アンパンナン
「またね、ワンニ君。気を付けてかえるんだよ!」別れを告げて空にとびだす。
すっかり日が暮れてしまった。今日も長い1日だった。一日中空を飛び回り、飢えた人々や困った人々を探し回る。飢えた人を見つけては自分の顔を差し上げ、助けてあげるのが僕の役目だ。今日も顔の三分の一ほどがなくなり、ふらふらになりながら空を飛んでいる。
なかなか力が入らない。高度が下がってきた。少し顔をあげすぎたようだ。一旦降りて一休みしよう。
手頃な岩を見つけて腰掛ける。今日もいろんな人の笑顔を見れてよかった。僕はこの役目が大好きだ。みんなのためなら心の底から元気が溢れてくる。
しばらく休んでいると、あたりの空気が変わった。静かだが、どこか森がおかしい。少し警戒していると、木陰から1人の男が現れ、話しかけてきた。
「やあ、アンパンナン、大変だねぇ。こんなにふらふらになってしまって。」
ネズミの顔で背丈は僕くらい、前に飛び出た真っ白な歯に注意が向く。夜にこんなところで何をしているのだろうか。とりあえず事情を聞いてみることにしよう。
「僕は全然大丈夫だよ。みんなのためならいくらでも頑張れる!それより君はどうしてこんなところにいるの?」
「僕はこの森で暮らしているんだけどね、見てみなよ、この綺麗な満月を。満月の日はこうやって森を散策するんだ。」
ネズミ男はゆっくりとした、そしてどこか魅惑的な調子で言う。言われた通り見てみると確かに綺麗な満月が夜空を照らしていた。
「ほんとに綺麗な満月だね。でもあんまり遅くならないうちに早く帰るんだよ。」
ネズミ男に軽く注意をして、僕はこの場所をあとにするとしよう。どうも、この男には何かしら違和感がある。
「もう行ってしまうのかい?まだ、ふらふらじゃないか。もうちょっと休んでいったらどうだい?」
正直まだあまり力が入らないがいつまでも休んでいるわけにはいかない。
「そうしたいところだけど、パン工場でみんながまっているんだ。」
「それはジャムおっさんたちのことかい?君は彼らのことが大切なんだね」
「それはそうさ。ジャムおっさんはいつも僕の顔をつくってくれるんだ。感謝しかないよ。」
ジャムおっさんは毎日忙しい。朝から晩までパンをつくり、僕が疲れている時は顔を変えてくれる。ほんとに尊敬すべき人だ。
「ジャムおっさんがみんなや君のためにパンを作っていると本気で思っているのかい?」
おかしな言い方をする。普段は温厚な僕だが、この言葉には少し腹が立った。どう言うことだという視線を向けると男は続ける。
「君は毎日、こんなにヘトヘトになっている、それなのにジャムおっさんは君が顔をあげるのを止めようとしないじゃないか。」
「それは、僕の意見を尊重してくれているんだ!僕は僕の顔でみんなが笑顔になれるならそれでいいと思っている。」
「そうか、そうか。それなら一つ昔話をしよう。この話を聞いてから君自身が判断するといい。」
そんな話を聞いても、僕の意見は変わると思えないが、聞くだけ聞いてみるとしよう。
ある夜、地球に星が降り注いだ。奇跡か、はたまた呪いであるか、その星は一つの家に落ちていく。家の煙突に入った星は光を失った。
ジャムおっさんの1日はパンをこねるところから始まり、パンを焼き上げることで終わる。
さあ、今日もパンが焼き上がるのを待つだけだ。この待っている時間が、1日の苦労が報われたようでとても楽しい。
置いていた砂時計の砂が全て落ちたので、心躍らせながらオーブンを開ける。
と、そこには目を疑う光景があった。何とそこには赤ん坊がいた。でかい鼻とほっぺたのある二等身ほどの赤ん坊。おぎゃ、おぎゃと泣いている。
なぜこんなところに赤ん坊が。焼いていたはずのアンパンはなくなっている。よく赤ん坊を見てみるとアンパンのように見えなくもない。
まだ冷静ではないがそっと赤ん坊をオーブンから取り出して、机の上に寝かせた。いったい何がどうなっているんだ。夢でも見ているのか、それとも気が狂ってしまったのだろうか。
赤ん坊の顔に手を触れてみると感触はやはりパンだ。長年パンをつくり続けてきた私が間違うはずがない。
顔がパン以外は普通、なのか?服は着ている。そしてマントと、胸のあたりには黄色いニコニコマークがついている。
どう考えても私のアンパンが赤ん坊になってしまったとしか思えない。これ以上考えても仕方がないのでとりあえず今日は寝るとしよう。朝起きたらやっぱり夢だったというオチもありえるし。
鶏の鳴き声で目を覚ます。厨房に向かうとおぎゃという声が聞こえてきた。やはり昨日のことは夢ではなかったのだ。受け入れられない現実をどうにか飲み込み、どうしたものかと考える。
幾ばくかの間考えた結果、この子を育ててみることにした。アンパン作ってたら赤ちゃんできました。なんて言ってもバカにされるだけだろうし、何より私はこの子に興味がある。今のところ害は感じられないし、幸い私の家は人がなかなか踏み入らない辺境にあるため、誰かにバレることもない。
