26.黒幕との対峙
私の髪、王族にしかありえない色の髪を見て、宰相は目を極限まで見開いた。さっきまでの色ボケした雰囲気は、もうかけらほどもない。
すっと立ち上がり、宰相を見下ろす。そうして、高らかに宣言した。
「ガートルードの娘、ベルリンディア・リーンにございます。あなたが探しておられたのは、わたくしでしょう?」
女に弱かろうが、そこは一国の宰相だった。彼は私の名前を聞くと水でも浴びせられたかのようにはっとして、ぎりりと顔を引き締めている。
「……そうか、お前が……王都に近づいているらしいとの報告を受けてはいたが、まさか、こんなところに現れるとは……好都合だ、ここで始末してくれる」
彼の手が、近くのテーブルの上に置かれたベルに伸びる。おそらく、兵士か何かを呼ぼうとしたのだろう。けれど彼の手がベルに触れる前に、彼の動きがぴたりと動きを止まった。
いつの間にか、彼の首元に何か細長いものが巻きついている。その何かの端っこがにゅるりと動いて、彼の顔に向かって伸びていったのだ。
明らかにただならぬ事態に、彼はその何かを振り払おうと手を伸ばしている。
「動かないで。声も上げないで。逆らえば、あなたはすぐに死ぬことになるわ」
そこを狙って、自信たっぷりに言い放ってやった。
「あなたの首に巻き付いているのは、毒蛇よ。ほんのひと噛みで、あなたはあの世行き」
さっき彼が近づいてきたときに、こっそりと彼の肩にこの毒蛇を載せたのだ。細くて小さいから、彼は気づかなかったのだろう。
この毒蛇の居場所もまた、レミュエルが教えてくれたものだった。あちこち旅をしている彼は、王都の近くのとある沼のそばにだけ生息しているこの毒蛇について、詳しく知っていた。
だからひとっ走り沼に向かって、笛を吹いて毒蛇に協力してもらったのだ。私を殺そうとしている人がいるの、説得したいから力を貸して、と。そうしてこっそり毒蛇を連れて、ここまでやってきた。
……あの笛を十分に使いこなせている自信はあったけれど、さすがに今回ばかりは肝が冷えた。だって、おとなしくしているとはいえ、毒蛇を服の隙間に隠して動き回るはめになったのだから。
「私は、王族なのかもしれない。アデル王子の姉なのかもしれない。でも今の私は、ただのベリンダ。田舎の村娘に過ぎないの」
そんなあれこれを思い出しつつ、固まっている宰相に告げる。
「別に、あなたの邪魔をするつもりはない。あなたが王宮を、王国をどうしようと興味はない。でもあなたが私たちの邪魔をするなら、容赦はしない」
言葉を切って、低い声で続ける。
「見てのとおり、私は毒蛇を操れる。猛牛や獅子をも従えている。これ以上私を追い回すというのなら、今ここであなたを殺すわ」
首の毒蛇におびえて身をこわばらせながら、宰相はかすかに身震いしていた。
「いえ、もう細かいことは気にせずに殺してしまったほうが後腐れなくていいのかもしれないわね」
私の言葉にこたえるように、毒蛇が、かっと口を大きく開けた。その様が視界の端に見えてしまったらしく、宰相の口からひっ、という短い悲鳴が漏れる。
「でもやっぱり、無駄な殺生はしたくないのよ」
彼の目をじっと見つめると、彼は無言でかすかにうなずいた。さっきまでのふてぶてしさはどこへやら、泣きそうな顔になっている。お香のおかげもあるのかもしれないけれど、素直なぶん気持ちが悪い。
「私のことを放っておいてくれるのなら、私は王宮からは出ていく。自分の本当の名についても、身分についても、そして生みの母についても、一生内緒にして生きていくわ。それでどう?」
「う、うむ……」
「はい、契約成立ね」
そう言い放ち、さらに隠していた毒蛇をもう数匹取り出す。毒蛇たちは私の手を離れ、するすると部屋の暗がりに消えていった。
「この子たちは、王宮のあちこちにひそんでいてもらう。もしあなたが約束を破ったとき、あなたを始末してもらうために」
「わ、分かった……」
