2.制裁と旅立ち
諸悪の根源である領主は、ワシたちの力を借りてとっちめた。しかしもうひとり、お仕置きをしておかなくてはならない馬鹿がいる。
大急ぎで元の服に着替え、館の使用人に頼んで荷馬車を出してもらい、大急ぎで村に戻った。領主が大騒ぎしているせいで館は大混乱に陥っていたから、それに乗じて逃げるのは難しくなかった。
村を素通りして、すぐ外に広がる牧草地に向かう。そこには数頭の牛が、のんびりと草をはんでいた。
その中の一頭に近づき、声をかける。腹の中で煮えたぎっている怒りのせいか、思いのほか低い声が出てしまった。
「……ハンナ、ちょっと力を貸してほしいの」
もおー。
このハンナは、うちで飼われている牛の中では一番の古株で、一番体が大きく、一番賢い。子どものころはしょっちゅうハンナにまたがって、あちこち一緒に駆け回ったものだ。
この村にはたくさんの家畜や犬猫なんかが飼われているし、周囲の野山にも獣は多い。そのなかで唯一、ハンナだけは笛を使わなくてもお願いを聞いてくれる存在だった。言葉こそ通じないけれど、心は通じ合っているとか、そんな感じ。
ハンナの背にひらりと飛び乗ると、ハンナは心得たとばかりに歩き出す。あっちに向かって、とお願いしたら、軽やかな足取りで足を速めた。
村を出て、街道をどんどん進む。気がせいているのを感じ取っているのか、ハンナはとても張り切っていた。
やがて、遠くにぽつんと人影が見えてきた。あの背中、いた、ジョンだ。
「いけー、ハンナ!!」
ぶもー!!
私の掛け声と同時に、ハンナが一気に加速する。突然背後から聞こえてきた声に、ジョンが振り向いた。その顔に、恐怖の色がはっきりと浮かび上がる。
「小金をつかまされたからって、恋人を捨てるやつがあるかー!!」
ずどん。
ハンナの巨体が、ジョンを跳ね飛ばした。もっともハンナは賢いから、大きな怪我をさせないように手加減してくれている。
ジョンは面白いように吹っ飛んで、ころころと転げていった。全身砂ぼこりまみれになりながら、どうにかこうにか体勢を立て直している。
「そ、それは誤解だ! おれは本当に、夢を追うために村を出ることにしたんだ」
立ち上がったジョンは大いに動揺しつつも、そう言い返してくる。どうやら、まだ言い逃れようとしているらしい。往生際が悪い。
「百歩譲ってそうだとしても、領主の口車に乗ったのは事実でしょうが! 私を売り飛ばして、自分だけ幸せになろうって!?」
ぶもっぶもっ。
私の言葉に同意するように、ハンナが鼻息も荒く鳴いた。頭を下げながら前足で地面をひっかいて、ジョンをおどすような仕草を見せている。
「す、すまないベリンダ……だったら、おれと一緒に来ないか……? その、ふたりなら、これからの苦難も乗り越えられるだろうし」
私たちが心底怒っていることをさとったのか、ジョンが上目遣いでそう提案してくる。
しかしそのことに、さらにかちんときてしまう。この男はどこまで、私のことを甘く見ているのだろうか。付き合いは長いけれど、ここまで駄目なやつだとは思わなかった。
「今さら手のひら返し!? 冗談じゃないわ、お断りよ!!」
私の叫び声に合わせて、またハンナが突進した。片足を横に伸ばし、ジョンの背中を蹴りつけてやった。
「あんたみたいな自分勝手と結婚しなくて、本当によかったわ!」
さらにもう二、三往復してもらってジョンを存分に跳ね飛ばすと、ハンナの背にまたがったままくるりと背を向ける。
「どこへなりと勝手に行ってしまいなさいよ、この人でなし!」
ひととおり言いたいことを言い終えたからか、とってもすっきりした気分だった。それはハンナも同じだったらしく、行きよりもずっと軽い足取りで帰路についたのだった。
そうして家に戻ってきたら、心配そうな顔の両親に出迎えられた。
「領主様に呼び出されたと聞いたのだけれど……大丈夫だったかい?」
「それに、ハンナに乗って出かけたなんて、何があったの?」
私とは似ていない、おっとりと優しい雰囲気の両親。血はつながっていないけれど、私にとっては何より大切な人たちだ。
ハンナから降り、ここまでのことを手短に話す。ふたりは、ジョンに捨てられたこと、領主のたくらみについて大いに憤っていたけれど、私の仕返しを聞いて必死に笑いをこらえていた。
けれどそうやってしばらく笑ったあと、ふたりはふっと真顔になってしまう。
「……しかし、領主様に目をつけられてしまうとは……」
「でもあなた、ベリンダは何も悪くないわ。……少しやりすぎたかもしれないけれど、悪いのは領主様のほうなのだし……」
ふたりの言うことも、もっともだった。村娘に目をつけたあげくその恋人を金にものを言わせて追い払い、あげくの果てに天罰を食らう……はたから見れば、領主の自業自得だ。
