第6話:確率の祈り
サイコロを振る。
六面体が掌の中で回転し、テーブルの上を転がる。四。偶数。
「偶数なら右ルート、奇数なら左ルート」
カイルが呆れた顔をした。
「ティアリス、それで進路を決めるのか」
「余興ですわ。最終判断は我が君がなさいます」
サイコロを拾い上げ、また掌の中で転がす。指先に伝わる角の感触。この小さな立方体が、六つの未来を等しく含んでいる。どの面が出るかは、誰にも分からない。
我が君が地図から目を上げた。
「右ルートで行く」
サイコロと同じ結論だった。意味はない。偶然だ。だが、偶然が重なった時の小さな高揚を、私は楽しんでいた。
賭け事が好きだ。我が君が私に与えた性質。確率の海に身を投じ、結果を待つ瞬間の昂り。それは私の一部であり、誇りだ。
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中層部の探索が本格化した。
森蜘蛛兵を倒したことで突入口が開き、オリジンパーティと流れ者パーティが交互に中層部へ入るようになった。
中層部の魔物は、外縁部とは質が違った。知性がある。待ち伏せ、挟撃、陽動。私の防護結界が、一日に何度も砕かれた。
ヒーラーの仕事は、壊れた体を効率的に修復することだ。
カイルの裂傷を塞ぐ。メルザスの魔力消耗を補う。リーネの打撲を癒す。我が君は戦闘に参加しないが、瘴気による体調不良を訴えることがある。その時は、浄化の魔法で汚染を除去する。
回復魔法を使う時、私は確率を計算している。
この傷の深さなら、回復に必要な魔力はこれだけ。残りの魔力で、あと何回の回復が可能か。次の戦闘で、誰がどの程度の負傷をするか。
賭け事と同じだ。手持ちの資源を見極め、配分を決め、結果に賭ける。
違うのは、負けた時に失うものが金ではなく命だということ。だが、死んでも蘇る。レベルが戻るのは非効率だが、恐怖の対象ではない。
だから、攻めの回復ができる。
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ある日の探索で、樹人兵の群れに囲まれた。
木の幹に擬態する知性体が、四方から同時に現れた。カイルが正面の二体を受け止め、メルザスが右側の一体に火球を放ち、リーネが左側の一体を矢で牽制している。
我が君の指示が飛んだ。
「ティアリス、カイルの回復を切れ。メルザスに魔力補充を優先しろ」
カイルの回復を切る。つまり、カイルは傷を負ったまま戦い続けることになる。
私は即座にカイルから手を離し、メルザスに駆け寄った。
「メルザス様、魔力を」
「すまんな」
白い光がメルザスの体に流れ込む。老魔法使いの目に力が戻った。
カイルが叫んだ。嬉しそうに。
「大丈夫です! まだ動けます!」
カイルの左腕から血が流れている。だが、盾を構える腕は震えていない。死を恐れない者の強さだ。ここで死んでもレベルが戻るだけ。だから、傷を負ったまま戦い続けられる。
メルザスの火球が、三連続で樹人兵を焼いた。私の魔力補充がなければ、二発で尽きていた。我が君は計算していた。カイルの回復を犠牲にし、メルザスの火力を維持する方が、全体の被害が少ないと。
樹人兵が全滅した後、カイルの傷を治した。
「お待たせしました、カイル」
「ありがとう、ティアリス。……痛かったが、問題ない」
「問題ないのは分かっていますわ。我が君の計算ですもの」
カイルが笑った。血だらけの顔で、爽やかに。
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探索の休憩中、サイコロを転がしていた。
リーネが隣に座っていた。無言で。私のサイコロを見ている。
「リーネ。賭けませんか」
「何を」
「次に出る目。偶数なら私の勝ち。奇数ならあなたの勝ち。負けた方が、今夜の夜食を奢る」
「……いいよ」
サイコロを振った。三。奇数。リーネの勝ち。
「残念ですわ」
「夜食、楽しみにしてる」
リーネの口元が、ほんの僅かに動いた。笑ったのかもしれない。
こうした小さな賭けが、私の日常だ。誰かと何かを賭ける。結果がどちらに転んでも、賭けた瞬間の昂りがある。
賭博場にも行く。領地に正式な賭博場ができてからは、週に二度は通っていた。カードを切り、サイコロを振り、勝っては負け、負けては勝つ。
我が君は何も言わない。パフォーマンスに影響しない範囲であれば、私の奇癖に干渉しない。メルザスの酒もカイルの風俗街もリーネの盗みも同じだ。
奇癖は我が君からの贈り物。それを自然に発露させるのが、正しい在り方だ。
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ある夜、賭博場から出た帰り道で、流れ者の冒険者に出くわした。
ピクだった。フードを深く被り、薬草の束を抱えている。
「ティアリスさん。こんな時間に」