「二度と、暗殺者なんて送り込まないでね。私だけでなく、私の大切な人たちに何かあったら、絶対に許さないから」
そう捨て台詞を吐いて、大股で部屋を後にする。あの毒蛇たちはしばらくしたら元の沼に帰ってもらうことになっているけれど、それを宰相に教えてやるつもりはなかった。
廊下に出て少し進んだところで、レミュエルが音もなく近づいてきた。
「どうだった?」
「ひとまず、話したいことは言えたわ」
「こちらも、巡回の兵士を倒しておいた。逃げるなら今だな」
彼は無言でうなずくと、黒いオオカミへと姿を変えた。
レミュエルの背にしがみついて、王宮の廊下を風のように駆け抜ける。
一応話がまとまったように見えなくもないけれど、どうせじきに宰相は立ち直って、追っ手を差し向けてくる気がしてならない。
なのでその前に、いったん撤退するのだ。体勢を立て直して、改めて宰相をぶちのめすそのときのために。
しかし、風を切りながら廊下を走っていたレミュエルの足が突然止まった。耳をぴんと立てて首を振り、それからとまどったように風の匂いをかいでいる。やがて慎重な足取りで、近くにある大きなガラスの扉に向かっていった。
そうして私を背から下ろし、人の姿に戻る。扉の向こうに目をやって、ぎこちない声で言った。
「……ベリンダ。この先で、とんでもないことが起こっているみたいだ……」
「とんでもないこと? 危険だったり?」
「いや、危険はなさそうなんだが……ひとまず、確認してみよう」
ふたり並んで、ガラスの扉を開ける。その先は、広々としたバルコニーになっていた。おそらく、王などが臣下に謁見する際に出てくる場所なのだろう。
真上に輝く満月が、こうこうと辺りを照らしている。バルコニーと、その下の広場を。
「……何、あれ……」
そこに広がっている光景を見て、絶句するほかなかった。
下の広場には、驚くほどたくさんの動物たちがいた。黒いオオカミたち、銀色の馬たち、白いキツネたち……そういった動物たちがきちんと整列して、こちらを見上げていたのだ。
「……気のせいかしら。普通の獣とは、違うみたいだけれど……」
「ああ。獣人族だ」
そう答えるレミュエルの声にも、混乱したような響きがある。
「王都に近づいたあたりから、やけに獣人族の気配が増えたとは思っていたんだ。王都にはたくさんの同胞が暮らしているのだなと、気にも留めていなかった。しかしまさか、ここまでたくさん……」
「ねえ、あそこ……ハンナとブランもいるんだけど……」
王都の近くの森に隠れていてもらったハンナとブランが、どうしてまたこんなところにいるのか。
「……しかもあちらには、ファリアと両親もいるな……」
先頭に並んでいる黒いオオカミたちには、見覚えがあった。ファリアと、ガイアス夫妻だ。ファリアと目が合うと、彼は尻尾をひと振りしてみせた。
「たぶんこれは……ファリアが何かしたんだろうな……あいつ以外に、こんなことを考える人間の心当たりがない」
呆然としたまま、レミュエルがぼそりとつぶやいた。
「……消息を知らせておいたのが、裏目に出たか……?」
王宮へ向かうと決めたとき、ファリアに手紙を書いた。どうも逃げ切れそうにないから、黒幕と直談判してくる、といった感じのごく短いものだ。
笛で呼んだハトにお願いして、ガイアスの家まで届けてもらったから、割とすぐに手紙は届いていたはずだ。きっとファリアは、それを見てすぐに動き出したのだろう。
「俺たちに力を貸そうとしているように見えなくもないが……獣人族を集め、ハンナとブランを連れてきて……あいつはいったい、何をする気なんだ? というか、どうして父さんと母さんまで来てるんだ」
頭をかきむしらんばかりにして悩んでいるレミュエルを横目に、一歩進み出る。ここは、まだ多少なりとも冷静な私が、きちんと話を聞き出すべきだろう。
しかしそのとき、居並ぶ動物たちがいっせいに頭を垂れた。
「……は? え、何?」
「我らは獣人族、人であり獣であるもの」
ぽかんとしていたら、ファリアの声が、夜の広場に響き渡った。