とはいえ、あの領主がこのままおとなしくしているとも限らない。天罰の恐怖が薄れたら、またよからぬ動きに出そうな気もする。
「……私、ここにいないほうがいいのかもしれない。少なくともほとぼりが冷めるまで、村から出ていたほうがいいと思う」
そうつぶやくと、両親がはっとしたように顔を見合わせた。
「せっかくだから旅に出て、あちこち見て回ろうと思うの。……ガートルード母さんの手がかりも探してみたいし」
そう言って、笛をしまった胸元を押さえる。
生みの母ガートルードは、おなかに私を宿したまま、たったひとりでこの村にやってきた。長旅に疲れ果てていたガートルード母さんを介抱してくれたのが、私を育ててくれた両親だ。
そうしてガートルード母さんは私を産み落とすと、それまでの苦労がたたったのかじきに亡くなってしまった。私はそのまま、この家の子として育てられたのだ。
とはいえ、ガートルード母さんの手がかりはほとんどない。名前と、形見の笛だけ。あと、ガートルード母さんはとても上品な人で、私のために用意されていた産着は美しい絹だった。……たぶん、ガートルード母さんは平民の出ではないのだろうな。
私にとってガートルード母さんは、一度も会ったことのない知らない人だ。それでもやっぱり、母さんがどんな人だったのか、ずっと気にはなっていた。
……なんのことはない、私も心の奥では、一度この村を出て、外の世界を見てみたいと思っていたのだ。これでは、ジョンのことを笑えない。もっとも私は、あいつのような不義理はしないけれど。
そして両親は、私の言葉を聞いて少し寂しそうに微笑んでいた。
「そう、か。そうだな。お前はとてもたくましく育った。お前なら、きっと大丈夫だろう。ジョンとのことは残念だったが、これもまた天のお導きなのかもしれない」
「やっぱりちょっと心配だけれど……ベリンダ、あなたが決めたのなら、もう止めないわ。でも、辛くなったらいつでも戻ってきなさい。ここが、あなたの家なのだから」
「うん……」
そのまま両親と、しっかり抱き合う。ジョンとの腹の立つやり取りも、領主に感じた憤りも、こうしているとすうっと消えていくようだった。
次の日の朝、旅の支度を整えた私は、村の全員に見送られて旅に出ていた。
私がもう村にいないということをはっきりさせておくためにも、できるだけ堂々と出ていったほうがいいだろうと思ったのだ。
「ベリンダ姉ちゃん、父ちゃんと母ちゃんはおれが守るから、姉ちゃんは姉ちゃんの無事を一番に考えてくれよ」
すぐ下の弟は、きりりと顔を引き締めてそう言ってくれた。頼もしさといじらしさに胸がいっぱいになるのを感じつつ、その頭をくしゃりとなでる。
「お姉ちゃん、留守はぼくたちに任せて!」
「気をつけてね!」
「寂しいな……ちゃんと、帰ってきてね」
弟妹たちと別れを惜しんでいたら、聞き覚えのある声がした。
ぶもー……。
「そんな顔しないの。私なら大丈夫よ」
なぜか、ハンナまでもが見送りに出てきていた。ぽんぽんと頭を叩いてやったものの、気のせいか不服そうな顔をしている。
「それじゃあ、いってきます!」
村のみんなに手を振って、悠々と歩き出す。ひとまず、ガートルード母さんがやってきたという街道を、逆にたどってみることにした。
しばらく歩いて、村の姿が見えなくなったところで立ち止まる。
「さて……ここまでくれば、もういいかしら」
にやりと笑って、胸元から笛を取り出す。
ずっと歩いていくのも面倒だけれど、辻馬車を拾うとお金がかかる。というより、この辺では辻馬車なんてめったに通らない。
何か、馬の代わりになる獣が呼べないかな。そう思って笛を吹いてみたら、シカの群れがやってきた。一番大きな、群れを率いる雄シカの背に乗って、さらに進んでいった。
私のいでたちは、ズボンにチュニック、革のブーツ。山を歩くときなどに着ていたもので、とても動きやすい。シカに乗るのは初めてだけれど、今のところどうにかなっている。
シカの背に身を預けながら、ちらりと後ろを振り返る。背中には荷物と食料を詰めたリュック、腰には小ぶりのナタ。これだけあれば、野宿だってできる。
お金はあんまり持っていないけれど、道々稼ぎながら進めばいい。畑を耕すのも、森を歩くのも、もちろん家事も得意だ。うん、なんとかなりそう。
それにしても、ほんの数日前までは、こんなことになるなんて思いもしなかった。
「でもまあ、せっかくだから旅を楽しむことにしましょうか」
ちょうど初夏だし、旅をするには悪くない季節だ。吹き渡る風が、さらりと髪をなびかせている。その心地よさに目を細めながら、行く手に広がる野山を見つめていた。




