漆
「うんまぁーいい!!!」
ねね子は、いざ食べ始めると目の色が変わり、どんどん口に豚丼をかき込んでいった。
「まつりくん、天才じゃん!私久しぶりに誰かの手料理食べたけど、めちゃくちゃ美味しいよ!」
そんなことを何回も言ってくれた。
俺は久しぶりに料理を食べてもらって、それはそれで嬉しかった。美味しいと言ってくれてるし。
「ありがと、別に天才ではないけど」
俺なりに頑張って素直に感謝を言ったつもりだ。
「まつりくん、ありがとうって言えるんだね」
「はぁ?それくらい、いくらでも言えるし!」
俺は少し顔が火照ったような気がした。無視して豚丼を食べた。
少しだけ、初対面なのに“ありがとう”と言える自分と、ねね子に驚いていた。
そんなことを考えてるなんて全く知らないねね子は「あーそう?」と呆れ顔をしてまた豚丼をかき込んだ。
俺はすごく気になっていることがある。
それはこのダイニングテーブルだ。
ご飯をちゃんと食べるだけの隙間もない。
自室に塵一つも残さないくらい掃除をする俺としたら、綺麗にしたくてたまらない。
あ、決して重度の潔癖症ではない。
こんなに物が散乱してても大丈夫なのは、きっと人が来ないからだろう、俺はそう推理した。
「ねね子、あの部屋は依頼人入れないんでしょ?」
「そうだよ〜、だから別に書類いっぱいでも大丈夫かな〜ってさ!」
「ってさ、って。」ねね子はとても他人事だった。
それがまた、ねね子らしいと思った自分が居た。
「ふーん」と軽く相槌を打ちながら、書類の山をよく見ると、、
「ちょっと、ねね子!」
「ん?ほぁーひ?」
口の中いっぱいにご飯を詰め込んでいる。きっと「なに?」と言ってるであろう。
いや、それどころでは無い。
「おまっ、お前!こんなところに、、さつたば、があるけど、?!」
そう、さつたばとは、あの札束だ。
白い紙でたくさんの福沢諭吉様が巻かれている。それが何個も転がっている。
「あーうん、それはね、報酬だよ」
やっと飲み込んで口が空っぽになってちゃんと話せるようになったねね子。箸を置いて、口元を拭く。どこか、育ちの良さが出ていた。
「…報酬?」
俺はねね子を疑う目をした。
「うん、そう。依頼人様からのね」
「は、こんなに高いのか」
俺はちょっと、いやだいぶ引いた。
「違うよー、この札束の報酬は御国からのだよ」
「…国からの依頼の報酬は、そんなにするのか」
「まぁね〜、ほら、君も見たでしょ。気絶」
俺はあの衝撃の光景を思い出した。
「あー、思い出させないでくれよ。忘れてたのに」
俺は頭を抱え込んだ。
「あはは、ごめんごめん。でもあんなこと、しないでしょ、普通」
「うむ、確かに」
「だから、一般人にこんなことをさせたっていう追加報酬も出るのよ。あと、口止め料ね。御国がいたいけな女子高生に頼っているっていう事実の」
そう言ってねね子はお茶を飲んだ。
いたいけな女子高生というのは無視する。
「…それ、俺に言って大丈夫なやつなのか?」
「ん?あー、まぁ平気よ。まつりくんは助手だから」
ねね子は手を組んでその顎を乗せて言った。
「あー、またその理論か…」
とか言いつつ、俺の気持ちは実は傾いていた。
金に釣られたわけじゃない。
それだけは見余って欲しくない。
1番俺の気持ちを傾かせているのは、部屋の汚さだ。
こんな汚い部屋や机を見たことがない。書類山積みだぞ。食べ物とか飲み物が散らかっているわけじゃないからまだ衛生面的には清潔なはず。これは、掃除しがいがある。
全部綺麗になったらすごい爽快なんだろうなぁ。
店をもっと綺麗にして、お金の管理も家計簿のようにちゃんと付けたら、もっと何尚屋として成長して良くなるはず。