1日様子を見た結果。この子は何も食べず、そして排泄もしない。これだけでも驚くべきことだが、さらに私を驚愕させた事実がある。なんと、顔が取れるのだ。比喩ではなく本当に取れる。取れると動いていた体は動きをとめるようで、再度顔をつけると再び動き出す。また、ちぎることもできた。ちぎっても動きを止めることはないが、少し弱っているようにかんじた。これ以上弱ってしまっても困るので、これ以上ちぎるのはやめておこう。
2日後、赤ん坊の元気がなくなってきた。そして、どこか臭い。もしやと思い顔の匂いを嗅いでみると、案の定顔が腐りかけていた。顔が取れると動かなくなること、元気がなくなってきたことから、このままでは死んでしまうのではないか。私は一か八か顔を作ってみることにした。生地をねり、あんこを入れ、形作る。この赤ん坊と同じ構造の形を作るのは造作もない。だが、肝心なのはこの顔でこの子が元気を取り戻すのか、ということである。
顔の形をしたパンが焼き上がった。腐りかけの顔を取り、新しい顔を取り付ける。すると、赤ん坊が泣き出した。どうやら成功らしい。いったいどんな原理なんだ。顔を変えても動くということは、この子の脳は体の中にあると考えるのが良いだろう。顔はスイッチの役割を果たしているのだろうか。
まだわかることは少ない。もう少し育ててみることにしよう。
一年が過ぎた。赤ん坊は順調に成長し、半年ほどで一般男性と同じほどの大きさに成長した。言葉も3ヶ月程度で話始めるようになり、驚いたことに自分の名前を口にした。「アンパンナン。」それがこの子、いやもう子ではないか、この人の名前らしい。自分がどこから生まれたのかなどはわからないようだった。
さらに驚いたことに、アンパンナンは空を飛べる。原理はわからないが自由に空を移動できるらしい。
何度か顔が濡れてしまったことや、形が歪んでしまったことがあり、その度にアンパンナンは元気をなくしている。推測すると顔は回路のような役割になっており、濡れたり歪んだりすることで、神経伝達物質がうまく流れないようだ。
ここまでが、この一年でわかったことである。
結局のところ、なぜアンパンに命が宿ったかはわからない。でも、これは奇跡なのだろう。アンパンナンは性格もよく、人の幸せを第一に考えている。いつのまにか、人里に降りていき、そこの人たちと仲良くなっていた。飢えている人には自分の顔をあげているようで、よく、顔が欠けた状態で帰ってくる。私はアンパンナンに大きな可能性を感じた。
そして今日は満月らしい。朝から新しい顔を作る。今日は特別だ。私はあんこの中に隠し味を入れた。この隠し味はきっといい味を出してくれるだろう。
顔を取り替えたアンパンナンはいつも通りパトロールに出かけ、私はそれを笑顔で見送った。
目が覚めると辺りは明るくなっていた。昨日の夜のネズミ男はどこにもいない。話の途中で眠ってしまっていたようだ。結局彼は何がいいたかったのだろう。話を聞くにあれは僕とジャムおじさんの話だ。だが、話の内容におかしなことはなかった。気になるのはどうして彼が、昨日の朝のことまで事細かにしっていたかだ。ネズミ男が夢だったということもありえる。
ジャムおじさんたちは心配しているだろう。力を振り絞って空に飛び出す。早く帰って新しい顔に変えてもらおう。
しばらく進むと、道端に誰かが倒れていた。慌ててかけよると、それはワンニ君だった。名前を読んでも返事がない。息をしていない。胸に耳を当て心臓の鼓動を確認するが、何も聞こえてこなかった。
どうしてワンニくんが?昨日、元気な姿で別れたはずなのに。こんなことになってしまうなんて、家まで送り届けてあげるんだった。
僕は困惑と後悔でしばらくなにもできなかったが、ワンニ君をパン工場まで連れて行くことにした。
「ジャムおっさん!大変なんだワンニくんが!!」
僕がドアを叩くとジャムおじさんが出てきた。
「アンパンナン、無事でよかった。昨日はとても心配したんだよ。ワンニ君はどうしたんだい?」
ジャムおっさんに事の経緯を説明した。僕のせいだ。僕のせいでワンニ君がこんなことに。
「それは辛かったね。でもこれは君のせいじゃないんだよ。どうしてワンニ君が死んでしまったかは分からない。でも、君がやったことは間違いじゃない。」
ジャムおじさんは僕を慰めてくれた。でも、後悔の念はとても消えてくれない。
ジャムおじさんは僕の顔を作ってくれるという。ジャムおっさんはワンニ君を自室に寝かせ、パンをつくり始めた。まずは顔を取り替えてから、すぐにワンニ君を家族のもとに連れて行ってあげなくちゃ。ここで悔やむ前に、家族に会わせてあげないと、ワンニ君もその家族もかわいそうだ。
「できたよ、アンパンナン。」
ジャムおっさんが僕の顔を取る。すると、意識が朦朧とし始める。体は動かなくなった。
信じられない。僕は薄れゆく意識の中見た光景に言葉が出なかった。まんえんの笑みだった。笑顔で何かを話すジャムおっさん。その先には、僕がいた。新しい顔で笑顔の僕。
僕は全てを理解し、絶望した。
僕は何のために生まれてきたんだ。
僕に友達なんていなかった。
愛も勇気もぼくの味方ではなかったんだ。
そして、目の前には闇がひろがった。
完