う。けれど、その目には明らかな知性の輝きがあった。そのせいなのか、恐怖は少しも感じなくて……。


「かわいい……」


 ついうっかり、そんな声がもれてしまっていた。だって、オオカミというより特大の犬っぽいんだもの。この美しさ、賢そうな目、村にいた大きな牧羊犬を思い出してしまう。


 ちらりと背後のクマを見たら、退屈そうに明後日のほうを向いていた。こちらも、目の前のオオカミを脅威とはみなしていないらしい。


 と、オオカミがまたぐにゃりとゆがみ、大いに不服そうな顔の青年の姿に戻る。


「あの姿で、そんな言葉をかけられたのは、さすがに初めてだ……」


「だって、目の前で姿が変わったから、あのオオカミはあなたなんだろうなって見当がついたし……危険ではないし、賢そうだなって思ったら、牧羊犬を思い出してしまって……」


 言い訳をすればするほど、彼はがっくりと肩を落としてしまう。うつむいたまま、彼はぼそりと名乗った。


「……俺はレミュエル・ガイアス。植物の研究のため、旅をしている」


 そうしてちらりと、さっきのキノコに視線をやっていた。


「この森は見慣れない植物が多くて興味深かったから、森の奥にこもって調査をしていたんだ。しかし、姿を変えるところを見られてしまったとは……」


 レミュエルはそこで言葉を切ると、ためらいがちにうめいていた。やがて、消え入るような声で、ひとこと付け加えてくる。


「……そして、見てのとおり……獣人族だ」


「まあ、素敵!」


 おとぎ話の中には、獣へと姿を変える人、獣人族が時折出てくる。でも、実物を見たのは初めてだ。というか、実在していたのね。


 旅に出てすぐに、こんなに面白いものに出会えるなんて。大きな笑みが浮かぶのを感じながら、さわやかに答える。


「私はベリンダ、ただの旅人よ」


「……獣人族を見ても驚かないどころか喜んでいる女性を、ただの旅人と言っていいものか……ただの……ううむ……どう考えても、違う気がする……」


 ものすごく物言いたげな視線を、レミュエルは私と、背後のクマに向けている。


「だから、クマのことは気にしないで。私も、あなたの正体については深く考えないことにするから」


 そう重ねて言うと、彼は眉間にくっきりとしわを刻んだまま小さくうなずく。


「まあいい、理解が早くて助かる……ということにしておこう。やっぱり、納得がいかないが……」


 悩みつつ、けれどどうにかこうにか気を取り直したように、彼は小さく咳ばらいをした。それから、改めて向き直ってくる。


「獣人族には、おきてがある。そのおきてのおかげで、俺たちは人間たちに存在を知られることなく過ごしているんだ。しかしそのおきてのせいで、今俺は大いに困ったことになっている」


「おきて……どういったものなの?」


「『人間に、獣人族の存在を悟られぬこと。もし秘密が明るみに出た場合は、その痕跡を消すこと』……というものだ」


「でも、今私に正体を明かしているじゃない。ということは、いずれ私を消す気なの?」


 小首をかしげて尋ねると、彼は気まずそうに視線をそらした。


「……いや。そちらについては、君が黙っていてくれれば済む話だからな。今問題なのは、悪魔の噂だ」


「ああ……なんとなく、流れが読めてきたわ。悪魔の噂を放置してしまったら、どこかで獣人族と結びついてしまうかもしれない。本当に獣人族が存在すると、そう考える人が出てくるかもしれない。そういうこと?」


「そうだ。だからどうにかして、悪魔の噂を消しておきたい。『漆黒のオオカミ』は無害な、ただの獣だと村人に思わせたいんだ。ただ、オオカミの姿で人前に出れば、それだけで大騒ぎになりかねない」


「それで、私の力を借りたい、ということね。筋は通ってなくもないけれど、ちょっと警戒が足りないんじゃない? 私があなたのことを喋って回ったら、悪魔の噂どころじゃなくなるのに」


 正論をぶつけてみたら、彼は真横を向いてぼそぼそと答えた。極まりが悪そうだ。


「君はそういう人物ではないと思う。……獣人族は、勘が鋭いんだ。人間の見極めには長けている」


 と言われても、いまいち信用できない。そんな思いが顔に出ていたのか、レミュエルが軽く肩をすくめた。


「俺たちは、嗅覚や聴覚、そういった感覚が普通の人間より優れている。おそらく、そのおかげだ」


「ごめん、さらに訳が分からなくなってきたわ。具体的にどう感じたとか、説明できる?」


「……君からは、信頼できそうな匂いがした」


「どんな匂いなの、それ?」


「たとえようがない。ただ、心地よい香りだとだけ」


「……まあ、いいわ」


 たぶん、これ以上彼を問い詰めてもらちはあかなさそうだ。それに、彼に手を貸すこと自体に異論はなかった。悪魔の噂をどうにかしたいのは、私も同じだ。


「それで、私は具体的に何をすればいいの?」


 さっさと頭を切り替えてそう言ったら、彼はきょとんとした顔でこちらを見た。ちょっと可愛いなと思いつつ、きちんと説明する。


「私のことを信頼してくれるんでしょ? だったらちょっとくらい、手を貸してもいいかなって思ったの」


「あ、ああ、ありがとう……」


 レミュエルはまだぽかんとしていたけれど、それでも律義に礼を言っていた。

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