俺はその気持ちでいっぱいだった。
掃除したい、家計簿つけたい、それで何尚屋を良くしたいと思った。
それは、何尚屋の店長のねね子を支えたいという気持ちに繋がるんだろうか。
助手になったら、支えられるのだろうか。
ねね子だったら、大丈夫。ねね子なら、支えてもいいかな。ねね子だったら、下についてもいいかな。
俺にだってできることはあるはず。
俺にできるかな。
「…ねね子」
「ん?」
ねね子はボケっとした顔をして頭の上にはてなを浮かべた。
「助手に、なってもいいよ」
少し声が震えた。今気づいたけど、自分から「やりたい」と声を出すのは初めてだ。緊張する。俺は膝の上で手を握った。
「…え」
「…え、だから、助手として働きたいんだけど、、。ダメ、かな?」
俺は恥ずかしくなって下を向いた。
やっぱり俺は、ださいな。
「え!ダメなんかじゃないよ!え!?ほんとに?!まじ!?」
「…まじ」
ねね子は、ガタッと立ち上がって身を乗り出した。
俺はとてつもなく驚いて、口が空いてしまった。
「…くぅー!」
ねね子は両手の拳を握りしめ、
「やぁったぁ〜!!」
その拳を上に突き上げ、飛び跳ねた。
俺はそのテンションについていけずまだびっくりしている。
下を向いていた顔は気づけばねね子の方を向いていた。
「匤本祭利くん!」
急にフルネームで呼ばれた。
「はいっ」
あほみたいにしっかりと返事をした俺。
ねね子は姿勢を正し、手を差し出した。そして、笑って言った。
「何尚屋店長、白峰ねね子の助手として、採用します!or雇います!」
俺も思わず立ち上がった。
「これから、よろしくね!」
ねね子は首を傾け今日1の笑顔を見せて、笑った。
「うん、よろしく。お願いします」
俺はねね子の手を握って握手をした。握手は今日で何回目だろう。
でも1番気恥ずかしく、心が熱くなった。その熱さは心地よく暖かく感じた。
目の前が明るく、これからが楽しみになった。握手の先で笑うねね子を何尚屋の暗い電球が明るく照らしていた。
きっと俺も明るく、そして笑っていた。
「えへへ、とりあえずご飯食べちゃおっか」
ねね子はまだどこか嬉しそうしている。座ってまた豚丼を食べ始めた。
俺も食べ始めた。きっと同じように嬉しそうな顔をしてしまっているんだろう。
その後もねね子は豚丼を賞賛して、俺はその都度少し喜んで、お昼ご飯を食べ終えた。
「ご馳走様でした!まつりくん!美味しかったよ、ありがとう!もうお腹いっぱい」
ねね子は満足気にお腹を撫でた。
「うん、お粗末さまでした。」
俺はスプーンをどんぶりの中へ入れ、キッチンの流しへと運ぶ。
「ねね子、俺はなんの仕事をすればいいの?」
俺に続いてどんぶりを持ってきたねね子に聞いた。
「うーん、そうだなぁ。まつりくんがしたいようにしとけばいいよ」
ねね子は他人事のようにどんぶりをがしゃんと流しに入れる。
「そんなもんなのか」
「そうよ、そんなもんでいいのよ」
俺はどんぶりを洗った。
「じゃあ、ねね子のどんぶりも洗っとくよ、助手として」
「お、ありがたいね〜、頼んだよ助手くん」
ねね子は俺の肩をポンッと1回叩いて、鼻歌を歌いながらダイニングへ戻って行った。
全て洗い終わり、手を拭いてねね子がいるダイニングへ戻った。
「お、おつかれ。ありがとね、まつりくん」
「うん、いいよ」
俺はさっき座っていた席へ戻り座った。
ねね子はそこら辺に散らばっていた書類の1枚を見ていた。
「それはなんの書類?」
「んー、黒猫に関する書類だよ」
「…なんで黒猫のこと、何尚屋に依頼が来たの?もう俺、助手になったんだし、知っててもいいでしょ」
「そうだね」
ねね子はまた嬉しそうにした。
