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1.青天のへきれき

 晴れた日は畑を耕して、雨の日は家族と語らいながら家事をして。それが、私の人生の全てだった。


 十七歳になって、恋人もできた。といっても、まだ手をつないだだけの、初々しい関係だけれど。


 いずれは彼と結婚して、新しい家庭を築いていくものと、そう信じて疑わなかった。お互いの家族にも正式にあいさつにいって、家ぐるみで親しく付き合っていた。


 毎日、幸せだった。


「ごめん、ベリンダ。おれさ……遠くの町に行って、商人になるんだ。だからもう、お前とは別れたい」


 恋人が、こんなことを言い出すまでは。




「えっ、ちょっと待ってよジョン、それってどういうこと!? 聞いてないわよ!?」


 たっぷり三秒は呆然としてから、あわてて尋ねる。そもそも彼は、農家の長男だ。代々受け継いだ畑を守っていくのが彼の役割だし、彼もそれに疑問を抱いたことはなかったはず。


「ああ、言っていなかったからな」


 やけに自信満々に、彼は言い放つ。開き直っているのがどうにも腹立たしい。


「でもおれは、こんなちっぽけな村を出て一人前の商人になりたいって、子どものころからずっと夢見てたんだ。手の届かない夢だって分かってたから、黙ってただけで」


 確かにここは、かなりの田舎だ。村は小さくて、人々は畑を耕すか牛を飼うか、そうやって生計を立てている。ぜいたくはできないけれど、日々自然の恵みとともにある、そんな暮らしだ。


 ただジョンは、ここでの生活に不満を抱いていたらしい。しかも、そんな野望を抱いていたなんて……。意外だった。


「それじゃあ、おれはもう行くよ」


「えっ、ちょっ、そこは『おれと一緒に行こう』って流れになるところじゃないの!?」


 こちらに背を向けて歩き出そうとしたジョンを、あわてて止める。


「これからの道のりに、何が待ち構えているか分からない。おれはその中で、お前を守ってやれる自信がない。だからお前は、ここで和やかに、幸せに暮らせ。どうか、おれのことは忘れてくれ」


 駄目だ。この男、自分に酔っている。それなりに長い付き合いだけれど、彼にこんな気持ちの悪い一面があるなんて知らなかった。


「じゃあな、ベリンダ。二度と会うこともないと思うけれど、元気でな」


 まだぽかんとしている私を置き去りにして、ジョンはどことなく誇らしげな足取りで立ち去っていった。


 問答無用で、しかもいきなり捨てられたのはもちろん悲しいし、それ以上に腹が立っていた。


 しかし今の私の頭を占めているのは、もっと別の思いだった。ひとりきりになったのをいいことに、小声でつぶやく。


「……おかしいわ……彼の家に、遠くの町までの旅費を用意できるだけのたくわえなんて、あったかしら? ……それに、遠くの町での働き口なんて、どうやって見つけたの? 彼、この村から出たこともなかったのに……」


 ジョンは、いい農夫だった。力が強くて頑丈で、よく働く。少し単純なところはあるけれど、まあ好青年だった。過去形で語らざるを得ないけれど。


 でも同時に、とっても気が小さかった。こんな大それたことをしでかすなんて、やっぱり信じられない。


 ……捨てられたばっかりだというのに、冷静にこんなことを考えられていられるなんて、案外彼のことはどうでもよかった……のかもしれない。彼とは幼馴染だったし、恋人というより腐れ縁に近かったのかも。


 ただ、そうであっても、彼のやらかしたことが不義理であることに違いはない。一応婚約者だった私にひと言の相談もなくあんなことを決めて、しかも勝手にいなくなるなんて。


 まったくもう、どうしてくれようか。


 腹に据えかねるものを感じつつ家に戻ろうとしていたら、やけにきらきらしい身なりの人間に呼び止められた。田舎の村には似つかわしくないこの身なりは、間違いなくよそものだ。しかも彼の後ろには、豪華な馬車が停まっている。


「ベリンダ殿、領主様がお呼びです。どうぞ、ともに来てはいただけませんか」


 丁寧そのものの口調には、しかしどことなく威圧的な響きがある。つまりこれは、命令だ。


 それにしてもさっきから、訳の分からないことばかり起こる。この村やその周辺の地域を治めている領主は、一度だってこの村に構いつけたことはない。あまりにほったらかしにされているから、私たちは領主の存在を半ば忘れているくらいだ。


 さて、それがどうして、私を呼びつけているのか。理由に心当たりはないけれど、下手に逆らうのも得策ではない。


 仕方なく、迎えの馬車に乗り込んだ。どうにも、嫌な予感がして仕方がなかった。




 村から馬車で一時間ほどのところにある領主の館にたどり着いた私は、さらに困惑することになった。


 なぜかドレスに着替えさせられて、髪を丁寧にとかされて、それから領主と面会させられる。どういうことだ。


「おお、なんという気品! やはりお前は、泥沼に住む美しき白鳥よ! あのような村に置いておくには惜しい! どこに出しても恥ずかしくない令嬢……いや、姫君のようなたたずまいではないか!」


 貧相な中年男性である領主は、人の顔を見るなりひと息でそう言い切った。やけに興奮している。


「その見事な赤い髪、宝石のような緑の目……見事な色だ……」


 私の髪は赤じゃないのだけれどね、という言葉を呑み込む。私の本当の髪の色は、淡い紫色をしているのだ。あまりに珍しく、そして目立つので、普段はこうして染めている。


 ただ、そんなことよりも。


「……私のことを、ご存じだったのですか?」


 私のことを以前から知っているかのような領主の口ぶりに、尋ねずにはいられなかった。というか、ただ知っているだけというよりも、もっとこう……ねちっこくてぞわぞわする感じの何かがある。