「賭博場に行っておりました。あなたは?」
「薬草を摘んでいて。夜の方が、特定の種類が見つかりやすいんです」
「そうですか」
並んで歩いた。月が明るかった。
「ティアリスさん」
「何ですか」
「腹心の方たちって、本当に死ぬのが怖くないんですか」
その質問を、何度も聞かれた。流れ者たちから。
「怖くありませんわ」
「でも、痛いですよね」
「痛いですよ。ですが、痛みは一時的なものです。数秒から数分。それを耐えれば、新しい体で目覚めます」
「……すごいですね」
「すごいかどうかは分かりません。私たちにとっては当たり前のことですから」
ピクが黙った。フードの奥の目が、何かを考えている。
「私、この間死んだ時、すごく怖かったです」
「そうでしょうね。あなたには、怖いと感じる理由がある」
「腹心の方たちには、ないんですか」
「ありません。失うものがレベルだけですから。レベルはまた上げればいい。恐怖は、取り返しのつかないものを失う時に感じるものです。私たちにとって、死は取り返しのつかないものではない」
ピクが息を呑んだ。
「それって……寂しくないですか」
「寂しい?」
「怖いって感じられないのが」
不思議な質問だった。恐怖を感じられないことを、寂しいと表現する。流れ者の感覚は、時々興味深い。
「寂しいとは思いません。これが私の在り方ですから。我が君がそうお作りになった」
ピクは何も言わなかった。屋敷の前で別れた。
自分の部屋に戻り、サイコロを掌の中で転がした。
ピクの言葉を考えた。寂しい。恐怖を感じられないことが。
私には分からない。だが、分からないこと自体は、不快ではなかった。
サイコロを振った。二。偶数。
特に意味はない。ただ振っただけだ。
それだけで十分だった。
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翌日の探索で、中層部の奥に踏み込んだ。
新種の魔物が出た。毒の胞子を撒く巨大な茸。ピクが接近した瞬間に破裂し、胞子が飛散した。
「ピクっ!」
駆け寄った。解毒魔法を展開する。だが、胞子の毒性が強い。浄化が追いつかない。
ピクの体が痙攣している。顔が紫色に変わっていく。
ここで、賭けた。
通常の解毒魔法では間に合わない。だが、回復魔法を全開にして、毒の浸食速度より速く体を修復し続ければ、毒が自然分解されるまで持ちこたえられるかもしれない。
確率は――五分五分。
「ティアリス、間に合うか」
我が君の声。
「賭けます」
「勝率は」
「五割」
短い沈黙。
「やれ」
両手をピクの胸に当てた。白い光を、限界まで注ぎ込む。魔力が急速に減っていく。毒の浸食と回復の速度が拮抗している。
カイルが周囲を警戒している。メルザスが防御結界を展開した。リーネが矢を構え、周囲を睨んでいる。
全員が、私の賭けの結果を待っている。
魔力の残量が三割を切った。二割。一割。
ピクの顔色が、紫から青に変わった。そして、白に戻り始めた。
毒が分解されていく。
勝った。
「――解毒完了です」
手を離した。ピクが咳き込みながら、目を開けた。
「テ……ティアリスさん……」
「大丈夫ですよ。賭けに勝ちました」
ピクが泣いた。フードの奥で、ぼろぼろと。
私は微笑んだ。穏やかに。我が君が私に与えた微笑みで。
賭け事が好きだ。サイコロの目が揃った時の高揚。カードの手札が噛み合った時の快感。
だが、命を賭けた回復魔法が間に合った時の充足は、それらとは違う種類のものだった。
違う種類だが、同じ根だ。確率に身を委ね、結果を勝ち取る。それが、私という存在だ。
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帰路、我が君が隣を歩いた。
「魔力の残量が一割を切っていた。失敗した場合、お前は戦闘不能だった」
「はい」
「次からは、五割以下の賭けは報告してから判断しろ」
「承知いたしました、我が君」
「六割以上なら任せる」
「……ありがたいお言葉ですわ」
我が君は前を向いたまま歩いていた。
注意であって、禁止ではなかった。五割以下は報告しろ。六割以上は任せる。つまり、私の判断をある程度信頼している。
それだけで十分だった。
サイコロを掌の中で転がした。カチカチと鳴る、小さな音。
確率の神は、いつも公平だ。勝つ時もあれば、負ける時もある。
だが、我が君の下で賭けるなら、負けても蘇れる。
だから、いつでも全力で賭けられる。
それは、賭け事好きにとって、この上ない幸福だった。
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※本作は、最新のAIコーディングツール「Claude Code」を使用して執筆された実験小説です。
執筆に使用したプロンプトや詳細な設定資料は、本作への反響が大きければ後書きや外部サイトにて公開予定です