「正直ね〜、私も知らないんだよね」
「え、なにそれ」
俺はびっくりして、眉間に皺を寄せた。
「言えないこととか、御国にだって知らないこともあるでしょ。だから、しょうがない」
「モヤッとするな」
「ふふっ、でしょう」
ねね子はニヤッとした。
「でも大丈夫。明日、樹さんと溝ノ口さんが来てくれるから。その時詳しい話聞けると思うよ」
ねね子は頬杖をついて、首を傾けた。
「分かった。じゃあ明日も来る」
俺は即答した。
「おー、やったぜ。明日も待ってるね」
俺はちょうどいいと感じなので、そろそろ帰ろうかと思った。
「じゃあ俺はここら辺でおいとまします」
常識としてタイミングバッチリだろう。
でもしかし、
「えー!もう帰っちゃうのー?」
ねね子は駄々をこねた。
「もう結構長居したし、明日も学校あるし」
「えー、、そっか、そうだよね〜。」
さっきまでニコニコしていたねね子は、ちゃんとしょんぼりしている。今日初めて見る顔だ。
「明日来るって言ったじゃん」
「…まぁそうだね。楽しみを明日に取っておくの大事だもんね」
仕方なさそうに頷き、俺の帰りを認めてくれた。
俺はダイニングから出て、ソファーに置いたブレザーと鞄を取った。
「ねね子、パーカーどうしたらいい?」
一緒に置いておいたパーカーについて尋ねる。
「んー、そこ置いといて。明日も来るんでしょ」
「うん、分かった」
俺は貸してもらったパーカーを丁寧に畳んで置いた。
何尚屋の扉をガラガラを開ける。ねね子は着いてくる。
何尚屋から出た時気づいた。
「…ねね子。俺、何尚屋の行き方わかんないんだけど。帰れないし、明日来れない」
ねね子はそれを聞いて「わっはは」と大爆笑した。
「そうだよね、何尚屋だもんね」
意味わからないことを言った。
「えっとね、猫の虎之助くんが居た坂わかる?」
俺は「うん」と頷いた。
「坂降りて、信号を渡って、大きな通りを過ぎたところで左手にある裏道に入るの。そしたら、角を右に3回。その次の角を左に3回。太陽が差し込む場所が、何尚屋のある場所だよ。」
「右に3回、左に3回。戻ってこない?」
理論上そうなる。凄く変な話だ。
「それがね〜、戻らないのが何尚屋なのよ」
不思議な内緒の店、それが何尚屋だ。
そう思うと本当にその道でたどり着く気がした。
「あ、ちなみに帰る時はまっすぐ出たら君の知ってる道に出ると思うから、大丈夫よ」
「は?そんな魔法みたいなことあんのか」
ねね子の言う帰り道はもっと意味がわからない。
「大丈夫大丈夫、私を信じなさーい」
他に信じる人が居ないのでしょうがない。
「…わかった」
素直に頷くとねね子はニヤッとして喜んだ。
俺が素直にしてるのを見るのが好きなのか。
「明日、来るから」
「うん、何時頃来る?」
「学校が終わってからだから、、4時すぎから半頃かな」
「おっけーおっけー、待ってます」
ねね子はおちゃらけて敬礼ポーズをした。
「じゃあ、また」
俺は鍵をかけ忘れた自転車に足をかけ、ねね子に最後の挨拶をした。
「うん。今日はありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
ねね子は右手を上からくるくる回して胸に置き、左足を引いてお辞儀した。
その直後、顔を上げて舌を出してニヤリとした。
「なんて言うのは今日だけね。次来るときからは、ちゃぁんと助手だから」
「分かったよ。んじゃ、バイバイ」
俺は笑いながら手を振った。
「んー!ばーい」
ねね子は少し飛び跳ねて手を振った。
俺はその様子を見届けて、自転車を漕ぎ出した。
日が落ち始めた春のある日。
北からふいた春の風はそよそよと気持ちよかった。