「うむ。以前、お前の村のそばを馬車で通りがかってな。ひと目見て、お前のことを気に入ってしまったのだ」


 わ、これは面倒なことにしかならない流れだ。いや、もう既に面倒なことになっているか。


「しかしお前は、土臭い農夫と結婚する予定という話ではないか。お前をあのような下賤の男にくれてやるなど、もったいない。なんとしても、わしのものにしなくてはな」


「……ああ、つまりジョンが突然私を捨てたのは、あなたの差し金だったのですね」


 証拠はないけれど、たぶんそうだろうと思ってかまをかけてみた。すると領主は、心底嬉しそうににやにやし始めたのだ。


「ほう、察しもいいのだな。少々金を握らせたら、お前から手を引くと約束した」


 つまりジョンは、私を売ったお金で自分の夢をかなえにいったわけね。まったくもう、なんてこと。ちょっとこれは、黙っていられない。


 ジョンはあとできっちり問い詰めるとして、まずはこの色ボケ領主を黙らせなくては。


 ため息をつきながら窓に歩み寄り、大きく窓を開け放つ。領主に背を向けたまま、首にかけた紐を引っ張り、胸元に隠したものを取り出した。


 小指ほどの大きさしかない、水晶を彫って作られたような小さな笛。端の穴に革紐が通されていて、ペンダントのようになっている。筒の中ほどに、何か模様のようなものも彫られていた。


 笛の端をくわえ、軽く吹く。


 音はしない。けれど焦らず騒がず、笛をまた胸元に隠した。外を見つめたまま、じっと待つ。


「どうした、ベリンダ。窓の外に、何かあるのか?」


 領主が不思議そうに、声をかけてきた。それでも待ち続けていると、やがて空から二つの影が舞い降りてきた。というか、窓めがけて突っ込んできている。


 あわてず騒がず、すっと横によけた。次の瞬間、その影たちが部屋の中に飛び込んでくる。


「うわっ、これは何だ!?」


 窓から入ってきたのは、ワシに似た大きな鳥だった。ただ、顔周りの羽毛がはげている。頭の毛の薄い領主と、ちょっとだけ似ていなくもない。


 そしてワシたちは、その鋭いくちばしでてんでに領主を突っつき始めた。そのさまを離れて見守りながら、笛をしまい込んだ胸元をそっと押さえる。


 私の生みの母の形見であるこの笛には、不思議な力がある。この笛を吹くとどこからともなく獣が現れて、手助けしてくれるのだ。そう、ちょうど今のように。


 ただ、私以外の人間がこの笛を吹いても、何も起こらない。この笛が何なのかについて、知っていたのはおそらく生みの母だけだ。しかし生みの母は、笛の正体について語ることなく亡くなってしまったので、真相は闇の中だ。


 この笛、とっても便利だけれど、おそらくはかなり訳ありの品だ。育ててくれた両親は、この笛の存在をうかつな人間に知られないほうがいいと助言してくれた。なのでこの笛は、こうしていつも胸元に隠している。


「まあ……このような鳥が、このようなところに迷い込んでくるとは……これは、偶然ではないのでしょうね」


 突然の事態におびえているような、そんな表情を作りながら、ちょっぴり芝居がかかった声で、そうつぶやく。


 ワシたちに顔やら肩やらを突かれまくっている領主が、どういうことだという顔でこちらを見た。


「偶然ではない、だと……?」


 領主はすっかり混乱していて、助けを呼ぶことすら忘れているようだった。それをいいことに、そろそろと動いて入り口の扉を背中でふさぐ。こうしておけば、すぐに援軍はやってこない。


 そのうえで、改めて身震いしてみせた。


「……あなたの行いを、天におわす神は見てらしたのでしょう。罪なき女性を罠にはめて自分のものにしようとしたその行いに、天罰が下ったのでしょう! ああ、恐ろしい!」


 我ながらめちゃくちゃだなとは思ったけれど、領主はすうっと青ざめていた。普通ではまずありえない事態のせいで、彼は天罰という言葉を素直に信じてしまったらしい。


 ちょうどそのとき、窓からさらに二羽、ワシが舞い込んできた。領主がひいっと、情けない声を上げる。


「あ、さらにもう二羽やってきましたね……領主様、このままだと、領主様はワシたちにあとかたもなく食べられてしまうのでは?」


 ワシたちは突っつくのに飽きたのか、領主の残り少ない頭の毛をぷちぷちとむしり始めた。このままだとじきに、つるんつるんになるだろう。それはそれでむごい。


「わ、分かった、もうあくどいまねはせん! 心を入れ替えて、まっとうに生きる! だからどうか、お許しを、神様!」


 悲鳴のように領主が叫ぶと、ワシたちはいっせいに飛び立っていってしまった。


 さっき私は、「誰でもいいから、この色ボケ領主をとっちめて」という思いを込めて笛を吹いた。そのお願いをかなえてくれたワシたちに、領主に見つからないようこっそりと手を振る。


 それから床にへたりこんで震えている領主をそのままに、優雅な足取りで部屋を出ていった。


 ふう、こちらはこれで、しばらくはおとなしくなるだろう。……では、次だ。

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